依存性薬物による脳内薬物受容体の機能変化に関する分子生物学的研究

文献情報

文献番号
199800386A
報告書区分
総括
研究課題名
依存性薬物による脳内薬物受容体の機能変化に関する分子生物学的研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
佐藤 光源(東北大学医学部精神医学教室)
研究分担者(所属機関)
  • 菊池周一(国立精神・神経センター精神保健研究所薬物依存研究部研究員)
  • 梶井靖(国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第3部研究員)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
33,500,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
覚せい剤をはじめとする依存性薬物の長期乱用に伴う二次性脳障害(精神病や後遺症)の発生は、深刻な社会問題となっている。主任研究者の佐藤光源は、依存性薬物の精神異常惹起作用が連用により増強され、精神症状が再発しやすくなる現象を、遅発性精神病として位置付け、この臨床概念を一昨年6月サンディエゴで開催されたアメリカ精神医学会、及び本年4月東京で開催された日本医学会で提案した。日本で提唱されたこの概念は国内外の関連学会の注目するところとなっており、治療、予防法を確立するために分子メカニズムの解明が急務となっている。特に、覚せい剤精神病の発展経過を動物における逆耐性現象(逆耐性)で説明できること、さらにそれを動物に再現できるという主任研究者らの報告は、その後の国際的な研究活動の起点となった。本研究では、逆耐性における長期持続性の脳機能変化に着目し、覚せい剤の長期乱用中に起きる脳の神経可塑性変化を、分子生物学的な手法を用いて明らかにすることを目的とする。
研究方法
本研究では、依存性薬物による長期的な脳障害の原因となる脳内薬物受容体、それに直結する細胞内情報伝達機構、さらに遺伝子発現の持続的な機能変化に関する研究を、(1)逆耐性獲得機構における脳内薬物受容体伝達系の変化-メタンフェタミン急性・慢性効果における G 蛋白質の分子生物学的変化を中心に-(菊池周一)、(2)メタンフェタミン急性,慢性投与による脳内コルチコステロン受容体 mRNA の変化-逆耐性形成への感受性が異なる近交系ラットを用いた検討-(佐藤光源)(3)メタンフェタミンに応答する新規遺伝子の単離とその行動感作形成への関与についての検討(梶井 靖)、の各研究課題によって明らかにする。
結果と考察
さきに述べた 3つの研究課題の結果、詳細は、以下の通りである。(1)逆耐性獲得機構における脳内薬物受容体伝達系の変化-メタンフェタミン(MAP)急性・慢性効果における G 蛋白質の分子生物学的変化を中心に-(菊池周一) G 蛋白自体のシグナル伝達を百日咳毒素で阻止すると逆耐性が起きない、逆耐性の形成後に線条体 Gi2αサブユニット mRNA の発現が変化する、等の報告があるが、Gβ、γサブユニットの変化は未知である。MAP の急性・慢性投与で、腹側被蓋野 (VTA) と側坐核におけるβ、γサブユニットの発現量を in situ hybridization 法で測定した。 MAP の急性投与では両部位でβ1 サブクラスの mRNA 発現が増加し、VTA が報酬系となるドーパミン起始細胞部位なので、依存の発生に関連する変化と考えられた。亜慢性投与では、側坐核だけで増加して VTA では不変であった。ドーパミン神経終末部位、とくに前シナプス性の G 蛋白β1 サブクラスを介した神経伝達の変化が長期持続性の脳の機能変化に関わるものと考え、G 蛋白β1サブユニット、エフェクター蛋白の変化を免疫組織染色で調べた。逆耐性形成後の MAP 再投与で、G 蛋白β1サブユニットが中脳腹側被蓋野で増加せず、β-ARK-2、GIRK-1が前頭前野で増加しなくなり、上記の仮説を支持する結果と考えた。G 蛋白β1サブユニットの変化と逆耐性現象の関係を mRNA、蛋白レベルで確認したので、次年度以降は、G 蛋白β1サブユニットの発現をアンチセンス法で抑制したラットについて、MAP 逆耐性の形成を検討する。(2) メタンフェタミン急性,慢性投与による脳内コルチコステロン受容体 mRNA の変化-逆耐性形成への感受性が異なる近交系ラットを用いた検討-(佐藤光源) 副腎摘出で逆耐性の形成が阻止される、グルココルチコイド合成阻害薬でコ
カイン逆耐性が阻止される、グルココルチコイドの慢性投与でアンフェタミンへの過敏反応性が形成される、などの報告がある。このため、MAP 逆耐性に対する遺伝的な個体差から、脳内コルチコステロン受容体に特異的な変化が生じるか、脳グルココルチコイド受容体 (GR) mRNA の発現量をノーザンブロット法で検討した。逆耐性が起こりにくく、視床下部-下垂体-副腎系 (HPA-axis) の反応性が大きい近交系ラット (Fischer 344) と、逆耐性が起こりやすく、HPA-axis の反応性が小さい近交系ラット (Lewis) で比較したところ、MAP 慢性投与に伴い、Fischer 344 では線条体で GR mRNA が増加していた。この系では MAP 慢性投与で HPA を介した負の feedback がかかり、コルチコステロンが減少し、それがGR mRNA を増加させ、逆耐性を遅延させると考えた。Lewis では Fischer 344 とは全く逆の成績が得られた。GR は、核内移行→DNA 上の応答配列との結合を介して下流の遺伝子の転写を調節する。上記の結果は、MAP 投与で、脳部位特異的に線条体で GR の量が変化し、これが逆耐性の個体差に関係する遺伝子の発現に影響を与える可能性を示唆している。そこで、コルチコステロン応答性、遺伝子発現の長期持続性変化に関連する DNA メチラーゼに着目した。DNA メチラーゼ mRNA は、MAP 逆耐性形成後、やはり部位特異的に尾状核、側坐核において F344 で増加、Lewis で減少していた。次年度以降は、今回観察された線条体 DNA メチラーゼ mRNA の MAP 投与に伴う変化の機能的意義を明らかにするため、MAP 投与ラット脳における DNA メチル化の変化を検討する。メチル化に差のある部位の下流に存在する遺伝子が逆耐性の形成しやすさに関連する可能性があるので、Restriction Landmark Genomic Scannning(RLGS)法でクローニングを試みる。(3) メタンフェタミンに応答する新規遺伝子の単離とその行動感作形成への関与についての検討(梶井 靖) ラットでは、生後21日の前後でメタンフェタミン (MAP) 逆耐性の形成が左右される。この前後で、MAP に反応して出現する遺伝子群を比較し、逆耐性が形成される生後21日以降だけに現れる遺伝子、つまり逆耐性に特異的な遺伝子を特定することを目的とした。このため、逆耐性が起きる生後発達の臨界期を境に、MAP 急性投与で脳内発現が変化する候補遺伝子を RNA フィンガープリント法で単離した。これらの遺伝子の mRNA が、上記の臨界期の前後で変化するか、定量的な RT-PCR 法で調べたところ、3つの候補遺伝子 (mrt 1, 2 and 3) が見つかり、その全長を決定した。昨年度、今年度は mrt 1 に関して詳細な検討を行った。定量的 RT-PCR 法の結果、MAP 急性投与で大脳新皮質の mrt 1 mRNA 量は臨界期前では変化せず、臨界期後に初めて mRNA が増加した。従って mrt 1 は、逆耐性が形成される臨界期を境に、MAP により脳内に発現する未知の遺伝子であることが示された。mrt 1 遺伝子上の2種類の断片をプローブとしてノーザンブロットを行ったところ、オルタナティブスプライシングによって長短4種の mRNA が転写されることが明らかとなった。この2種の mRNA からは、それぞれ 526 個、539 個のアミノ酸から成る相同性の高い蛋白質が翻訳された。一次構造は、双方とも N 末端にグリシンに富む部位をもち、一方でのみ C 末端にグルタミン酸に富む部位(=転写制御因子の可能性がある)を認めた。mrt 1 から生じる2種の蛋白の、逆耐性形成に及ぼす影響を調べるため、アンチセンスオリゴヌクレオチドを浸透圧ポンプで脳内に持続注入して蛋白の発現を阻害した条件下でMAP を反復投与し、行動変化を観察した。前者の蛋白に特異的なアンチセンス注入下では、MAP 反復投与による行動変化は生じなかった。これに対して、C 末端にグルタミン酸に富む部位をもつ蛋白に特異的なアンチセンスは、逆耐性の形成を阻止した。従って、mrt 1 から生じる2種の蛋白の内、一方が逆耐性の形成に密接に関与していることが明らかにされた。Mrt 1 蛋白の内在性の存在を確認するため、N 末端 15aa に特異的な抗体を作成した。ウェスタンブロット法で、蛋白質発
現ベクターで大腸菌に発現させた Mrt 1 と、ラット大脳皮質から抽出した蛋白分画の両者で同サイズのバンドを検出し、今回発見した遺伝子が、ラットの脳で確かに発現していることを見出した。次年度以降は、MAP 連続投与時の mrt1 mRNA の脳内各部位における発現変化、Mrt1 蛋白の MAP 応答性の細胞内情報伝達機構に果たす役割に関して検索する。同時にヒトで mrt 1 遺伝子のホモログをクローニングし、患者に突然変異があるかどうかを検討する。mrt 2、3 についても同様の検討を行う。
結論
各研究課題に関する今年度の成果は、以下の通りである。(1) G 蛋白質共役型受容体の機能変化:逆耐性形成後にMAPを再注射しても、中脳腹側被蓋野でG蛋白β1subunit mRNAの発現と、G蛋白β1subunitの合成が認められなくなる。(2) 脳コルチコステロン受容体の変化:線条体GR、MR mRNAの発現が低い系統のラットが逆耐性を形成しやすい。それには、DNAのメチル化が関連する可能性がある。(3) 逆耐性現象に関係する新規遺伝子の単離:Methamphetamine-related transcript (mrt) を単離し、遺伝子の構造を決定。特異的抗体を作成し、予想されるサイズの蛋白が内在性に存在することを確認。アンチセンス法により、逆耐性の形成に特異的に関係する遺伝子であることがわかった。今後、この新規遺伝子の脳内分布を解明する。次年度以降は、G 蛋白質共役型受容体を介した細胞内情報伝達系の変化、コルチコステロン受容体を介する転写制御の変化、覚せい剤で賦活される未知遺伝子の検索、等の研究から、逆耐性の形成に特異的に関わる未知の遺伝子を明らかにし、乱用薬物の長期乱用による脳障害(覚せい剤精神病とその再発しやすさ)の臨床研究に道を開く。

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