高齢者の慢性痛と痛覚伝導路の可塑性に関する研究(総括研究報告書)

文献情報

文献番号
199900144A
報告書区分
総括
研究課題名
高齢者の慢性痛と痛覚伝導路の可塑性に関する研究(総括研究報告書)
課題番号
-
研究年度
平成11(1999)年度
研究代表者(所属機関)
神田 健郎(東京都老人総合研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 野口光一(兵庫医科大学)
  • 岩田幸一(大阪大学)
  • 鈴木敦子(東京都老人総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成11(1999)年度
研究終了予定年度
平成13(2001)年度
研究費
14,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
高齢者の慢性痛の特性をニューロンおよびニューロン回路の活動から究明すると共に、その自律機能・運動機能への影響についても明らかにすることによって、高齢者の痛みに対する治療に資することを目的としている。痛みは精神的にも肉体的にも人を疲弊させる。痛みを適当にコントロールすることが出来れば、生活の質を高め、病気からの回復を早める上でも極めて有用である。
高齢者では関節痛・ヘルペス後神経痛など慢性的な痛みを訴える者が多いが、これまでの研究は、精神物理学的方法を用いた急性痛についてのものが殆どである。痛覚に対する感受性は高齢者でも殆ど変わらないかやや低下しているとする報告が多く、その為か、痛覚伝導路の加齢に伴う変化についての研究はこれまで殆どなされてこなかった。我々は脊髄侵害受容ニューロンの活動が高齢ラットで亢進していることを見いだし、痛覚伝導路も個体の老化に伴って変化していることを示した。本年度は、先ずこの予備実験段階で示された脊髄後角の侵害受容ニューロンの活動特性の変化を確認すると共にその原因の解明を電気生理学的(1)および組織学的(2)アプローチで試みる。また、侵害受容ニューロンの過活動から予想される痛覚伝導路の可塑性変化が高齢ラットでは起こり易くなっている可能性について検討する(3)。更に、侵害刺激の自律機能への影響の加齢変化を検討するため、体性‐心臓交感神経反射の機構を成熟ラットで調べる(4)。
研究方法
実験にはフィッシャー系またはウィスター系の雄ラットを用い、成熟群・老齢群から得られたデータを比較検討した。(1)脊髄後角侵害受容ニューロンの電気生理学的研究では、ペントバルビタール麻酔下に後角表層から単一ニューロン活動を細胞外記録し,皮膚に加えられた機械および温度刺激に対する発射応答特性を調べた。更に、上位中枢の影響を調べるため、リドカインによる下行路のブロックを行った。(2)脊髄後角侵害受容ニューロンの活動の老化に伴う変化の原因を組織学的に検索するためには、ラットを4%パラフォルム溶液にて潅流固定し、腰部脊髄を取り出した。30μmの前額断切片を作成し、5-HTおよびDBHの免疫組織染色をした。脊髄後角の表層(I-II層)および深層(III-IV層)に於ける免疫陽性線維の占める面積を NIH image を用いて計測した。また、膝関節内または足底皮下にCFAを注射し、炎症モデルを作成した。24 時間後に潅流固定し、腰髄後角におけるc-fos発現を観察した。(3)侵害刺激の反復による反射増強に関する実験では、成熟群と高齢群でハロセン麻酔下に実験を行った。腓腹神経を電気刺激し、誘発された屈曲反射による大腿屈筋の筋活動をワイヤー電極で導出・記録した。反復刺激による反射増強の有無・程度を5連発刺激における刺激間隔を種々に変化させて調べた。(4)侵害刺激の自律機能への影響については、ウレタンで麻酔、人工呼吸下に実験を行った。後肢脛骨神経および第3-4肋間神経を電気刺激し、心臓交感神経で反射活動を導出した。脊髄切断の影響についても調べた。
結果と考察
(1)104 個の侵害受容ニューロン活動を記録した。熱刺激に対する応答性は老齢群の方が若齢群よりも有意に高かった。自発発射頻度も老齢ラットの方が有意に高かった。脊髄ブロックにより、若齢群では熱および機械刺激に対する応答および自発発射が有意に増加したのに対し、老齢群ではブッロクの影響はほとんど認められなかった。(2)脊髄後角に於ける5-HTおよびDBH陽性線維の分布密度は老齢群の方が若齢群よりも有意に低下していた。また、老齢ラットでは異常神経終末像が観察された。末梢炎症モデルで脊髄後角表層ニュ-ロンにおけるc-fos発現数が、老齢ラットにおいて若齢ラットに比較して増加していた。(3)成熟ラットに比較して老齢ラットではより低い頻度のC線維反復刺激で反射の増強( Wind-up 現象)が見られた。一方、 Wind-up 強度には老若間で差を認めなかった。(4)脛骨神経および第3-4肋間神経をAδ線維の閾上の強度で刺激刺激すると、心拍数は増加し、心臓交感神経にも反射性の電位が出現した。脊髄性と脳幹を介する上脊髄性の2つの成分から成り、上脊髄性成分はモルヒネの静脈内投与によって増強し、ナロキソンで拮抗された。一方、脊髄性成分はモルヒネにより有意に抑制された。
ヒトに於ける痛覚ついての従来の研究では、高齢者でも痛覚閾値には殆ど変化が無いか、やや低下する程度で、大きな変化は無いとされてきた。また、SPおよびCGRP含有神経線維の脊髄内分布は老齢動物に於いてやや減少すると報告されている。本研究に於ける結果はこれら従来の報告から予測されるものと異なり、高齢ラットの脊髄後角侵害受容ニューロンの活動は自発発射も末梢の侵害刺激に対する反応性も共に亢進していた。この脊髄内侵害情報伝達系の亢進は、慢性炎症モデルに於ける最初期遺伝子発現に於いても観察された。脊髄侵害受容ニューロンの活動亢進は、これまでの研究から末梢由来とは考え難く、本研究で下行性抑制系として知られるセロトニンおよびノルアドレナリン陽性線維の脊髄後角内分布が老齢ラットに於いて成熟ラットに比べて有意に減少していることが明らかになったことから、下行性抑制系の機能不全が主要な原因になっている可能性が高い。高齢ラットに於ける下行性抑制系の機能不全は、下行路の働きを麻酔薬でブロックした時の侵害受容ニューロンの活動への影響からも支持された。
C線維の反復刺激で見られる脊髄後角のニューロン活動や屈曲反射の増強現象は wind-up として知られており、慢性的な痛みの発症に関係しているとされる痛覚伝導路の可塑性変化を起こす機序と共通のものを含んでいると考えられている。高齢ラットではより低い頻度の刺激で wind-up が引き起こされることが明らかになり、高齢者では痛覚伝導路の可塑性変化が起こり易くなっていることが示唆される。下行性抑制系の機能不全、脊髄後角侵害受容ニューロンの活動亢進や NMDA 受容体等の変化がどの様に関与しているか、今後検討していく必要がある。
末梢の Aδ および C 線維刺激による心拍数の増加反応には交感神経の反射性活動亢進が関与している事を示した。上脊髄性反応に対するモルヒネの作用は延髄の孤束核や吻側腹外側部に働いて、体性-心臓交感神経反射の抑制性経路の脱抑制と考えられる。後肢からの感覚入力によって内因性オピオイドが分泌され、心臓交感神経活動が反射性に増強されて、循環機能の維持に役立っている可能性も考えられる。
結論
個体の老化に伴って脊髄の痛覚伝導路にも大きな変化が起こってくる。特に、下行性抑制系の機能低下により脊髄後角侵害受容ニューロンの活動が高まっていることが注目される。更に、高齢者で慢性痛が増える背景に、高齢者の脊髄では痛覚伝導路に於ける可塑性変化が起こり易い状態になっている可能性がある。

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