ゲノム情報の利用による自殺防止を目指した向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200300363A
報告書区分
総括
研究課題名
ゲノム情報の利用による自殺防止を目指した向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成15(2003)年度
研究代表者(所属機関)
樋口 輝彦(国立精神・神経センター国府台病院)
研究分担者(所属機関)
  • 樋口輝彦(国立精神・神経センター国府台病院)
  • 染矢俊幸(新潟大学医学部精神医学教室)
  • 吉川武男(理化学研究所脳科学総合研究センター)
  • 前田潔(神戸大学医学部精神医学教室)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 ヒトゲノム・再生医療等研究(ヒトゲノム・遺伝子治療・生命倫理分野)
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
平成15(2003)年度
研究費
37,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
自殺は、経済不況や社会状況の複雑化等の影響もあって中高年を筆頭に各年代で急増する傾向にあり、大きな社会問題になっている。大部分の自殺が強度のストレスや様々な精神疾患によって引き起こされるうつ状態に起因していることが知られるが、これまでの社会心理学的アプローチや既成の向精神薬での対応では十分な予防は行えていない。そのため、本研究ではゲノム情報を利用した分子生物学的な研究により、自殺の生物学的マーカーと、抗ストレス・抗うつ効果を示す新しい向精神薬の標的候補分子システムの検索を行うことを目的とした。
研究方法
本研究は、研究班を組織して以下の4つの研究課題に分担して研究を進めた。
○うつ状態を改善する新規自殺予防薬の標的検索:感情障害の治癒機転に関与する候補遺伝子を網羅的に探索した。新規遺伝子を含めた探索には、我々が独自に開発した ADRG microarray を用いた独自の differential cloning 法を用い検討した。神経回路網再編成といった神経可塑的変化の関与を検討するため、ADRG#55をモデルとし培養神経細胞を用いて、a)神経突起・軸策の伸展・退縮調節機構、b)神経伝達物質開口放出メカニズムの変化、c)ADRG タンパクの強制発現による細胞内分布の検討を行った。
○自殺念慮に関与する神経回路機能障害の神経栄養因子による修復の分子機構解明:雄性Sprague-Dawley系ラットに、LIF (0.3mg/kg)を生後2から10日まで連日皮下注射し、幼若期、成長後の脳内におけるリン酸化STAT3, ニューロン特異的エノラーゼ 、グリア繊維酸性タンパク質、ミエリン塩基性タンパク質、ドパミンD1およびD2受容体発現、ドパミンとその代謝産物濃度を測定した。さらに、オープン・フィールド試験とプレパルス・インヒビション測定、能動回避試験を行った。
○うつ状態モデルマウスのQTL解析による自殺念慮の生物学的マーカーの検索:表現型には、尾懸垂テスト(TST)、強制水泳テスト(FST)を行った。各QTL領域から候補責任遺伝子を同定するため、B6とC3マウスの前頭葉で発現量が異なる遺伝子をGeneChipを用いて調べ、それら遺伝子のうちQTL領域にあるものを選別した。さらに、B6とC3マウス近交系間でそれぞれを受容系統、供与系統としたコンソミックラインを、無動時間のQTLが認められた染色体について作成した。加えて、反応性うつ病のモデルとして考えられている学習性無力ラットに抗うつ薬投与を行い、抗うつ薬で前頭葉における発現量が変動した遺伝子をGeneChipを用いて探索した。
○自殺念慮の生物学的マーカーとなる遺伝子変異の自殺者死後脳における検索:自殺既遂者死後脳・扁桃体(4例)と精神疾患の既往のない対照者死後脳・扁桃体(2例)およびクロンテック社対照脳・扁桃体をを用いて発現プロファイル解析を行った。加えて、5-HT6受容体遺伝子エクソン領域に位置する267C/Tならびに翻訳開始上流域に位置する(GCC)2/3リピート多型に着目し、自殺者群、対照群で多型頻度を比較検討した。
結果と考察
以下に4つの分担研究課題ごとに示す。
○うつ状態を改善する新規自殺予防薬の標的検索:ラット脳より抗うつ薬長期投与後に発現が増減するcDNA 断片を計707種同定した。さらに、これらの遺伝子をスポットしたADRG microarrayを作製し、抗うつ薬長期投与、ECT、rTMSを負荷したラットのサンプルを解析した結果、3種の異なる治療処置後に共通して発現変化する遺伝子を多数発見した。我々が同定したcDNA断片には、神経情報伝達、細胞内情報伝達系に関する分子群、タンパク質折り畳み、細胞内輸送に関する分子群、細胞障害、酸化還元系に関する分子群などの既知遺伝子群とともに、既知の分子と相同性の低い未知の機能的分子群が多数含まれていた。さらに、これらの候補分子群の中には神経突起・軸策の伸展や退縮、神経伝達物質の開口放出機構といった神経可塑的変化に機能的に関わるものが複数存在していた。
○自殺念慮に関与する神経回路機能障害の神経栄養因子による修復の分子機構解明:幼若期に末梢投与されたLIFは前頭皮質のアストロサイトを増殖させたが、顕微鏡的に観察された成長後の脳組織構造には粗大な影響は与えなかった。また、成長後の脳内DA、DOPAC、HVA値に変化を認めなかった。LIFを幼若期に慢性投与したラットは成長過程においてPPIの低下を示したが、幼若期に投与されたLIFがアストロサイトの増殖を介して神経発達に障害を引き起こし、その結果として脳内情報処理回路の障害が顕在化したものと解釈できる。PPIの異常は統合失調症などの精神・神経疾患で報告されており、脳内情報処理回路の障害を反映していると考えられている。
○うつ状態モデルマウスのQTL解析による自殺念慮の生物学的マーカーの検索:コンソミックマウスの作成は、現段階で常染色体ラインについては精子凍結、X染色体ラインに関しては4分割胚を凍結保存した。ESTを含む34遺伝子が学習性無力ラット群でコントロール群に比べ有意に変化していた。なかでも、5-HT2A受容体およびイノシトール-3リン酸受容体1型がそれぞれ有意に減少しており、いずれも抗うつ薬投与後に回復した。また、脳の発達や細胞骨格に関与するといわれているLimk1遺伝子が学習性無力ラットで有意に減少しており、統計的に有意ではなかったものの、抗うつ薬投与後に回復する傾向が見られた。
○自殺念慮の生物学的マーカーとなる遺伝子変異の自殺者死後脳における検索:自殺者死後脳・扁桃体における遺伝子発現プロファイル解析を行い、発現が変化しているものの中から5-HT6受容体遺伝子を同定した。自殺予防効果が示唆されている非定型抗精神病薬、あるいは一部の抗うつ薬が高親和性を示し、これらの薬剤の作用点である可能性が考えられたが、今回検討した遺伝子多型による相関研究からは遺伝子レベルの関与は否定的と考えられた。
結論
本研究により、自殺にかかわる脳の脆弱性の基盤としてなんらかの遺伝的多型性が関与していることが示唆された。動物モデルを用いた研究では、うつあるいはストレス感受性を制御する有力な標的候補遺伝子として、神経軸策の伸展・退縮、神経伝達物質の開口放出に関与する分子群や、アクチン細胞骨格遺伝子を同定することに成功した。さらに、これらの候補遺伝子群が神経回路網の再編といった神経可塑的変化に重要な役割を果たしていることを培養神経細胞をモデルに用いて証明した。我々の研究成果は、自殺防止に役立つ早期診断法の確立と新規医薬品開発のための基盤となると考えられた。

公開日・更新日

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