文献情報
文献番号
199900390A
報告書区分
総括
研究課題名
うつ病の発症機序と治癒機転の分子生物学的研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
樋口 輝彦(国立精神・神経センター国府台病院)
研究分担者(所属機関)
- 上島国利(昭和大学医学部精神医学教室)
- 小口勝司(昭和大学医学部第一薬理学教室)
- 木内祐二(昭和大学薬学部病態生理学教室)
- 山脇成人(広島大学医学部神経精神医学教室)
- 森信繁(広島大学医学部神経精神医学教室)
- 小澤寛樹(札幌医科大学医学部神経精神医学教室)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
23,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-
研究報告書(概要版)
研究目的
うつ病は有病率が4%にものぼるといわれ、その発症機序と治癒機転の研究は緊急かつ必要性の高い課題である。うつ病態と抗うつ作用の解明は動物を用いた抗うつ薬や電撃ショックの作用機転の検討に基づいて行われてきたが、現在でもその神経化学的基盤は明らかでなく、また国内では患者脳から得られた情報も少ない。抗うつ薬は連投で始めて効果が得られるため、その抗うつ作用には何らかの機能蛋白の発現を介した可塑的変化の関与が指摘されている。また、抗うつ薬はモノアミントランスポーターに加え、モノアミン受容体以降の細胞内情報伝達系や細胞内Ca2+動態に作用する可能性も指摘され、その作用機序解明には情報伝達系に関与する蛋白やその発現調節系を対象とした分子レベルの研究が望まれる。一方、抗うつ薬の標的分子として既知蛋白質のみの変化を想定して研究を進めることの危険性も指摘され、抗うつ薬投与後の未知遺伝子の発現量の変化もスクリーニングできるDifferential Display法(RNA-fingerprinting法)を用いた検討も望まれる。うつ病の発症機序とその治癒機転に関わる分子メカニズムを明らかにするためには上記のような総合的なアプローチが求められており、本研究では報告の少ない患者脳も用いて検討を行った。
研究方法
(1)ラットにイミプラミンあるいはサートラリンを21日間腹腔内投与後、脳内各部位を摘出した。得られたcDNAを任意の配列のプライマーでPCRを行い、電気泳動後、RNA fingerprintingを検出した。薬物処置群で特異的に増加しているPCR産物の塩基配列を決定し、既知の遺伝子の塩基配列との相同性検索を行った。これらのcDNA 200種を用いて独自のcDNA microarrayを開発し、改めてラット脳cDNAとハイブリダイズし発現の増減を確認した。未知遺伝子はRACE法で全塩基配列を決定した。(2)SSRIであるパロキセチンの急性または14日間連続投与後、あるいは急性拘束ストレス後のラット脳内CREBとリン酸化CREB (p-CREB)発現の変動を検討した。カルシニューリン (CaN ) 活性 とCaN A mRNA発現 (in situ hybridization法)に及ぼす効果も合わせて検討した。(3)培養ヒトグリア細胞を用いモノアミントランスポ-ターmRNAの発現の検出と塩基配列解析を行った。また、培養グリア細胞にEGF, bFGFを添加後、セロトニン取り込み能とトランスポ-ター遺伝子発現量の変化を検討した。またラット脳虚血モデルを用い梗塞周辺部のトランスポーターとbFGFのmRNA発現の経時変化と抗うつ薬前処理の影響を検討した。(4)ラットにデキサメサゾン (Dex)を14日間処置後、5-HT2A受容体作動薬DOI誘発性のwet dog shake(WDS)を観察した。約24時間後に大脳皮質の 5-HT2A受容体結合能 ( [3H]ケタンセリン結合) およびホスホリパーゼC (PLC) 、Gq蛋白、IP3受容体の蛋白発現量を測定した。海馬スライスのKCl刺激性の[Ca2+]i変化も観察した。(5)昨年までに報告したうつ病患者死後脳と比較するためにアルツハイマー病および精神分裂病死後脳のアデニル酸シクラーゼ (AC) 活性、セロトニン刺激性PLC活性、I 型AC、PLCb、総CREB、p-CREB蛋白量を検討した。
結果と考察
1)RNA-fingerprinting法により抗うつ薬の連投後に増加するクローンを合計200確認した (Antidepressant related gene: ADRG 1 - 200)。cDNA microarrayを用いても多岐にわたる遺伝子群の発現変化を確認した。それらは機能別には 1) 受容体及び細胞内情報伝達系 2)
タンパク質折り畳みと輸送 3) 細胞障害・酸化還元系クローン 4) 神経特異的に発現するクローン 5) その他、に分類された。ADRG-30は神経終末のカルシウムチャネルの抑制に不可欠なcysteine string protein mRNAと、ADRG- 34はマウスkf-1と高いホモロジーを示した。現在うつ病患者死後脳で蛋白発現を検討中である。(2)ラット大脳皮質前頭部・海馬でのp-CREB発現量はパロキセチン急性投与および急性拘束ストレス負荷後に亢進したが、連続投与後は変動しなかった。急性拘束ストレス負荷後、CaN A mRNA発現はCA1錐体細胞層でのみ減少し、抗うつ薬急性投与およびストレス負荷後、CaN活性は亢進した。(3)正常ヒトアストロサイト (NHA)及び各種ヒトグリオーマ由来培養細胞でセロトニントランスポーター (5-HTT) の発現が示された。bFGF添加でNHAの5-HTT発現とセロトニン取り込みが増加した。ラットの脳虚血周辺部でbFGFと5-HTT発現が増加し、SSRIのサートラリン前処理で虚血後の脳梗塞巣の増大が認められた。(4)Dex反復処置ラットでDOI誘発性WDS、5-HT-2A受容体数およびKCl刺激性[Ca2+]i変化が有意に亢進していた。PLC、Gq蛋白、IP3受容体は変化しなかった。電撃やニモジピン慢性処置でDexによるWDS亢進が、リチウム慢性処置でWDSおよび[Ca2+]i変化が改善した。(5)アルツハイマー病死後脳ではI型AC量低下に伴うCa2+刺激性ACの減弱とp-CREBの低下が、精神分裂病ではI型AC量増加伴うCa2+刺激性ACの亢進が認められた。単極性うつ病と精神分裂病群双方に共通して5HTに関連したIPsシグナルカスケードの亢進が生じていた。
以上の結果から、抗うつ薬連投後にラット前頭皮質及び視床下部で多種の遺伝子 (HSC49、frizzled- 3-protein、thioredoxin 2、cysteine string protein、kf-1など)の発現が増加している可能性が示された。抗うつ薬の作用機序には何らかの機能蛋白の発現を含む脳内の可塑的変化がその基盤となっている可能性も高く、今回示した遺伝子産物はその推測される機能から考えても興味深い。一方、既知の細胞内情報伝達系に関しては、前年までの結果と合わせて総括するとストレス負荷、抗うつ薬投与のいずれでもcAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)などの蛋白リン酸化酵素活性やリン酸化CREBの増加、細胞内Ca2+動態の変化が生じる可能性が示唆された。対照的に、うつ病患者の死後脳ではcAMP産生系、IPs産生系の不均衡が生じるとともにリン酸化CREB蛋白量は低下していた。これらの変化は、アルツハイマー病や精神分裂病と一部は共通しているがうつ病に特徴的であった。
これらの結果から以下のような仮説が考えられる。強いストレスは通常、視床下部・辺縁系・前頭葉皮質などの情動調節系でモノアミン神経系を刺激し、AC活性、PKA活性の促進などによりCREBなどの転写促進因子のリン酸化を増加させる。その結果、ストレス応答性の何らかの機能性蛋白の発現が徐々に増加し、ストレスに対しての馴化、適応を獲得し、ストレスが繰り返されても初期の反応が抑制される。うつ病患者ではcAMP産生系とIPs産生系の不均衡が生じ、リン酸化CREBが低下しているなどから、こうした適応現象が破綻しており、結果としてストレスへの馴化が得られない。抗うつ薬はPKA活性化やCREBなどの転写因子のリン酸化の促進によりこの過程を促進して機能性蛋白の発現を増加させる。今後はこの仮説の検証とともに疾患関連性の高いADRG産物の特定を行いたい。
タンパク質折り畳みと輸送 3) 細胞障害・酸化還元系クローン 4) 神経特異的に発現するクローン 5) その他、に分類された。ADRG-30は神経終末のカルシウムチャネルの抑制に不可欠なcysteine string protein mRNAと、ADRG- 34はマウスkf-1と高いホモロジーを示した。現在うつ病患者死後脳で蛋白発現を検討中である。(2)ラット大脳皮質前頭部・海馬でのp-CREB発現量はパロキセチン急性投与および急性拘束ストレス負荷後に亢進したが、連続投与後は変動しなかった。急性拘束ストレス負荷後、CaN A mRNA発現はCA1錐体細胞層でのみ減少し、抗うつ薬急性投与およびストレス負荷後、CaN活性は亢進した。(3)正常ヒトアストロサイト (NHA)及び各種ヒトグリオーマ由来培養細胞でセロトニントランスポーター (5-HTT) の発現が示された。bFGF添加でNHAの5-HTT発現とセロトニン取り込みが増加した。ラットの脳虚血周辺部でbFGFと5-HTT発現が増加し、SSRIのサートラリン前処理で虚血後の脳梗塞巣の増大が認められた。(4)Dex反復処置ラットでDOI誘発性WDS、5-HT-2A受容体数およびKCl刺激性[Ca2+]i変化が有意に亢進していた。PLC、Gq蛋白、IP3受容体は変化しなかった。電撃やニモジピン慢性処置でDexによるWDS亢進が、リチウム慢性処置でWDSおよび[Ca2+]i変化が改善した。(5)アルツハイマー病死後脳ではI型AC量低下に伴うCa2+刺激性ACの減弱とp-CREBの低下が、精神分裂病ではI型AC量増加伴うCa2+刺激性ACの亢進が認められた。単極性うつ病と精神分裂病群双方に共通して5HTに関連したIPsシグナルカスケードの亢進が生じていた。
以上の結果から、抗うつ薬連投後にラット前頭皮質及び視床下部で多種の遺伝子 (HSC49、frizzled- 3-protein、thioredoxin 2、cysteine string protein、kf-1など)の発現が増加している可能性が示された。抗うつ薬の作用機序には何らかの機能蛋白の発現を含む脳内の可塑的変化がその基盤となっている可能性も高く、今回示した遺伝子産物はその推測される機能から考えても興味深い。一方、既知の細胞内情報伝達系に関しては、前年までの結果と合わせて総括するとストレス負荷、抗うつ薬投与のいずれでもcAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)などの蛋白リン酸化酵素活性やリン酸化CREBの増加、細胞内Ca2+動態の変化が生じる可能性が示唆された。対照的に、うつ病患者の死後脳ではcAMP産生系、IPs産生系の不均衡が生じるとともにリン酸化CREB蛋白量は低下していた。これらの変化は、アルツハイマー病や精神分裂病と一部は共通しているがうつ病に特徴的であった。
これらの結果から以下のような仮説が考えられる。強いストレスは通常、視床下部・辺縁系・前頭葉皮質などの情動調節系でモノアミン神経系を刺激し、AC活性、PKA活性の促進などによりCREBなどの転写促進因子のリン酸化を増加させる。その結果、ストレス応答性の何らかの機能性蛋白の発現が徐々に増加し、ストレスに対しての馴化、適応を獲得し、ストレスが繰り返されても初期の反応が抑制される。うつ病患者ではcAMP産生系とIPs産生系の不均衡が生じ、リン酸化CREBが低下しているなどから、こうした適応現象が破綻しており、結果としてストレスへの馴化が得られない。抗うつ薬はPKA活性化やCREBなどの転写因子のリン酸化の促進によりこの過程を促進して機能性蛋白の発現を増加させる。今後はこの仮説の検証とともに疾患関連性の高いADRG産物の特定を行いたい。
結論
(1)RNA-fingerprinting法及びcDNA microarrayにより、抗うつ薬連投後にラット前頭葉皮質、視床下部で発現が増加する多種の遺伝子を見出した。(2)ラット脳内のp-CREB発現およびCaN活性は急性拘束ストレス負荷後とパロキセチン急性投与後には増加したが、連投後は変動はみられなかった。(3)培養グリア細胞の5-HTT 発現量と機能はbFGF添加で増加した。ラット脳虚血周辺部でbFGFと5-HTT発現が増加し、サートラリン前処理時には脳梗塞巣が増大した。(4)デキサメサゾン反復処置ラットでDOI誘発性WDS、5-HT-2A受容体数およびKCl刺激性[Ca2+]i変化が有意に亢進し、電撃、ニモジピン・リチウム慢性処置では一部が改善した。(5)アルツハイマー病死後脳ではCa2+刺激性AC活性とp-CREBの低下が、精神分裂病ではCa2+刺激性ACの亢進が認められた。単極性うつ病と精神分裂病に共通してセロトニン関連のIPsシグナルカスケードの亢進が生じていた。以上より、うつ病の発症機序と抗うつ薬の奏効機転にはCREBなどの転写因子のリン酸化も含む細胞内情報伝達系の変動と未知遺伝子産物も含む多種の機能性蛋白の発現変化が関与している可能性が示された。
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