文献情報
文献番号
199800450A
報告書区分
総括
研究課題名
ミオグロビンの部位特異的変異による酸素結合機能の改変に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
宇野 公之(熊本大学薬学部)
研究分担者(所属機関)
- 根矢三郎(京都薬科大学)
- 後藤正文(熊本大学薬学部)
- 谷口功(熊本大学工学部)
- 長野哲雄(東京大学大学院薬学系研究科)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 高度先端医療研究事業(人工血液開発研究分野)
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
-
研究費
20,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-
研究報告書(概要版)
研究目的
輸血用血液製剤によるウイルス感染が大きな社会問題となっている現在、代用血の開発は厚生行政上急務の課題である。輸血用血液製剤は、医療の現場で欠かすことができないという高い有用性を持つ一方で、緊急時の供給量確保に関して大きな問題を内在しており、人工血液の研究開発はこれらの問題を解決しうるものとして大きな期待が寄せられているところである。ヘモグロビンは赤血球中に大量に含まれ、酸素運搬機能を担っている。好気的生物であるヒトにとって酸素の欠乏は直接死に至るため、特に救急医療の現場において、すみやか、かつ安全に酸素の供給を行うことは重要な意味を持つ。ヘモグロビンの活性中心にはヘムと呼ばれる鉄ポルフィリン錯体が含まれ、ヘムに酸素分子が可逆的に脱着することによって赤血球の酸素運搬機能が発現される。これまで、鉄ポルフィリン錯体(ヘム)を有機化学的に合成し、代用血として利用する方策が盛んに検討されてきた。しかし、このような人工的化合物は生体中には本来存在しないため、免疫反応による副作用が現れることがわかってきた。また、低分子量であるが故に腎臓を通してすみやかに体外へ排泄されるため、薬効を長時間持続させることができないという欠点を持っている。一方、遺伝子工学の手法を用いて大腸菌中でヒトのヘモグロビンを発現させ代用血として用いることが提案されている。しかし、ヘモグロビン自身は複雑なサブユニット構造を持つため大量調製が困難であり、医療現場で必要とされる需要に充分応えることができないという欠点を持つ。そこで本研究では、ヘモグロビンと相同なアミノ酸配列を持ち、大量調製が可能なミオグロビンに部位特異的変異をほどこし、代用血とするべく検討した。このミオグロビン変異体について、ヘムの結合安定性、酸化性、酸素結合性、酸化還元電位、タンパク質構造等の評価を行い、ヘモグロビンと同等な特性を示すミオグロビン変異体の大量調製法を検討した。
研究方法
大腸菌を用いた大量発現系によって、各種測定に耐えるミオグロビン変異体、及びシトクロムb562変異体試料を得ることができた。この試料につき共鳴ラマンスペクトルの測定を行い、それらの活性部位構造について調べた。ミオグロビンの92位セリンは、隣接する93位ヒスチジン、及びヘム側鎖のプロピオン酸と水素結合を形成しているが、92位変異ミオグロビンではこの近位水素結合ネットワークが破壊され、自動酸化性が増すと考えられている。そこで、この水素結合の性質を明らかにするために、ヘムのプロピオン酸側鎖を縮めたヘムを合成し、これを天然型ヘムと置換して水素結合ネットワークを改変した人工的なミオグロビンを作成した。このミオグロビンについて酸素親和性や立体構造を決定し、近位水素結合ネットワークの酸素結合性に対する影響について検討した。また、過酸化水素との反応を測定し、高酸化状態の性質について調べた。シトクロムP450と同様な構造をとることが示唆されたため、生体分子に対する酸化活性を検討するべく、モデル系を用いて考察した。さらに、近位水素結合ネットワークを改変したヘム置換ミオグロビンについて酸化還元電位を測定し、ヘムの性質を電気化学的に評価した。
結果と考察
まず、大腸菌を用いたミオグロビン変異体の大量調製法を確立した。融合タンパク部分の切断処理と、引き続く陰イオン交換カラムの条件を改良することにより、収量を約50 % 上昇させることができた。この手法によって精製されたタンパク質標品について共鳴ラマン法を用いてヘム近傍の構造を調べ、天然型のミオグロビンと同じであることが確認できた。また、側鎖を置換したヘムの合成法及びミオグロビンへの再構成法を確立した。上記の方法を用い、部位特異的変異によってヘムポケット内92位セリンを置換したミオグロビン変異体を調製した。そして、pH、及び外来性配位子であるシアンイオンの結合性に対する近位水素結合ネットワーク改変の効果を調べた。また、92位セリンの変異体の共鳴ラマンスペクトルの測定を行った。これらの結果を総合し、92位変異体は基本的に野生型と同一のヘム構造をとることがわか
った。近位水素結合ネットワークはヘム側鎖のプロピオン酸基を含むため、側鎖の長さを変えることにより水素結合に対して直接摂動を与えられる。そこで、炭素数が2つ少ないカルボキシヘミンに置換したミオグロビンを用いてX線構造解析を行ったところ、溶媒の水分子が入り込み新たな水素結合を形成することが判明した。以上の結果を総合し、92位変異体においても近位側で水分子を含んだ水素結合の再編成が起こっている可能性が指摘できた。酸素結合性をコントロールできる新たなヘムポケット構築の可能性を探るためにミオグロビンの3重変異体、及びシトクロムb562の変異体を調製した。後者ではヘムが脱離しやすい性質を持つことがわかったため、多重変異をほどこしてヘムを安定化する方策を考案した。ミオグロビンの3重変異体では、近傍の97位ヒスチジンがヘムに配位して外来性配位子の結合性を低下させている可能性が示唆された。一方シトクロム変異体では、ミオグロビンと同様なヘム構造を構築できたことが共鳴ラマン法により判明した。ミオグロビン92位変異体は自動酸化性が強いことが報告されているため、過酸化水素との反応で鉄4価高酸化状態を形成させ、ヘム鉄の酸化されやすさを検討した。その結果、S92A変異体では有意に酸化を受けにくくなっていることがわかった。この高酸化状態は薬物の代謝に関与するシトクロムP450の推定活性中間体と同一の構造であるので、ポルフィリンのモデル系を用いて生体分子との反応性を調べた。その結果、シトクロムP450と同様な酸素添加反応を触媒することがわかった。ヘムの構造はヘム鉄の酸化還元電位の制御とミオグロビン還元体の酸素分子による自動酸化速度を制御する上で、重要な役割を担っている。ヘム鉄の酸化還元にともなうミオグロビンの電子移動速度は、電子移動の前後でヘム鉄の位置がどの程度変化するか(ヘム周辺の再配列)が重要な要素になることが示された。上記のように、92位変異ミオグロビンでは野生型と同一のヘム構造をとることがわかったが、これは置換ヘムで再構成したミオグロビンにおいて、ヘムとグロビンとの分子接触変化がミオグロビン立体構造にほとんど影響しないこととよく対応した。また、ヘムプロピオン酸側鎖の短縮により水素結合ネットワークを破壊しても酸素結合能は保持された。以上の結果をふまえれば、水素結合ネットワークを形成しえない92位変異体でも、野生型と同様な酸素親和性をもつと考えられる。一般に、この水素結合の欠失によってヘム鉄の自動酸化性が増すと考えられている。確かに92位変異体はシトクロムP450の活性中間体と同様な高酸化状態を形成し、そのモデル系において各種基質を酸化したが、S92A変異体では過酸化水素との反応性が低下していたことから、自動酸化性の低い酸素運搬体となる可能性が指摘できる。自動酸化性については、pHの影響も大きいことから、人工血液とした際の保存法をも含めて今後さらに検討していく必要がある。自動酸化にともなう酸化還元反応は、電気化学的な側面から評価できる。電子の出入りにともなうヘム鉄の位置的変化が、電位に大きな影響を与えることから、ヘムの動きが小さくなるような変異をミオグロビンにほどこすことによって、酸素化型がさらに安定なミオグロビンを構築できると考えられる。2価(デオキシ状態)のヘム鉄には93位ヒスチジンが配位しているが、この残基の配位性が強いため、ヘム鉄を面外へと大きく変化させている。したがってヒスチジンをヘム鉄に対して弱く配位させることが自動酸化を抑制するうえで有効であろう。その意味で、ミオグロビン3重変異体は歪んだヒスチジン軸配位子を持つため、人工血液として利用できる可能性がある。構造的には97位ヒスチジンが配位する可能性が指摘されたが、この97位をフェニルアラニン等に置換すれば、酸素等の外来性軸配位子が結合できるヘムポケットが構築できるであろう。
さらに、アミノ酸残基の変異のみでなく、ヘムを人工的な分子に置換することによっても酸素親和性を制御できることが示され、またヘムの大量合成法も確立できたことから、ヘムを利用する人工的酸素運搬体の分子設計に重要な指針を得ることができた。このように、タンパク質変異体、人工ヘムの利用、及びこれらの組み合わせによって任意の酸素親和・安定性を持つ人工血液が構築できるものと考えられる。
った。近位水素結合ネットワークはヘム側鎖のプロピオン酸基を含むため、側鎖の長さを変えることにより水素結合に対して直接摂動を与えられる。そこで、炭素数が2つ少ないカルボキシヘミンに置換したミオグロビンを用いてX線構造解析を行ったところ、溶媒の水分子が入り込み新たな水素結合を形成することが判明した。以上の結果を総合し、92位変異体においても近位側で水分子を含んだ水素結合の再編成が起こっている可能性が指摘できた。酸素結合性をコントロールできる新たなヘムポケット構築の可能性を探るためにミオグロビンの3重変異体、及びシトクロムb562の変異体を調製した。後者ではヘムが脱離しやすい性質を持つことがわかったため、多重変異をほどこしてヘムを安定化する方策を考案した。ミオグロビンの3重変異体では、近傍の97位ヒスチジンがヘムに配位して外来性配位子の結合性を低下させている可能性が示唆された。一方シトクロム変異体では、ミオグロビンと同様なヘム構造を構築できたことが共鳴ラマン法により判明した。ミオグロビン92位変異体は自動酸化性が強いことが報告されているため、過酸化水素との反応で鉄4価高酸化状態を形成させ、ヘム鉄の酸化されやすさを検討した。その結果、S92A変異体では有意に酸化を受けにくくなっていることがわかった。この高酸化状態は薬物の代謝に関与するシトクロムP450の推定活性中間体と同一の構造であるので、ポルフィリンのモデル系を用いて生体分子との反応性を調べた。その結果、シトクロムP450と同様な酸素添加反応を触媒することがわかった。ヘムの構造はヘム鉄の酸化還元電位の制御とミオグロビン還元体の酸素分子による自動酸化速度を制御する上で、重要な役割を担っている。ヘム鉄の酸化還元にともなうミオグロビンの電子移動速度は、電子移動の前後でヘム鉄の位置がどの程度変化するか(ヘム周辺の再配列)が重要な要素になることが示された。上記のように、92位変異ミオグロビンでは野生型と同一のヘム構造をとることがわかったが、これは置換ヘムで再構成したミオグロビンにおいて、ヘムとグロビンとの分子接触変化がミオグロビン立体構造にほとんど影響しないこととよく対応した。また、ヘムプロピオン酸側鎖の短縮により水素結合ネットワークを破壊しても酸素結合能は保持された。以上の結果をふまえれば、水素結合ネットワークを形成しえない92位変異体でも、野生型と同様な酸素親和性をもつと考えられる。一般に、この水素結合の欠失によってヘム鉄の自動酸化性が増すと考えられている。確かに92位変異体はシトクロムP450の活性中間体と同様な高酸化状態を形成し、そのモデル系において各種基質を酸化したが、S92A変異体では過酸化水素との反応性が低下していたことから、自動酸化性の低い酸素運搬体となる可能性が指摘できる。自動酸化性については、pHの影響も大きいことから、人工血液とした際の保存法をも含めて今後さらに検討していく必要がある。自動酸化にともなう酸化還元反応は、電気化学的な側面から評価できる。電子の出入りにともなうヘム鉄の位置的変化が、電位に大きな影響を与えることから、ヘムの動きが小さくなるような変異をミオグロビンにほどこすことによって、酸素化型がさらに安定なミオグロビンを構築できると考えられる。2価(デオキシ状態)のヘム鉄には93位ヒスチジンが配位しているが、この残基の配位性が強いため、ヘム鉄を面外へと大きく変化させている。したがってヒスチジンをヘム鉄に対して弱く配位させることが自動酸化を抑制するうえで有効であろう。その意味で、ミオグロビン3重変異体は歪んだヒスチジン軸配位子を持つため、人工血液として利用できる可能性がある。構造的には97位ヒスチジンが配位する可能性が指摘されたが、この97位をフェニルアラニン等に置換すれば、酸素等の外来性軸配位子が結合できるヘムポケットが構築できるであろう。
さらに、アミノ酸残基の変異のみでなく、ヘムを人工的な分子に置換することによっても酸素親和性を制御できることが示され、またヘムの大量合成法も確立できたことから、ヘムを利用する人工的酸素運搬体の分子設計に重要な指針を得ることができた。このように、タンパク質変異体、人工ヘムの利用、及びこれらの組み合わせによって任意の酸素親和・安定性を持つ人工血液が構築できるものと考えられる。
結論
遺伝子工学的手法によって、変異ミオグロビンを大量に調製する手法を確立できた。近位水素結合ネットワークの改変により、ヘムの構造を一定に保ったまま自動酸化性を変化させて、より安定な酸素化型ミオグロビンを構築できる可能性を示した。また、ミオグロビンやシトクロムb562の多重変異体の調製によって安定な酸素結合状態を実現できると考えられた。さらに、これら変異体と合成ヘムとを再構成することにより酸素親和性を任意に可変できる可能性を示した。以上の結果から、実用的なレベルで人工血液を構築する方策について、その指針を示すことができた。
公開日・更新日
公開日
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更新日
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