覚醒剤・麻薬依存の分子機構の解明と治療法開発に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200100635A
報告書区分
総括
研究課題名
覚醒剤・麻薬依存の分子機構の解明と治療法開発に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
西川 徹(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科/国立精神・神経センター神経研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 沼知陽太郎(東北大学大学院医学系研究科)
  • 曽良一郎(東京都精神医学総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成12(2000)年度
研究終了予定年度
平成14(2002)年度
研究費
29,700,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
近年、国内外で、強い依存性を示す覚醒剤・麻薬等の薬物の乱用が増加の一途をたどり、乱用がもたらす精神障害や各種犯罪・事故の誘発が深刻な事態を招いているため、薬物依存の克服は、医学的にも社会的にも急務となっている。そこで本研究では、覚醒剤や麻薬が引き起こす依存形成および精神病様状態の原因と病態にかかわる分子異常を明らかにし、診断や予後判定の生物学的マーカーや、画期的な治療・予防法の手がかりを得ることをめざす。
このため、1)覚醒剤や麻薬を経験した実験動物やヒトにおいて、これら薬物に対する感受性が増大して異常が出現し易くなる変化である逆耐性現象は、薬物を渇望することや薬物による精神異常の発症・再燃のモデルと考えられていること、2)ヒトにおいて、思春期以前には覚醒剤や麻薬を経験しても依存形成や精神病様状態が生じ難く、齧歯類では生後3週以降に逆耐性現象が形成されるようになること、などの点に着目し、覚醒剤・麻薬依存に関連する候補遺伝子として、ラットの脳で、生後3週以降に覚醒剤(methamphetamine: MAP)またはフェンサイクリジン(phencyclidine: PCP)に応答するようになる未知および既知の遺伝子を検索する。また、薬物依存患者を含む精神疾患患者において、これらの逆耐性現象関連遺伝子のヒト相同遺伝子の変化を調べ、覚醒剤・麻薬による依存形成および精神病様状態の原因あるいは病態形成因子、または治療法開発の標的分子としての意義を明らかにする。
さらに、従来から薬物依存あるいはその基盤にある脳の可塑的変化への関与が示唆されている情報処理系の役割を明らかにする目的で、グルココルチコイド受容体やその制御下にあるDNAメチル化酵素遺伝子、erithropoetin-producing human hepatocellular carcinoma から新規の受容体型チロシンキナーゼとして見い出されたEph受容体遺伝子群の依存性薬物による発現変化や、種々のモノアミントランスポーターあるいはオピオイド受容体の遺伝子ノックアウトマウスにおける薬物の報酬効果の変化および情報伝達分子の変化等を調べる。さらに、覚醒剤や麻薬が引き起こす脳内物質や行動の異常を抑制する内在性物質D-セリンの代謝および機能に関連する脳内分子の同定も進め、依存性薬物による脳機能障害に対する新しい治療法開発への応用の可能性を検討する。
研究方法
今回報告した動物実験は、主任および分担研究者が所属する各施設の倫理委員会の承認を得た上、ガイドラインを遵守して行った。実験には主に8~56日齢のラットを用い、遺伝子操作はマウスで行った。
種々の向精神薬投与時の遺伝子発現は、次のような方法を用いて解析した。異なる条件下における遺伝子発現の差異は、RNA arbitrarily primed PCR(RAP-PCR)によって検索した。遺伝子発現の定量的解析には、目的とする転写産物に制限酵素切断部位をもつ変異体を標準物質としたcompetitive RT-PCR法や28S ribosomal RNAを標準物質としたco-amplification RT-PCR法を用いた。そのほか、ノーザンブロット分析、サザンブロット分析、in situハイブリダイゼイション、遺伝子産物のウェスタンブロット分析および免疫組織化学的検出等を行った。遺伝子産物の検出に用いた抗体は、クローニングした遺伝子cDNAの塩基配列から予想されるコーディングフレームにもとづいて、特異的なアミノ酸配列に対応するペプチドを合成し、keyhole limpet hemocyaninに結合させた後、ウサギに免疫することにより得た。遺伝子操作動物を用いた研究では、ノックアウト法により、単一遺伝子の欠失あるいは複数の遺伝子の同時欠失をもったマウスを作製した。
行動変化は、移所運動を自動測定装置により定量的に解析し、常同行動は既に確立した評価尺度を用いて点数化したうえ検討した。薬物の報酬効果は、場所条件づけ試験を使って評価した。
結果と考察
1.覚醒剤・麻薬による依存形成と精神病様状態の分子病態と治療法開発に関する研究
(1)乱用薬物による脳機能障害の分子機構にアプローチする目的で、乱用の対象となる薬物による依存形成および精神症状が思春期以前には生じにくく、実験動物においても、これらの薬物による異常行動や脳の活動異常のパターンが生後発達に伴って変化することに注目し、ラット大脳新皮質より、MAPまたはPCPに一定の発達段階から成熟期における応答性を獲得する遺伝子の探索を続けた。
(2)大脳新皮質から、覚醒剤(MAP)に対する応答が発達依存的に獲得される新規遺伝子として、mrt1に続いてクローンニングされたmrt3は、1)生後23日までは覚醒剤投与後の変化が見られず、2)成熟期には覚醒剤だけでなくコカインの投与によっても脳における発現が上昇する、3)覚醒剤による発現誘導は逆耐性現象の形成を阻害するD1ドーパミン受容体遮断薬によって抑制される、などの性質を示し、逆耐性の形成に関与することが示唆された。
(3)初年度までに、MAPあるいはPCPに対して、それぞれ発達依存的応答を示す薬物性精神障害候補遺伝子のmrt1とprt1のヒト相同遺伝子のゲノム構造と多型を明らかにし、薬物依存患者を含む精神疾患とこれらの多型との関連を調べた。
(4)抗覚醒剤・麻薬作用をもつD-セリンに関しては、mrtおよびprt遺伝子群の検索と同様の方法で、内在性D-セリンの代謝や機能に関連する候補遺伝子として、D-セリン選択的な反応を示す転写産物を検索した。初年度にクローニングしたdsr-1に続いて、dsr-2を同定し、局在、産生蛋白の機能等を解析中である。また、内在性D-セリンの細胞外液中への放出の制御機構を、in vivoマイクロダイアリシス法によって自由に運動しているラットの脳で検討した。
2.ノックアウトマウスを用いた薬物依存の分子遺伝学的研究
遺伝子操作動物の研究においては、種々のモノアミントランスポーター(ドーパミン、セロトニン、およびモノアミン性シナプス小胞のトランスポーター)遺伝子の単独または二重ノックアウトを行ったマウスや、μオピオイド受容体遺伝子ノックアウトマウスを作製してきた。このうち、ドーパミンとセロトニンのトランスポーターの二重ノックアウトマウスではコカインの報酬効果が見られなくなった。各種のトランスポーター遺伝子操作動物の比較から、この時に、コカインによる細胞外液中ドーパミン放出増加が抑制されることが、報酬効果の減弱をもたらすことが明らかになった。
3.覚醒剤投与に伴う脳 EphA5 受容体mRNAの発現変化
薬物依存の形成,維持,再発には学習記憶に関わる神経機構の関与が示唆されている。今回、空間学習や記憶に関連が深い神経軸索ガイダンス分子であるEphA5受容体について、覚醒剤を投与したラットの脳でmRNAの変化を調べた。その結果、(1)EphA5 mRNA は帯状回、前頭葉皮質、海馬CA1領域、手綱核で 20-25%有意に減少,唯一扁桃体でのみ約25%有意に増加していた。(2)手綱核では薬物投与後1時間から EphA5 mRNA の発現変化を認めたが、他の脳部位では投与後9-24時間後に変化が認められた。
結論
初年度に引き続き、覚醒剤・麻薬依存に関連する候補遺伝子として、ラットの脳で、一定の生後発達段階以降に覚醒剤や麻薬に応答するようになる新規および既知の遺伝子の検索・同定を進めた。MAP応答性の新規遺伝子mrt3は、初年度までに同定したmrt1と同様に、覚醒剤・麻薬による幻覚・妄想状態の発症や再発のモデルである逆耐性現象の形成や維持に関与することが示唆された。また、ラット脳から抗覚醒剤・抗麻薬作用を示すD-セリンに応答する新規遺伝子として、初年度のdsr-1に続きdsr-2が見いだされ、薬物依存の治療法開発に有用な可能性が考えられた。一方、覚醒剤の急性投与ラットでは、帯状回、前頭葉皮質、海馬CA1領域、手綱核、扁桃体のEphA5受容体遺伝子 mRNAの変化が見られた。薬物依存の形成,維持,再発には学習記憶に関わる神経機構の関与が示唆されており、EphA5受容体は空間学習や記憶に関連が深い神経軸索ガイダンス分子であることから、EphA5受容体が覚醒剤依存に関与する可能性が示唆された。さらに、遺伝子操作動物を用いた研究より、コカインの報酬作用にはドーパミンおよびセロトニンのトランスポーターが機能していることと、コカインによる脳内ドーパミン遊離の上昇が必要なことが示唆された。

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