熱媒体の人体影響とその治療法に関する研究

文献情報

文献番号
200000680A
報告書区分
総括
研究課題名
熱媒体の人体影響とその治療法に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成12(2000)年度
研究代表者(所属機関)
小栗 一太(九州大学大学院薬学研究院)
研究分担者(所属機関)
  • 赤峰昭文(九州大学歯学部)
  • 飯田隆雄(福岡県保健環境研究所)
  • 石橋達朗(九州大学大学院医学研究院)
  • 沖田 実(長崎大学医療技術短期大学部)
  • 片山一朗(長崎大学医学部)
  • 菊池昌弘(福岡大学医学部)
  • 古賀哲也(九州大学大学院医学研究科)
  • 古賀信幸(中村学園大学食物栄養学科)
  • 篠原志郎(福岡県保健環境研究所)
  • 清水和宏(長崎大学医学部)
  • 辻 博(福岡大学医学部)
  • 徳永章二(九州大学大学院医学研究院)
  • 中西洋一(九州大学大学院医学系研究院)
  • 中山樹一郎(福岡大学医学部)
  • 長山淳哉(九州大学医療技術短期大学部)
  • 橋口 勇(九州大学歯学研究院)
  • 古江増隆(九州大学大学院医学研究院)
  • 増田義人(第一薬科大学)
  • 山田 猛(九州大学医学部附属病院)
  • 吉村健清(産業医科大学産業生態科学研究院)
  • 渡辺雅久(長崎大学医療技術短期大学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 生活安全総合研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
平成12(2000)年度
研究費
47,200,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
油症事件発生後、34年が経過した。一部の患者には未だに油症症状が観察されるが、多くの患者については軽微になっている。現在は症状の悪化が観察されても、それが PCB 摂取と関連するのか、あるいは老年期障害であるかが識別困難な場合が多い。このように、油症患者の病的状態については、少なくとも事件発生当時に認められた皮膚症状のような急性症状は見受けられなくなってきている。しかし、本研究班でのこれまでの研究により、免疫機能低下の可能性など、新たな問題が浮上してきている。また、後世代に与える影響も今後注意深く観察する必要があろう。本研究班では、未だに未解明部分の多い PCB 類の毒性発現機構を解明すると共に、患者の慢性的病態の把握を行い、これに立脚した患者の健康管理増進を目指して検討を継続した。
以前の研究から、患者においては肝ガンのリスクが高まっていることが示唆されていた。しかし、九州地区では他の地域と比較して肝ガン発生頻度が高いという特殊性があり、油症とガンとの関連性はこの地域性をも考慮する必要がある。そこで本年度は、このような問題を考慮してガンに対する PCB 摂取の影響を再評価する検討も行った。
研究方法
検診を実施し、油症患者の皮膚、眼、内科的および歯科症状について詳細な観察を行い、従来の症状との比較を行うと共にデータを統計学的に解析した。原死因を明かにするために、厚生省死亡テープ(19年間の日本全死亡1500万件)と生年月日、死亡年月日、性、死亡時住所の4項目の完全一致を条件として照合を行った。排泄促進法について、経皮的な PCB 除去の一法として皮脂取りシートを用いた皮脂採取法を検討した。また、生体成分であるプロトポルフィリンとヘミンによる、の吸収抑制と再吸収抑制に対する効果について検討した。油症患者体内の PCB 類の動向の把握に関して、油症検診受診者の血液中 PCDDs,PCDFsおよび coplanar PCBs(PCB 類)20 種類を測定した。また、細胞性免疫の障害とリンパ球機能との関連性を明らかにするため、リンパ球機能検査としてmitogen刺激によるリンパ球幼若化反応を検討した。肝ガン死亡の地域的分布の偏りを補正して死亡リスクを評価した。血液中の残留ダイオキシン類のパターン分析を行った。更に、油症発症機構の解明を目指して、動物あるいは培養細胞を用いた生化学的検討を実施した。
結果と考察
1.油症患者検診結果
平成12年度の福岡県油症患者一斉検診時の患者の歯科症状について検診を行った結果、病的歯周ポケットや口腔内色素沈着が高頻度(60.5% 以上)に観察された。一方、皮膚科検査の結果では、重症度の低い患者が増加し、症状の軽快化がより顕著になった。新しいタイプの皮疹はほとんど見られなかったことより、油症患者の皮膚症状は、今後さらに改善するものと考えられる。眼症状に関しても、自覚症状では、眼脂過多の訴えが多かったが、その程度は軽く、油症の影響とは考え難かった。他覚所見のうち、慢性期の油症患者において診断的価値が高い眼症状である眼瞼結膜色素沈着と、瞼板腺のチーズ様分泌物はほとんど観察できなかった。このように、受診者の臨床所見は捉えにくくなってきている。
2.油症患者血液像からの健康影響調査
油症患者においては、これまで免疫グロブリン上昇や自己抗体出現が認められていた。本年度は、細胞性免疫の障害とリンパ球機能との関連性を明らかにするため、リンパ球機能検査としてmitogen刺激によるリンパ球幼若化反応を検討した。その結果、血中PCB濃度とmitogen 刺激によるリンパ球幼若化反応の間に相関はみられず、血中PCB低濃度群と高濃度群の間にも差は認められなかった。このことから、油症患者にみられる細胞性免疫の障害にはリンパ球幼若化反応の関与は少ないと考えられた。油症患者における発ガンリスクを調査する一貫として、14名の油症患者と18名の健常者(いずれも年齢は45歳以上)につき、末梢血リンパ球培養細胞の姉妹染色分体交換(SCEs)誘発頻度を比較した。その結果、患者群のほうが若干高かったが、統計学的な有意差は認められなかった。
PCB による酸化的ストレスとそれが長期的に健康に及ぼす影響を評価する目的で油症患者と正常健常人の血清Cu, Zn-superoxide dismutase (SOD) 濃度をELISA法を用いて測定した。その結果、血中のPCBおよびPCQ濃度との間に相関を認めなかったが、患者血清中のCu, Zn-SOD濃度は対照健常人に比して有意に低いことを観察した。従って、患者においてはCu, Zn-SODが疲弊状態にあるか多く消費されている可能性等が考えられ、このような状態が継続すると発癌を含めた多臓器障害の出現に発展する恐れが危惧される。また、血清中NO酸化物と臨床検査値や生活習慣との関連性を検討したが、これについては男性患者での CPK を除いて、関連するものは見いだせなかった。
3.健康影響に関する疫学的解析
これまで油症患者では肝ガンによる死亡のリスクが高いことが危惧されていた。しかし、認定患者がB型及びC型肝炎ウィルス感染率の高い九州地区に多いことから、肝臓ガン死亡のリスクは肝炎ウィルス感染率が高いためである可能性も残されていた。そこで、別の年齢階級別肝臓癌死亡率を用い、肝ガン死亡の地域的分布の偏りを補正して死亡リスクを評価した。その結果、地域補正を行っても暴露直後の肝ガン死亡のリスクは高くなっており、これが暴露直後の高濃度のPCB、または、PCDF等の影響による可能性は否定できない。しかし、暴露から十数年経過したあとの十年間のリスクは、依然高い傾向にはあるが有意な違いは認められなかった。一方、PCB や PCDF 等の肝中濃度は患者においては通常人の数倍から10倍程度もの差があると推定される。しかし、長期経過後の発ガンリスクについては上述の通り有意差が認められないことから、PCDF等の長期暴露による肝臓ガン死亡リスクへの影響は、あったとしても非常に小さいものであると推定された。
1986年から1997年までの12年間の全国油症患者追跡検診結果をもとに、認定患者について自他覚症状の有所見率と血中PCB濃度の間の関連を検討した。この解析では統一した統計学的手法を用い、交絡要因と考えられる性・年齢を調整して12年間にわたる検診結果の有症率と血中PCB濃度の関連を調べた。その結果、検診年度が違えば対象者の多くが入れ替っているにも関わらず、いくつかの検診項目、例えば皮膚症状の黒色面皰やざ瘡様皮疹では統計学的に有意な関連がしばしば観察された。時間経過と共に血中PCB濃度の高い対象者は濃度が減少する傾向が観察され、血中PCB濃度分布の範囲も狭まっていた。これらは一般的には目的変数である有所見率との関連を弱める方向に働く要因である。しかし、黒色面皰とざ瘡様皮疹の有所見率は血中PCB濃度との関連が弱まってはいなかった。これらの検診項目の有所見率については、血中PCB濃度との正の関連が今後も継続していく可能性がある。内科検診項目の有所見率はしばしば血中PCB濃度と負の関連を示したが、その医学的意義は不明である。1995~1997 年度の福岡県油症患者の解析からは、男性におけるPenCDF やコプラナーPCB 体内含量と中性脂肪やβ-リポ蛋白量との間に強い相関が認められた。
4.油症患者体内の PCB および関連物質の分析
1998年および1999年の一斉検診時に採取された患者血液を用いて、ダイオキシン類の分析を行った。1998年に採血した血中ダイオキシン類レベルは、A、B、BC および C パターンの患者において、それぞれ、健常者の7.5倍、4.7倍、3.7倍および1.5倍であった。1999 年に採血したサンプルでは、A、B、BC および C パターンで、それぞれ、健常者の11倍、5.9倍、3.3倍および1.8倍であった。従って、油症患者血中ダイオキシン類濃度レベルは、A、BおよびBCパターンの患者で依然として高値であることが確認された。
PCB 等の体内からの減衰状況を精密に知る目的で、福岡油症患者5名より、1982年から1998年にかけて8~11回採血したサンプルおよび台湾油症患者3名より事件直後の1980年から1995年にかけて7~8回採血したサンプルにつき、PCB異性体6種及びPCDF異性体3種の濃度を測定した。2,3',4,4',5-penta-CBを除く5種のPCB異性体は台湾油症患者では半減期4.2~6.0年で減少し、福岡油症患者では半減期が9.1~18.4年となり、減衰速度は遅くなった。2,3',4,4',5-penta-CBは台湾油症患者において比較的に速く(半減期1.6年)減衰しており、速やかに油症に特異なAパターンを形成したものと考えられた。減衰データを基に推算すると、福岡油症患者における全PCB及びTEQ濃度(脂質当り)は事件直後では、それぞれ75 ppm 及び40 ppbであったものが、30年経過した現在では、それぞれ2.3 ppm及び0.6 ppb にまで減少したものと推測された。
5.毒性発現機構に関する基礎的検討
1)コプラナーPCBによるラット肝カルボニックアンヒドラーゼIII (CAIII)の発現抑制-ラットCAIII遺伝子の5'-flanking regionの解析-:
本研究班では、高毒性 PCB は生理的に重要な機能をもつタンパク質の発現量を変化させることによって毒性を惹起するとの作業仮説のもとに検討を行い、多くのタンパク質の変動を明らかにしてきた。本年度は、そのうちの一種であり、細胞内シグナル伝達にも機能することが推定されている肝サイトソルのCAIII について、その発現変動機構を解明する目的で遺伝子調節領域の解読を行った。その結果、ラットCAIII遺伝子の5'-上流域には、Ah-receptor (AhR) 複合体が結合しうるxenobioticresponsive element (XRE) に類似した配列が2箇所存在することが明らかになり、肝CAIIIの発現抑制にAhRが関与している可能性が示唆された。
2)コプラナーPCBによる小胞体局在性ストレスタンパク質GRP78レベルの低下-mRNAレベルでの検討-:
上記1)の冒頭に紹介した一連の研究から、コプラナー PCB によって発現低下する他のタンパク質としてGRP78 が明かにされている。本タンパク質はシャペロンとして細胞内タンパク質の品質管理や成熟化に関与することが推定されている。 今回の研究では、肝GRP78 mRNAレベルがPenCB投与によっても変化しないことを明らかにした。従って、GRP78 タンパク質レベルの減少には、転写抑制や mRNA の分解促進などの mRNA レベルの低下は反映していない可能性があり、翻訳障害やタンパク質の分解が亢進しているなどの可能性が示された。
3)高蓄積性PCB代謝物メチルスルフォン体の生成酵素の解明:
ある種のPCBの3-メチルスルフォン(MeSO2)体は、肝へ特異的に蓄積し、母化合物より遙かに強いフェノバルビタール型チトクローム P450 誘導能を有していることが明らかになっている。従って、このタイプの代謝物の生成機構を明かにすることは、毒性学的に重要と考え、検討を行った。3-MeS-及び4-MeS-2,5,3',4'-TCBを基質として、肝ミクロゾームによるS-酸化反応における P450 あるいはフラビン含有モノオキシゲナーゼ(FMO)の寄与を明らかにするため、阻害剤および動物種差を調べた。その結果、2,5,3',4'-TCBのMeS体の酸化におけるFMOとP450の寄与は動物種によって相違することを明かにした。
4)PCBsによる細胞死誘発に関する検討:
PCB、PCDFによる気道上皮細胞の傷害とアポトーシスとの関連をガン抑制遺伝子p53 の関与という観点から検討を加えた。実験にはヒト気道上皮細胞株A549(野生型p53 )、NCI H1299( p53 遺伝子欠失)、BEAS-2B( p53蛋白不活化)、ならびにmouse fibroblast NIH-3T3(野生型 p53 )を使用し、in vitroにおいてPCBsがp53を介したアポトーシスの誘導について検討した。各種濃度のPCBsを添加して培養しtrypanblue dye exclusion testにより細胞死の誘導を検討した。その結果、p53蛋白の有無もしくは不活化に関わらず、20 μg / ml前後の濃度で細胞死が誘導されることが示された。また、野生型 p53を有する細胞株においてp53が蛋白レベルで誘導されないことから、上皮細胞において、PCBはp53非依存的に細胞死を誘導するものと考えられた。
5)油症検診者におけるCK上昇の意義:
血清クレアチン・ホスフォカイネース(以下、血清CK)の上昇が油症検診者の約20%に認められ、血中PCB濃度高値がこの要因の一つである可能性を報告してきた。この可能性を検証する目的で、ラットを用いた動物実験を行った結果、筋線維直径の減少が観察された。また、PCB投与群では、筋細胞膜のフリーズフラクチャーでorthogonal arrayが増加し、particle密度とCaveolae密度では差を認めなかった。これらのことから、PCBは筋細胞膜構成成分を変化させる可能性があると推定された。
結論
油症患者検診を通して患者の病的障害の把握に努めると共に、原因油摂取によって惹起される病状の抽出について検討を継続した。軽微ではあるが、油症患者には歯周および皮膚症状を中心とした病的症状が依然として残存しており、中でも皮膚症状は体内 TEQ との相関性が高いことが認められた。詳細な疫学的調査によって、原因油摂取後長期経過した油症患者での肝ガンリスクが体内 PCB によって上昇している可能性はほぼ否定された。しかし、免疫能低下や内分泌系に及ぼす影響などに関しては依然問題が残残っており、これらが感染症等に対する感受性増加や後世代影響への悪影響に直結する可能性は否定できない。従って、免疫系や内分泌系への影響について今後も注意深く経過を観察する必要がある。体内 PCB 類の追跡調査を継続することも欠くことはできない。

公開日・更新日

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