エイズに関する人権・社会構造に関する研究

文献情報

文献番号
199900500A
報告書区分
総括
研究課題名
エイズに関する人権・社会構造に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
樽井 正義(慶應義塾大学文学部)
研究分担者(所属機関)
  • 浅井篤(京都大学医学部附属病院総合診療部)
  • 池上千寿子(ぷれいす東京)
  • 今村顕史(東京都立駒込病院感染症科)
  • 川口雄次(WHO健康開発総合研究センター)
  • 沢田貴志(港町診療所)
  • 杉山真一(原後綜合法律事務所)
  • 服部健司(群馬大学医学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 エイズ対策研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
10,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
HIV/AIDS対策においては、感染者と非感染者がともに生きる社会構造の整備という課題が、新たな感染を予防するというもう一つの課題と並ぶ二つの柱の一つである。非感染者と同じように社会生活を送り医療を受けることを感染者に保障できない社会は、感染者を検査や診療から遠ざけることになり、感染予防という課題の効果的促進も困難になる。1980年代末から国際的に共有されたこの認識を背景に、1994年(平成6年)にパリで開催されたエイズ・サミットでは人権に関する宣言が採択され、1996年にはUNAIDSと国連高等弁務官事務所のイニシアティヴにより国際ガイドラインが作成された。こうした国際的な指針を固有の状況に即して具体化し、感染者等の人権を擁護することが、各国に求められている。わが国でも1998年にエイズ予防法等が廃止されて感染症予防法が制定され、さらにその翌年には新法に基づいてエイズ予防指針が策定されて、この感染症に関わる人権擁護をより具体化する段階に至っている。本研究はこうした経緯を踏まえて、HIV/AIDSに関して、わが国の状況に即した人権擁護のガイドラインを提案することを目的とし、人権に関する理解の社会における広範な共有と、それに基づいて人権に配慮する社会構造の構築に貢献しようとするものである。こうした指針の提示は、とくに医学医療の場における診療と研究に有用と思われる。また、この疾患は感染症であるとともに慢性疾患であり、さらに障害認定の対象とされている。このことから本研究は、他の感染症の患者、慢性疾患の患者、障害者の人権擁護を促進する社会構造の研究や施策にも広く寄与すると考えられる。
研究方法
感染者と非感染者の人権の擁護をはかるガイドラインの策定を目的とする3年計画の第1年目である本年度は、今日における人権概念の理解を共有したうえで、(1)HIV/AIDSに関する人権問題の所在を明確にするために、感染者について、また(2)外国人感染者について、その現状の予備調査を行った。さらに、(3)人権に関する内外の先行研究のレヴューと既存ガイドラインの調査を行った。分担研究者がそれぞれに個別研究を進めるとともに、それを次の三つの学際的共同研究として集約した。
(1)感染者と非感染者の人権の研究においては、医療の場と社会生活の場における人権問題の現状を調査し分析した。初年度はとくに感染者が直面している現状の予備調査として、感染者、NGO関係者、医師、カウンセラーなどに面接を行い、事例を収集し整理した。
(2)外国人感染者の人権の研究においても、前項と同様の作業をわが国に滞在する外国人の感染者について、オーバーステイしている者も視野に入れて行った。事例の収集は外国人を支援しているNGO関係者、医師などへの面接によって行った。なお、事例の収集にあたってはプライバシーに配慮し、情報提供者には利用目的、利用範囲を明確に説明し、報告書の記述に関しても事前に了解を得た。
(3)人権に関する国際ガイドラインの研究においては、第一に、邦文と英文による先行研究のレヴューを行った。邦文文献についてはNDL CD-ROM Line、英文文献については、MEDLINE、BIOETHICSLINE、AIDSLINEによって検索を行った。第二に国内法規、海外の医療専門職のポジションペーパー、そして国際的なガイドラインの調査を行った。国内法規については、感染症予防法に基づく予防指針の成立過程における議論を検討した。海外ポジションペーパーについては、英文文献と同様の方法で収集した。国際的ガイドラインについては、その主要なものを翻訳し紹介した。
結果と考察
(1)感染者と非感染者の人権に関する現状の予備調査では、感染者、エイズに関わるNGO関係者、医師、カウンセラーなどへの面接によって集められた人権・倫理に関わる事例を、医療の場と生活の場(職場、教育機関、公共機関)に分けて検討した。事例の3分の2が集中する医療の場については、検査(献血を含む)、告知、診療、情報へのアクセス(医療情報とくに産科、障害認定等)の場面で、医療を受ける権利、自己決定権、知る権利、プライバシー権などの侵害が疑われる事例が認められた。生活の場では就労就学以外に、行政機関や交通機関において、自己決定権やプライバシー権への配慮が不十分と思われる事例が示された。全体として、医療の場では検討すべき問題が少なからずあること、生活の場ではとくに行政等の公的機関に問題が集中していることが明らかにされた。次年度の研究では、事例収集を感染者の人権から医療者を含む非感染者の人権へ拡げるとともに、公的機関における感染者への対応の調査を加える必要が指摘された。
(2)外国人感染者の人権に関する現状の予備調査では、とくに非欧米系の外国人について、これを支援するNGO関係者、医療者などへの面接によって収集された事例を、前項と同様の枠組みで検討した。医療の場では、無断検査(とくに妊婦)、不十分な告知(陽性告知だけで説明なし、日本人配偶者への告知など)、医療を受ける権利の侵害(経済や国籍が理由)といった事例が示された。症状が重い患者に対する診療提供の拒否や日本人保証人による退院の強要という由々しい事例も見られた。こうした医療の場における外国人排除の背景として、外国人差別一般に加えてエイズが流行している地域からの外国人への差別意識があることと、医療費の回収が困難な場合があることが指摘された。さらには言語の障害も背景にあり、告知や診療はもとより検査の段階から通訳の支援体制を整える必要も指摘された。
(3)人権に関するガイドラインの研究では、第一に先行研究のレビューによって、英文文献については、スクリーニング検査と結果の告知、医療者の守秘義務と警告義務、パートナー告知、医師の診療義務や検査を受ける義務、臨床研究の倫理(致死的疾患におけるプラシーボ、患者の治験への参加権など)、途上国における実験の倫理(被験国の権利保証など)、さらに公衆衛生と個人の権利、医療資源の配分にいたる多様な主題に関する議論を概観した。邦文文献については、人権をキーワードとする文献でもルポルタージュやエッセーが多く、権利の根拠と範囲をめぐる研究は少数であったが、報道、薬害、予防法に関する考察も見られた。包括的なレビューによって、英文で議論されている問題の多様性と、国内における研究の不足が明らかになり、検討すべき個別課題が整理された。第二にガイドラインの調査として、国内については、感染症予防法に基づく予防指針の小委員会における議論を整理し、指針の成立過程における主要な問題点を指摘した。海外のポジションペーパーについては、米加豪の医師会、外科医や精神科医などの医師会の資料を分析し、検査におけるインフォームド・コンセントの必要、守秘義務、検査結果による非差別など多くの原則は共有しながらも、強制的抗体検査が許される条件、緊急時以外の診療義務の範囲、感染している医療者の医療行為の範囲について見解の相違があることが明らかにされた。国際的ガイドラインについては、わが国でも広く知られる必要のある「パリ・エイズサミット宣言」、UNAIDS/UNHRCによる「エイズと人権国際ガイドライン」、そしてUNAIDSによる「HIV/AIDS法律と人権に関する立法者のためのハンドブック」を翻訳し、本研究におけるガイドライン作成の基礎にするとともに、拠点病院やNGOなどに広く配布することとした。
結論
現状予備調査によって、人権侵害が疑われる事例から倫理的に配慮すべき事例まで、感染者が直面している問題を広く収集し、類型化した。人権という観点からは、感染者のなかではとくに女性が、また日本人よりも第三世界からの外国人が、侵害を受けやすい立場におかれていることが明らかになった。人権に関しては日本でも欧米と同様の問題が見られるが、邦文及び英文文献のレヴューによって内外の先行研究を比較すると、日本においては各個別課題に関する議論を深化する必要が指摘された。日本の実情に即したガイドラインを作成するための準備としては、現状調査と個別課題の考察に加えて、国内の既存の法令と国外のガイドラインを改めて整理する作業が求められることが確認された。

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