急性砒素中毒の生体影響と発癌性リスク評価に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200100953A
報告書区分
総括
研究課題名
急性砒素中毒の生体影響と発癌性リスク評価に関する研究(総括研究報告書)
研究課題名(英字)
-
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
山内 博(聖マリアンナ医科大学)
研究分担者(所属機関)
  • 吉田貴彦(旭川医科大学)
  • 坂部 貢(北里研究所病院)
  • 相川浩幸(東海大学)
  • 中井 泉(東京理科大学)
  • 安藤正典(国立医薬品食品研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 生活安全総合研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
17,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本年度は、砒素曝露による脳障害、砒素曝露とDNA損傷、砒素曝露と生体防御、放射光蛍光X線分析法による砒素分析の可能性などの課題を実施した。
研究方法
砒素曝露による脳障害の実験は、妊娠ラットに三酸化二砒素(LD50; 5mg/kg)を一回投与した胎仔の組織を用い、慢性投与実験では1と10ppmの三酸化二砒素を妊娠ラットに連続投与した。
砒素曝露とDNA損傷の実験は、ウサギに無機の三価砒素(5ppm)および五価砒素(5ppm)を18週連続投与し、臓器・組織を摘出し試料とした。砒素曝露と生体防御の研究は、急性(和歌山)と慢性(インド、中国)砒素中毒患者の尿中砒素を基に解析した。放射光蛍光X線分析法の検討には急性砒素中毒患者と砒素系半導体取扱者の検体を用いた。
結果と考察
砒素曝露による脳障害発生に関する検討を試みた。砒素を妊娠ラットに投与すると、母獣を介して胎仔に移行した砒素が、胎生期の神経系の発生・分化・成熟に深く関連する蛋白質キナーゼ調節因子の一つである14-3-3の胎児脳(特にニューロン)での発現が強く抑制され、分化・成熟過程におけるニューロンの細胞情報伝達機構のごく初期のシグナルカスケードに影響を及ぼすことが判明した。さらに、胎児胸腺組織においても14-3-3の発現の強い抑制が認められ、脳組織と同様、主としてθサブタイプが影響を受けることが判明した。これらの結果を総括すると、妊娠期における砒素曝露は、母獣に強い影響を与えるに留まらず、母獣を介して移行した砒素およびその代謝物が、「神経系-免疫系」の機能軸の確立に致命的な障害を与える可能性を示唆するものであり、生後の神経系と免疫系のクロストークの遂行とそれに依存する恒常性維持機能に重大な欠陥が生じる可能性を示すものである。
次に、慢性砒素曝露の実験条件における脳障害について検討を試みた。母獣の飲水量は多少の変動があるものの、交配前、妊娠および授乳のいずれ期間とも、砒素濃度に依存的な飲水量の変化並びに個体間に大きな差がみられなかった。出生した全仔を対象に、発育の一般的な指標である耳介展開、歯牙萌出、眼瞼開裂とした。いずれの分化指標とも各群間に差が認められなかった。自発行動に関するOpen-field 試験は、雌についてはいずれの観察項目とも各群間に差がみられなかったが、雄については、潜時では対照群と比して1ppm群、10ppm 群が有意に短く、行動量では対照群と比して1ppm群、10ppm群が有意に多かった。Animex 試験は、各群ごとに2時間間隔に24時間分集計した行動量の結果は、照明時には行動量は少なく、消灯時には行動量が多いパターンは各群とも同様であった。また単位時間ごとの行動量の群間比較は雄では2点、雌では1点に差がみられたものの一定の傾向がみられなかった。学習行動成績は60分間の試行を10分ごとに記録し、前・後半30分に集計した成績を雌雄別に比較した結果、各群間に差はなかった。
以上の結果から、慢性砒素中毒発生地域で観察される、井戸水中砒素濃度において妊娠前から成熟までの一生涯与えたラットには、体重の増加抑制と自発行動の異常が確認された。これらの結果から、人においても発育成長や中枢神経系への影響が起こりうることが動物実験から推察された。
砒素曝露によるDNA損傷に関して、実験動物モデルによる臓器中8ヒドロキシ2デオキシグアノシン(8-OHdG)濃度分布および尿中8-OHdG排泄パターンについて検討した。ウサギに連続投与した無機の三価砒素および五価砒素投与群では、対照群に比較して肝臓と腎臓中8-OHdG濃度に上昇傾向があり(t-test, p<0.001)、これに対して、脳、肺、脾臓は顕著な変化が認められず、すなわち、無機砒素曝露後の生体内での8-OHdG生成には臓器特異性の存在が明らかになった。一方、体内で生成された8-OHdGの尿中排泄には、無機の五価砒素が三価砒素に比較してやや高値の傾向が存在するが、統計学的な有意差は認められなかった。尿中8-OHdG濃度の経時変化は、無機砒素投与後、徐々に上昇する傾向が認められ、統計学的な有意差は6週目以後から認められた(t-test, p<0.05)。以上の結果から、無機砒素には共通してDNA損傷の作用が存在し、体内の作用部位に臓器特異性が認められ、そして、DNA損傷で生成した8-OHdGの尿中排泄には曝露との時間差が存在することが明らかになり、この結果は、ヒトでの急性砒素中毒の結果を支持していた。
砒素曝露からの生体防御機構に関して、急性砒素中毒患者のメチル化機序を解析した。生体内での無機砒素のメチル化は解毒機序として知られている。63名の患者の尿中砒素排泄パターンについて検討した結果、男女間に差は認められなかったが、これに対して、小児(1-12歳群)は成人(13歳以上群)に比較して、三酸化二砒素摂取早期(5日以内)の砒素排泄は極めて速やかであった。その原因は、本来、三酸化二砒素は体内で2回メチル化を受けるが、特に、メチル化砒素からジメチル化砒素への代謝(2 nd methylation)効率の高いことが明らかとなり、すなわち、摂取した三酸化二砒素を排泄の速やかなジメチル化砒素に効率的に変換して尿中へ排泄したことが推定された。尿中砒素濃度から算出した推定の三酸化二砒素摂取量は、小児と成人で差は存在しなかった。有害な三酸化二砒素が短時間で効率的に対外排泄されたことから、小児の中毒症状は成人に比較して軽度であったこと考えられる。現実的に、小児の症状の回復は成人に比較してはるかに早く、そして、重症者に認められる末梢神経障害は小児に存在しなかった。
慢性砒素中毒患者のメチル化機序に関して、インド共和国西ベンガル州Mushidabad地区で居住する23家族89名から飲料水及び尿を採取し検討した。尿中から検出された砒素には、As(III)とメチルアルソン酸(MMA) 、 As(III)とジメチルアルシン酸(DMA )、 MMAとDMA の間には有意な相関関係が認められた。これら住民から得られた尿中のAs(III)、As(V)、 MMA及びDMAの存在割合はtotal arsenic量を100 %としたとき、それぞれ、12.5、 2.0、 10.4及び75.2 %であった。生活習慣、食習慣の同じ各家族の11の夫婦を23家族の中から抽出し、尿中砒素代謝物の男女間の比較を行った。尿中As(III)の場合には男女の間に相関性が観察されなかったが、尿中MMA、DMA及びTotal arsenicの間に統計的に有意な相関関係が観察された。女性の場合、男性に比べて多くの砒素化合物を尿中に排出していることが示唆された。
放射光蛍光X線分析法を用いた砒素曝露の検査法に関して急性砒素中毒患者と職業性砒素曝露者の毛髪を用いて検討を試みた。毛髪中砒素の化学状態分析を行った結果、砒素は硫化物に近い形で蓄積していることが判明した。この結果は健常者の毛髪に蓄積する砒素とは化学形が異なっていた。半導体産業従事者の毛髪中砒素は外部汚染によるものと内部暴露によるものを起源とする砒素の存在が示唆された。従来の砒素の分析法においては、一本の毛髪を用いて毛髪中砒素を外部付着砒素と内部砒素とを区別することは不可能なことであった。この研究において、それらの問題に対して可能性が示された。放射光蛍光X線分析は極めて微量な試料により、形態学的知見や元素分布、さらに組織中での化学形との対応が明確になり、微量元素の組織中における役割の解明への貢献が期待できる手法であることが明らかになった。
結論
「急性砒素中毒の生体影響と発癌性のリスク評価に関する研究」について3ヵ年の研究成果を概要すると、動物実験モデルにより砒素曝露による脳障害は胎児期に急性砒素中毒発症量の砒素曝露が母獣に投与された場合、出生した仔には脳障害の所見が認められ、さらに、類似の所見は慢性砒素投与実験でも観察された。砒素曝露による発癌性の発生機序の解明は国際的にも未解決の問題であるが、砒素曝露によるDNA損傷の評価は、急性と慢性砒素中毒患者を対象者とした研究から、尿中8-OHdG濃度の測定が有効であることを明らかとした。急性砒素中毒における症状は、無機砒素に対するメチル化能力に依存的であり、特に、2nd―メチル化能の役割の重要性が推測された。急性と慢性砒素中毒患者において、小児のメチル化能は成人に比較して高率であり、結果的に病状は軽度になることを明らかにした。放射光蛍光X線分析は極めて微量な試料により、砒素の形態学的知見や分布状態、さらに組織中化学形などが定量的に測定が可能となり、砒素中毒学の研究分野に新たな技術として貢献が期待された。

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