ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究―建設作業員の「イハン」のエスノグラフィー(統括研究報告書)

文献情報

文献番号
200201417A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究―建設作業員の「イハン」のエスノグラフィー(統括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成14(2002)年度
研究代表者(所属機関)
國島 正彦(東京大学)
研究分担者(所属機関)
  • 小澤一雅(助教授)
  • 湊隆幸(東京大学)
  • 渡邊法美(高知工科大学)
  • 草柳俊二(高知工科大学)
  • 堀田昌英(東京大学)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 労働安全衛生総合研究
研究開始年度
平成14(2002)年度
研究終了予定年度
平成15(2003)年度
研究費
10,100,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
昭和47年に労働安全衛生法が施行されてから、政府や産業界の労働災害防止対策が強化され、平成13年までの間で、建設業における死亡災害と死傷災害はともに約7割減少している。しかし、建設業は全産業の1割の就業者を抱えているのに対し、死亡者数と死傷者数は、依然としてそれぞれ全産業の4割弱と2割強をという高い比率を占めているのが現状である。建設現場において有効な事故防止策を講ずるには、事故発生の真の原因を明らかにする必要がある。最近の事故調査報告書では、作業員の不注意や安全意識の欠如などを事故発生の原因とするものが多いが、これらの原因を助長する職場組織の特性や作業員の心理状態に対する分析は、現段階において十分とは言いがたい。本研究は、専門工事業者を対象として、作業員が所属する組織の構造、情報の伝達経路及び方式、組織の安全に関する文化などの要素が作業員の安全に対する意識と行動に対する影響を科学的に分析し、その結果に基づいて災害原因調査手法を開発することを目的とする。これにより、災害に対する従来の事後調査では達成できなかった潜在的な原因の的確な特定を可能にし、建設現場における災害防止と快適な職場環境の形成を促すための組織的な取組みとして安全に関する文化の醸成を促進し、究極的には、最も危険な産業と言われてきた建設産業の根本的な変貌を積極的に支援することを目指す。
研究方法
本研究においては、エスノグラフィー(Ethnography:民族誌学)という手法を用いた。エスノグラフィーとは、一定の社会構造の中で展開する人々の言動を観察し、調査対象の意味世界を描く手法としてのフィールドワークという研究方法及び調査のプロセス、もしくは、それによって得られた結果を文章化したものを指す。本研究において、調査員は積極的な参与者として、二つの建設現場(=フィールド)で被調査者(=インフォーマント)の実際の生産活動に参加しながら、データ収集を行った。データ収集には、観察、フォーマルインタービュー、インフォマールインタービューの三つの形式を採用した。データの収集は、最初のフィールドにおいては、平成14年10月15日から12月20日までの10週間と、二つ目のフィールドにおいては、平成13年1月14日から3月14日までの9週間にわたって、週に3-4回の頻度で行った。調査対象となったのは、二つのフィールドにおける型枠大工及びとびの会社の現場作業員(計3社)計51人で、そのうち、フォーマルインタービューを行ったのは、15人である。また、元請業者の職員7人に対しても、フォーマルインタービューを行った。データの分析は、毎日のデータ収集活動が終了したあと、フィールドノーツの作成と共に行った分析と、集中的な分析の二つの形式を採った。毎日行う分析は主に、リサーチクエスチョン(調査員がフィールドに入るときの研究設問)や観察の焦点の修正のために行った。集中的な分析は、ある程度データを入手したあと、データ間の関連を探り、研究結果を見出すために行ったものである。分析に用いられたデータは、それぞれの現場で入手した安全関連書類とA4サイズで400ページ、35万字に上るフィールドノーツ(インタービューの結果を含む)である。上記の分析結果を踏まえて、災害原因調査手法の開発において、理論と技法の両面から提言を行った。本研究において、インフォーマントに対して、主にインフォームトコンセント、データ使用の承諾、インフォーマントの安全、謝礼などの四つの面において配慮を行った。最初の
フィールドにおいては、調査員の実施する調査の真の趣旨を説明しなかったが、本研究の性質から考えて、インフォーマントに対する身体上の危害や精神面での不快感をもたらす可能性が極めて低いことと、また、安全若しくは「イハン」などは現場作業員にとって敏感な言葉であるため、エスノグラフィーという手法の特徴となるインフォーマントとの良好な人間関係の構築に支障を来たし、調査の円滑な進行を妨げる可能性が高かったからである。二つ目のフィールドにおいては、元請業者の職員が各下請業者の職長たちに対して説明を行うさい、内容にとしては建設労働安全に関する研究であることを打ち明かしたため、調査員がフィールドに入ったとき、調査対象となる予定のインフォーマントたちは、すでに分かっていた。調査を開始するにあたって、インフォームトコンセントを得なかった最初のフィールドにおけるインフォーマントに対しては、調査が終了したあとに、研究の内容を詳しく説明し彼らの理解を求めた。データ使用の承諾においては、フィールドノーツ及びインタービュー結果について、作業員一人ひとりに対して承諾を求めた。インフォーマントの安全については、調査を開始する前に、自主的にインフォーマントの安全を配慮する二つの原則を設け、それに準じて調査活動を行った。最後に、それぞれの現場作業員が協力に供した時間に応じて謝礼の金額を決め、調査終了後連絡が取れなくなった一名を除く全員に対して、謝礼の出所が厚生労働省であることについて明確に説明を行ったあと、謝礼を支払った。
結果と考察
近年、建設現場では機械化が進んでいるが、依然として人間に対する物理的な負荷が大きく、作業員たちもそれを認めている。作業員の給料は日当月給制で、毎月の給料の金額は、出勤日数によって決まる。従って、いかなる理由であっても、休業した場合にはその分の給料は受領できなくなるので、場合によっては、かぜを引いても、熱を出しても、けがをして動きが多少不自由であっても、職長が出勤を認めてくれることを好む傾向もある。建設現場での安全関連活動は数多くあるが、一部においては、期待していた効果が得られないのではないかと思われるものもあった。作業員たちは、自分たちが特に危険だと思うところでは、彼らなりの安全対策に心掛けていた。しかし、多くの場合に、彼らは規則の存在を知っているにもかかわらず、常に規則どおり行動するのではなかった。本研究によって、作業員たちが規則を遵守するのが事故を少なくする可能性があることは是認しつつも、規則の遵守から無事故への自然的必然性はなく、場合によっては、規則の遵守が事故を引き起こす可能性すらあると受け止めることによって、規則を遵守しないことが、決して自分たちの生命安全を大切にしないことではないと緩和していることが明らかになった。また、作業員たちが危険に関する知識は、多くの場合、テキストを用いて体系的に学習するのではなく、仕事に従事するなかで見様見真似で技能を修得する過程において得られる体得的なものであり、部分的には条件反射的なものも含まれていることについて論じた。作業員たちは、規則の全てをそのまま実行しようとすると、そうでない状態と比べて、同じ量の仕事を完成するために多くの時間が掛かり、作業の能率が低下すると考えている。また、一般作業員たちにとって親方の存在は大きく、親方からくる言説的若しくは暗黙的な圧力を受けており、親方の意思を絶対的なものとして解釈する傾向も一部において現れた。また、安全をめぐる理念と現実との葛藤から生まれる防御機制を明らかにし、安全衛生管理は現場に限るものではなく、もっと広い範囲での社会的問題であることを示唆した。災害原因調査手法の開発に対しては、調査にあたって、調査を行う人のデータに向き合う姿勢が極めて重要な要因となることと、技法的な面において、本研究から得られた幾つかの知見について紹介する形で包括的な提言を行った。
結論
本研究において、建設作業員の「イハン」の意味空間には、生命安全と規則の遵守間の必然性を否定することによる緩和作用
に続いて、規則の遵守と仕事の迅速な遂行の間に存在する緊張関係を強調することにより、常識ある社会人でありたいといった願望を具現化することによるもう一つの緩和作用が存在することを明らかにした。また、安全をめぐる理念と現実との葛藤から生まれる防御機制について議論し、安全衛生管理体制が抱えている問題点を暗示した。さらに、従来の災害原因調査の問題点を指摘し、本研究が明らかにした社会的要因を取り入れる必要性と調査における技法について包括的な提言を行った。

公開日・更新日

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