幹細胞と形態形成遺伝子を用いた眼組織の再生と修復に関する研究

文献情報

文献番号
200200459A
報告書区分
総括
研究課題名
幹細胞と形態形成遺伝子を用いた眼組織の再生と修復に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成14(2002)年度
研究代表者(所属機関)
東 範行(国立成育医療センター眼科)
研究分担者(所属機関)
  • 奥山虎之(国立成育医療センター遺伝診療科)
  • 片岡浩介(東京工業大学フロンティア創造共同研究センター)
  • 根岸一乃(慶應義塾大学眼科)
  • 田中靖彦(国立病院東京医療センター)
  • 仁科博史(東京大学大学院薬学系研究科)
  • 渡邊卓(杏林大学医学部臨床病理学教室)
研究区分
厚生労働科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 ヒトゲノム・再生医療等研究(再生医療分野)
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
平成16(2004)年度
研究費
24,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
視覚器の構造はきわめて複雑であるが、近年いくつもの形態形成遺伝子が発見されるにおよび、その形成システムの解明は急速な展開を見せている。ことに、Pax6は眼形成のmaster control遺伝子であると考えられており、ショウジョウバエやアフリカツメガエルではtarget expressionによって異所性に眼を形成することができ、下等動物であれば眼全体を作るほど強力な機能をもっている。この遺伝子はヒトでも発生を通じて眼のほぼすべての組織に発現しており、疾患の遺伝子変異検索では先天無虹彩、前眼部形成異常、先天白内障、黄斑低形成、視神経形成異常などでPax6の変異が見つかっていることから、ヒトでも眼の形態形成で多彩な機能を担っていると考えられる。下等動物であればPax6遺伝子だけで眼全体を作ることができるが、高等動物では困難である。しかし、網膜などの部分的な組織を作ることは期待でき、失われた視覚を回復する治療に通ずると考えられる。眼の形態形成では、Pax6を頂点として多くの遺伝子がカスケードを形成しているが、最近Pax6の下流で働く遺伝子(Eya、SO、Dac等)が発見され機能が解析されている。これらはPax6に次ぐ準master control遺伝子であると考えられ、これらを用いても組織を再生させることが期待される。さらに、最近Pax6の下流で水晶体形成を担う遺伝子L-Mafが発見された。これらの形態形成遺伝子は、網膜や水晶体を含めて眼のさまざまな組織を再生させる鍵になると考えられる。再生において、もう1つの重要な要素は幹細胞である。両生類では網膜色素上皮細胞から神経網膜と水晶体が再生されるので、網膜と虹彩毛様体色素上皮細胞が注目されている。我々が色素上皮細胞にPax6を導入して網膜を形成したことから、網膜再生においては色素上皮細胞が幹細胞として期待される。水晶体では、L-Mafを導入して幼若な皮膚を水晶体へ分化転換することができるが、白内障手術などで残存する水晶体上皮細胞も1つの候補である。初年度は、角膜の修復に関しては、ムコ多糖症の混濁に対する遺伝子治療を行った。水晶体の再生に関して形成遺伝子L-Mafのヒトとマウスのホモログを同定し、白内障術後の残存水晶体上皮細胞に幹細胞としての可能性があるかを検討した。また、網膜の再生では、網膜特異遺伝子の同定、転写因子の発現誘導や細胞の増殖・分化に関わる細胞内シグナルの働き、脳由来神経幹細胞あるいは網膜色素上皮細胞からの神経網膜分化、誘導に関する研究を行った。本年度は、Cre-loxPシステムと組織特異的遺伝子のプロモーターを用いて、複雑な構造をもつ眼の組織において選択した組織に遺伝子を導入させる方法を開発した。これを用いて白内障手術後の水晶体細胞増殖予防を行った。角膜においては創傷治癒に関係する遺伝子の検索をヒトcDNAアレーを用いて行った。水晶体においては、レンズ細胞に特異的な転写因子MafA/L-Mafの発現と機能を解析した。網膜では、眼形成転写因子PAX6を薬剤の除去(Tet-off)によって誘導可能なマウス胚性幹(ES)細胞を樹立し、MAPキナーゼファミリーの機能を検討し、これらを用いる網膜細胞ペレット培養法を作成した。さらに、Pax6のexon 5aをもつisoformの機能を解析した。
研究方法
1)眼内の各組織に特異的に遺伝子導入するためのベクターシステムの開発のため、隅角組織に特異的に発現する遺伝子ミオシリンプロモータ
ーあるいは水晶体で特異的に発現する遺伝子クリスタリンプロモーターとCre組み換え酵素遺伝子を組み込んだアデノウイルスベクターを構築した。このベクターをマウスの前眼部に投与し、導入遺伝子の発現をLacZに対する活性染色を用いて評価した。2)Cre/lox P系・アデノウイルスベクターを用いたFasリガンド導入により白色家兎水晶体吸引術後の水晶体上皮細胞増殖の抑制について検討した。水晶体吸引術後、Cre/loxP系によりCAGプロモーターを用いてLacZ、FasL遺伝子を導入し、あるいは水晶体に特異的なα1クリスタリンプロモーターを用いてFasLを導入した。LacZ染色あるいはTUNEL法によって発現を確認した。3)角膜創傷治癒に関係する遺伝子の検索をヒトcDNAアレーを用いて行った。4代継代培養角膜上皮細胞と3代継代培養角膜実質細胞を3日間共培養した。半数の上皮には共培養する直前にセルスクレーパーで部分的に傷を与えた。
cDNAアレーはアジレント社Humanアレー1(12,814遺伝子)および2(14,355遺伝子)を使用した。4)レンズ細胞特異的転写因子MafA/L-Mafのヒトおよびマウス・ホモログmafAのマウス各組織における発現をRT-PCR法により調べ、蛋白の機能を培養?細胞株を用いて解析した。5)薬剤の除去(Tet-off)によって誘導可能なマウス胚性幹(ES)細胞を樹立した。また、杏林大の渡辺らによって確立されたラット網膜pellet培養による網膜分化誘導系にMAPキナーゼ阻害剤を添加することによって生理機能への関与を検討した。6)ラット脳由来神経幹細胞を発生期網膜内への幹細胞の直接的な移植および発生期ラット網膜のpellet培養系を応用した混合培養を行った。神経幹細胞の細胞内環境操作による分化能変化を検討する目的で、Pax6あるいはNrl-Crx遺伝子をウイルスベクターで幹細胞に組み込み、移植実験に用いた。これまで,発生期ラット網膜細胞より調製したpellet培養を用いて網膜細胞分化機構の解明を行ってきたが、マウス由来のES細胞、骨髄細胞等を用いるにあたり新たにマウスのpellet培養系の確立を行った。7)眼の形態形成遺伝子Pax6 Pax6のisoform網膜形成におけるの発現について、鶏胚各stageの網膜組織を摘出し、RT-PCRで発現量を検討した。Pax6のexon5aによってコードされる14アミノ酸に対するポリクローナル抗体を作成し、出生前後のマーモセット網膜で免疫染色を行った。さらに、鶏胚網膜へPax6遺伝子の各isoform(Pax6(-5a)あるいはPax6(+5a))を電気穿孔法で導入した。
結果と考察
1)眼内の各組織に特異的に遺伝子導入するためのベクターシステムの開発:隅角組織特異的な遺伝子発現では通常のCAGプロモータを用いたアデノウイルスでは、遺伝子発現は、マウスの前眼部で角膜内皮、水晶体前面、隅角など広範囲に及んでいた。これに対して、ミオシリンプロモータを用いたCre/loxPシステムウイルスベクターを投与した場合、染色される組織は隅角組織に限局しており、この遺伝子導入システムにより隅角組織特異的な遺伝子発現が可能であることが示された。水晶体組織特異的な遺伝子発現では、通常のCAGプロモータを用いたアデノウイルスを水晶体内に注入したところ、遺伝子発現はおもに水晶体全域で認められたが、水晶体外組織である角膜や網膜にも及んでいた。これに対して、クリスタリンプロモータを用いたCre/loxPシステムウイルスベクターを投与した場合、染色される組織は、水晶体組織に限局していた。これより、この遺伝子導入システムにより水晶体組織特異的な遺伝子発現が可能であることが示された。眼は角膜、隅角、水晶体など異なった組織が集中して存在するきわめて複雑な構造を有する器官であり、眼内の特定の組織にのみ導入遺伝子を発現できるシステムの開発は、遺伝子治療や再生医療の臨床応用がより現実に近くなることが期待される。2)Cre/lox Pシステムを用いたFasリガンド導入による水晶体上皮細胞増殖の抑制:通常のCAGプロモータを用いたアデノウイルスを用いた場合は、水晶体上皮細胞にアポトーシスがみられ、同時に隅角や網膜の細胞にも同様にアポトーシスがみられた。しかし、クリスタリンプロモータを用いたCre/loxPシステムウイルスベクターを投与した場合は、水晶体上皮細胞には高率でアポトーシスが起こったが、隅角や網膜にはアポトーシス細胞はみられなかった。いずれの群においても前房内の組織に異常な炎症や組織損傷の所見はなかった。水晶体上皮細胞に組織特異的に効率よく遺伝子が入ったが、それでも水晶体上皮細胞の除去は不完全であり、臨床応用のためには、第一に発現効率の向上が重要である。また、このような系はその組織特異性から白内障治療の際の薬物投与などにも応用できる可能性があると考えられた。3)cDNAアレーを用いた角膜創傷治癒における遺伝子発現の解析:無傷と障害を与えた上皮細胞と共培養の実質細胞について遺伝子の発現の差が10倍以上のものが合計24遺伝子ほど発見された。その中には未知遺伝子が半数を占める。上皮細胞の障害によって発現が上昇した既知遺伝子にはシグナル伝達系や核タンパク質の遺伝子が含まれ、発現が低下し
た既知遺伝子には膜タンパク質、コラーゲンなどの構造タンパク質がふくまれている。リストの上位2つの遺伝子についてはRT-PCR法によってcDNAアレーのデーターと比較した結果、何れの遺伝子についても発現の傾向は同じであったが、発現の差はアレーの3分の1程度であることが判明した。今後はタンパク質の発現レベル・修飾などを中心に解析を行う。4)レンズ細胞特異的転写因子MafA/L-Mafのヒトおよびマウス・ホモログ:MafAは、インスリン遺伝子プロモーター上のMARE (Maf認識DNA配列)に結合して、インスリン遺伝子の発現をグルコース濃度依存的に活性化する転写因子であることを発見した。インスリン遺伝子の膵臓?細胞特異的かつグルコース濃度依存的な発現制御には、Pax6, Islet-1, NeuroDなどの、眼(レンズあるいは網膜など)の発生・分化に密接に関わる転写制御因子が関与していることが知られており、眼と膵臓?細胞の発生と機能維持に同じ転写因子群が働いていることがわかった。この中でも特にMafAは、それ自体の発現がグルコース濃度依存的であり、膵臓?細胞のグルコース感知システムの重要な部分を担っている可能性があることがわかった。MafAが、膵臓?細胞においてグルコース濃度を感知する転写因子として機能することが判明したこと、また、MafAは眼においても発現していることから、糖尿病に伴う高血糖によってMafAの発現と活性制御が混乱をきたし、これらの合併症を引き起こしている可能性が考えられる。5)幹細胞から眼組織への分化に関する研究:Pax6とEGFPを同時に発現誘導可能なES細胞を樹立した。Pax6発現誘導されたES細胞の動態を検討している。また、3種類のMAPキナーゼ(ERK, p38, SAPK/JNK)が網膜の形成過程に必須の役割を果たしている可能性を見出した。bFGFは、受容体を介してMAPキナーゼの活性化を誘導する。また、ショウジュウバエの眼形成には、MAPキナーゼによるEyaを含む転写因子のリン酸化が、遺伝子発現の制御に関与していることが示唆されている。マウス眼形成においても、同様にMAPキナーゼ系が眼形成関連の転写因子を制御していると思われる。6)幹細胞からの網膜細胞の分化誘導に関する研究:脳由来神経幹細胞の網膜内移植では、発生期網膜pellet中にGFP陽性海馬由来幹細胞を混合して培養したところ,ごく少数ではあるがGFP陽性細胞中にrodopsin陽性と考えられる細胞が見出された。これが実際にphotoreceptorであるか、別のマーカーを用いて確認する必要がある。神経幹細胞への遺伝子導入では、ラット眼組織への幹細胞の移植実験では遺伝子導入を行わない幹細胞、Pax-6導幹細胞、Nrl-Crx導入幹細胞で、行動に明らかな差異を認めた。その意義の解明に関しては今後の検討を待つ必要がある。現在のところ,網膜内に移植された幹細胞の動向を観察する段階にとどまっているが,今後,これら幹細胞が実際に網膜細胞へと分化したか否かを確認する目的で,光受容体細胞に固有なロドプシンに対する抗体をはじめとする各種細胞マーカーを用いた詳細な検討を予定している。マウスのpellet培養系の確立では、発生期マウス網膜のpelletは良好な発育を示し、ラットpellet培養中で特徴的にみられるロゼットの良好な形成が観察された。この系を用いてマウス由来のES細胞、骨髄細胞等の網膜細胞への分化誘導に関する検討を行うことが当面の目標であるが,マウスの系では,さまざまな遺伝子改変動物を利用した解析が可能となるなどの利点がある。7)眼の形態形成遺伝子Pax6を用いた網膜再生の研究:RT-PCRによる網膜形成におけるPax6のisoformの発現は、発生期の鶏胚網膜ではPax6(-5a)とPax6(+5a)のいずれも発現していたが、一般にPax6(-5a)が優位であり、発生後期では網膜後部でPax6(+5a)の発現の方が優位であった。免疫染色による網膜形成におけるPax6のisoformの発現は、マーモセット網膜では、14アミノ酸に対する抗体の染色が後極にことに黄斑付近に強くみられた。以上から網膜細胞が密に発育し、感度の高い部位に発現することが判明した。鶏胚網膜へのPax6遺伝子導入では、Pax6(-5a)を導入すると、網膜が厚くなり、PCNA染色性が増加し、細胞の増
殖が亢進した。また、神経節細胞の分化亢進がみられた。Pax6(+5a)を導入した網膜は、Pax6(-5a)導入による部分的なものでなく、層全体が過剰に成長し襞を形成した。また、錐体細胞の亢進がみられた。以上から、Pax6(+5a)は網膜で視覚感度の高い部位の構造形成に関与していることが示唆された。Pax6をもちいた網膜再生においてはPax6(-5a)よりPax6(+5a)を用いることが好ましいと考えられる。
結論
複雑な構造をもつ眼の組織においてCre-loxPシステムと組織特異的遺伝子のプロモーターを用いて、選択した組織に遺伝子を導入させる方法を開発した。これを用い、白内障手術後の水晶体細胞にアポトーシスを起こし、術後の細胞増殖を予防した。角膜においては創傷治癒に関係する遺伝子の検索を27、000遺伝子を含むヒトcDNAアレーを用いて行い、ヒト上皮細胞と実質細胞を共培養して上皮細胞の障害時における実質細胞の遺伝子発現レベルを解析した。水晶体においては、レンズ細胞特異的遺伝子発現を司る転写因子MafA/L-Mafの発現と機能を解析した。網膜の再生研究では、眼形成関連の転写因子PAX6を薬剤の除去(Tet-off)によって誘導可能なマウス胚性幹(ES)細胞を樹立した。また、ラット網膜前駆細胞から網膜細胞へと分化誘導可能な培養系を用いて、細胞内シグナル伝達系であるMAPキナーゼファミリーが、網膜前駆細胞の生存維持, 水平細胞への分化誘導、アマクリン細胞の機能発現に関与する可能性を見出した。脳由来神経幹細胞の網膜内移植を行い、神経幹細胞への遺伝子導入を行い、マウス網膜細胞ペレット培養において、神経幹細胞,ES細胞,骨髄由来細胞などを用いた網膜の再生・再建治療の実験系を作成した。さらに、Pax6のexon 5aをもつisoformの機能を解析した。このisoformが発生期に網膜細胞が密に存在する後極部に強く発現すること、Pax6を初期網膜に過剰導入すると網膜細胞の密度と分化が亢進するがexon 5aをもつisoformの方がはるかに顕著であること、さらに、発生後期には異所性に錐体視細胞が形成されることを明らかにした。Pax6のexon 5aをもつisoformの方は、黄斑などの網膜の高度な視覚に関する構造の形成に関与していることが示唆され、網膜再生に用いるにはexon 5aをもつisoformの方が適切であると考えられた。
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