ゲノム情報の利用による自殺防止を目指した向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200100418A
報告書区分
総括
研究課題名
ゲノム情報の利用による自殺防止を目指した向精神薬開発に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
樋口 輝彦(国立精神・神経センター国府台病院)
研究分担者(所属機関)
  • 樋口輝彦(国立精神・神経センター国府台病院)
  • 染矢俊幸(新潟大学医学部精神医学教室)
  • 吉川武男(理化学研究所脳科学総合研究センター)
  • 前田潔(神戸大学医学部精神医学教室)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 ヒトゲノム・再生医療等研究事業(ヒトゲノム分野)
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
平成15(2003)年度
研究費
40,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
自殺は、最近、経済不況、社会状況の複雑化等の影響もあって、中高年を筆頭に各年代で急増する傾向にあり、貴重な人材の損失と周囲への様々な負担が社会問題になっている。このため、自殺を未然に防ぐ新しい予防策の研究は急務である。大部分の自殺が強度のストレスや精神疾患によって引き起こされるうつ状態に起因していることが知られるが、これまでの社会心理学的アプローチや既成の向精神薬での対応では十分な予防は行えていない。そこで本研究ではゲノム情報を利用した分子生物学的な研究により、自殺の生物学的マーカーの候補遺伝子の検索と抗ストレス・抗うつ効果を示す新しい向精神薬の標的候補遺伝子の検索を行うことを目的とした。
研究方法
本研究は、研究班を組織して以下の4つの研究課題に分担して研究を進めた。
○うつ状態を改善する新規自殺予防薬の標的分子検索
抗うつ薬慢性投与後にラット脳内で発現が増減する1次候補遺伝子/ESTを抗うつ薬関連遺伝子として検出した。さらに、2次スクリーニング過程の効率化と迅速化を図るため、ADRG 遺伝子をスポットした独自の ADRG microarrayを自主開発し、コントロール群及び様々な処置群(向精神薬投与、ECT 処置、ストレス負荷など)のサンプルより mRNA を抽出し、それぞれ、Cy5、Cy3-dUTP 存在下逆転写反応を行い cDNA 蛍光プローブを作製し解析を進めた。
○自殺念慮に関与する神経回路機能障害の神経栄養因子による修復の分子機構解明
ラットに強制水泳、拘束、痙攣、電気ショック、虚血のストレス負荷を行い、海馬、視床下部における、IL-1α、IL-1β、IL-lra、脳由来神経栄養因子(BDNF)、IFNγ、TGF-β3、HB-EGF、NRG、EGFのmRNA量およびタンパク発現の変化を測定した。
○うつ状態モデルマウスのQTL解析による自殺念慮の生物学的マーカーの検索
4種の近交系マウスで強制水泳テスト(FST)の無動時間を測定した。次に、どちらのテストでも無動時間の1番長かったB6の雌と1番短かったC3の雄を用いてF1世代を作成し、F1個体のrandom matingによりF2個体を作成した。すべてのF1およびF2マウスについてFSTとTSTを施行し無動時間を測定した。次に、これらの実験動物を用いて以下の通りQTL解析を行った。
(QTL解析:single locus analysis)B6とC3マウス間で多型を示すマイクロサテライトマーカーをデータベースから選び出し、120個のマーカーを使用してF2個体のgenotypingを行った。Suggestive linkageの閾値としては、Lander & Kruglyakの基準であるロッドスコア2.8を採用した。
(QTL解析:epistatic interaction analysis)Two-locus interactionは、B6/B6:B6/B6、 C3/C3:C3/C3、 B6/B6:C3/C3の遺伝子型の組み合わせを調べた。FST、 TSTでシュミレーションにより閾値ロッドスコアを決定し、それらの基準を満たした染色体部位の組み合わせを検出した。
○自殺念慮の生物学的マーカーとなる遺伝子変異の自殺者死後脳における検索
神戸大学医学部法医学教室において行った法医学剖検例での自殺既遂者163例(男性113例、女性50例、平均年齢±SD、47.9±17.6歳)を対象とした。健常対照群は性別・年齢を対照させた163例(男性113例、女性50例:44.7±14.9歳)を対象とした。自殺既遂者および健常対照者の血液からDNAを抽出し5HT神経系遺伝子多型については既報に従い変異の有無を同定した。
結果と考察
研究班を組織して4つの研究課題に分担して研究を進めたところ、以下のような結果が得られた。
○うつ状態を改善する新規自殺予防薬の標的分子検索
我々は、抗うつ薬慢性投与後にラット脳内で発現が増減する300の1次候補遺伝子/ESTを抗うつ薬関連遺伝子として検出することに成功した。我々が同定したcDNA断片には既知の分子と相同性の低い未知の機能的分子クローンが多数含まれていた。我々は、抗うつ薬関連遺伝子をスポットした独自の cDNA microarray を作成することに成功した。この cDNA microarrayは、抗うつ薬、他のうつ病治療法、種々の情動障害モデル動物における遺伝子発現変化を効率良くスクリーニングすることのできる強力なツールになると考えられた。実際、ADRG microarrayを用いてECTを模した処置を負荷したラットのサンプルを解析した結果、2種の治療法施行後に共通して発現変化する遺伝子を多数発見することに成功した。
○自殺念慮に関与する神経回路機能障害の神経栄養因子による修復の分子機構解明
前頭薬では痙攣ストレス負荷により、IL-1β mRNA量が3倍、BDNF mRNAは2倍に増加した。また、拘束と虚血ストレス負荷によりIFNγ mRNAは各々1.9および2倍に増加した。脳幹では痙攣ストレス負荷によりIL-1β mRNAが3倍に増加した。海馬においてIL-1βンパク量の変化は各ストレス負荷による一定の傾向を認めず、視床下部では各ストレス負荷により減少していた。IL-lraタンパク量は海馬において各ストレス負荷により変化しなかったが、視床下部では各ストレス負荷により増加しており、特に拘束と電気ショックストレス負荷では負荷後24時間経過しても増加が持続していた。新生児期にIL-2を投与したラットでは、投与終了後10日目で自発運動量が対照群と比較して有意に増加し、IFNγ投与群では有意に減少していた。このことから新生児期のIL-2あるいはIFNγの投与は発達段階の早期に行動変化を惹き起こすことが明らかとなった。
○うつ状態モデルマウスのQTL解析による自殺念慮の生物学的マーカーの検索
FSTおよびTSTどちらのテストでも無動時間の1番長かったB6の雌と1番短かったC3の雄を用いて126匹のF1世代を作成し、random matingによりF2個体を560匹作成した(雄260、雌300)。
(QTL解析:single locus analysis)使用したマイクロサテライトマーカー間の距離は平均11 cMであり、最大のところで23 cMであった。シュミレーションにより今回のゲノムスキャンのsignificant linkageは、FSTでロッドスコア3.65、TSTで3.60必要であることが分かった。Suggestive linkageの閾値としては、Lander & Kruglyakの基準であるロッドスコア2.8を採用した。これらの水準をパスした染色体部位は、FST: D6Mit289 (2.8)、 D8Mit242 (4.2)、 D8Mit93 (3.0)、 D11Mit271 (3.7)、 D17Mit 185 (2.9)、TST: D4Mit203 (3.5)、 D8Mit242 (2.9)、 D11Mit271 (3.6)、 D14Mit257 (3.0) であった。
(QTL解析:epistatic interaction analysis)FST、 TSTでシュミレーションにより閾値ロッドスコアを決定し、それらの基準を満たした染色体部位の組み合わせはFSTでは検出されず、TSTではD11Mit271 (B6/B6) ; DXMit172 (B6/B6) (lod score = 5.9)とD6Mit183 (B6/B6) ; D11Mit271 (B6/B6) (lod score = 5.0)の2つの組み合わせが検出された。
以上の結果は、今後これら染色体座位にコードされている責任遺伝子を特定し、ヒトでの相同遺伝子を解析する重要な材料を提供すると考えられる。
○自殺念慮の生物学的マーカーとなる遺伝子変異の自殺者死後脳における検索
神戸大学医学部法医学教室において行った法医学剖検例での自殺既遂者および健常対照群において、今回の遺伝子解析の対象となったトリプトファン水酸化酵素(A-6526G:promoter、 A218C:intron7)、セロトニントランスポーター(5HTT-LPR:promoter、 5HTT-VNTR:intron2)、5HT1A受容体(Pro16Leu、Gly272Asp)、モノアミン酸化酵素A(uVNTR:promoter)の遺伝子多型、遺伝子頻度は各群間で有意差は認められなかった。そのため、今回の解析の対象となった遺伝子が自殺に関与している可能性は低いと考えられた。
結論
我々の研究成果により、感情障害やストレス性障害に対する治療ターゲット遺伝子を発見し知的所有権を獲得することが具体的成果として期待される。また、病態に密接に関わる脳内機能分子を発見することにより、個人の病態にあわせた「自殺防止のための最適薬物療法開発」の可能性が期待される。本研究により自殺危険度の予測法や自殺念慮発現抑制薬の開発に直結する成果が得られることが期待された。

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