覚醒剤・麻薬依存の分子機構の解明と治療法開発に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200000457A
報告書区分
総括
研究課題名
覚醒剤・麻薬依存の分子機構の解明と治療法開発に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成12(2000)年度
研究代表者(所属機関)
西川 徹(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科/国立精神・神経センター神経研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 佐藤光源(東北大学大学院医学系研究科)
  • 曽良一郎(東京都精神医学総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成12(2000)年度
研究終了予定年度
平成14(2002)年度
研究費
33,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
近年、国内外で、強い依存性を示す覚醒剤・麻薬等の薬物の乱用が増加の一途をたどり、乱用がもたらす精神障害や各種犯罪・事故の誘発が深刻な事態を招いているため、薬物依存の克服は、医学的にも社会的にも急務となっている。そこで本研究では、覚醒剤や麻薬が引き起こす依存形成および精神病様状態の原因と病態にかかわる分子異常を明らかにし、診断や予後判定の生物学的マーカーや、画期的な治療・予防法の手がかりを得ることをめざす。
このため、1)覚醒剤や麻薬を経験した実験動物やヒトにおいて、これら薬物に対する感受性が増大して異常が出現し易くなる変化である逆耐性現象は、薬物を渇望することや薬物による精神異常の発症・再燃のモデルと考えられていること、2)ヒトにおいて、思春期以前には覚醒剤や麻薬を経験しても依存形成や精神病様状態が生じ難く、齧歯類では生後3週以降に逆耐性現象が形成されるようになること、などの点に着目し、覚醒剤・麻薬依存に関連する候補遺伝子として、ラットの脳で、生後3週以降に覚醒剤(methamphetamine: MAP)またはフェンサイクリジン(phencyclidine: PCP)に応答するようになる未知および既知の遺伝子を検索する。また、薬物依存患者を含む精神疾患患者において、これらの逆耐性現象関連遺伝子のヒト相同遺伝子の変化を調べ、覚醒剤・麻薬による依存形成および精神病様状態の原因あるいは病態形成因子、または治療法開発の標的分子としての意義を明らかにする。
覚醒剤・麻薬乱用患者および逆耐性が形成された動物におけるストレス脆弱性の分子機構や、従来から薬物依存への関与が示唆されている情報処理系の役割を解析する目的で、グルココルチコイド受容体とその制御下にある遺伝子群の依存性薬物による発現変化や、種々のモノアミントランスポーターあるいはオピオイド受容体の遺伝子ノックアウトマウスにおける薬物の報酬効果の変化および情報伝達分子の変化等を調べる。さらに、覚醒剤や麻薬が引き起こす脳内物質や行動の異常を抑制する内在性物質D-セリンの代謝および機能に関連する脳内分子の同定も進め、依存性薬物による脳機能障害に対する新しい治療法開発への応用の可能性を検討する。
研究方法
今回報告した動物実験は、主任および分担研究者が所属する各施設の倫理委員会の承認を得た上、ガイドラインを遵守して行った。実験には主に8~56日齢のラットを用い、遺伝子操作はマウスで行った。種々の向精神薬投与時の遺伝子発現は、次のような方法を用いて解析した。異なる条件下における遺伝子発現の差異は、RNA arbitrarily primed PCR(RAP-PCR)によって検索した。遺伝子発現の定量的解析には、目的とする転写産物に制限酵素切断部位をもつ変異体を標準物質としたcompetitive RT-PCR法や28S ribosomal RNAを標準物質としたco-amplification RT-PCR法を用いた。そのほか、ノーザンブロット分析、サザンブロット分析、in situハイブリダイゼイション、遺伝子産物のウェスタンブロット分析および免疫組織化学的検出等を行った。遺伝子産物の検出に用いた抗体は、クローニングした遺伝子cDNAの塩基配列から予想されるコーディングフレームにもとづいて、特異的なアミノ酸配列に対応するペプチドを合成し、keyhole limpet hemocyaninに結合させた後、ウサギに免疫することにより得た。特定の遺伝子の脳内発現を抑制する場合は、翻訳開始コドンを含む配列に対するアンチセンスS-オリゴマー(phosphorotionate型)を合成し、浸透圧ミニポンプを用いて動物の脳室内に持続的に投与した。対照群にはミスセンスS-オリゴマーを用いた。遺伝子操作動物を用いた研究では、ノックアウト法により、単一遺伝子の欠失あるいは複数の遺伝子の同時欠失をもったマウスを作製した。
行動変化は、移所運動を自動測定装置により定量的に解析し、常同行動は既に確立した評価尺度を用いて点数化したうえ検討した。薬物の報酬効果は、場所条件づけ試験を使って評価した。
結果と考察
覚醒剤・麻薬による依存形成と精神病様状態の分子病態と治療法開発に関する研究
(1)乱用薬物による脳機能障害の分子機構にアプローチする目的で、乱用の対象となる薬物による依存形成および精神症状が思春期以前には生じにくく、実験動物においても、これらの薬物による異常行動や脳の活動異常のパターンが生後発達に伴って変化することに注目し、ラット大脳新皮質より、MAPまたはPCPに一定の発達段階から成熟期における応答性を獲得する遺伝子のスクリーニングを行った。
(2)覚醒剤・麻薬が引き起こす依存形成や分裂病様の幻覚・妄想状態の発症・再燃のモデルである逆耐性現象が形成され始める生後3週頃からMAPに応答性を示すmrt1遺伝子は、蛋白間の相互作用に関与するPDZおよびPXドメインをもつ、少なくとも2種類の蛋白質(Mrt1AおよびMrt1B)をコードすることが明らかになった。MAP投与後に発現が誘導されるMrt1Bバリアントは、逆耐性を誘発するコカインにも応答性をもち、逆耐性現象と同様にMAP反復投与後に基礎的発現量が持続的に増加することや、アンチmrt1オリゴヌクレオチドがMrt1蛋白の基礎的発現とMAP応答性および逆耐性の形成を阻害することより、Mrt1Bバリアントが逆耐性の形成と維持に必須の分子カスケードに含まれることが示唆された。
(3)大脳新皮質から、PCPに対する応答が発達依存的に獲得される遺伝子としてクローンニングされたprt-1は、PDZ蛋白をコードしており、薬理学的性質から、NMDA受容体を介するグルタミン酸伝達の調節と、NMDA受容体遮断作用をもつ麻薬による抗精神病薬抵抗性の分裂病様症状の発現に関与する可能性が示唆された。
(4)D-セリンに応答する新規遺伝子dsr-1をクローニングした。脳に高い分布を示すことやvacuolar type proton-ATPase subunitと類似の構造をもつことからD-セリンの放出や取り込みに関与する可能性があり、今後、新規抗精神病薬として期待される内在性D-セリンシグナルの調節薬開発の標的分子としての意義を検討する。
2.逆耐性現象形成に伴う脳 DNA メチラーゼの発現変化
依存性薬物への嗜好性,逆耐性への感受性,ストレスへの 視床下部-下垂体-副腎系の 反応性において,過敏性を示すFischer 344(F344)系ラットと抵抗性を有するLewis(LEW)系ラットで,MAP 単回,複数回投与から24時間後の脳 DNA メチラーゼ mRNA の発現を in situ hybridization 法で検討したところ,1) DNA メチラーゼ mRNA は,脳内では海馬,手綱核,梨状皮質,脳質周囲のsubventricular zone (SVZ) に高い発現を認める、2) MAP 単回投与により,F344 では海馬 DNA メチラーゼ mRNA は不変,手綱核では生理食塩水を投与した対照群に比べて有意に増加する.LEW では海馬 CA1 領域で対照群に比べて有意に増加する、3) MAP 複数回投与により,F344 では海馬,手綱核で DNA メチラーゼ mRNA は変化せず,LEW では海馬CA1,CA3 領域で対照群に比べて有意に増加する、等の結果を得た.したがって、MAP投与に伴い,脳DNA メチル化及び下流の遺伝子の発現変化が F344 とLEW では異なり,これが両系統の逆耐性感受性に関連する可能性があると考えられる.
3.ノックアウトマウスを用いた薬物依存の分子遺伝学的研究
遺伝子改変動物であるノックアウトマウスを用いて、代表的な依存性薬物の報酬効果について検討した。コカインの報酬作用にはドーパミントランスポーター以外にもセロトニントランスポーターが大きな役割を果たすことを示す結果が得られた。さらにMuオピオイド受容体はモルヒネのみならずエタノールなのどの報酬にも影響を与え、Muオピオイド受容体の報酬系への複雑な関与が考えられた。
結論
覚醒剤・麻薬依存に関連する候補遺伝子として、ラットの脳で、生後3週以降に覚醒剤や麻薬に応答するようになる未知および既知の遺伝子を検索・同定した。MAP応答性のmrt-1は、覚醒剤・麻薬による幻覚・妄想状態の発症や再発のモデルである逆耐性現象の形成や維持に関与することがわかった。また、PCP応答性のprt-1遺伝子は麻薬が引き起こす分裂病様の陰性症状に関係する可能性が示唆された。また、ラット脳から抗覚醒剤・抗麻薬作用を示すD-セリンに応答する遺伝子dsr-1が見いだされ、薬物依存の治療法開発に有用な可能性が考えられた。一方、逆耐性現象が成立し易い系統のラットの海馬では、覚醒剤投与後に、グルココルチコイド受容体の調節を受けるDNA メチラーゼ mRNAの増加が見られるのに対して、成立し難い系統には認められず、覚醒剤・麻薬乱用におけるストレス脆弱性との関連が推測された。さらに、遺伝子操作動物を用いた研究より、コカインの報酬作用にはドーパミントランスポーター以外にもセロトニントランスポーター、モノアミン小胞トランスポーター等が大きな役割を果たすことが示唆され、μオピオイド受容体がモルヒネのみならずエタノールの報酬にも関係することが明らかになった。

公開日・更新日

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