老年者糖尿病の長期予後に関する研究(QOLを中心に)

文献情報

文献番号
199800221A
報告書区分
総括
研究課題名
老年者糖尿病の長期予後に関する研究(QOLを中心に)
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
井藤 英喜(東京都老人医療センタ-)
研究分担者(所属機関)
  • 阿部隆三(太田西ノ内病院)
  • 森聖二郎(千葉大学医学部)
  • 石橋 俊(東京大学医学部)
  • 大庭建三(日本医科大学)
  • 河盛隆造(順天堂大学医学部)
  • 吉川隆一(滋賀医科大学)
  • 梅田文夫(九州大学医学部)
  • 伊藤千賀子(広島原対協健康管理センタ-)
  • 中野忠澄(東京都多摩老人医療センタ-)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成8(1996)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
15,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
日本における疫学調査の結果をみると、日本には現在約350万人の老年者糖尿病が存在すると推定される。現状では老年者糖尿病であっても成人糖尿病と同じ基準、方法で治療が行なわれている。しかし、本来、治療が妥当であるか否かは、その治療が長期予後やQOLに良好な結果をもたらしたかという視点から検討される必要がある。その意味では、老年者糖尿病の治療方針が成人と同様であることには疑問が残るが、日本のみならず世界的にみてもこのような疑問に答えを与える報告はない。そこで本研究班では、老年者糖尿病の長期予後およびQOLとその規定因子について前向き追跡調査を共同研究した。同時に、班員は老年者糖尿病の予後とQOLに関する個別研究を行った。
研究方法
共同研究:65歳以上の老年者糖尿病を平成8年度に登録し、それらの症例を長期に追跡する。この追跡調査により、登録時の年齢、性、血糖コントロ-ル状態、糖尿病罹病期間、糖尿病家族歴、糖尿病治療法、糖尿病性細小血管、動脈硬化性血管障害の有無、QOL指標の高低、ADL指標の高低、家族あるいは他人からの支援の有無、収入、経済的余裕度などと、QOL、長期予後、追跡中の入院との関係を明らかにする。個別研究の方法については結果の項に記載することとした。
結果と考察
(1)共同研究について:平成9年1月から4月の間に各施設から計1,187例の老年者糖尿病が登録された。各症例につき、性、年齢、糖尿病罹病期間、糖尿病家族歴、喫煙歴、飲酒歴、空腹時血糖値、グリコヘモグロビン値、糖尿病治療法、身長、体重、糖尿病性細小血管症の有無および重症度、虚血性心疾患・脳血管障害・閉塞性動脈硬化症の有無、血清脂質、骨折・腰痛・膝関節痛の有無、栄養指標、ADL指標、モラ-ル指標,家族関係、家族・他人からの支援の有無、収入、経済的余裕度、糖尿病の症状・食事療法・薬物療法の負担感、不安感や満足感、治療の大切さに関する信念のつよさ、困難な事態に対する対処スタイル(コ-ピングスタイル)、認知能力などを調査した。昨年度は、老年者糖尿病のQOLの規定因子に関する解析を行った。種々の解析の結果、QOLの悪化要因は、①家族からの支援が少ないこと、②ADLが低下していること、③比較的若齢であること、④女性であること、⑤認知能力が低下していること、⑥糖尿病性神経症の症状があること、⑦増殖性糖尿病性網膜症のあること、⑧脳血管障害のあること、⑨閉塞性動脈硬化症のあることなどであることが明らかとなった。一方、QOLを良くする要因としては、アルコールをたしなむことが有意な要因であることが明らかとなった。老年者の糖尿病の治療のあり方については種々の論議があるが、多くの議論は確たるエビデンスに基づいたものではなく平行線におわることが多い。このような議論を実りあるものとするには、老年者糖尿病の長期予後やQOLと、それらの規定要因を明らかにすることが重要と考えられる。長期予後とその規定要因を明らかにする最も妥当な方法は前向き追跡調査である。しかし、老年者糖尿病の長期予後につき多施設で前向き追跡調査で検討した成績は世界的にみても皆無である。この事実はこのような研究の遂行の困難性を示しているともいえるが、我々はあえてこの課題に取り組んだ。本研究班の最終年度にあたる本年度には、追跡1.5年間の予後およびその間の入院回数と入院理由を調査した。その結果、①登録した老年者糖尿病1187例のう
ち30例(27%)に死亡がみられ、主要な死因は悪性新生物(30%)、心血管障害(27%)、感染症(27%)であること、男性、アルブミン低値、ADL低下および一種のQOL指標であるモラールの低下が死亡の独立した危険因子であること、②追跡期間中に375例(34%)が入院し、入院回数は1回が286例(26%)、2回が54例(5%)、3回以上の頻回入院は35例(3%)であったこと、入院の内訳は糖尿病コントロールによる入院が23%、糖尿病合併症の発症進展による入院が13%、他疾患による入院が61%を占めたこと、少なくとも1回以上の入院の危険因子は高年齢、長期糖尿病罹病期間、高血糖、糖尿病薬物治療、糖尿病合併症、ADL低下、モラール低下、認知機能低下であったこと、3回以上の頻回入院の原因は心疾患(虚血性心疾患、心不全)と悪性新生物であり登録時の糖尿病合併症(顕性腎症、虚血性心疾患)が高頻度であり、HDL低値、アルブミン低値、クレアチニン高値およびモラール低下が顕著であったことが明らかとなった。これらの結果から、老年者糖尿病におけるQOLの構造は多層的であり、糖尿病合併症(細小血管症、動脈硬化性血管障害)のみならず、家族関係、ADL,年齢、性、認知機能などが複雑に関与することが明らかとなった。また、老年者糖尿病ではADL低下、認知機能低下あるいはQOL指標の低下は、死亡や入院の危険因子となることが明らかとなった。したがって、老年者糖尿病の治療方針を決定する上でQOL、ADL、認知機能などの測定を行うことは重要である。一方、老年者糖尿病においては、運動量が少なく、ADLの低下している例が多い。生命予後やを改善し、入院を減少させる目的で、積極的に運動指導することが必要であると考えられた。今後、このような運動指導の効果を明らかにすることを目的とした介入試験の実施が望まれる。また、老年者糖尿病においても糖尿病合併症の発症は、QOL、ADL、生命予後を低下させ、かつ入院機会を多くする。したがって、老年者糖尿病においても糖尿病合併症(糖尿病性網膜症、糖尿病性腎症、虚血性心疾患、脳梗塞など)の原因となる高血糖、脂質代謝異常は是正すべきであると考えられた。
(2)個別研究について:井藤は老年者糖尿病において非常に強い動脈硬化の危険因子とされる小型低比重リポ蛋白が高血糖例で多くなり、血管障害とも関連する傾向にあることを明らかにした。また、河盛は老年者糖尿病においても高血糖が糖尿病性腎症の最大の危険因子であることを明らかにした。森は高血糖が中膜平滑筋細胞でのフィブロネクチンやオステオポンチンの発現を亢進させ、増加したフィブロネクチンやオステオポンチンが平滑筋細胞の血小板由来増殖因子に対する感受性を増加させることを明らかにした。阿部は老年者糖尿病においては、運動療法の実施により薬物療法から離脱できる症例の多いことを明らかにした。中野は老人ホームに居住している老年者糖尿病と在宅の糖尿病例の臨床像を比較検討から、糖尿病における食事管理の重要性を明らかにした。石橋は老年者糖尿病においてもレプチンは肥満と何らかの関係のある因子であるが、肥満候補遺伝子の一つであるβアドレナリン受容体Trp64Arg変異と肥満との間には有意な関係のないことを明らかにした。大庭は、老年者糖尿病において細小血管症を持つ例ではうつ傾向の著しいこと、肥満例や血糖コントロール不良例では食行動異常の著しいことを明らかにした。吉川は糖尿病性腎症の発症に及ぼす食事、運動療法の影響についての前向き追跡調査たが、2年間の追跡では食事・運動療法が腎症の進展を予防するか否かは明らかでなかった。梅田は老年者糖尿病の無症候性心筋虚血例を4.3年間追跡したところ、対照に比較し、心事故発生率が極めて高値であることを明らかにした。伊藤は老年者糖尿病ではエネルギーや蛋白摂取量が少ないことに起因するヤセが、また運動不足によるADL低下例の多いことを明らかにした。個別研究では、井藤、河盛、森らの研究により老年者糖尿病においても糖尿病治療でもっとも重要なことは良好な血糖コントロールを維持することであることが明らかとなった。高血糖が持続すると老年者でも細小血管症が発症するが、細小血管症を発症した症例ではうつ傾向が高くQOLが低下するという大庭の結果からも血糖コントロールの重要性が再確認できる。また、阿部および中野の研究により、食事療法や運動療法といった生活習慣の是正が老年者では有用な糖尿病治療法であることが明らかとなった。しかし、伊藤の研究により老年者糖尿病には栄養摂取状態に問題のあるヤセ型糖尿病の多いことが明らかとなり、食事療法の実施に当たっては個々の患者の背景に十分な配慮を払う必要があると考えられた。梅田の研究により、無症候性心筋虚血例に対する早期診断、早期治療の重要性が明らかとなった。
結論
老年者の糖尿病の治療にあたっては、成人糖尿病と同じく血糖コントロールをはかりつつ、QOL,ADLあるいは認知機能にも配慮した全人的なケアが必要である。

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