老年病に対する成長ホルモン補充療法の有効性に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200300208A
報告書区分
総括
研究課題名
老年病に対する成長ホルモン補充療法の有効性に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成15(2003)年度
研究代表者(所属機関)
千原 和夫(神戸大学大学院医学系研究科)
研究分担者(所属機関)
  • 加治秀介(兵庫県立看護大学)
  • 杉本利嗣(神戸大学大学院医学系研究科)
  • 苅田典生(神戸大学大学院医学系研究科)
  • 置村康彦(神戸大学医学部)
  • 高橋裕(神戸大学大学院医学系研究科)
  • 井口元三(神戸大学医学部附属病院)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究
研究開始年度
平成14(2002)年度
研究終了予定年度
平成16(2004)年度
研究費
4,578,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
成長ホルモン(GH)は下垂体から分泌され、成長や代謝調節だけでなく、老化の進展に深く関与するホルモンである。その分泌量は思春期から若青年期に最大となり、以後年齢が進むにつれ減少する。一方、脳腫瘍等の器質的疾患によって早期にGH分泌能が低下した患者では、筋力低下、骨粗鬆症に加えて高脂血症、動脈硬化の早期発症、その進展に伴う血管合併症の増加など、生理的な加齢に伴って出現する変化に酷似した諸症状や所見が年齢不相応に早期に出現すること(成人GH欠損症)、さらに、これらは補充量のGHの投与によって改善することが最近明らかとなってきた。
これらの成績は、老年病の成因にGH分泌不全が関与する可能性、および老年病に対するGH治療の可能性を示唆するものである。これらの点を明らかにするため、1)視床下部下垂体に何ら器質的疾患のない健常高齢者におけるGH分泌予備能、2)GH分泌が低下した健常高齢者に特有な臨床的特徴、3)成人GH分泌不全症者に対するGH補充療法の意義、4)成人GH分泌不全者における動脈硬化の実態、5)GHの血管平滑筋に対する作用に関する研究を行なった。
研究方法
健常高齢者および軽症疾患罹患高齢者におけるGH分泌反応
平成13年度に厚生労働省間脳下垂体機能障害調査研究班により作成された成人GH分泌不全症の診断の手引きに基づき、健常高齢者、および軽症疾患罹患高齢者のGH分泌不全発症頻度について検討した。60歳以上の健常高齢者、および軽症高血圧、糖尿病、高脂血症等で治療をうけているが他に大きな異常所見のない患者(軽症疾患罹患高齢者)に対し、GH分泌刺激試験(アルギニン試験、L―ド―パ試験)を行ない、経時的に採血、GH分泌反応を調べた。また、自覚症状を調べる目的で、アンケート調査を行なった。
非器質的障害による成人GH分泌不全者に対する成長ホルモン補充療法の効果
上記の検査で抽出されたGH分泌不全者に対して、GH(0.006 mg/kg/day、皮下投与)を16週にわたって補充し、GH分泌不全者が有する症状、所見に改善がみられるか検討するプロジェクトを立案、開始した。現在、まだ進行中であるが、GHが有効か否かの評価は、次の項目で行なう。バイタルサイン、一般血液学検査、生化学検査、甲状腺機能検査、OGTT、HbA1c、血中IGF-I、血中総コレステロール、中性脂肪、HDL-コレステロール、LDLコレステロール、骨型アルカリフォスファターゼ、PICP、尿中NTxの経時的測定。腹部臍レベルのCT画像による内臓脂肪量の計測。DXAによる全身の骨塩量、脂肪量、筋肉量の測定。握力測定。頸動脈エコーによる内膜・中膜複合厚の計測。心電図、心エコー検査。なお、本研究は、神戸大学医学部附属病院医薬品及び医療用具の臨床研究審査委員会に申請し、平成15年9月に許可を得ている。
GH分泌不全の動脈硬化におよぼす影響
―成人および小児期発症成人GH分泌不全症患者における頸動脈内膜・中膜複合厚の比較―
日本人におけるGH分泌不全の動脈硬化におよぼす影響を明確にする目的で、GH分泌不全症患者において、頸動脈エコー検査をおこなった。とくに、成人発症のGH分泌不全症と小児発症の成人GH分泌不全症の症状、検査所見に相違があるか明らかにする目的で、動脈硬化の進行度に注目し、両者で比較検討した。成人成長ホルモン分泌不全症患者(AGHD)34例(小児発症(CO)(15歳未満の発症)17例、成人発症(AO)17例)、および年齢、性別を合致させた対照者34名の内頚動脈内膜・中膜複合厚(IMT)を高分解度エコーカラードップラーシステムで計測し、比較検討した。
血管平滑筋細胞における成長ホルモン投与による遺伝子発現の変化- differential display法を用いた検討
GH不足および、過剰状態で発現が変動する遺伝子を、differential display法やDNA micro arrayで同定するプロジェクトを行なっている。今回は、GHの直接の標的である血管平滑筋細胞において、GHで発現が調節される遺伝子をdifferential display法で検索した。ラット血管平滑筋細胞培養液にGHを加え、それにより平滑筋細胞で変化する遺伝子群をdifferential display法を用いて同定した。さらに、それらのGHによる発現変動を定量PCRで評価した。また、IGF-Iの効果、各種ブロッカーを使用した実験と併せ、その作用機構を検討した。
結果と考察
健常高齢者および軽症疾患罹患高齢者におけるGH分泌反応
アルギニン試験、L―ド―パ試験において、GH反応の頂値が3ng/ml 以下の低反応者は各々 21 %(13 / 61)、38 %(21 / 55)であった。両試験ともに低反応であった者は16 %(9 / 55)であった。GHのカットオフ値を、アルギニン試験では1,4 ng/ml、L―ド―パ試験では0.64 ng/mlとすると、それぞれ3名 (4.9%)、5名 (9.0%) が該当し、共に該当するものは2名 (3.6%) であった。GH頂値が3ng/ml以下であった被験者はいずれもGH分泌不全による可能性のある何らかの自覚症状を訴えていた。なかでも、集中力の低下、筋力の低下を訴える者は、GH頂値が3ng/ml以上の者と比べ有意に多かった。
今回検討した集団は、もちろん日本人高齢者集団を代表するものではないが、成人GH分泌不全症の発症頻度を推測する1つの資料となるであろう。今回得られた頻度は、予想外に高く間脳下垂体機能障害調査研究班による成人GH分泌不全症の診断の手引きに従えば、16%の被験者がGH分泌不全と判断された。最近海外で発表された厳しい基準を用いても、3.6%が該当した。この成績から判断すると、一般高齢者のなかに、器質的疾患によるGH分泌不全症患者に匹敵するGH分泌不全者が存在する可能性があり、このようなGH分泌不全者が特有の臨床像を示すのか、今後さらに明らかにする必要があると考えられる。また、これらのGH分泌不全者でみられる症状や検査所見がGH補充によって改善するのか、明らかにすることは重要であり、現在その解析プロジェクトが進行中である。
GH分泌不全の動脈硬化におよぼす影響
―成人および小児期発症成人GH分泌不全症患者における頸動脈内膜・中膜複合厚の比較―
成人発症GH分泌不全症患者(CO)と小児発症GH分泌不全患者(AO)を比較すると、年令はCOが有意に低年令であった(CO; 29±7 vs AO; 48±12, P<0.01)。また罹病期間はCOが有意に長かった(CO; 21±9 vs 14±9 yr, P<0.01)。内頚動脈内膜・中膜複合厚(IMT)は、CO, AO両者ともに対照群に比べ肥厚していた。両群間で比較した時、実測値ではCOは0.82±0.08, AOは 0.79±0.03 mmと差を認めなかったが、同じ方法で計測された日本人の年令別基準値から年令を補正したZ-scoreを算出すると、COは 2.07±0.68、AOは 0.35±0.48であり、COでより肥厚がみられた(P<0.05)。血圧、血中IGF-Iや脂質レベルは両群間に有意差を認めなかった。IMTはBMI, 血圧、血中IGF-I, 総コレステロール、LDLコレステロール、 HDLコレステロール、中性脂肪とはCO, AO、AGHD全例のいずれにおいても、有意の相関を認めなかった。以上の成績から、成人GH分泌不全症では、動脈硬化が実際に対照群に比べ進んでいることが明らかとなった。特にCOでZ-scoreが高く、年齢に比べ動脈硬化が進行していた。この理由についてはCO, AO間にBMI, 血圧、血中IGF-I, 脂質レベルなどに差がなく、糖尿病、心疾患の合併例も除外しているので、少なくともこれらの要因に拠るものではなくGHDの発症時期そのものが関与する可能性や、GHDの罹病期間を反映している可能性が考えられる。いずれにせよ、日本人においてもGHDそのものがIMT肥厚に関わることを示唆する結果である。
血管平滑筋細胞における成長ホルモン投与による遺伝子発現の変化- differential display法を用いた検討
GH分泌不全による直接的な動脈肥厚機序の詳細は不明であるが、GH分泌不全による血管内皮におけるNO産生の低下や、動脈硬化を惹起する種々のサイトカインが増加による可能性が想定される。この分子機構を明確にするため、GHの標的であリ、動脈硬化の進展において重要な役割を果たす血管平滑筋において、GHで発現が調節される遺伝子をdifferential display法で検索した。血管平滑筋において、GHによって増加したmRNAの塩基配列を決定したところ、増加したmRNAはmitochondrial cytochrome oxdase subunit II / III と prystanoyl-CoA oxdaseであることが判明した。一方、GHによって発現が減少したmRNAの一つは、ADAMST-1であることが判明した。他の増減したmRNAは、現在のところDNAデータベースに未登録である。cytochrome oxidase subunit II/III はミトコンドリア遺伝子にコードされており、その発現は、ゲノム遺伝子にコードされた転写因子であるmitochondrial transcription factor 1 (mtTF1)によって制御されている。GH添加により、cytochrome oxidase subunit II/III mRNAが増加したことから、GHがmtTF1遺伝子の発現を制御しているのではないかと考え、定量PCRを使いその発現量を測定した。予想どおり、GH投与によりmtTF1 mRNA量は用量依存性に増加した。また、このGHの効果は、JAK2阻害剤であるAG490投与によりコントロールレベルまで抑制されることが明らかとなった。この成績より、血管平滑筋において、GHはJAK2を介してmtTF1量を変化させ、ミトコンドリア遺伝子転写を制御している可能性が示された。
mtTF1はミトコンドリア遺伝子発現や複製を制御しており、GH→ゲノムDNA→ミトコンドリアDNAという新しい情報の流れが想定された。この機構は普遍的である可能性があり、今後の研究の展開が期待される。
結論
日本人における、成人GH分泌不全の頻度、その症状、GHの動脈硬化に及ぼす影響が明らかとなった。また、血管平滑筋におけるGHの新規作用が明らかとなった。これらの成績は、成人GH分泌不全症の病態理解や診断、治療をする上で有用である。

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