ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究 (総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200301166A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究 (総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成15(2003)年度
研究代表者(所属機関)
前原 直樹(財団法人労働科学研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 井上枝一郎(関東学院大学)
  • 細田聡(関東学院大学)
  • 菅沼崇(労働科学研究所)
  • 粟津俊二(労働科学研究所)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 健康安全総合研究経費 労働安全衛生総合研究
研究開始年度
平成14(2002)年度
研究終了予定年度
平成15(2003)年度
研究費
5,700,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本研究は、いわゆるヒューマンエラーによる労働災害の低減に寄与する新しい原因分析手法の開発を目的としている。従来ヒューマンエラーの主因は、個人が内包する「行動の揺れ」であるとの見解が主流を占めてきた。しかし、過去に発生した災害事例を分析してきた経験から観るならば、直接原因とされがちなヒューマンエラーは、実は、作業環境の不具合や作業手順の不備に因って誘発された結果に過ぎないと思われる。この考えは、人間の行動や認知は環境に多大な影響を受けるとの心理学の知見とも一致する。そこで、本研究では、個人がエラーへと誘発されるプロセスに焦点を当て、個人が危険行動を冒してしまう認知的枠組みを「状況認識」という概念をキーワードにして分析する手法の開発を進めている。昨年度、ある産業事故を調査し、客観的・物理的な状況と、被災者を始め災害に関連した作業者の主観的な状況認識との不一致を明確にし、その不一致の原因を探るという既存の事故分析手法が着目していない点を扱う手法(Situation Awareness法:SA法 と名付けた)を試作した。
本年度の目的は、昨年度の1事例の事故分析から試作したSA法の適用可能性、妥当性、有効性を検証し、精緻かつ実行性のあるものへと完成させることである。
研究方法
1.実際の事故事例の分析によってSA法を精緻化するに先立ち、手続きをさらに詳細に定義した。具体的には、1)SA概念を導入した原因分析に必要とされる情報、2)SA概念を導入した原因分析手法(SA法)における客観状況と主観状況、の2点について定義した。また、研究の意義、習熟とリスクとの関係などに関して外部専門家との討議を行い、妥当性検証と今後の研究方法を定めた。
2.3.4.現実の事故事例について調査、SA法による分析を行い、分析結果について事故関係者と討議することによって、手法を精緻化した。2.では客観状況と主観状況の不一致に基づく事故事例(配電線系統切替工事における短絡事故)を用い、SA法の有効性、適応可能性を検討した。ヒアリング調査によって情報を収集し、既に定めたSA分析手法によって分析した。3.では複数の主観状況間で不一致が見られる事例(めっきライン巻き込まれ事故)を分析し、SA法の精微化を図った。ヒアリング調査ではSA法の分類項目を参照し、作業内容、発生経緯などの情報を収集した。また、調査者が重要と考えた項目に関しては、全ての対象者に質問を行う、半構造化面接を行った。4.では客観状況、主観状況に関する情報が十分に収集できない事例を想定し、JCO臨界事故を検討した。既存資料から事故関係者の発言を収集した後、SA法を適用し、SA法の問題点を把握した。また、既存の事故分析から事故要因とされている40項目を抜き出し、これをSA法で分析した結果と比較した。
5.これまでの結果を踏まえて、現在のSA法を実際の事故調査に適用する問題点を抽出し、整理した。その際、調査協力者からのこの手法の採用についての意見を聴取した内容も踏まえ検討した。そして、この手法の展開に向けて、必要とされる情報およびその手続き、構成方法について考察した。
結果と考察
1.SA概念を導入した原因分析に必要とされる情報として、1)時系列に沿った形での詳細でシステマティックな事実経過(客観状況)、2)一つ一つの事実経過に対応する各関係者の状況認識の具体的内容(主観状況)、3)各々の状況認識が構成された誘因、の3点を定義した。また、昨年度記載した「主観状況データ取得のインデックス」にそって、次元ごとに収集すべき客観状況と主観状況を定めた。さらに、外部専門家との討議により、SA法の精緻化と適用範囲の明確化に有効な事故事例の特性が把握できた。今後の研究として、1)客観状況と主観状況とに不一致がみられない事例、2)客観状況、主観状況に関する情報が十分に収集できない事例、3)複数の主観状況間で不一致が見られる事例、4)SA法の分析プロセスの妥当性を検討する必要があると考えられた。
2.災害事例「配電線系統切替工事における短絡事故」をSA法によって分析した。本事例は、被災者がなぜ事故が発生したのか事故直後には判らなかったことが特徴である。主に、2つの客観状況と主観状況の不一致が、事故に繋がったことが判明し、それぞれに対策を立案した。分析結果について安全担当者と討議し、SA法の有効性として、1)作業方法や作業知識・技能の不備の認識を促すこと、2)事故要因の因果関係から根本原因が特定され、それに対する対策の有効性が理解されること、3)現場が事故対策に示す受容性を実施前に推測できること、の3点が挙げられた。また、SA法を適応すべき事故事例について3点の事例が挙げられた。第1は、プロフェッショナルな作業中に発生した事例である。労働災害といっても滑った・転んだといった単なるアクションスリップも含まれるが、このようなケースでは、客観状況と主観状況の不一致は見出しにくいと考えられた。第2は、非定常作業中に発生した事例が挙げられた。非定常作業では、いつもとは異なる知識・技能、作業方法の変更、その場の臨機応変さなどが作業者に求められる。そのため、半ルーチン化された定常作業とは異なり、作業者は周囲の情報を得て主観状況を新たに構築しなければならない。このような状況の中で不一致が発生する確率は増加すると考えられた。第3は、原因がいわゆる「思いこみ」「確認不足」「不注意」と判断されてきた事例が挙げられた。特に被災者および関係者が事故直後には原因を理解しがたいと感じた事例に対して、SA法を用いる意義が大きいと考えられた。
次に、本事例は事故報告書では「ルール違反」が原因とされていたため、ルールと現場作業との適合性について、組織の問題点の抽出、原因分析および対策立案を行った。ルール違反が発生する要因として、規制当局・発注元という外部環境要因、これを元に発生する組織・管理レベル要因、さらにこれを受けて発生する個人レベル要因、現場の集団規範である集団レベル要因を抽出した。さらに、組織内でルール違反が強化される要因として、「現場パトロールの機能障害」およびその原因として「人的資源管理の不十分」を指摘した。さらに、そのような「不十分な人的資源管理」が放置されていた背景には、「人的資源管理機能のモニタリングシステムの不備」が認められた。この分析によって、1)ルール違反が誘発されるプロセスと、2)誘発されたルール違反が未発見のまま強化されるプロセスが明確に区別され、ルール違反事象の具体的プロセスが明らかになった。
3.災害事例「めっきライン巻き込まれ事故」をSA法で分析した。本事例は、被災者自身がルール違反と認識しながら行動したことが特徴であり、分析結果でも、事故発生時点である第4フェイズでは被災者の主観状況と客観状況との間に不一致が見られない。そこで他のフェイズで見られた不一致点をもとに、事故の因果関係を構築すると、被災者がルール違反を犯した理由として、日常の作業状態で「生産重視体質」「現場依存体質」「安全規則の形骸化」が判明した。この分析結果をもとに現場レベル、管理者レベル、所長レベル、本社レベルに分けて対策を立案した。続いて、事故関係者、安全衛生担当者と、分析結果およびSA法の妥当性、適用範囲について討議した。現状のSA法が持つ問題点として、1)コミュニケーション以外の問題が与える影響について、別に考察する必要があること、2)日常的に見られる不一致と、事故固有の不一致とを切り分ける必要があること、3)被災者、事故関係者が意図しない行動が発端となった事故の分析でも、類似災害予防に貢献し得ること、の3点が指摘された。
4.災害事例「JCO臨界事故」をSA法によって分析した。本事例は、分析者自身が自由に情報収集できないことが特徴である。本事例は、長期間に渡って複数組織の人物から情報が得られたため、時期によって関係者が異なり、フェイズごとに不一致を抽出することが困難であった。そこで、全ての情報を厳密なフェイズ分けせずに分析した。また既存の分析結果と比較したところ、既存の分析では事故要因とされていることでも、本研究では指摘できなかった。しかし、情報不足に由来するもの以外は、分析結果は妥当と考えられた。ここから、SA法は1)フェイズ分割をしなくても分析可能なこと、2)複数組織に事故要因が分散しても分析可能なこと、3)情報収集が極めて重要なことが指摘された。
5.SA手法の事例への適用結果をふまえ、その適用の可否、問題点を明らかにし、その発展性について考察した。そして、SA法を適用すべきか否かを判別するために、被災者、関係者、記載者の主観を盛り込むといった特徴を有する災害速報の新たな様式を開発した。この様式は、SA法適用判別の可能性を示唆するだけではなく、災害事例のデータベースにも援用できる項目を含んでおり有用であると考えられる。また、本プロジェクトの目的であるSA法の開発という方法論に留まらず、たとえ客観状況、主観状況それぞれにエラーは無かったとしても、それらの相互作用によってエラーが発生し得ることを明確に示すことができる、すなわち、ヒューマンエラーを考える新たな視点を与えることができるという点で、状況認識概念を事故事例分析に導入する意義を得たと結論する。
結論
本プロジェクトで開発したSA法の問題点と発展性について検討してきた。その結果、SA法の適用および方法論的困難さが伴うことが明らかになった。そのため、SA法の適用判別手段として、災害速報の新様式を開発し、これによってある程度の判別がし得るとの結論を得た。また、これに基づいた災害事例のデータベース化についても検討した。このデータベースの具体的構築は今後の課題となるが、ここにも状況認識の概念を取り入れることの重要性は揺らぐことはないと考える。残存するヒューマンエラーが関与する産業事故に対して、「注意不足」、「確認不足」といった表層的なヒューマンファクターから脱却し、どのような条件が揃ったときに、その状況に置かれた人間はどういったことを認知し、意思決定し、行動するか、これを明確化する事故分析手法を開発することができた。そして、この手法は今後の事故分析にも有用に活用しうるものと結論する。

公開日・更新日

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研究報告書(紙媒体)