薬価基準制度の経済学的実証研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200100020A
報告書区分
総括
研究課題名
薬価基準制度の経済学的実証研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成13(2001)年度
研究代表者(所属機関)
姉川 知史(慶應義塾大学大学院経営管理研究科)
研究分担者(所属機関)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 政策科学推進研究事業
研究開始年度
平成13(2001)年度
研究終了予定年度
-
研究費
2,790,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
薬価基準制度は医療保険の給付対象となる医薬品の価格、薬価を国が規制する制度であり、医薬品の需要と供給に大きな影響を与えてきた。現在の政策課題の1つとして薬価基準制度改革があげられる。政策担当者の改革に関する目的の第1は、医薬品価格の低下によって、薬剤費支出額と医療費を抑制し、医療保険制度を維持することである。第2は医療技術から見て適正な医薬品需要を実現することであり、経済的要因等の医療目的以外の要因による影響を受けない制度を実現することである。第3は、医薬品企業の医薬品供給に対して適切な対価を与え、さらにその研究開発投資について、望ましい研究の方向性、投資水準を誘導することである。
薬価基準制度の枠組みにおいて政府は1978年以来、薬価低下政策を実施し、2000年度前後には、政府の決定する薬価と、卸業者が医療機関や薬局に対して納入する価格の差である薬価差は薬価に対して10%未満の水準となり、現行の薬価基準制度における薬価低下政策と薬価差縮小は実現した。そこで政策担当者は新たに「参照価格制度」を提案したが、政策として採用されず、また、これに代わる抜本的な薬価制度改革案は2001年の段階では提示されていない。ここで、薬価制度改革の議論では、政策担当者あるいは関係団体が改革案を示し、制度の作用を経験的知識によって予測するという分析が一般的であり、経済理論に基づく実証研究の根拠がない。そこでこの研究は現在の薬価基準制度に関する経済学的実証研究を行う。薬価制度改革の議論において問題として取りあげるべき重要な課題を経済学の用語で要約すれば、薬価低下政策が、医薬品の需要、納入価格、医薬企業の研究開発投資、関係主体の所得分配についてどのような影響を与えたかである。これらを分析することで、現行の薬価基準制度の問題、薬価制度改革案の評価が明確になり、望ましい政策運営が可能になる。
研究方法
この研究は過去20年の日本の医薬品価格規制を対象にした経済学的実証研究を行った。本研究では次の4つの個別研究を行った。
第1の研究として「医薬品需要量決定要因の分析」を行った。個別医薬品の需要がいかなる要因によって決定されるかを明らかにするために、経済学の需要理論を用いて、医薬品需要関数の推定を行った。具体的には1980年代以降から現在までの売上額上位の代表的な循環器官用薬を用いて、医薬品需要の薬価弾力性、納入価格弾力性を求めた。さらに需要量の変動のうち、薬価、納入価格によって説明できる部分と、説明できない部分を区別して定量化し、後者のうち医薬品属性による効果を推定した。
第2の研究として「医薬品の納入価格(流通価格)決定要因の分析」を行った。日本においては流通価格である納入価格が継続的に低下してきた。この長期的な納入価格の低下が、薬価基準制度、競争条件、医薬品属性とどのように関係したかを分析した。1990年代の代表的な医薬品を対象にして、その納入価格の低下率を被説明変数として、医薬品の競争条件、医薬品属性を説明変数として実証研究を行った。
第3の研究として「薬価と研究開発に関する分析」を行った。現行の薬価規制は革新性の小さい類似薬品を相対的に有利にし、革新的医薬品の研究開発を抑制したとされる。しかし、この点については十分な実証研究がない。そこで薬価規制がどの程度、医薬品企業の研究開発の水準に影響し、また、どのように研究の方向性に影響したかを検討した。研究開発の水準に関しては、薬価が株式収益率に与える影響をevent studyの手法によって検討し、さらに株式価値を基礎にした企業価値が研究開発投資に与える影響を投資関数として推定した。
第4の研究として「薬価基準制度の所得分配効果の分析」を行った。薬価基準制度がどのように所得分配に影響したかを医薬品企業、卸業者の各利益、医療機関・薬局の所得、消費者の経済的負担と利益に注目した分析を行った。ここでは薬価基準制度が関係主体の所得分配をめぐる利害対立調整として行われたことを政治経済学の手法で検討した。
結果と考察
予備的考察では、薬価低下政策によって、日本の医薬品産業の売上額、付加価値額の伸びが抑制されたことが示された。これらの1990年代の成長率は先進国の医薬品産業の中で最低となっている。さらに売上額の伸びは付加価値額の伸びを下回り、中間投入額は低下している。これに対して、企業利益率は必ずしも低下していないことが示された。
第1の研究では、日本市場の循環器官用薬を対象にして、売上額が大きい医薬品100品目の1980年以降の「年間データ」を用いて、医薬品需要関数を推定した。このとき需要量の薬価弾力性、納入価格弾力性を推定した。例えば全サンプルを使用した場合の薬価弾力性は0.8、納入価格弾力性は-1.1であった。次に、医薬品需要量の決定要因として、薬価、納入価格等の価格変数の効果と、薬効、副作用のような医薬品の個別属性の効果を比較した。このとき新医薬品の需要においては個別属性の効果が大きく、他方、旧医薬品の需要では価格変数の効果が依然として重要であった。
第2の研究は「医薬品の納入価格(流通価格)決定要因の分析」を行った。上記の第1の研究においては用いた医薬品の流通価格である納入価格の変動が、薬価基準制度、競争条件、医薬品属性とどのように関係したかを分析した。これは経済学におけるヘドニック・プライシングの手法を用いた。分析結果をアメリカ合衆国の医薬品を対象とした研究と比較して、日本の医薬品の特徴を分析した。納入価格の最も重要な決定要因は市場の競争状態であり、競争の大きな薬効領域では納入価格低下競争が大きいことがわかった。また、医薬品の属性において特色がない医薬品において納入価格低下競争が発生する傾向のあることが示された。
第3の研究は、日本の医薬品企業の株式収益率、企業価値、キャッシュ・フロー、R&D投資額の3変数を用いて、R&D投資額の決定要因分析を行った。このとき、薬価低下が企業価値にいかなる影響を与えるかについては、event studyでは薬価低下が株式収益率を低下させると予想されたが、実際には低下させるとは言えなかった。これは薬価低下政策によって、医薬品市場は抑制されたにもかかわらず、医薬品企業の業績は目だって低下していないと言う事実に符合する。しかしながら、企業価値あるいはキャッシュ・フローは研究開発投資額に正の影響を与えることが示された。
第4の研究は、「政治経済学」の手法を利用して、薬価基準制度あるいはその改革が、関係主体の所得分配を変更してきたことを示した。制度と改革については、「薬価制度改革」の標題で事例研究書を作成し整理した。所得分配に対する影響は薬価基準制度のシナリオに関してシミュレーションを行った。
結論
政策担当者は薬価低下政策によって医薬品価格の低下、医薬品支出額、売上額の抑制という政策目的には極めて効果的であった。個別の医薬品の需要量は薬価の低下によって減少し、納入価格の低下によって増加する傾向があった。ところがこれらの薬価、納入価格の要因は医薬品の需要量を決定する要因としては小さく、医薬品の個別属性が需要量の決定要因として大きい。納入価格の低下が生じるのは競争状態にある医薬品間、あるいは発売後長期経過してジェネリック製品が発売されている医薬品においてであった。
新薬においてはこのような納入価格低下競争はおきにくい。このため、新薬を売上額の中核とする医薬品企業は薬価低下政策によっても株式利益率が低下しなかった。他方、医薬品需要を政策的に誘導することはできなかった。さらに薬価低下政策は研究開発投資額を抑制した。
この結果、薬価制度改革はこれまでの薬価低下政策を放棄して、別の原理に基づく制度設計を行うことが有力な代替案として想定できる。このような原理としてこれまでの医薬品価格政策では実現されなかった点である、適切な医薬品需要の実現、研究開発投資促進の2つを想定することができる。薬価低下政策によっては適切な医薬品需要はもたらされず、研究開発投資促進も困難である。

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