ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究 -当事者の状況認識(SA)を分析対象として-

文献情報

文献番号
200201404A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒューマンファクターに着目した災害原因調査手法の開発に関する研究 -当事者の状況認識(SA)を分析対象として-
課題番号
-
研究年度
平成14(2002)年度
研究代表者(所属機関)
前原 直樹(財団法人労働科学研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 井上枝一郎(関東学院大学)
  • 細田聡(関東学院大学)
  • 菅沼崇(労働科学研究所)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 労働安全衛生総合研究
研究開始年度
平成14(2002)年度
研究終了予定年度
平成15(2003)年度
研究費
8,500,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
労働現場における「危険要因」の減少が、労働災害の低減につながることは議論を待たない。従来、この「危険要因」は作業者個人が持つ人間としての特性や作業環境の不備であると考えられてきた。産業現場は諸要因の抽出と改善策の構築に努め、一定の成果を挙げてきた。しかし、ここ10年程度、労働災害件数の減少傾向が停滞している。中でもいわゆるヒューマンエラーが関与する事故・災害が、取り残された形で存在している。筆者らは、ヒューマンエラーは作業環境と作業者との関係の不適合であると考える。この視点は、人間の知覚、認識や判断、思考は環境によって大きく影響されるという心理学的知見とも一致する。この視点から考えると、いわゆるヒューマンエラーが関与する労働災害の本質的な原因とは、当該作業者に不安全行動を誘発させた要因であると考えられる。そして、この要因を解明し対策を打つことが、ヒューマンエラーの関与した事故の防止対策となりうる。そこで本研究では、ヒューマンエラーを誘発する「危険要因」は、物理的環境と人間行動特性との不適合性であるとの観点から、災害原因を分析する新しい手法の開発を目指す。
研究方法
1.状況認識に関する研究が先行している航空分野、及び心理学における状況認識に関する文献資料を調査し、本研究における状況認識概念を定義した。
2.ある産業現場において過去5年間に発生した事故の報告書および速報(約45件)を対象として、1)作業の客観状況を構成する要素の抽出;2)作業者の主観状況を構成する要素の抽出;3)それら客観状況と主観状況との間の不適合ポイント;4)両者間の不適合をもたらす要因の特定という4つの側面から分析を行った。
3.調査可能な1事例について、当該事故に関わった作業者、作業チームを対象として現場調査、面接調査を行った。面接調査では、被災者、被災者の同僚、現場責任者、管理者を対象に、各1から2時間にわたって意見を聴取した。
4. 面接調査から得られた情報をもとに、新たな事故分析手法の開発に向け、その視点、発想および手続きを明確化した。
5.これまでの検討結果を踏まえて、新たな事故分析手法の情報収集方法、分析方法を試作した。
結果と考察
1.本研究における状況認識概念を、「当事者が、自己の知識系から引き出した知識と、現在、入手している情報(知覚)を処理した結果を総合した結果持つことのできる、自分と自分を取り巻く状況に関する認識全般」と定義した。状況認識は、情報処理の結果もたらされた心的表象という考え方が主流である。これに従い、上記定義では、状況認識を、情報処理過程(process)ではなく結果(product)、能力ではなく心の状態、と定義した。また、状況認識は未来像の予測も含むというEndsleyやWickensの考え方が広く受け入れられているため、過去、現在、未来という時間軸を含むものと考えた。また、当事者が“何らかの対処が必要"と判断する際の状況認識は、単に外界の物理状況だけで
なく、自己や他者の状態も含んでいると考えられる。また、上述のように状況認識に未来像を含む場合には、その予測のため、自分の持つ能力や社会的要因など、物理的要因以外の要素を考慮することが不可欠である。したがって、ここでは状況認識の概念を物理的・外的環境に限定せず、人的・社会的要因も含むものとした。
2.事故速報における発生状況の記載の特徴を列記する。1)時系列に沿って事故発生プロセスが記述されている。しかし、その時間的スパンはそれぞれの速報において大きく異なる;2)記載量に差が認められる;3)発生状況図は、多くの事例で分かり易く綿密に記載されている。一方、事故報告書に記載される情報量および質は各事例により差異が大きい。しかし、発生状況が事実経過も含めて速報より詳細に記述されていることは共通している。また、発生状況図も一段と詳細に記載されている。ただし、「なぜ、当該関係者がそのような行動をとったのか」という点を記載した報告はなかった。事故報告書に記載された情報だけでは作業者の判断、行動を誘発した原因を明らかにし、有効な再発の防止策を構築することは困難と考えられる。また、事故報告書は、欠陥関連樹法、事故関連樹法および特性要因図法という3つの事故分析分析手法に従って記述されているものが多かった。
3.事故の原因・要因群の因果関係を分析する視点として、「客観状況と関係者の主観状況との対応関係を捉えること」を提案した。また、この視点から行う事故分析手法をSituation Awareness法(SA法)と名付けた。状況認識概念を導入した原因分析手法では、客観状況と主観状況間の不適合およびその不適合同士の連鎖関係を特定することが重要となる。よってSA法は、1)事故発生状況の把握;2)客観-主観の適合性検討;3)不適合原因の検出と因果関係の構築;4)根本原因への対策立案という4ステップから構成されると考えた。
4.調査可能な災害事例「外壁補修作業での墜落事故」について、先の4ステップに従って分析した。ステップ1では、客観状況の把握を行った。事故に至るまでの作業工程を、作業前準備、作業開始直前、作業開始・進行、脚立への移動の4作業段階に分けて記述した。また、客観状況に対応して被災者A、作業者Bの主観状況がどのように推移したのかを把握した。ステップ2では、各段階における客観状況と主観状況との適合/不適合を検討した。その結果、第4作業段階で不適合が認められた。ステップ3では、不適合要因の検出と因果関係の構築を行った。客観状況と主観的状況認識の不適合をもたらした直接的な要因として、1)仮設足場からの移動手続きの不明瞭さ;2)梯子不足の常態化;3)脚立を梯子代わりに使用しても作業ができるという過去の成功経験;4)梯子ではなく脚立への移動という認識の低下という4つが抽出できた。さらに、これら直接要因の原因を分析すると、1)管理サイドの現場実態の把握の不十分さ;2)定められた高所作業手続と実際の作業との不整合という2点が特定できた。また、管理サイドと現場サイドとの意志疎通不足も認められた。ステップ4では、根本原因への対策立案を行った。この事例では、「高所作業の作業手順」および「梯子の不足」に対して対策を講じることによって、「過去の成功経
験」の発生を抑えることができ、ひいては「脚立意識の低下」ということも起こらないと考えられる。すなわち、作業手続きを見直し、使用工具や機材の管理を改善することが必要と考えられる。しかし、管理サイドと現場サイドの意志疎通不足に起因して、ルール軽視の風潮が認められるため、梯子を用意しても別種の事故が発生することが予見できる。したがって、実際の現場作業ではどのように作業を行っているのかを巡視などにより管理者が現場把握に努めること、現場との情報交換を活発にして現行ルールやその運用について議論することが必要となる。この事例は、一見、被災者Aが足を滑らせたことが原因であるかのように見える。このような事故は、「基本ルールが守られなかったこと」が原因とされる傾向が強い。しかしSA法によれば、「ルールを守れるような状況になかった」ことが原因となる。SA法は、現場作業者の納得性が高い対策を考案するのに有効と考えられる。5.SA法による情報収集方法、分析手法を試作した。具体的には1)状況認識概念を導入した事故事例分析に必要とされる情報(基礎資料)とその収集方法;2)状況認識概念を導入した原因分析手法の分析手続きの2点について試作した。分析に必要な情報は以下のように整理できる。1)時系列に沿った事実経過(客観状況);2)事実経過に対応する関係者の状況認識の具体的内容、およびその状況認識の当事者;3)そのような状況認識が形成された理由の3つである。これら情報は以下の4ステップに沿って分析される。1)作業の客観的状況と関係者の主観的状況認識について、時系列的に整理する。また、サブゴール達成、客観的状況の変化などによって、作業を数段階に分割する;2)各作業段階の客観状況と主観状況が一致しているか否かを判定する。分析手続きの試作として、ステップ1および2で使用する分析シートを作成した;3)ステップ2で発見された客観的状況と主観的状況認識の不一致の原因を探る;4)ステップ3で明らかとなった主原因(群)に対する対策を立案する。
結論
近年、ヒューマンエラーは事故の原因ではなく誘発された結果であるとの考えが広まっている。しかし、その結果をもたらした原因について、厳密に分析する方法論は今後の課題となっている。筆者らは、状況認識に基づく事故分析手法(Situation Awareness法)を試作した。これは客観状況と主観状況の記述から、両者の不適合を発見し、事故の発生過程と事故原因を追求する手法である。SA法は、ヒューマンエラーの発生メカニズムに迫る可能性を有し、事故の真の原因への対策の考案に貢献すると考えられる。

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