化学物質によるヒト生殖・次世代影響の解明と内分泌かく乱作用検出のための新たなバイオマーカーの開発(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200200938A
報告書区分
総括
研究課題名
化学物質によるヒト生殖・次世代影響の解明と内分泌かく乱作用検出のための新たなバイオマーカーの開発(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成14(2002)年度
研究代表者(所属機関)
那須 民江(名古屋大学大学院医学系研究科)
研究分担者(所属機関)
  • 上島通浩(名古屋大学大学院医学系研究科)
  • 市原学(名古屋大学大学院医学系研究科)
  • 柴田英治(名古屋大学医学部保健学科)
  • 山野優子(昭和大学医学部)
  • 日比初紀(みなと医療生活協同組合協立総合病院)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 食品・化学物質安全総合研究
研究開始年度
平成14(2002)年度
研究終了予定年度
平成16(2004)年度
研究費
18,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
1992年、Carlsenらが過去50年間でヒト精子数が半減した可能性について報告して以来、内分泌攪乱化学物質などの環境化学物質が生殖機能に与える影響について関心が高まっている。しかし、このような化学物質への一般環境中での微量曝露により生殖機能や次世代に影響が生じるかについて、ヒトでの情報はごく限られている。
生殖機能に影響を与えうる要因は化学物質だけでなく、生活習慣その他多岐にわたる。曝露量が少ない一般環境中ではこうした交絡要因の影響の方が大きく、特定の化学物質による集団への影響を直接検出するのは容易でない。一方、曝露量が多く影響の有無が最も問題であるはずの職域についていえば、現行の労働基準法では、生殖機能やこれから生まれる次世代の保護は、女性に対する危険有害物業務への就労制限が規定されているものの、男性生殖機能保護の視点は存在しない。有害環境要因に曝露される職域で実施される特殊健康診断の法定の検診項目には、生殖機能に関する検査や自覚症状の問診は生殖毒性の存在が明らかな化学物質においても規定されていないのが現状である。これは、リスク管理の基礎となるリスク評価情報が十分ではないことに起因するため、本研究では、リスク評価を優先的に進める必要があると考えられる殺虫剤、有機溶剤、有機スズ化合物について、職域や中毒集団において生殖及び次世代への影響を明らかにし、より曝露の少ない一般集団でのリスク評価のための基礎情報を得ることを目的とする。また、職域や一般集団に適用可能な新たなバイオマーカー候補についてその有用性を評価する。
研究方法
本研究は、ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則を規定したヘルシンキ宣言に基づいて実施し、大学の倫理委員会への承認申請手続きを行った。動物を使用した検討は、大学の動物実験指針に準拠して行った。
(1) 殺虫剤
殺虫剤に曝露される職域で、詳細な生殖機能評価と新たなバイオマーカー候補の検討を計画したが、予定していた職域での精液検査を含む生殖機能調査の実施が難航した。今年度は、臭化メチル曝露作業者集団を対象に曝露評価を行った。ヘッドスペースガスクロマトグラフを用いた山野らの方法により血中・尿中臭化物イオンを測定し、作業内容との関連や経年的な曝露量の推移に関する解析を行った。また、有機リン殺虫剤について、尿中代謝物を誘導体化後ガスクロマトグラフ質量分析計で定性定量する曝露評価系の確立に取り組み、特に、ペンタフルオロベンジルブロマイドによる誘導体化条件を検討した。さらに、ヒト集団での生殖機能調査に先立つ予備的検討として、有機リン系殺虫剤であるジクロルボスの雄性ラット生殖機能への影響を解析した。7週齢のWistar系ラット28匹を4群に分け、濃度段階別にジクロルボスを週6日、9週間皮下投与し、投与終了後に生殖器の組織学的検討及び精子数、精子運動能の測定を行った。
(2) 有機溶剤
グラビア印刷工場に勤務する既婚の男性従業員43人(年齢44.0±10.6歳、従業年数22.3±10.9年)の子供の男女性比を調査した。また、この工場で曝露の多い印刷機周囲の作業者を中心にパッシブサンプラーを装着し、時間加重平均個人曝露濃度をガスクロマトグラフで測定した。トルエンの尿中代謝物である馬尿酸濃度は、高速液体クロマトグラフで測定した。
(3) 有機スズ化合物
国内ではヒトでの疫学現象が見られないため、中国江西省で1998年12月~1999年1月中旬に約300世帯1000人余に発生した、トリメチル塩化スズで汚染されたラード摂取による中毒患者を対象とした。本年度は、重症度の高い患者を含む225人(男性117人、女性108人、年齢32.6±14.9歳)について、次世代影響調査の基礎となる患者データベースを作成し、実態を把握するとともに基礎データの整理を行った。
結果と考察
(1)殺虫剤
臭化メチル曝露作業者集団の曝露量は、おおむね職場の許容濃度以下であること、一部の作業者については許容濃度を超える曝露を受けている可能性が明らかになった。また、有機リン系殺虫剤については、ほとんどの有機リン系殺虫剤曝露によって生成される尿中ジアルキルリン酸を誘導体化後、ガスクロマトグラフ質量分析計で測定する高感度検出系を確立した。今後、曝露作業者の生物学的モニタリングとして、この分析条件を用いた尿中代謝物測定による健康管理への応用、一般健常人での尿中代謝物量測定による日常的な曝露状況の把握とその原因の究明などが可能になると思われる。雄性ラットを用いたジクロルボス投与実験では、急性毒性症状が投与第4週から認められた2.5 mg/kg体重/日において、対照群と比較して精子指標、主要な生殖器の病理所見に目立った変化はみられなかった。
一方、国内および国際的に既に行われている精液指標調査との整合性を考慮し、検査手法の標準化について聖マリアンナ医科大学の岩本教授のグループと意見交換を行った。その結果、本研究で対象とする職域集団の年齢層は、岩本班の対象集団の上限を上回る場合があって必ずしも重ならないこと、また、岩本班は妊孕性が確認されている集団を対象としているのに対し、本研究の対象となる職域集団は妊孕性の有無が事前に明らかでなく、両集団の調査結果はそのまま比較できないことが判明した。このため、多大な労力を要する精液質評価のクオリティコントロールには参加せず、本研究内での測定結果の再現性に注意を集中することとした。
(2)有機溶剤
既婚の男性従業員43人のうち40人が一人平均1.9人の子供を有し、合計78人の子供の性別内訳は、男児25人、女児53人で、女児が多い傾向を示した。断面調査ではあるが、有機溶剤使用職場で子供の性比の乱れが生じている可能性を示す結果と考えられる。
また、個人曝露濃度は4.3-189 ppmで、尿中馬尿酸濃度は0.6-13.4g/Lであった。この集団は現在、トルエン以外にメチルエチルケトン、イソプロピルアルコール、酢酸エチルにも同時に曝露されている。許容濃度に対する各溶剤濃度割合の相加による混合溶剤曝露評価結果は0.3-4.4であり、この作業者集団は許容濃度を超えた曝露を受けている者を含むと考えられた。
(3)有機スズ化合物
重度中毒患者が摂取したラードの総量は軽度中毒患者と比較して有意に多かった。ラードを食べ始めてから発症までの潜伏期と1日当たり摂取したラードの量との間に有意な負の相関がみとめられた。患者が摂取したラードの総量と倦怠感、行動異常、昏睡、痙攣、躁状態、幻覚、振戦、構音障害の間に有意な関連性がみられた。また、1日当たり摂取したラード量と記憶障害、躁状態,幻覚症状の間に有意な関連性が見られた。妊娠ラットにトリメチルスズを投与した実験で、妊娠期の母獣の体重減少、新生仔の生存率低下、仔ラット成年後の体重減少、生後1日目の仔ラットの脳に生じた病理変化、仔ラットの学習能力への影響が過去に報告されている。トリメチルスズのヒトでの次世代影響を調べるために、今回の中毒患者中の子供の発達状況や中毒患者から生まれた子供の状況を調べることは重要課題と考えられ、今後検討していく。
結論
1)臭化メチル曝露作業者が受ける曝露量は、おおむね職場の許容濃度以下であるが、一部の作業者については許容濃度を超える曝露を受けている可能性が明らかになった。有機リン系殺虫剤については、特に代謝物について従来の分析法の誘導体化条件を再検討し、迅速簡便な分析条件を設定することが可能となった。また、雄性ラットに対するジクロルボスの9週間皮下注射による曝露実験では、特異的な生殖毒性はみとめられなかった。2)有機溶剤使用職場で子供の性比の乱れが生じている可能性が示された。集団の大きさが数十人規模の職域でも、子供の性比は生殖次世代影響のバイオマーカーとして役立つ場合がありうると考えられる。3)トリメチルスズについては、中毒患者中の子供の発達状況や中毒患者から生まれた子供の状況調査を今後検討していく。

公開日・更新日

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