21世紀の国民に開かれた医療提供を実現するための制度と施策に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
199900937A
報告書区分
総括
研究課題名
21世紀の国民に開かれた医療提供を実現するための制度と施策に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
衛藤 幹子(法政大学法学部)
研究分担者(所属機関)
  • 秋葉悦子(富山大学経済学部)
  • 成澤光(法政大学法学部)
  • 西村万里子(明治学院大学法学部)
  • 平林勝政(国学院大学法学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 医療技術評価総合研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成12(2000)年度
研究費
3,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
21世紀の成熟社会にふさわしい公正かつ適正な医療提供を行なうためには、医療専門職の機能と役割を明確にする必要があろう。すなわち、個々の専門職の業務範囲と相互の連関性をどのように確定するのか、その再定義が迫られている。わけても、医師をはじめとする自然科学系専門職と社会福祉、心理などの社会科学系専門職との接点に立つばかりか、今後益々重要性が高まる慢性期医療や老人性疾患ケアにおいて中心的な役割を担うことが期待される看護専門職には、その業務の拡大と明確な業務確定が急務となっている。そこで、本研究は、医療提供におけるヒューマン・リソースの整備と適正化を念頭に、看護職員(保健婦(士)、看護婦(士)、助産婦)の現行の業務と身分法(保健婦助産婦看護婦法)との問題点を洗い出し、今後に望まれる看護とそれを支える制度のあり方を検討することを目的にしている。
研究方法
(1)法学(刑事法学、民事法学)、政治学(制度・政策学)、経済学(医療経済学)の社会諸科学による学際アプローチによって対象を規範的かつ記述的に分析する。
結果と考察
(1)看護をめぐる現状と課題
人口構造・疾病構造の変化により、慢性期医療や老人の長期ケアが医療の中心的な課題にシフトする一方、国民の医療ニーズも個別・多様化し、看護のあり方も大きな変化を迫られている。同時に、看護それ自体にも内的変化が起こっている。すなわち、看護理論や看護技術が高度専門化の方向を志向し始めている。また、そうした学問的進化は、4年制大学化や大学院教育の伸張など教育の高度化を促すとともに、専門職としてのプライド、モラルの向上など看護職員の意識を変化させてもいる。しかしながら、このような外在的・内在的変化にもかかわらず、現行看護制度(保健婦助産婦看護婦法)は1948年の制定当時から大きな変化はなく、看護の現場とのミスマッチが生じている。そして、そのミスマッチの結果、①専門職としての法的保障の欠如(事故責任、秘密保持責任)、②たとえば臨床の場での静脈注射や在宅看護における医学的処置など、多くの場合実際には看護婦が行なっているような準医行為に対してどこまで医師の指示を必要とするか、診療行為と看護行為との線引きの不明瞭さといった問題が生じている。しかしながら、他方で法制度の問題以前の、あるいは法制度整備の前提となる看護それ自体に内在する課題も指摘できる。すなわち、①看護界においては未だ「看護行為とは何か」という看護の基本原理についてのコンセンサスができていない、②医師、介護職、あるいはその他のコメディカルワーカーの行為との切り分けが未整理である、③高度の技術・知識・モラルをもった看護職員が増えつつある一方で新しい知識・技術から取り残さる看護職員の存在も無視できない問題になっているなどである。したがって、法制度を現状にあったものに再構築する作業と同時に、その前提となる看護の原理・原則の確立が急務である。そのため、これらの課題を考えるためには以下のような切り口からの考察がもとめられよう。
(2)看護規範(看護のあるべき姿)
まず、制度の構築を図る上でもそのベースとなる「看護とは何か」、すなわちその基本原理を検討した。検討にあたってはキリスト教的伝統、ナイチンゲール、大陸ヨーロッパの看護観に注目した。わが国においては、戦後に近代看護学が導入されて以来、アメリカ看護学に依拠してきたが、アングロサクソン型自己決定権の限界が指摘される昨今では、伝統的な看護理念や大陸ヨーロッパの看護実践に学ぶべき点も多い。まず、キリスト的伝統に立ち返ると看護のルーツは「善きサマリア人」に見出すことができる。すなわち、「自己犠牲」である。しかし、この自己犠牲は日本的な滅私奉公の意味ではなく、神が人間になす自己犠牲をその神に倣って人間も為すという、言わば自己実現のための自己犠牲なのである。有益な活動への衝動という形でこの自己実現という側面を前面に出し、また看護を独立した「職業」へと高めたのがナイチンゲールであった。さて、上記のようにアメリカ看護学会がその職務倫理規定において「自律の精神」を強調するのに対し、大陸ヨーロッパの倫理規定では、「奉仕(serve,service)」という概念がキーワードになっている。たとえば、イタリアの看護職員職務倫理規定(Codice Deontologico dell' Infermiere)は、その前文において「看護職員は健康と生命に仕えるために職務を行なう」と述べている。以上の検討から「強い個人」ではない「弱さの原則」を前提に、「人間の尊厳dignity」に立脚した看護観を模索する必要性が明らかになった。
(3)看護倫理(看護の行為公準)
つぎに、臨床の場の具体的な事例に即しながら、看護行為における倫理基準を検討、考察した。看護倫理原則としては、現在日本看護協会「看護婦の倫理規定」(1988)、ICN「看護婦の規律:看護に適用される倫理的概念」(1973)、アメリカ看護協会「看護婦の規律」(1985)などがある。しかしながら、これらの倫理規程を臨床上で応用することは実際には困難である。というのも、①看護技術、看護管理や制度など一般的な問題が混在しており、倫理的問題とは何かが曖昧、②医療倫理の中で看護倫理を位置づける必要がある、③人工生殖や出生前診断から患者の権利や自己決定権まで現代医療の新しい課題への対応、③倫理的葛藤が看護の様々な場面で生じてくるため個別的対応が不可欠などの問題が横たわっているからである。こうした問題に現状では職能団体・学会・個別医療機関ごとの検討会、専門看護婦による調整といった打開策がとられているが、十分とはいえない。そこで、ここでは既存の諸理論の再検討により、「自由・自律(自己決定と選択、情報開示、プライバシー)」「共生(弱者援助、協働、無危害、正義)」「自然(自然生殖・自然分娩・自然治癒力・自然死への援助)」の3つの新理念(原則)を打ち出した。そしてこれらを公準として、看護倫理基準(ガイドライン)を再検討と倫理的意思決定システムの構想、さらに看護倫理教育の必要性が明らかになった。
(4)看護制度立法(看護行為の法的保障)
まずここでは、看護職員と他の医療スタッフとの業務分担に注目して現行保健婦助産婦看護婦法の問題点を抽出した。現行法において、看護職員は「療養上の世話」と「診療の補助」を業務独占している。現行法の構造的位置付けと立法趣旨を検討すると、「療養上の世話」業務は一時的に医師に独占され、例外的に医師に解除される、すなわち保健婦助産婦看護婦法がその一般法であり、医師法はその例外的な特別法と解することができる。それに対し、「診療の補助」業務には医師の指示が必要とされ、医師が業務独占する「医行為」を看護婦が「診療の補助」業務として行なう場合にかぎって「主治医」の指示を必要ときていしており、医師法がその一般法であることがわかる。以上より、「療養上の世話」業務と「診療の補助」業務とが異なる法的性格を有するものであることが明らかになった。そして、「療養上の世話」業務を今後どのように法的に強化するかが課題となろう。
(5)看護行為評価(看護診療報酬)
看護行為の経済的評価(診療報酬)を歴史的に跡付けていくと、1970年代以降看護の経済的評価が進展している。まず、看護婦不足を背景に、1972年「看護料」が診療報酬に新設された。1980年代には在宅医療が重視され始めたことから、訪問看護が初めて看護の技術料評価として認められた。老人の長期ケア、慢性期医療、在宅ケアの発展にともない、入院・在宅における看護技術の評価が今後さらに進められていくものと予測できるが、こうした看護の経済的評価を促す上で重要なことは、看護の専門性に深化を図ることである。すなわち、(4)でみた「療養上の世話」を看護業務と中核として発展させる必要がある。とはいえ、「療養上の世話」は看護行為において「診療の補助」と切り離すことはできず、これらに「看護診断」を加えた3つの行為が看護評価の対象になっていることが明らかになった。
結論
これからの看護制度を考えるにあたっては、看護概念を再整理し、理念と倫理基準を確定することが不可欠である。また、これらの看護理念や看護倫理を担保するための法制度の設計、さらには看護行為を正当に評価するための看護報酬体系の確立を行なう必要がある。本研究では、以上のような問題の所在と検討の方向性を抽出するにとどまった。次年度以降、これをさらに進展させ、具体的な提案を行ないたい。

公開日・更新日

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研究報告書(紙媒体)