厚生経済学の新パラダイムに基づく福祉国家システム像の再構築(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
200000009A
報告書区分
総括
研究課題名
厚生経済学の新パラダイムに基づく福祉国家システム像の再構築(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成12(2000)年度
研究代表者(所属機関)
鈴村 興太郎(一橋大学経済研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 塩野谷祐一(国際医療福祉総合研究所)
  • 後藤玲子(社会保障・人口問題研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 政策科学推進研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
7,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
福祉国家システム像の再構築をめざして厚生経済学のパラダイムを再構成することが本研究の目的である。従来、厚生経済学では自己利益の最大化を目的とする諸個人の相互連関的行為の均衡としてもたらされる帰結に主たる関心が向けられてきた。だが、そのような枠組みは、既存のシステムのもたらす効果や影響を分析するうえでは一定の有効性をもつとしても、システムのあり方を規範的に検討し、新しいシステム像を構想するには明らかに限界がある。このような関心に基づいて、昨年度の課題は、システムを規定する公共的ルールの形成プロセスを分析するための理論的枠組みを解明することに置かれた。そして、公共的ルールの形成に主体的に参加する個人の「公共的判断」とそれらを集計して社会的な「公共的判断」を導出する手続きが満たすべき規範的性質が分析された。そのような成果を踏まえて、本年度の課題は、システムやルールの形成に関するより総合的な枠組みを構成すること、具体的には2つの対立的なアプローチ、進化論的アプローチと構成主義的アプローチとを統合するより包括的な枠組みを構想することに置かれた。
研究方法
進化論的アプローチはゲーム理論を下敷きにその精緻化が進められてきた。他方、構成的アプローチは社会的選択理論の基本的な立脚点として受容されてきた。したがって2つのアプローチを統合しより包括的な枠組みを構想する鍵は、これら2つの理論の基本的構造と哲学的前提を解明し、両者を関連づける方法を解明することにあると考えられる。そこで本研究は以下のような手順で研究を進めた。
1)ゲーム理論の枠組みと社会的選択理論の枠組みの基本的構造を数学的に定式化する。
2)経済哲学に関連する文献を広く参照しながら、ゲーム理論の枠組みと社会的選択理論の枠組み各々の哲学的前提を明らかにする。
3)社会的選択理論の枠組みを公共的ルールの制定プロセスを記述するに相応しい形で  再構成する。
4)ゲーム理論の枠組みならびに拡張された社会的選択理論の枠組みを用いて、所与のルール下でのゲーム的相互依存的行動とルールそれ自体の制定プロセスへの参加行動を数学的に定式化する。
さらに、分析にあたっては次のような予備的考察がなされた。進化論的アプローチと構成的アプローチという2つのアプローチを総合するとき、規範が生成し構成され浸透していくプロセスは次のように整理される。1)私的関心に基づいて多様な目的を追求する諸個人間の相互連関的行為の均衡において事実的・歴史的な規範が生成され変容される。2)事実的・歴史的に生成された諸規範を、熟慮的・討議的に反省することによって、理念的・構成的な規範が形成され改訂される。3)理念的に構成された規範のあるものが事実的・歴史的に人々の中に浸透し、あるものが排除されていく。
権利の章典や人権規約、憲法その他の実定法、そして社会規範として確立された道徳や正義原理などは理念的構成のプロセスを経て確立されたものであるが、それらの背後には、私的関心に基づいて多様な目的を追求する諸個人間の相互連関的行為の均衡として自生的に生成した諸規範が存在し、理念的・構成的な規範の形成を支えるとともに、理念的・構成的な規範のさらなる浸透を促進している。進化論的アプローチは主として1)のプロセスに分析の主眼を置くものとして、構成主義的アプローチは主として2)のプロセスに分析の主眼を置くものとして位置づけられる。
結果と考察
n人の個人から構成される社会N = {1,…,i,…,n} (2≦n<+∞)を想定する。いま、環境e∈Eのもとで実行可能な資源配分の集合をZ(e)、ありとあらゆる環境のもとで実行可能な資源配分の集合をZ(E)で表す。また、この経済を構成する諸個人に許容される戦略集合として、各個人 が提供できる労働時間の集合、すなわち閉区間Mi=[0, 1]を指定する。そして、人々の戦略プロファイルx=(x1, x2, ..., xn)と特定の経済環境e∈Eに対して一つの実行可能な資源配分 を対応させる関数として、結果関数g:E×M→Z(E)を定義する(ただし、M:=M1×M2×・・・×Mnである)。このとき、γ:= (M,g) は自己の目的に基づいて律的に労働時間を選択し資源を獲得しようとする各個人の権利の範囲を規定するようなルール(ゲーム形式)を表す。各人はこのようなルールを所与とし、人々の自律的選択の均衡として実現する戦略プロファイルを予測しながら自己の最適な戦略を選択すると考えられる。ところで、そのような戦略を予測するためは、人々の主観的な選好順序のプロファイルとこの社会で受容されている均衡戦略を知る必要がある。いま、前者をR=(R1, R2,...,Rn) 、後者をσとし、ゲーム(γ, )はユニークな均衡σ(γ, )∈Mをもつと仮定しよう。このとき、経済環境e∈Eのもとで、ゲーム(γ, )がプレーされた結果として実現される均衡配分は、g(e,α(γ, R )) で与えられることになる。ところで、経済環境e、均衡概念σ、ルールγのうち、ひとりルールγだけは人間の設計の対象となる制度的な仕組みである。次には、ルールγの社会的決定プロセスを定式化する方法を考察しよう。いま、あるルールをθ、想定しうるありとあらゆるルールの集合をΘと記述する。このとき、個人i∈Nの公共的判断は、直積集合E×Rn を定義域とし、Z(E)×Θを値域とする対応 として表現される。したがって、ある経済環境e∈E、私的選好のプロファイルR=(R1, R2,...,Rn) が与えられるとき、個人i∈Nが表明する公共的判断順序Qi(e, Rn)は、集合Z(e)×Θの上で定義される。任意の2つの実行可能配分z1, z2∈Z(e)と,任意の2つのルールθ1,θ2∈Θ に対して、(z1, θ1)Qi(e,Rn )(z2,θ2) は、ルールθ1 によって配分z1 が実現されることは、ルールθ2 によって配分z2 が実現されることと比較して、個人i∈Nの公共的判断によれば少なくとも同程度に望ましいことを意味している。続いて、社会的な公共的判断を形成する集計ルール――社会的決定手続き(social decision procedure)――は、諸個人の公共的判断順序の任意のプロファイルQ=(Qi)i∈Nに対して、それに対応する社会的な公共的判断Qを指定する関数Ψによって定義される。また、我々が社会的な公共的判断に要請する性質は、形式的には集計ルールΨに課される公理によって捕捉されることになる。
結論
個人の自律的な意思決定はひとにとって最も優先されるべき内在的価値をもつというのが包括的リベラリズムの考え方である。それに対して、個人の自律的な意思決定は少なくとも社会が等しく配慮すべき公共的価値の一つであり、他の諸価値との関係で正しく位置づけられなければならないというのが政治的リベラリズムの考え方である。福祉国家の新しいシステム像の構築をめざしてより総合的な規範的アプローチを構成しようとする際に、われわれが依拠すべき政治哲学はこのような政治的リベラリズムである。ところで、社会的に尊重すべき個人の自律的な意思決定には、2つの異なる局面があり、各々の性質と役割
は、目的を異にする2つのシステム、【福祉(well-being)の実現システム】と【社会保障ルールの制定システム】との関係で理解されなければならない。すなわち、①所与の社会保障ルール(公共的ルール)のもとでの相互依存的活動(福祉の実現システムへの参加)においては、多様な目的を追求する各個人の私的選好に基づく自律的選択が尊重されなければならない。ハイエクが言うように、諸個人はきわめて多様な目的との関連で多様な諸善に対する多様な欲求を有する。それらの中には本人の自律性と個人間あるいは組織間の個別的交渉にその達成を委ねることが事実的にも可能であり、規範的にも許容されるような善や必要が存在すると考えられるからである。そして諸個人の私的選好に基づく自律的選択を通して実現される帰結(福祉の達成あるいは個人間や福祉に付随して受容される社会規範や慣習)は、社会保障政策(公共的ルール)の制定に先立って予測され、政策を評価する観点の一つとして検討されなければならない。
②社会保障ルール(公共的ルール)の制定システムへの参加においては、善き公共的ルールの制定を目的とする個人の公共的判断に基づく自律的選択が尊重されなければならない。センが言うように、諸個人はかならずしも自己の必要を真正に認識しえるわけではない。各人は他者との公共的討議や理性的な反省を経て、社会を構成するすべての個人に等しく保証すべきであるような、そしてある場合にはその達成手段を社会的に保障すべきであるような<われわれの善(必要)>を発見し選択していくと考えられるからである。さらに、いかに緊急の必要性があろうとも、ルールは、同様のケースは同様に扱われるべきであるという普遍性の要求から逃れることはできない。その一方で、いかに悲惨な境遇にあろうとも、ひとは、私的関心から離れた公共的観点から自己の問題を捉え返すことが不可能ではない。そうだとしたら、ルールの制定にあたって問われるべきは、各人の選好の強度、あるいは客観的境遇の相違そのものではなく、各人の判断の形成方法や拠って立つ観点の有りようであろう。

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