計算機を活用したHIVの薬剤耐性評価(総括・分担研究報告書)

文献情報

文献番号
200300573A
報告書区分
総括
研究課題名
計算機を活用したHIVの薬剤耐性評価(総括・分担研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成15(2003)年度
研究代表者(所属機関)
星野 忠次(千葉大学)
研究分担者(所属機関)
  • 畑晶之(千葉大学)
  • 佐藤武幸(千葉大学)
  • 杉浦亙(国立感染症研究所)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 エイズ対策研究
研究開始年度
平成15(2003)年度
研究終了予定年度
平成16(2004)年度
研究費
9,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
抗HIV薬は長期にわたる投与を余儀なくされるため、ウィルスが薬剤抵抗性を獲得し、耐性ウィルスが発生してしまうことが、深刻な問題となっている。そこでHIV感染患者に薬を投与する前に、予め薬剤耐性検査を行うことが、抗HIV療法をより充実させるために重要となってきている。これに対応して、HIVのジェノタイプとフェノタイプを迅速に決める検査技術が開発され、抗HIV療法の一環として、耐性検査を行うことが現実のものとなっている。
本研究では、ジェノタイプ検査やフェノタイプ検査に並ぶ新しい薬剤耐性検査法として、「コンピュテーショナル検査」を提案している。この技術の実現に向け、計算手法の開拓を中心に開発を推進している。本研究の目標は、計算機を駆使した理論化学的方法により、国内で認可されている全ての抗HIV薬のうち、個々の患者にとって最も適した薬剤を選択できる技術を確立することである。
研究方法
患者ごとに異なる酵素の構造変異を計算機内で再現し、抗エイズ薬への抵抗性を算出する技術を達成するために、方法論の開拓ならびに実験的知見との整合性確認という2つの観点より、研究が進められた。特に本研究では、計算機で評価された検査結果に、高い信頼性があるか、十分に新規の医療技術として臨床に応用できるものかを確認する必要がある。そこで、従来のジェノタイプ検査やフェノタイプ検査と照らし合わして、計算機で算出した値が、それら従来の方法と整合性があるかを詳細に調べている。
ソフトウェア開発(方法論の開拓)については、「計算評価法改良と計算機プログラムの作成」と「計算の迅速化に向けた取り組み」を行う。
既存データとの比較(整合性確認)については、「ジェノタイプあるいはフェノタイプ検査が既知のデータを照合例として選出」、「選出されたデータの変異情報から、この検体例の固有の酵素を計算機内で仮想的に作成し、薬剤-変異酵素結合構造を構築」、「薬剤と酵素の結合力算出と薬剤抵抗性の評価」、ならびに「計算機算出値と実験データとの比較」を行う。
臨床データとの比較(整合性確認)については、「患者からのサンプル採取とウィルス量の測定」、「国立感染症研究所エイズ研究センターでのサンプルのジェノタイプとフェノタイプ検査」、「変異情報から患者固有の酵素を構築し、薬剤-変異酵素結合体構造を作成して、薬剤と酵素との結合親和性から薬剤抵抗性を評価」、および「HIV感染者への治療の中での、ジェノタイプおよびフェノタイプ検査ならびに計算評価結果の情報を比較検討」を行う。
結果と考察
ソフトウェア開発に関しては、(1)薬剤と酵素の間のクーロン力(電気的力)とファンデルワールス力(分子間力)を抽出し、これを計算中、常にモニターして薬剤と酵素が馴染んだ状態にあるか否かの判断に利用できるようにした。また、この値を結合親和性評価において親水性相互作用エネルギーとして採用した。(2)薬剤側の電荷を持たない官能基と酵素側の中性残基から構成される疎水部との接触面積を算出し、これに経験値(定数)を掛けて、疎水相互作用の効果をエネルギー的に評価するプログラムを作成した。(3)シミュレーション中の薬剤と酵素の相互作用エネルギーの変動を測り、その変動周期を利用して親和性評価を行う方法を開拓した。(4)また当初、一つの薬剤のシミュレーションには3週間程必要であったが、一つの薬剤の計算結果を他の薬剤での計算に再利用する方法を開発し、計算精度を落とさずに計算時間を従来の3分の1程度に抑えることができた。
既存データとの比較に関して、分担研究者(杉浦)は、プロテアーゼ阻害剤Nelfinavirに耐性を持つ変異体を系統的に解析している。これに対応して、臨床で頻繁に見られ実験的解析の進んでいる変異体(D30N, L90M, N88D, N88S, D30N/N88D, D30N/N88D/L90M, D30N/L90M)7種とWildタイプ(cladeB NL4-3)について、阻害剤としてNelfinavirが結合した構造を作成し、計算的解析を行った。Wildタイプでは薬剤が酵素の活性残基とバランス良く水素結合をとる。一方、D30Nでは、30番目のアミノ酸残基と薬剤間の水素結合が消失するため、薬剤の方位がずれる。L90Mでは、D30Nと薬剤の結合は保たれるものの、フラップ領域が活性残基側に近づき反応ポケットが扁平になるなどの知見が得られた。幾つかの方法でエネルギー評価を試みたが、独自の開発プログラムの一つでは、変異体はWildタイプに比べ全て結合エネルギーが低下した。各種変異体間のエネルギー低下度の比は、実験的に測定された薬剤感受性の比(EC90)と一致した。数値の絶対値に意味があるかどうかは検討の余地があるが、序列の上では、実験結果との整合性が確認できた。分担研究者(杉浦)の蓄積している解析データの中より、検査会社(Virco)によりフェノタイプ検査の行われた36検体について、主任研究者(星野)は分担研究者(畑)と共に計算機解析を始めた。最初の4検体について、実験データとの整合性調査を行ったが、当初、従来からの計算方法を適用した時には、十分に満足な結果は得られなかった。例えば、実験データでは、全ての薬剤に感受性の低下があり、特にRitonavirには強い抵抗性を示す変異体が存在するが、この変異体に関する計算では、Ritonavirに加えてIndinavirも強い抵抗性を持つと算出された。整合性が得られなかった原因は、多量の薬剤計算機評価を遂行するために機械的に一律の計算を実行したのみで、薬剤と酵素の馴染み具合を十分にモニターしていないこと、エネルギー評価の方法論の信頼性が十分でないことにあった。これらの点に改良を加え、さらに生体分子間相互作用の強さの時間変化をモニターし、変動の大きさより親和性を評価する方法を付加することによって、整合性が見出せるようになってきた。
臨床データとの比較に関しては、計算機による薬剤耐性評価が確立していないので、研究が開始できず、目立った進展がなかった。但し、患者の薬剤投与履歴とウィルス量変化やウィルス変異の経過を追跡する必要があるので、分担研究者(佐藤)は、幾つかのサンプルについて、国立感染症研究所に検査を依頼して、後の評価検討のための準備を進めている。
これまで創薬の分野において、計算機シミュレーションは標的タンパク質(酵素)に対する薬物候補のスクリーニング等に利用されてきた。薬物と酵素の親和性を評価する指標として、自由エネルギー計算が行われ、MMGBSA (Molecular Mechanical Generalized Born Surface Area)法やMMPBSA (MM Poisson Boltzmann SA)法が良く利用されている。ところがHIVプロテアーゼの薬剤に対する感受性変化が2~3倍変化するのに対し、1kcal/mol程度のエネルギー変化しかないと言われており、従来の方法では対処しきれないことが判明した。そこでエネルギー計算精度の向上を目的としたプログラム開発を継続的に行い、またシミュレーション結果より有意な情報を抽出するための手段探索を行った。その一つとして、シミュレーション中のエネルギーの変動を測り、その変動周期を利用して親和性評価を行う方法を試みた。これは親和性の高い薬剤は揺らぎが少なくなるためにエネルギー変動が緩やかになるとの考えに基づくものである。評価結果は、リゾチ-ムの抗原抗体反応のように実験的に良く調査されている系で、整合性の確認ができた。
計算機による耐性評価の実現に向けて、欧米でも研究が進められている。ところが現状では、実験データとの検証例が少なかったり、評価結果に十分な信頼性が得られないなど課題も多い。本研究では一部実験結果との整合性が確認され始めており、今後、学術的貢献も期待できる。また特定の変異が入ると耐性の獲得が起こる理由については、各アミノ酸残基を構成する原子の動きより、ある程度は説明することが出来るようになり、プロテアーゼ作用の理解を深めることに役立っている。
Nelfinavir耐性を持つ変異体に関する計算解析では、シミュレーション中の各アミノ酸残基の揺らぎ具合を数値化して調べることも行った。計算で構造揺らぎの小さい場所に位置する残基は、臨床上では変異の入り難いと認識される場所であることが判明してきた。このように定性的にはシミュレーションが確かに現実の系の一端を捉えていることが確認できている。
結論
薬剤抵抗性評価に用いるソフトウェアの開発には、一定の成果があった。ところが計算機による全種の薬剤とプロテアーゼとの結合エネルギー算出値は、当初は、実験による測定値を十分に再現できない状況にあった。計算評価の方法論の改良を続けた結果、1つの薬剤(Nelfinavir)については、その薬剤耐性獲得した変異株に関する計算予測と実験値との整合性が取れるようになってきた。今後、評価法をさらに改良し、各種プロテアーゼ阻害剤について、変異株についての十分な予測ができるようにする必要がある。

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