包括的感染症情報システムの構築に関する研究

文献情報

文献番号
199900487A
報告書区分
総括
研究課題名
包括的感染症情報システムの構築に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
井上 榮(国立感染症研究所・感染症情報センター長)
研究分担者(所属機関)
  • 小池 麒一郎(日本医師会常任理事)
  • 鈴木 大輔(成田空港検疫所長)
  • 大友 弘士(東京慈恵医大熱帯医学教室教授)
  • 相楽 裕子(横浜市立市民病院感染症部長)
  • 高山 直秀(都立駒込病院小児科医長)
  • 鈴木 邦夫(東京都衛生研究所長)
  • 木村 幹男(東京大学医科学研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 新興・再興感染症研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
-
研究費
18,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本研究は新興・再興感染症が国内に発生した際の危機管理体制を整備するために、国内の機関が分担協力して、国内外の感染症情報の収集、解析、伝達および輸入感染症の早期診断治療が可能となるようなシステムを構築することを目的としている。そのために我が国に必要と思われる4つの項目についてサブグループを作り、わが国において対策の遅れている海外でのマラリアや他の輸入感染症に対して迅速診断(熱帯熱マラリア、三日熱マラリア、デング熱など)をの有用性に関する調査。海外ですでに専門家の間で使用されている感染症診断・治療・疫学を網羅したコンピュータソフトウエアGIDEONについて日本の事例をもとにその有用性について解析。海外での感染症の流行の情報収集や、輸入感染症、特に渡航者の下痢症の監視と集団発生を把握すること、さらに下痢症罹患の危険因子の解析や、分離された赤痢菌の薬剤耐性の調査。感染症新法の施行に伴う病原体サーベイランスのあり方について地研と感染研とのネットワークの検討。これらの研究により、いままでわが国に欠けていた輸入感染症への対応や国内の諸機関とのネットワーク構築や輸入感染症への迅速な対応が可能となる。
研究方法
平成12年度は4つのグループを組織した。
①渡航者の不明発熱に対する対処体制
②海外渡航者の下痢症のネットワーク
③海外感染症の情報の収集伝達
④感染症新法の施行時における病原体サーベイランス体制
①熱帯熱マラリアの迅速診断キットを数箇所の空港検疫所で希望者を対象に検査を継続した。また今年度はさらに熱帯熱マラリアだけでなく三日熱マラリアの抗原診断も可能な迅速診断キットについて、国内で診断されたマラリアの症例の検体を使用して、このキットの有用性(鋭敏度・特異度)について検討を行った。
昨年度は不明熱患者に対する診断のマニュアルの原案を作成したが、今年度はすでに海外での感染症について診断、治療および疫学についてパッケージになっているソフトウエアであるGIDEON(Global Infectious Disease EpidemiOlogy Network)について、国内における輸入感染症例を対象として有用性について検討を行った。
②は関西空港検疫所・成田空港検疫所、横浜市立市民病院、大阪市立総合医療センター、駒込病院、日本医師会などと電子ネットワークを構築し、渡航者の下痢症について、その病原体、発病日、推定罹患先などについて解析を行ってきたが、これを継続し、渡航者数当たりの渡航者下痢症の発生状況についての解析を行った。また、渡航者下痢症の危険因子について健常な海外渡航者をコントロールとした症例・対象研究を行った。さらに、海外渡航者から分離された赤痢菌について感染地による薬剤耐性の解析についても行った。
③国内において海外感染症の必要な情報がどの程度必要な人々に伝達されているかについて、海外で動物にかまれ、都立駒込病院を狂犬病ワクチンの暴露後接種のために受診した患者について、アンケート調査を行い、必要な情報をどのようにして入手しているかについての解析を行った。
また、A型肝炎ワクチンなど主に渡航者向けのワクチンを実施している医療機関についてのアンケート調査を実施し、実施している医療機関などのリストを作成するとともにワクチンの同時接種が可能かどうかについて調査した。
④感染症新法において、病原体の検査能力の充実がうたわれており、病原体サーベイランスについて、地研と感染研とのかかわりに関して検討を行った。具体的には感染症検査情報オンライン新旧システムの利用状況および病原体検査体制について、アンケート調査により分析を行った。
結果と考察
C.研究結果
①海外で感染し国内で診断されたマラリアについて、迅速診断法(ParasightFおよびICT Pf/Pv)について検討し、熱帯熱マラリアについての陽性率は100%であり、三日熱マラリアについては88%であった。従来のParasightFでは熱帯熱マラリアの診断しか出来なかったが、ICT Pf/Pvの使用により韓国などでも流行の伝えられている三日熱マラリアの診断が可能であることが判った。
GIDEONについては、その使い方により診断の不明な患者についての診断のみならず、その診断の鑑別診断やその相違点などについても表示される非常に優れたシステムであることが判った。渡航先の病原体の疫学データや病原体の性状などから細菌などについては病原体診断も可能となっており、様々な場面での使用が可能である。ただし、1つの症状が入っていたために、一番可能性のある病気が表示されないなど、複数の病気が合併している場合などについては、改良の余地があった。
②毎週、毎月の渡航者下痢症の実態について監視を行った。また、この渡航者下痢症ネットワークを用いて報告された1999年度分(1999年4月~2000年3月)735例について解析を行った。1999年度において報告アは20-30歳代に多いが、渡航者10万人当たりの罹患者数を比べると20-25歳男性が著明に多いことが判った。分離された病原体は多い順にVibrio spp. 298例、Shigella 226例、V.Cholera CT(-)80例、Aeromonas 72例, Non-typhoid Salmonella49例、V.choleraCT(+)5例であった。国別ではタイ248件、インド136件、インドネシア86件、ベトナム66件、フィリピン51件、マレーシア27件、ネパール19件、シンガポール17件、エジプト12件、香港11件であった。病原体を検討すると、インドやネパールといった国々では細菌性赤痢の割合が高く、タイ、フィリピンやベトナムでは腸炎ビブリオの割合が高かった。実数ではタイなどが感染者が多いものの渡航者10万人当たりの罹患率を比べてみるとインド214名、エジプト127名、カンボジア103名、バングラデシュ101名ベトナム 93名の順であった。月別の報告数は8月にピークがあり、年末年始休暇のある1月には報告数は少ない傾向にあり、また年度末休暇のある3月には多い傾向があった。病原体別の解析では、多くの病原体で7,8,9月に多いが細菌性赤痢については2,3月にも多くの報告が見られた。
関西空港検疫所で確認された赤痢、腸炎ビブリオ、コレラ患者160例を症例とした。アンケート調査で回収した下痢症を経験しなかった渡航者の回答170例から渡航先をマッチさせた渡航者を対照群として160例を選び出して症例―対象研究を行った。結果は、刺身や日本食の摂取については、必ずしも危険因子とはなっているわけではなく、逆に刺身や日本食を食べている人が非罹患者群で多かった。また、氷については統計学的な優位な差を持って罹患者群の摂取が多かった。他のサラダ・生野菜、カットフルーツ、アイスクリームや水については優位な差は見られなかった。ホスト側の要因についてみると、胃薬の内服、睡眠不足、風邪の罹患が優位な差となった。
さらに、これらの海外渡航者の下痢症の治療に関する問題点を探るため、検疫所で分離された赤痢菌193株について、E-testを用いて最小生育濃度MICを測定し、赤痢菌の薬剤耐性状況について解析したところ、全体の耐性割合では、①CP 24% ②TC 85% ③FOM 8% ④NFLX 0% ⑤ABPC 31% ⑥LVFX 0%であり、テトラサイクリン系やペニシリン系などには耐性の割合が高かったものの、ニューキノロン系抗菌薬については耐性株は無かった。感染国によっても薬剤耐性パターンの違いがあることが明らかになった。これらの結果は、先進国のみならず開発途上国での抗菌薬の過剰投与や誤投与の問題が深刻化してきていることを裏付けるものであった。
③調査対象者の平均年齢は30.6歳であった。咬傷被害を受けた国は,タイが9名,インドネシアが5名,インドが3名,カンボジアと中国が各2名,フィリピン,ベトナム,コスタリカが各1名であった。イヌに咬まれた被害者が16名で,サルに咬まれた者が8名であった。狂犬病の概要を以前から知っていた被害者は10名で,知らないまま出国した被害者が13名,出国直前に旅行案内書で知ったという被害者は1名のみであった。出国前に旅行先で狂犬病が発生していることを知っていた旅行者は7名で,16名は知らずに出発していた。出発直前に旅行案内書で知った人は1名であった。出発前に人体用狂犬病ワクチンがあることを半数の旅行者が知っていたが,半数は知らなかった。外国で動物に咬まれたとき,狂犬病が心配になった被害者は19名で,5名は心配しなかった。咬まれた動物別にみると,イヌに咬まれた16名中狂犬病を心配しなかったのは1名だけであったが,サルに咬まれた8名中半数の4名は狂犬病を心配しなかった。出発前に狂犬病に関する知識があったら,曝露前免疫を受けてから出発したかという仮定の質問に,受けたと思うと回答した人は9名と半数以下で,14名は受けなかったであろうと答えた。ほかにわからないが1名。曝露前免疫を受けなかったと思う理由として,出発までの時間がなかったという回答は1名のみで,残る13名は「イヌに咬まれなければ問題ないから」「動物に咬まれるとは予想もしていなかったから」「旅行先に狂犬病の発生はないと思っていたから」などと回答した。
ワクチン接種機関の調査については1963ヶ所の医療機関に往復はがきによるアンケート調査を行った。その結果1106件より回答がありリストを作成した。渡航目的に応じたワクチンの相談が可能と答えた施設は75%であり、また、時間が限られている場合などにワクチンの同時接種を行うと答えた機関は43%であった。
④今回の調査で新システムの医療機関については20数カ所の地研が利用している状況が明らかになった。新しいシステムでは病原体の検出報告様式は基本的に病原体個票の形式をとり、細菌、ウイルス、リケッチア、クラミジアの検出すべてに対応している。入力項目では検出方法の具体的表記や疫学情報の充実が目立つ。また、全数報告検体の臨床データを導くために管理コードを記入する欄が設けられた。集団発生病原体票は、これまでのウイルス性食中毒集団発生報告と細菌性の病原体集団発生票を統合し、1事件毎のわかりやすい事例報告票となった。病原体検出状況報告票は、検出した病原菌名のみを一覧から選択して記載するようになった。また、菌種・血清型の入力には、詳しく具体的な選択肢が用意され、細かなデータの収集ができるようになった。還元データの取得は、データの種類を問わず3~6ヶ月前までのデータを一括して取得できるようになった。また、還元データの集計条件の設定がより細かくなり、検出方法、分離材料、発生状況やワクチン歴までも条件に盛り込むことも出来るようになったなどの優れた点がある。しかし、WWW-WISHの立ち上げによって、従来、その他の情報の取得として行うことが出来たWISHメール等へのアクセスができなくなってしまったこと。WISH-NETが閉じたネットワーク内で運用されている事実からか、WWW-WISHであってもインターネット経由での接続ができないのは不便である。データ入力操作時に連続したデータの入力ができず、入力一覧メニューまで毎回戻されてしまう。等の問題点もある。
D.考察
①マラリアについての新しい迅速診断キットは熱帯熱マラリアだけでなく三日熱マラリアの診断も可能であり、今回検討したのは少ない症例であり、三日熱マラリアの診断の陽性率は100%ではなかったが、迅速に診断が行えることがあり、陰性であっても完全には除外診断とはならないものの、陽性者については速やかな対応がとれるため、空港検疫所など渡航者の検査時間が限られており、すぐに診断結果が必要な場合などには非常に役立つことが示唆された。
GIDEONについては特定の情報のみに頼るのでなく、数多くある情報を生かして総合的に診断を考える立場からは、他のメディアと比べても十分価値があるであろう。このプログラムでは診断候補として挙げられた疾患の中で任意の複数の組み合わせを作り、それらの間での鑑別に役立つ事項の比較を示すことが容易である。これは成書での検討では容易でないことであり、本プログラムの特徴でもある。しかしながら診断に関して偶然合併した他の症状や検査所見があり、それを入力した場合に正しく疾病候補が表示されないことがあり、GIDEONのみに絶対的な信頼を置く使い方は非常に危険である。
②日本に帰国する旅行者がよく罹患する病原体としては腸炎ビブリオや細菌性赤痢が多いことが判った。また、渡航先としてはタイ、インド、インドネシアおよびベトナムなどのアジアの国々に多かったが、これらの国は渡航者数も多いために、渡航者10万人当たりの罹患者数ではインド、ネパールやベトナムが多かった。さらに、インド、ネパールなどでは細菌性赤痢の割合が高く、ベトナムやタイでは腸炎ビブリオなどの割合が高かった。年齢・性別では、絶対数は20-24歳の女性が多かったが、渡航者10万人当たりの割合では20-24歳の男性の罹患率が高いことがわかった。今後、これら罹患率の高い渡航者(20-25歳くらいの男性でインドやネパールへの旅行者に対しては、海外で罹患しやすい感染症について知識の普及をはかると共に、この研究で明らかになった危険因子などを考慮した教育が必要である。今回の研究で海外渡航者における渡航者下痢症(細菌性赤痢、腸炎ビブリオ、コレラ)についての罹患の危険因子について、現地での氷の摂取が食行動としては有意な差が見られた。また、ホスト側の因子として胃腸薬の内服、睡眠不足や風邪の罹患といったものが危険因子として明らかになった。胃腸薬についてはH2ブロッカーやプロトンポンプ・インヒビターなどの制酸剤は胃酸での1次防御機能を押さえてしまうために病原体が活性をたもったまま小腸や大腸での感染を容易にしてしまうおそれがあり、コレラなどでは制酸剤により危険性が高まることが報告されていたが、この研究でもそれが裏付けられた。日本食や刺身を食べるといった日本人に多い食行動については危険因子とはならなかった。
今回成田空港検疫所ならびに関西空港検疫所で分離された赤痢菌についての薬剤耐性状況を明らかにした。全体の耐性割合では①CP 24%②TC 85%③FOM 8%④NFLX2%、⑤ABPC31% ⑥LVFX0%であり、TCの多くがすでに耐性菌となっており、ABPCについても1/3が耐性菌であった。CPはタイを除く多くの国で耐性であり特にインドネシア、ネパールで耐性の割合が高かった。また、FOMはインド、インドネシア、タイで1-2割程度の耐性菌が確認された。また、NFLXについてはベトナムの83%、インドネシアでその半数近くで耐性が出現しており、先進国のみならず開発途上国での抗菌薬の過剰投与overuseや 誤投与misuseの問題が深刻化してきていることを裏付けるものとなった。現在のところLVFXについての耐性菌は今回確認できなかった。
③狂犬病ワクチンの暴露後接種をするために東京都立駒込病院を受診した者に対するアンケート調査の結果から日本人が海外でさらされる感染症の危険に対して非常に認識が甘いことが示された。現在日本で海外旅行者に広く読まれている旅行案内書には現地で感染の危険がある病気に関する記載もあり,狂犬病に関しても一般向けには十分と思われる程度の記載は見られた。しかし,出国前に旅行案内書で狂犬病に関する知識を得ていた被害者は1名のみであった。このことは海外旅行者に海外感染症情報を与える方法に工夫を要することを示している。また,狂犬病曝露後発病予防のため狂犬病ワクチン接種を数回済ませた咬傷被害者に,出発前に狂犬病に関する知識があれば,曝露前免疫を受けたかという仮定の質問をしたが,過半数が受けなかったであろうと回答し,理由として「咬まれなければよいから」をあげた者が多かった。このことは感染症の危険に関して,感染源や症状などの情報を与えただけでは事態を改善できないことできないことを示唆している。
④国、地方自治体の関係部署、医療機関、国立感染研、地研等、感染症情報システムに関与する関係者の協力、情報交換、意見の集約等を通じて更にいっそう有用なシステムとして機能させていく努力が今後とも必要である。
結論
包括的な感染症情報システムを構築するために、この研究班が発足した。研究期間中にこの班で検討されたことについて検疫所や地研における検査体制の強化や電子メールやインターネットなどを使用した情報収集ネットワークなどがすでに具体化し、活動が開始され、成果をあげている。しかしながら、的確な情報をもっとも危険性の高い人々への伝達、さらには行動の変化へと結びつくような情報の活用にはついては、更なる研究が必要であり、今度、病原体の検査体制のみならず、幅広い分野での国内体制の一層の充実が望まれる。

公開日・更新日

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