児童の養育責任の系譜に関する研究―少子化問題の根本原因を探る―

文献情報

文献番号
199900326A
報告書区分
総括
研究課題名
児童の養育責任の系譜に関する研究―少子化問題の根本原因を探る―
研究課題名(英字)
-
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
田澤 薫(国際医療福祉大学)
研究分担者(所属機関)
  • 内藤知美(鎌倉女子大学)
  • 松原洋子(お茶の水女子大学)
  • 渋谷真樹(お茶の水女子大学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 子ども家庭総合研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
-
研究費
2,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
深刻な少子化問題への対応として「エンゼルプラン」が提起されるなど、今日のわが国では子育て支援が政策として推進されている。この際、現代社会にあっては児童の養育が容易ではないということ、すなわち親が児童の養育責任を果たしにくいことの意味について、厳密な吟味はいまだなされていない。これまでに多くの社会調査や分析をもとに興味深い知見の蓄積を得、それに基づいた対策を講じながら少子化問題の解決につながらない今日、求められているのは、親が単独で果たすことが困難な養育責任とは、そもそもどのような概念なのかといった問題の根底に立ち返った検討であろう。そこでこの研究では、少子化現象の原因を論ずる手がかりを得るために、今日の養育責任に関する一般認識が形成されるにいたった系譜を明らかにすることを目的とする。
研究方法
主任研究者と分担研究者が以下にあげる個々の課題に沿って研究に取り組んだ。またヒアリング研究会を開催し民法、女性学、思想史、生命倫理学の各研究者の養育の問題に関連する学問成果に学び、加えて互いの研究成果を相互の議論に付す場を持ち考察を深めた。<田澤薫>明治近代以来の法制度・社会制度にみる児童の養育責任論とその具体化に関する分析;明治以降の近代法制度の整備は、家族の概念を明確にし、児童が保護の客体であることを確認し、児童に対する親と国家の各々の責任を私と公の領域に二分する作業を含んでいた。その結果、近世から継受していた諸々の擬似親子関係は法制度の外に置かれるようになっていく。このように従来は多様な制度以前の役割によっても担われていた児童の養育が親と国家など私と公の責任に整理されるなかで、どのような議論がなされ、どのような法制度として結実したのかを明らかにする。<内藤知美>近代日本における欧米の育児・保育論の受容と展開-養育責任に着目して-;明治近代以降の育児・保育論が欧米思想の影響下にあることは指摘されつつも、その内実は依然明らかではない。そこで、我が国の育児・保育論を異文化交流の産物としてとらえ、その媒介者として来日婦人宣教師の役割に着目し、日本の保育施設における実践的活動を含めて、育児・保育思想の受容と展開の問題を実証的に検討する。特に、欧米の育児・保育論に内在する母親の養育責任が、家庭・保育施設において言説として如何に析出するのか。また、理念・実践として定着していくのかを問う。<松原洋子>20世紀前半の出生率低下原因論と優生論の関係の分析;典型的な優生学の主張をみると、文明化が必然的に子どもをつくる意欲、次世代を育成しようとする意欲を衰退させるという前提に立っている。優生学という生殖をめぐるイデオロギーは、子産み子育てに向かう意欲を人為的に構築していかなくては人類が衰退するという危機感に発していた。この問題意識は現代に共通する。ただし優生学は生殖の私物化を戒め、次世代育成力の根拠を民族主義やナショナリズムに求めた。今日、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを尊重しつつ少子化傾向に歯止めをかけ、次世代育成力を確保するには、優生学を超えるパラダイムを獲得する必要がある。ここでは、優生学的言説の分析を通じて、新たなパラダイム構築を探る。<渋谷真樹>高度成長期における在外日本人家庭の養育責任論の分析。今日において児童の養育が困難な一因としては、日本の企業の海外進出等に伴う国境を越えた勤務の増加があげられる。こうした親に同伴して海外で生活する日本人子弟、いわゆる海外子女は1960年代以降に急増し、保護者・企業・行政がそれぞれの立場からその対応に取り組んできた。
ここでは、海外子女教育振興財団の月刊誌により、行政責任の及びにくい海外における養育責任についてなされてきた議論を整理し、養育責任をめぐる公私の関係を解明する。
結果と考察
それぞれの研究課題の結果は以下の通りである。<田澤薫>明治以来、法制度・社会制度の領域で家族の制度や未成年子の扶養と教育は繰返し問われてきたが、養育責任の視点からの議論はなされてこなかった。しなしながら、大づかみに捉えていえば、近代家族法が共同体から切り取って「家」を確立させ、第2次大戦後の現代家族法が核家族を法律上の単位として打ち出し、それらの法制度に導かれた家族形態と家族成員の人間関係の変動が結果的に養育責任を実父母に集中させた様子がうかがわれた。<内藤知美>日本の近代的保育の発展に寄与した婦人宣教師の実践は、キリスト教の宗教的基盤に支えられた家庭(ホーム)の普及を目的とし、母親役割を強調するものであった。例えば、労働者の託児・保育所(横浜お茶場学校)では、家族を支え男性と対等に働く母親達への援助を目的としつつも、求められたのは、家庭(ホーム)的技術を身につけ子どもの保護・監督に熱心な姿であった。婦人宣教師の実践は、女性自らが「母を生きることを主体化」する方向へを導くと同時に、画一的で理想的な母親像へと収斂させる側面を持っていた。<松原洋子>20世紀前半期、日本の知識人たちは、出生率低下が文明化による必然的帰結であり放置すれば民族の衰退を来すという認識に基づき、その対応について活発に議論した。この研究では、生物学的出生率低下原因論・優生論(逆淘汰防止論)・女性の出産力促進論の密接な相互間系を分析し、優生論が女性に対する養育責任論に多大な影響を与えたことを明らかにした。<渋谷真樹>海外子女教育振興財団の機関誌『海外子女教育』に掲載された各界著名人による海外子女教育に関する提言や理念をもとにした分析から、日本人海外勤務者の子弟に対する家庭、企業、教育現場、社会、政府の養育責任の議論のされ方、およびその変遷が明らかになった。以上のような各研究課題の結果から、総括的に導かれたのは以下の考察である。近代法が「家」を規定づけ児童の養育を共同体の中から切り離した。「家」内部の親子は、外来の家庭(ホーム)論により家庭内の母親による保育・教育の有為さを意識の中に取り込んだ。少数の成員の相互愛を基調とする家庭(ホーム)のあり方は、優生論とも共鳴するものであった。実父母が養育を全うしがたい状況におかれた際に国家が児童の養育責任を如何に捉え実父母を支援するかの方法論としては、海外子女の事例も示唆的であった。
結論
以上の考察から、わが国においては近代国家成立以降の100年で養育責任が法制度的にも実際上も実父母に集中したことが明らかになった。こうした今日のわが国の現状は、かつて人類が経験してきた養育のあり方と比してかなりの無理があると考えられる。少子化はその当然の帰結といえよう。したがって、子育て支援政策においては、養育責任を分散させる工夫が即時的には有効性を高めると推察される。しかしながら、養育責任が実父母に収斂していく過程は、一方で、当初非力であった若い父母が、共同体あるいは「家」において名実ともに生殖の自律(reproductive autonomy)性と養育方法の自己決定権を獲得してきたという経過と表裏一体の関係にある。そのため、今後において、少子化の打開策としての有為性をもった養育責任分散の方向性を定めるためには、近代化過程で実父母が獲得した権利の内実の歴史学的検討を一層進める必要があろう。

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