高齢者の慢性痛と痛覚伝導路の可塑性に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200000155A
報告書区分
総括
研究課題名
高齢者の慢性痛と痛覚伝導路の可塑性に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成12(2000)年度
研究代表者(所属機関)
神田 健郎(東京都老人総合研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 野口光一(兵庫医科大学)
  • 岩田幸一(大阪大学)
  • 鈴木敦子(東京都老人総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
14,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
高齢者の痛覚機構の特性をニューロンおよびニューロン回路の活動から明らかにする。慢性的な痛みに悩まされる高齢者は多い。痛みを適切にコントロールすることが出来れば、生活の質を高め、病気からの回復を早める上で極めて有用である。本研究は高齢者の慢性痛を予防し、痛みに対する適切な治療法を策定するために不可欠な基礎的データを得ることを目的とする。
前年度の研究に於いて、脊髄侵害受容ニューロンの活動が高齢ラットで亢進していること、その原因に下行性抑制系の機能不全があることを初めて示した。痛覚伝導路の加齢に伴う変化を更に詳しく検討するため、本年度は以下の研究を行った。(研究1)炎症による脊髄後角ニューロンの活動変化が加齢によってどの様な影響を受けるかを明らかにする。(研究2)侵害受容ニューロンの過活動の基礎過程を遺伝子発現から明らかにする。(研究3)侵害刺激を繰り返すことで起こる反応の増強 現象が高齢ラットで起こり易い原因を、下行性抑制系の機能不全の観点から検討する。更に、(研究4)侵害刺激の自律機能への影響の加齢変化を明らかにするため、体性-心臓交感神経反射の機構を成熟ラット・高齢ラットで比較検討する。
研究方法
実験はFischer 344/DuCjr(一部Wister系)の雄ラットを用いて行い、成熟群・老齢群から得られたデータを比較検討した。(研究1)ラット(若齢群:9-12ヶ月齢、老齢群:28-32ヶ月齢)の足底皮下に0.05mlのComplete Freund's Adjuvant (CFA)を注入して慢性炎症モデルを作成した。後角表層から単一ニューロン活動を細胞外記録し,炎症部皮膚に加えられた機械および温度刺激に対する発射応答特性を調べた。(研究2)末梢炎症モデル:一側足底皮下に、200μl CFAを注射した。24時間後ラットを再び深く麻酔し 4% paraformaldehydeにて潅流固定し、L4-L6 脊髄の30 μmの前額断切片を作成した。切片は c-fos蛋白に対するポリクローナル抗体を用いて免疫組織染色を施行し、陽性ニューロン数を計数した。関節炎モデル:一側膝関節内にCFA 200μl 注射し作成した。(研究3)成熟群(8-13ヶ月齢)、高齢群(28-31ヶ月齢)を使用した。ハロセン麻酔下に腓腹神経切断中枢端を電気刺激し(定電流パルス、幅 2 ms、強度 0.5 - 5.0 mA)、半腱様筋に誘発された屈筋反射筋電活動を記録した。5回の連発刺激を1分の間隔を置いて5回繰り返し、反応の増強を観察した。5分後に、連発刺激の間隔を変え、同様の刺激を繰り返した。(研究4)成熟群(4-6ヶ月齢)、老齢群(23-24ヶ月齢)、超老齢群(32-36ヶ月齢)の3群の Wistar系ラットを用いた。ウレタンで麻酔し、人工呼吸下に実験を行った。後肢足庶、胸部の皮膚を外科鉗子でつまむピンチ刺激を加え、反応を頸動脈にカテーテルを挿入して血圧・心拍数を連続記録して観察した。脊髄切断は第二頸髄のレベルで行った。
結果と考察
(研究1) 温度刺激に対しては熱刺激、冷刺激ともに老齢群において、より高い反応性の増強が認められたが、冷刺激に対する影響の方がより強かった。熱および冷の両方の刺激に応答する侵害受容ニューロンの検出率が若齢ラットに比べ老齢ラットで遙かに高かった。 機械刺激に対する反応は、老・齢群間に有意差は認められなかった。炎症による受容野の拡大は若齢・老齢群共に僅かで、その変化に有意差は認められなかった。(研究2)末梢炎症モデルのc-fos発現ニューロン数は、脊髄後角III-IV層およびV-VI層においては、老齢ラットの方が若齢ラットに比べ有意に多い傾向が観察された。一方、浅層(I-II)層では、逆に老齢ラットの方が発現数が少なかったが、統計学的に有意にはならなかった。関節炎モデルに関しても、老齢ラットでは脊髄後角深層(III-IV層)で、有意なc-fos発現ニューロン数の増加が観察された。(研究3)連発刺激の間隔を長くしていくと wind-up 率(反復刺激による屈筋反射の増強率)は指数関数的に低下することが解った。この wind-up 率の低下を時定数で表すと、高齢ラットの方が成熟群より有意に長かった。脊髄切断により成熟ラットでは時定数は有意に延長したが、高齢ラットでは変化が無かった。(研究4 )後肢のピンチ刺激による心拍数増加は、成熟群・老齢群では差がなかったが、超老齢群では著しく減弱していた。血圧上昇反応の大きさには、群間で有意差は認められなかった。胸部にピンチ刺激でも同様の傾向の反応が見られた。脊髄切断ラットでは、胸部にピンチ刺激で、中枢神経無傷ラットに比べて大きな心拍数増加反応が誘発されたが、いずれの群間においても有意差は認められなかった。血圧上昇反応でも群間に有意差
は認められなかった。
脊髄内侵害情報伝達系の活動亢進が、慢性炎症モデルにおける最初期遺伝子発現においても観察できた。炎症を起こした動物の後角侵害受容ニューロンの活動を記録した電気生理学的実験に於いても、高齢ラットの活動亢進が確認された。また、wind-up の減衰時定数が、高齢ラットで長いことから、C線維活動が脊髄内侵害情報伝達系に及ぼす影響がより長い期間持続していることが判明した。脊髄内侵害情報伝達系の活動亢進が、wind-up という別の観点からも示されたことになる。脊髄切断前後で時定数が成熟ラットでは延長するが、高齢ラットでは変化しないとから、このwind-up 現象で確認された変化も下行性抑制系の機能不全に起因している可能性が高い。一方、本研究で機械刺激や熱刺激に対する反応性の増強は比較的弱く、冷刺激に対する反応の増強が著しいことが明かとなった。炎症が起こった場合に、冷覚情報伝達経路と機械受容あるいは温熱感覚受容経路とに対する加齢の影響には、異なるメカニズムが働いている可能性がある。更に、炎症群に於ける熱・冷感受性ニューロンの検出率が高く、広作動域侵害受容ニューロンが加齢により最も強く影響を受け、その生理学的性質を変化させてマルチモーダル化している可能性がある。加齢に伴う脊髄侵害情報伝達系の変化を単純に下行性抑制系の機能不全のみに帰すこともできないという複雑な面も明らかになってきた。
中枢神経無傷時に後肢ピンチ刺激によって誘発される心拍数増加反応が超老齢ラットにおいて減弱するが、血圧上昇反応はよく保たれていたので、後肢皮膚の侵害受容器からの入力は良く保たれていると考えられる。また、胸部のピンチ刺激によって誘発される脊髄性の心拍数増加反応も保たれていた。したがって、超老齢ラットにおける心拍数増加反応の減弱は、上脊髄性中枢の加齢変化に起因すると考えられる。予備実験では、侵害刺激によって誘発される生理的な心拍数増加反応には、β受容体機能の加齢による低下はあまり関係しないことが示唆されている。
結論
末梢炎症モデルラットにおけるc-fos発現ニューロン数の増加、冷刺激に対する後角ニューロンの発射応答の亢進、wind-up 減衰時定数の延長が示され、脊髄侵害情報伝達系の高齢ラットでの活動亢進が、電気生理学的にも、遺伝子発現レベルでも確かめられた。この変化は脊髄下行性抑制系の機能不全に起因する。一方、脊髄後角の広作動域侵害受容ニューロンがマルチモダールな性質を有するよう変化している可能性も示唆されるなど、加齢に伴う変化の複雑さも明らかになってきた。また、侵害刺激の自律神経系への影響でも、脊髄の変化よりも上脊髄中枢の変化が大きいことが明らかになった。

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