筋萎縮性側索硬化症の病態の解明と治療に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200000660A
報告書区分
総括
研究課題名
筋萎縮性側索硬化症の病態の解明と治療に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成12(2000)年度
研究代表者(所属機関)
糸山 泰人(東北大学大学院医学系研究科神経科学講座神経内科学分野)
研究分担者(所属機関)
  • 谷口直之(大阪大学大学院医学系研究科生化学)
  • 廣川信隆(東京大学大学院医学系研究科分子細胞生物学専攻細胞生物学解剖学)
  • 野本明男(東京大学大学院医学系研究科微生物学)
  • 阿部康二(岡山大学医学部神経内科)
  • 船越 洋(大阪大学大学院医学系研究科バイオメディカル教育研究センター・腫瘍生化学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 特定疾患対策研究事業
研究開始年度
平成12(2000)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
20,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は病因が不明の進行性難治性神経筋疾患である。運動ニューロンの選択的細胞死が惹起されて全身の筋萎縮が進行し、最終的には呼吸筋の麻痺をきたすという予後が極めて不良な疾患であり、未だ筋萎縮の進行を止める有効な治療法はない。本研究班は神経難病のなかでも最も過酷な疾患であるALSの病因と病態の解明を行い、有効な治療法の確立に資することを研究の目的とする。
研究方法
ALSの病態解明の研究において20世紀最大の発見は、一部の家族性ALSの病因遺伝子が細胞内のフリーラジカルスカベンジャーであるCu/Zn superoxide dismutase(SOD)であることを明らかにし、かつこの変異Cu/Zn SOD遺伝子を導入したトランスジェニック(Tg)マウスにてALSの動物モデルが作成されたことである。本研究班は研究の主眼を変異Cu/Zn SODと運動ニューロン死の機序の解明に置き、それに関連した病態の解明と治療法の確立の研究を行う。
①Cu/Zn SOD関連研究;変異Cu/Zn SODと運動ニューロン死の関連研究には大きく2つの方法論でのぞむ。1つはALSの動物モデルをTgマウスからTgラットへ切り換えて病因と病態の解明研究をよりダイナミックに行い、かつ薬剤の髄腔内投与を行い易くする。もう一つは、神経細胞内での変異Cu/Zn SODがいかにして細胞死を惹起するのかをCu/Zn SODの糖化反応の異常とミトコンドリアやペルオキシゾーム膜での局在の異常から検討する。
②神経栄養因子に関する研究;神経細胞死の抑制効果と神経突起の伸長効果をもつ新規の神経栄養因子である肝細胞増殖因子(HGF)のin vivoの効果を明らかにする為に、HGF Tgマウスと変異Cu/Zn SOD導入ALS Tgマウスを交配したダブルTgマウスを作成して検討を行う。また、HGFをはじめとした各種の神経栄養因子をいかにしてヒトALSの病変部位である中枢神経に作用させるかの目的性のもとにそれらの投与法を検討する。一つはアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いて筋肉内投与から神経軸索経由にて、もう一つは運動ニューロン選択的感染性をもつポリオウイルスをベクターとして運動ニューロンへ作用させる投与方法である。
③グルタミン酸毒性に関する研究;ALSの剖検脊髄からレーザーミクロディセクターにて単一運動ニューロンを切り出し、グルタミン酸受容体のAMPA/kainate型受容体のGluR2 mRNAを検索する。
④神経細胞内とくに軸索輸送に関する研究
神経細胞内での物質輸送のメカニズムの解明を研究しているが、今回は脳特異的に発現しているキネシンスーパーファミリータンパクKIF I7の機能とそれが輸送する蛋白について検討する。
結果と考察
①変異Cu/Zn SOD Tgラットの作成:(1) 変異Cu/Zn SOD Tgラットの作成;今回、ALS動物モデルの病態解明の新たな展開を目指して、ヒト変異Cu/Zn SOD遺伝子導入ラットの作成を行った。H46R変異とG93Aを持つCu/Zn SOD遺伝子を導入したSDラットにおいて、変異SOD蛋白が多く発現した系統に、後肢の脱力から始まる運動ニューロン障害が出現した。病理学的にも脊髄前角の運動ニューロンの消失とグリオーシスが認められ、残存した細胞にはユビキチンとSODに染色される封入体も確認された。このTgラットモデルの完成により新たなCu/Zn SOD変異と運動ニューロン死の機序の解明とに加えて、神経栄養因子(BDNFやHGF)の髄腔内投与の治療実験が可能になった。
(2)細胞内での変異Cu/Zn SOD;変異Cu/Zn SODがどの様な機序で細胞死を引き起こすかは重要な研究テーマである。本研究班ではCu/Zn SODの蛋白質糖化反応の異常や細胞内オルガネラでの局在の異常による細胞死の機序に研究の重点を置いている。変異Cu/Zn SOD Tgマウスの脊髄灰白質においては免疫組織化学的にwild typeのマウスは認められない糖化の異常亢進が認められた。現状ではどの蛋白が糖化されているかは同定できないが、in vitroの系では変異Cu/Zn SODはwild typeに比べて2?5倍糖化されやすいことが明らかになった。また細胞内ではCu/Zn SODは活性酸素産生の場であるミトコンドリアやペルオキシゾームの膜に局在しているが、変異Cu/Zn SODはその結合性が低下していることが示された。この変化はミトコンドリアやペルオキシゾームでの細胞内活性酸素の消去不全を誘起し、細胞障害を引き起こす可能性を示唆している。
②神経栄養因子に関する研究:新規の神経栄養因子のHGFの臨床応用での有用性を調べる目的で、神経特異的にHGFを発現するTgマウスを作成し、これと変異Cu/Zn SODを導入したALS Tgマウスとを交配してダブルTgマウスを作成した。即ちALSモデルマウスにおける変性運動ニューロンに直接的に長期間HGF遺伝子を発現させ、その効果をみた。その結果HGF/ALS ダブルTgマウスはALS Tgマウスに比べ麻痺の発現が遅れ、寿命が大幅に延長するとともに運動機能が改善した。HGF有効性の作用機序としては、運動ニューロンに対する直接の神経栄養因子作用に加えてALS Tgマウスに起こっているグリア細胞のグルタミン酸トランスポーターの発現低下を改善する二重のメカニズムが働いていると考えられている。
実際のヒトALSの治療応用に向けていかに神経栄養因子を変性運動ニューロンへ作用させるかの研究も重要である。AAVベクターにGDNF遺伝子を組み込みマウスの腓腹筋に導入したところ、GDNFは筋線維細胞の細胞膜に沿って発現し、かつ対応する髄節の前角運動ニューロン内にもGDNFが確認され、今後の治療応用の可能性が示された。もう一つの新しい試みとして運動ニューロン感染性を持つポリオウイルス(PV)ベクターの開発が行われている。PVゲノムにBDNF遺伝子を組み入れウイルス複製可能なBDNF発現ベクターを作り、PV感受性Tgマウスの脳内へ接種したところ、ウイルスの複製と同様にBDNFの発現も認められた。
③グルタミン酸毒性と運動ニューロン死;運動ニューロン死の病態の一つとして、細胞外の慢性的なグルタミン酸濃度の上昇がGluR2欠失のAMPA/kainate型受容体を介して細胞内へのCa流入を招き細胞死を引き起こすことが考えられている。従来からALSの脊髄前角ではGluR2 mRNA発現および編集率が低下していることが示されているが、今回2例という少数例ではあるがALS患者の剖検脊髄よりレーザーミクロディセクターにて単一運動ニューロンを切り出し検索したところ、GluR2 mRNA編集率がALSで低下している結果が得られた。
④神経細胞内とくに軸索輸送に関連する成果;今までに軸索流(fast transport)では30以上のmotor分子が明らかにされてきているが、今回新たにキネシンスーパーファミリータンパクKIF17が発見された。KIF17は脳特異的に発現しており、しかもグルタミン酸受容体のNMDA受容体を含有するvesicleに結合して細胞内での輸送に関与することが明らかにされた。
結論
長年のALS研究において最も注目される病因論は、家族性ALSにみられる変異Cu/Zn SODと運動ニューロン死の関係と考えられる。本研究班はこのテーマを研究の中心に置き、神経栄養因子、グルタミン酸神経毒性および神経細胞内輸送に関連した研究を行っている。変異Cu/Zn SODに関する研究では、従来まで研究に使用されていたTgマウスに比べて、病理学的、生化学的および酵素学的検索をダイナミックに展開可能になったTgラットの完成が特筆される。このTgラットは経時的に脳脊髄液の採取も可能であり、更には神経栄養因子などの髄腔内投与療法も可能にするものである。変異Cu/Zn SODがいかに運動ニューロン死をきたすかに関しては、変異型Cu/Zn SODでは病的に糖化反応を受け易い点とミトコンドリアやペルオキシゾーム膜への結合性の低下を発見している。これらの異常から細胞障害へつながるより具体的な病的カスケードの解明が急がれる。ALSの治療を見据えて新規の神経栄養因子であるHGFが注目されているが、神経特異的HGF発現TgマウスとALS TgマウスのダブルTgマウスの作成により、明らかにALSの進行を抑制することが示された。この発見によりALSの新たなHGFによる治療の可能性が示された。

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