ヒトゲノム解析、遺伝子診断・治療研究における倫理的・法的・社会的側面に関する研究.

文献情報

文献番号
199800389A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒトゲノム解析、遺伝子診断・治療研究における倫理的・法的・社会的側面に関する研究.
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
池田 修一(信州大学医学部)
研究分担者(所属機関)
  • 吉田邦広(信州大学医学部)
  • 久保田健夫(信州大学医学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 ヒトゲノム・遺伝子治療研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
平成12(2000)年度
研究費
3,490,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
近年分子生物学的手法の著しい進歩により多くの遺伝性神経筋疾患の原因遺伝子が次々と同定され、また同時にこれらの疾患の確定診断に際しては遺伝子診断が日常診療の場において多用されている。その結果、医師がこれらの疾患の患者ならびにその家系内要員に対して病状を説明する時には必ず遺伝子診断の意義を概説するようになった。またこの数年間、新聞、テレビを中心とする種々な報道機関が遺伝子診断に関連したテーマを頻回に扱うようになった。こうした社会環境の中で遺伝性神経筋疾患の発症前遺伝子診断を希望して来院する人が年々増加しており、我々はこの要望に答えざるを得ない状況にある。しかし遺伝子解析技術の飛躍的な進歩に比して、発症前遺伝子診断を代表とする個人の遺伝情報を適切に臨床応用するための倫理的ならびに社会的諸問題の検討は未だ行われていない。
本研究では申請者らが既に数年前から実施している家族性アミロイドポリニューロパチー(FAP)を中心とする、遺伝性神経筋疾患に対する発症前遺伝子診断ならびに遺伝相談の社会的影響を長期的経過観察から明らかにすることを目的とする。この中でも特に、I) 発症前遺伝子診断を希望するようになった動機ならびにその情報起源、II)得られた遺伝情報を相談者個人が疾病の早期発見を含めて将来的にどのように利用しようとするのか、III)病的遺伝子を有することが判明したことがその後相談者の家庭生活や結婚、職業選択にどのような影響を与えるかの3点を重点的に明らかにしたい。最終的には遺伝性神経筋疾患の発症前遺伝子診断ならびに遺伝相談を実施する体系を確立したい。
本年度はFAPと遺伝性筋疾患を主な対象疾患として上記の検討を行った。
研究方法
信州大学医学部附属病院では平成8年5月より内部処置として遺伝子診療部を設立し、外来部門として臨床遺伝外来を開設して院内外の遺伝相談を一元化して対応している。対象者は平成10年度に自らの意思でFAP、遺伝性筋疾患の発症前遺伝子診断を希望して来院したクライアントである。また精神薄弱を主訴に紹介され、典型的な臨床像よりLowe症候群と診断された2名ではその原因遺伝子の同定を行い、その結果を家系内メンバーの遺伝相談に応用可能かどうかを検討した。
i) FAPと遺伝性筋疾患家系のメンバーに対する発症前遺伝子診断
面接により発病者を含む家族構成、本遺伝子診断を希望する理由、本遺伝子診断が実施可能であることを知った経緯を聞く。その後両疾患について書面で詳細なインフォームドコンセントを行い、また同時にDNA検査の一般的な方法と意義についても説明して1回目の面接を終了した。これらの疾患に対する遺伝相談ならびに発症前遺伝子の実施の妥当性については、遺伝子診療部の定期的な全体ミーティングで検討した。この際、個人への倫理的配慮が十分保たれているかどうかを重視した。第2回目の面接では1回目の時の疑問点について回答し、DNA保存の承諾書を得て採血を行った。DNA診断法はFAPの原因遺伝子として最も頻度の高いMet30TTR(N末端から30番目のvalineがmethionineに置換していることを示す)遺伝子をPCR-RFLPで検索し、それ以外の異常はTTR遺伝子の全exonをdirect DNA sequenceすることで対応した。またTTR遺伝子の異常に対応して血清中に異常TTRが存在するかどうをMALDI/TOF mass spectrometryで検索した。遺伝性筋疾患の中でDuchenne 型筋ジストロフィー(DMD)/Becker型筋ジストロフィー(BMD)疑い例ではdystrophin遺伝子の欠損の有無をSouthern blot法ならびにPCR法で検索した。また筋緊張性ジストロフィー疑い例ではmyotonine kinase遺伝子のCTG repeat数を検索した。DNA診断法の結果は第3回目の面接時に本人に直接口答で伝えた。
ii) Lowe症候群患者の原因遺伝子の解析
Lowe症候群と診断された患者は異なる家系に属する1歳と2歳の男児で、いずれも白内障.緑内障,精神運動発達遅滞、蛋白尿・アミノ酸尿を認め、その母親にスリットランプ検査で軽度の白内障を認めた.遺伝子解析法は患児の培養線維芽細胞からmRNAを抽出し、cDNAに変換後PCR法で原因遺伝子と考えられるOCRL1遺伝子領域を増幅し、DNAオートシークエンサーを用いて全塩基配列を決定した.その後両家系の母親を中心に保因者診断を実施した。
結果と考察
i) FAPに対する発症前遺伝子診断 
男性2名、女性5名の7名が来院し、年齢は20~42歳であった。家族歴では6名が両親の一方がFAPで死亡しており、残り1名は母親がFAPで死亡し、また弟が最近本疾患を発病していた。発症前遺伝子診断を希望する主な理由は自分の将来に対する漫然とした不安感であり、結婚または妊娠を前提とするような明解な理由はなかった。FAPという疾患の遺伝形式、正確な病状については家族からは誰も詳細な説明を受けておらず、2名は他の家系内メンバーがFAPの確定診断を受けた際に医師から説明を聞いた。残り5名のうち3名は新聞報道でFAPについて詳しく知り、2名はインターネットを通じて難病情報センターのホームページ上でFAPについて情報を得た。7名中1名は2回の面接後DNA診断を希望しないことを表明し、6名が本検査を受けた。2名が陽性であり、TTR遺伝子の異常はMet30TTRであった。
ii) 遺伝性筋疾患に対する発症前遺伝子診断
男性2名、女性2名の計4名が来院し、年齢は26~33歳であった。この中の3名は自らの発症前遺伝子診断を希望しており、その理由は2名が自分の将来を心配してであり、他の1名は結婚に際して婚約者の家族が遺伝病の存在を非常に心配したからであった。遺伝子診断が可能であることは他院の医師からの説明、テレビ報道、新聞報道で知ったとのことであった。詳細な家族歴を聴取した結果、1名の女性では遺伝性筋疾患の家族歴が不明瞭であることが判り、遺伝子診断は実施しなかった。2名で筋緊張性ジストロフィーの遺伝子診断を実施し、いずれも陰性であった。残り1名の女性は妊娠している胎児の遺伝子診断を希望した。家族歴では50歳代の父親がBecker型筋ジストロフィーと診断されている。この女性と夫を対象に3回遺伝相談を行い、成人発症の遺伝性筋疾患に対する子宮内胎児診断の妥当性と危惧される事項について双方で十分話し合ったが、胎児の遺伝子診断の希望が強かった。最終的には信州大学医学部倫理員会の承認を経て羊水細胞を使ってdystrophin遺伝子の検査を行い、結果は陰性であった。後日健康な男児を無事出産したとの連絡があった。
iii) Lowe症候群患者の遺伝子解析結果
患者1においては、OCRL1遺伝子のエクソン12の中の1399番目のシトシン(C)がチミン(T)に変異していた.これにより391番目のグルタミンが終止コドンに変化するアミノ酸変異が生じると考えられた.患者2においては、OCRL1遺伝子のエクソン15の中の1743番目のシトシン(C)がグアニン(G)に変異していた.これにより505番目のセリンがアルギンに変化するアミノ酸変異が生じると考えられた.この塩基配列結果を基に制限酵素解析法(RFLP)により両患者の母親を検索したところ、上記の異常遺伝子の保因者であることが判明した。今後これらの女性が妊娠をする際には上記の遺伝子情報を用いて十分な遺伝相談を実施することが双方で話合われた。
遺伝病に対する世間一般の人達の認識はとにかくその事実を隠したがることである。われわれは長年に渡ってFAP患者の診療ならびにその家系内メンバーのfollow-upを続けているが、多くの家系においてFAPの遺伝歴を聴取することが困難であった。その主な理由は世間体等を気にして病気の真の姿を次世代に伝えてないからであった。今回、本研究に際してFAPと遺伝性筋疾患家系のメンバーの両方から病歴を聴取したところ、FAPに比して後者の遺伝性筋疾患の方が病気の実体をより正確に認識している印象を受けた。おそらくFAPは侵透率が高い優性遺伝であるのに対し、遺伝性筋疾患の遺伝形式は伴性劣性などが含まれており、家系内メンバーの病気に対する重篤感、遺伝性に対する認識が異なるからであろうと推測される。いずれにしてもFAPでは病気の真の姿、遺伝様式などが次世代に正しく伝えられておらず、このことは次世代のメンバーが発病しても病気に対する知識に乏しいため、早期発見を遅らせることにつながりかねないと考えられる。
今回の研究では相談者は自分の家系に存在する遺伝病の知識をテレビ、新聞等の報道を通じて知り得ており、こうした方面における情報公開の重要性が改めて認識させられた。従来遺伝病に対する発症前遺伝子診断については、患者の差別その他で負の面が強調される傾向にあるが、われわれの過去の経験ではこうした遺伝情報をまえもって知っていたために、FAPの発病を早期に患者が認識して専門的な医療を受け回復した患者がいる。発症前遺伝子診断の結果を含めて、個人の遺伝情報をどのようにその個人が利用するかは元来個人の判断に任せるべきである。われわれは要求されている遺伝情報を正確に伝える義務がると考えられるが、この際重要なことは個人のプライバシー保護と倫理面の妥当性を十分検討することである。また個人がこの遺伝情報を正しく理解して、その個人の将来に役立たせるためには、病気に対する正確な理解があることが前提である。われわれは今後、遺伝病に対する遺伝相談、発症前遺伝子診断を有益に遂行していくためには病気に対する十分なインフォームドコンセントを行うことが第一であると考えられた。
結論
1.FAP家系では疾患に対する正確な知識が家系内メンバーから次世代に伝授されていない。最近の世代はこうした情報を自ら知ることを強く希望しており、病気の情報公開のあり方の検討が必要である。
2.成人発症の遺伝性筋疾患の子宮内胎児診断の希望があり、これを実施せざるをえなかったが、こうした方面のガイドラインの作成が望まれる。
3.小児の先天性疾患の遺伝子異常を同定し、この遺伝子情報を次の妊娠に際して有用に使用することが可能となった。

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