自殺予防を目指した新規向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200100354A
報告書区分
総括
研究課題名
自殺予防を目指した新規向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
西川 徹(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科/国立精神・神経センター神経研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 車地 暁生(東京医科歯科大学医学部附属病院)
  • 山本 直樹(国立精神・神経センター神経研究所)
  • 神庭 重信(山梨医科大学)
  • 加藤 忠史(理化学研究所脳科学総合研究センター)
  • 川村 則行(国立精神・神経センター精神保健研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 障害保健福祉総合研究事業
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
-
研究費
28,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
わが国の自殺による死亡者は、平成9年の24,391名から平成10年の31,734名への変化に象徴されるように、最近増加の一途をたどり大きな社会問題となっている。これらの大半は、気分障害をはじめとする精神疾患や強度のストレスに伴う治療困難なうつ状態が原因と見られ、従来の社会心理学的予防策を発展させるだけでなく、早急に生物学的な予防方法を開発導入する必要がある。すなわち、自殺の生物学的マーカー分子、および画期的な予防・治療薬開発の標的分子を見出さなければならない。
そこで本研究では、実験動物、培養組織・細胞系等において、抗うつ薬スクリーニングに用いられるうつ状態モデル、心理的ストレスとしての不安惹起薬負荷、うつ状態誘導薬投与等における特異的な遺伝子発現とその脳内における分布や細胞内局在を検索することにより、自殺行動に関与する神経回路や分子カスケードを明らかにする。特に、ヒト、実験動物の双方で、うつ状態惹起薬、抗うつ薬、ストレス等の効果には年齢によって著明な差が見られることから、各年代で自殺行動等に対して質的に異なる生体防御機構が作動している可能性を注目しており、発達や加齢によりストレスやうつ状態への応答が変化する分子の検索を行う。また、最も自殺率の高い双極性気分障害(躁うつ病)への関与が推測されるミトコンドリアの遺伝子・遺伝子産物およびカルシウム動態の変化の分子機構を解明し、易再発性・難治性で自殺の危険が高いうつ状態の病態における意義を解明する。精神分裂病でも抗精神病薬抵抗性症状により予測が難しい自殺が多いため、難治性症状改善作用をもつ内在性物質D-セリンのシグナル調節機構を明らかにし新規治療薬開発の手がかりを得る。これらの研究結果をもとに、自殺の生物学的マーカーや新規治療薬の標的となる候補分子を抽出する。さらに、自殺念慮のある各年代の患者から提供されたサンプルの解析によりその妥当性を検証する。
研究方法
今回報告した動物実験およびヒトを対象とする研究は、主任および分担研究者が所属する各施設の倫理委員会の承認を得た上、ガイドラインを遵守して行った。
種々の薬物投与時の遺伝子発現は、次のような方法を用いて解析した。異なる条件下における遺伝子発現の差異は、RNA arbitrarily primed PCR(RAP-PCR)またはDNAアレイ法によって検索した。遺伝子発現の定量的解析には、半定量的RT-PCR法や28S ribosomal RNAを標準物質としたco-amplification RT-PCR法を用いた。そのほか、ノーザンブロット分析、サザンブロット分析、in situハイブリダイゼイション、遺伝子産物のウェスタンブロット分析および免疫組織化学的検出等を行った。
精神障害における細胞内カルシウム動態の研究を行うため、ヒトから得たリンパ芽球を株化する方法を確立した。D-セリンの取り込み活性は、ラット大脳新皮質や小脳のP2分画における[3H] D-セリンの温度依存性の蓄積量として測定した。
結果と考察
1. 不安惹起薬投与後の応答が発達依存的変化を示す神経回路の検索
心理的ストレッサーと等価と考えられる不安惹起物質のFG-7142(N-methyl-beta-carboline-3-carboxamide:20mg/kg, 皮下注射)を、生後8日齢または50日齢のラットに投与し、c-Fos様免疫反応を組織化学的に検出することにより、脳の活動性変化の指標であるc-fos遺伝子の発現を調べた。生後50日齢の成熟ラットでは、梨状葉皮質、前部帯状回(II~VI層)、脳梁膨大後方皮質(II~VI層)、新皮質(isocortex:II~IV層が中心)、中隔、扁桃体、小脳顆粒細胞層等に免疫反応が認められた。生後8日齢の幼若ラットにおけるc-Fos様免疫反応の分布パターンは、成熟期と著しく異なり、前部帯状回(II~VI層)、脳梁膨大後方皮質(II~VI層)、新皮質(isocortex:II~IV層)、扁桃体、小脳顆粒細胞層等では、c-Fos陽性細胞がきわめて少なく、さらに新皮質においてはVI層にほぼ限局している特徴があった。これに対して、梨状葉皮質や中隔では成熟期と同様のc-Fos発現が観察された。うつ状態・不安状態を引き起こすストレスへの反応や自殺率が年齢とともに変化することを考え合わせると、以上の結果は、自殺行動に関与するストレス応答機構が、少なくとも大脳新皮質を含むことを示唆している。
2. 不安惹起薬に対する応答が発達依存的変化を示す遺伝子の検索
RAP-PCRを用いた検討では、ラット大脳新皮質において、生後8日と56日で不安惹起薬投与後の発現変化に差が認められる遺伝子転写産物を複数検出した。DNAアレイでは、マウス大脳新皮質から、生後8日、56日あるいは540日のいずれかで選択的に、不安惹起薬投与により発現が変化する遺伝子転写産物をそれぞれ1~3種見出した。
3.難治性精神分裂病症状の治療法開発
D-セリン、グリシン、D-サイクロセリン等のNMDA型グルタミン酸受容体遮断薬は、難治性の精神分裂病症状の改善効果をもつことが知られているが、脳への移行性が低いため日常臨床で使用する治療薬としては適当とは言えない。D-セリンは脳選択的に高い濃度で分布する内在性物質であり、脳内でD-セリンのシグナルを増強する物質があれば、新しい治療薬として応用可能と考えられる。本研究では、ラット大脳新皮質でD-セリンの高い取り込み活性を初めて検出し、D-セリン選択的なトランスポーターの存在を示唆した。トランスポーターは、目的とする内在性D-セリンシグナル調節薬の開発にとって有用な標的分子と考えられるため、発現クローニングにより単離・同定を試みている。
4.ストレス反応と海馬における神経新生
出生後3日から11日まで一日4時間母親から分離したストレス脆弱性モデルラット、同時期にハンドリングを行ったストレス耐性モデルラットおよび無処置の対照群ラットの成熟期(生後10~11週)に拘束ストレスを負荷し、5ブロモ2'デオキシウリジン(BrdU)を指標として海馬の神経新生を検討した。耐性モデルでは脆弱性モデルや無処置の対照群に比べて神経新生が増加していた。この所見から、神経新生がストレス耐性と関係することが示唆され、神経新生促進を、ストレスによる自殺行動を抑制する薬物のスクリーニングに応用できる可能性が出てきた。
5.双極性障害患者における細胞内カルシウム動態
自殺率が最も高いとされる双極性障害の患者群および一卵性双生児本障害不一致例の罹患双生児では、健常対照群より、thapsigargin刺激後の株化リンパ芽球培養細胞内カルシウム濃度の上昇が亢進していた。また、carbonyl cyanide chlorophenyl-hydrazone刺激後のカルシウム動員には有意な変化はなかったが、双極性障害との関連が認められているミトコンドリア遺伝子多型との相関が見られた。したがって、株化リンパ芽球培養細胞系は、thapsigargin刺激後細胞内カルシウム濃度変化の異常を補正する作用をもつ、新しい双極性障害治療薬開発のスクリーニング系として応用できる可能性がある。
6.末梢血における自殺傾向マーカーの探索
サイトカイン類の測定により、脳内の報酬系刺激が末梢血のTh1細胞優位性を引き起こすことがわかった。また、今後このような脳内の神経機能変化と並行する末梢血の指標と自殺傾向の関連を調べる準備として、Mini-International Neuropsychiatric Interviewを改変した質問紙と面接による自殺傾向の評価法を確立し、自殺傾向の強いヒトのスクリーニングを行った。
結論
自殺率が年齢にほぼ比例して増加することや、従来の向精神薬によって自殺率が低下したとは言い難いことから、自殺行動の基盤となる分子カスケードは、加齢にしたがい種々の精神疾患等によって誘発されやすくなる性質をもち、これを防止するためには新しい向精神薬が必要と考えられる。初年度の研究から、強い不安を惹起するストレッサーに対して、年齢によって異なる応答を示す脳部位遺伝子転写産物が初めて明らかになった。大脳新皮質は発達期の応答変化が著明であり、自殺行動が発現あるいは増加する神経機構を探索する上で研究対象として重要なことがわかった。大脳新皮質において年齢依存的応答を示す遺伝子およびその産生蛋白は、自殺行動のマーカーあるいは予防・治療薬の開発に応用できる可能性がある。さらに、1)ストレス耐性モデル動物の海馬におけるストレス誘導性神経新生能の上昇、2)双極性障害患者群および一卵性双生児本障害不一致例の罹患双生児の株化リンパ芽球培養細胞系における、thapsigargin刺激後細胞内カルシウム動員の亢進、3)難治性精神分裂病症状の改善作用をもつ内在性物質D-セリンの脳組織への取り込み活性の検出等に関しては、自殺行動を誘発する確率が高い精神疾患の新規治療薬の作用標的またはスクリーニング系としての活用できると考えられた。

公開日・更新日

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