水道におけるバイオテロ対策としての迅速高感度な微生物検出方法の開発に関する研究

文献情報

文献番号
200100092A
報告書区分
総括
研究課題名
水道におけるバイオテロ対策としての迅速高感度な微生物検出方法の開発に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
遠藤 卓郎(国立感染症研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 国包章一(国立公衆衛生院)
  • 金子光美(摂南大学)
  • 黒木俊郎(神奈川県衛生研究所)
  • 平田強(麻布大学)
  • 伊藤健一郎(国立公衆衛生院)
  • 松野重夫(国立感染症研究所)
  • 八木田健司(国立感染症研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生科学特別研究事業
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
平成14(2002)年度
研究費
30,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
バイオテロリズムにより水道水に混入されることが予想される病原微生物を常時監視し、迅速かつ高感度に検出する試験方法を開発することを目的とする。
バイオテロリズムは病原微生物を故意に散布、混入することで住民を感染症に陥れ、あるいはその危険性に対する精神的な不安と恐怖を介して混乱させるために行われる。国内においても、既にカルト集団による炭疽菌やボツリヌス毒素の散布事件が発生している。今日の国際情勢からテロ行為が行われる可能性は否定できない。いわゆる生物兵器として利用されることが予想される病原微生物、特に炭疽菌がテロ行為により水道水に混入されることを想定した場合、混入の監視と迅速検知が被害を最小限に抑えるための条件となる。本研究では、検査対象を上水とし、現在使用可能である各種の濃縮方法と病原微生物の分子生物学的検出法の組み合わせを検討し、迅速で高感度な検出システムの構築を目的とした。具体的には、水試料の連続的な濃縮装置を開発し、病原微生物を補足する。濃縮装置として、1つは外圧式の限外ろ過膜(UF膜)モジュールによるろ過方式とポリ塩化アルミニウム凝集剤を用いた凝集沈殿法の2方式について開発を行った。病原体検出手段は複数の特異遺伝子を対象とした蛍光プローブ等を用いたリアルタイムPCRと微生物学的な検査方法を同時並行的に実施することとした。併せて、監視体制の強化に向けた指針の策定に資するべく過去に起きた水道関連のテロ事例等に関して整理した。
研究方法
水道に対する微生物テロを想定した場合、病原微生物の投入地点として、水源、原水取水点、導水路、浄水場内、配水池などが考えられるが、① 原水に病原体が投入された場合には、塩素消毒を含む一連の浄水処理工程で病原体の希釈・除去が期待できること、② 安全性の確認には飲用に供される水道水のモニタリングが重要であること③ 原水中の多様な微生物の共存により病原微生物の選択検出が難しくなること、 ④ 水道水の濃縮は容易で、多量に処理することが可能であること、などの理由から水道水を対象とすることとした。また、濃縮水量と濃縮時間に関しては、生水の飲水量を平均200mL、許容感染リスクを10-2/年(=2.7・10-5/日)、テロ微生物の1%感染量を1個と仮定すると、許容濃度は1個/200mlとなる。検出法(PCR法)の検出限界を対象微生物100個とすると、試験1回分の水道水ろ過水量は20Lとなる。そこで、予備を含めて最大6回の試験(培養試験を含む)に対応できるよう、標準濃縮水量を120Lとした。濃縮時間は、PCR法による検出に要する時間を考慮し、緊急時2時間、通常時12時間とし、その双方に対応できる装置とすることとした。UF膜カートリッジモジュールの選定にあたっては、市販のMF膜カートリッジ、UF膜カートリッジについて、通水能力、濁質(Bacillus属菌の芽胞)の捕捉力、及び膜面からの濁質の易回収性について検討した。その結果、ウイルスの捕捉・回収も視野に入れてUF膜を選定した。UF膜ろ過濃縮装置は通常の運転で1本のモジュールに対して12時間分の通水を行い、一週間単位で自動的に試料採取ができるよう設計した。また、緊急事への対応として試料回収の間隔を狭めることも可能とした。一方、ポリ塩化アルミニウムによる凝集沈殿を応用した濃縮装置は通常の浄水処理に用いられる技術の応用で、濁質の除去効果すなわち回収効率はすでに検証済みである。本研究では、炭疽菌に特化した回収条件を別途に検討した。
病原体の検出には迅速性と感度を重視する観点からリアルタイムPCR法を採用し、既存のプライマーに加えて新たなプライマーおよび蛍光プローブの設計を行った。水道原水の細菌叢の中には多種類の微生物が存在することから、疑似反応による混乱回避にむけて複数のプライマーの選択を行った。また、これまでに知られるテロ行為の文献的考察と資料の蒐集を行った。また、監視体制の強化に向けた指針を提示した。
結果と考察
本研究では水道水からの病原体捕捉手段としてUF膜を用いたろ過装置及び凝集剤を用いた濃縮・回収装置を開発した。病原体の迅速検出方法として各種病原体に特異的な遺伝子塩基配列を対象としたリアルタイムPCRを採用し、その条件設定を行った。膜ろ過式濃縮装置の仕様は、UF膜を用いたカートリッジ式モジュールを並列し、単位時間毎に水路を切り換えて懸濁物の回収を行う。本装置の濃縮能力は通常運転で120L/12hr、最大で120L/2h、連続運転で500L以上の通水能力を持たせた。本装置によるBacillus属菌芽胞の回収率はおおむね80%を保証した。また、ポリ塩化アルミニウム凝集剤(PAC)を用いた濃縮装置は、上水に濁質とPACを注入しフロック形成を行い、連続遠心機でフロック回収を行うもので、処理能力は通常運転で120L/12hr、最大60L/2hr 程度となるように設計した。本研究ではモニタリング能力の目標値を、通常運転で12時間ごと、緊急時には2時間ごとに設定した。また、単位時間ごとに水道水の濃縮試料を回収・保存し、不測の事態が生じた場合の追跡調査の試料確保に努めた。
病原微生物の検出は濃縮試料を用いて遺伝子解析、培養の2方法を採用することとした。遺伝子解析方法として特異プローブを用いたリアルタイムPCR反応を基本的に選択した。炭疽菌を例に取ると、PCR反応の感度は細菌数として ~10個/tube 程度の試料から検出可能である。しかしながら、既存のプライマーは新たに設計したものを含め、いずれも近縁種との交差反応あるいは非特異反応が否定できないものと判断された。また、細菌学的にも炭疽菌の同定は容易でないことが知られている。特に、水試料には同属近縁の多様な菌類が存在しており、誤認防止には最大限の注意が求められる。このような状況から炭疽菌の検出・同定は専門家の協力が必須である。ところで、病原微生物による故意の汚染が会った場合には、均質で多量の病原体が投入されるであろうことから、検出系では明瞭な反応、すなわち通常値から著しく逸脱した結果が期待される。換言すれば、各監視地点で通常値の整備が重要となる。
本研究事業においては、炭疽菌の芽胞およびボツリヌス菌毒素の消毒に要する有効塩素濃度の検討を併せて行った。これらに加え、文献等参考資料の収集、および過去の水道テロ事例資料紹介を行った。ところで、テロと戦争や他の暴力行為との区別は容易ではなく、テロか否かは被害を受けた側の判断によるものである。本研究事業ではテロ行為を『社会的な混乱を企図した暴力あるいは妨害行為』と読み替えた。テロ行為に至る背景には政治的、宗教的、あるいは信条・理想など様々で、強請や愉快犯的なものまで含まれる。暴力の行使は銃火器等の通常兵器から化学兵器や生物兵器、核兵器の使用まで考えられ、状況によっては風評という手段も武器となり得る。その中で生物兵器は病原体の自己増殖や二次的な感染による被害の拡散といった特徴を持つ。今日では大量の病原体を安価、容易に調達できる状況にある。ところで、天然痘ウイルスはもっとも恐れられている生物兵器であるが、ここに至った理由は天然痘が撲滅され、ワクチン製造及び接種が廃止されたことにある。天然痘の撲滅は人類が為し得た快挙であるが、ワクチンというもう一方の人類の快挙を廃棄した行為はナイーブであったといえる。今日ではポリオが撲滅に最も近い疾病とされ、期待と注目が集まっている。本症はポリオウイルスに起因する疾患で、糞便を介して汚染が広がる。従って、水道水を介した感染も想定される。ポリオの撲滅宣言がワクチン製造などの停止へと短絡すれば、ポリオウイルスは遠からず新たな生物兵器としての地位を確立することになる。
結論
水道施設を標的とした生物兵器によるテロ行為には多量の病原体が必要で、これが抑止力の1つとなっていた。しかし、病原体の大量生産が可能となったこと、水を介した伝播は確実性が高いこと、投入方法によっては必ずしも希釈・拡散されないこと(押し出し流れ)など、テロの実効性が考えられる状況にある。さらに、炭疽菌を例に取れば、水道水を標的とした場合には高度な技術を要するとされる芽胞の兵器化(微細顆粒化)は不要で、最も低い技術レベルでテロ行為に及ぶことが可能である。従って、水道施設がテロの標的とされる可能性は否定できない。過去の例を参考にして水道におけるテロ対策を列記すれば下記のようになる。
* 業務における緊張感の維持
* 浄水システム全体でのテロ対策の立案・実施
* 施設の弱点の整理と情報管理の徹底
* 各行政単位での危機管理体制の確立
* 関係機関との連絡体制と情報交換
* 暴露予測
* 水源及び施設への暴露予測
攻撃方法(直接投入、空中散布、上流域での汚染等々)の整理と影響予測
* 事後対策の立案
緊急給水体制の整備
浄水処理の強化方法
広報活動と風評被害防止
* モニタリングシステムの導入と充実
* 訓練の実施
* 施設内への侵入者の監視と地域住民による協力体制
水道におけるテロ対策に求められるのは、水道施設への病原体の投入防止と迅速な検出システムの構築、および事後処理等である。本研究では水道水からの病原体捕捉手段としてUF膜を用いたろ過装置及び凝集剤を用いた濃縮・回収装置を開発した。病原体の迅速検出方法として各種病原体に特異的な遺伝子塩基配列を対象としたリアルタイムPCRを採用し、その条件設定を行った。情報公開の原則からは逸脱するが、テロ対策で重要なもう1つの要素は具体的なテロ対策が漏洩された場合にはその効力は失われることへの理解と慎重さである。

公開日・更新日

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