中枢神経系外傷に関する研究

文献情報

文献番号
199800381A
報告書区分
総括
研究課題名
中枢神経系外傷に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
杉本 壽(大阪大学)
研究分担者(所属機関)
  • 嶋津岳士(大阪大学)
  • 田中裕(大阪大学)
  • 塩崎忠彦(大阪大学)
  • 平出敦(大阪大学)
  • 種子田護(近畿大学)
  • 早川徹(大阪大学)
  • 長田重一(大阪大学)
  • 三好康雄(大阪大学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
40,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
頭部外傷の治療のゴールは単なる救命では済まず、より優れた脳機能を保全することにある。本研究の目的は、科学的裏付けに基づく、より安全な頭部外傷の治療法を開発・確立することを目指すものである。そのために、頭部外傷患者に対する中等度脳低温(34℃)療法の効果と限界、その機序、問題点を明らかにすることである。本年度は従来の治療法(脱水療法、過換気療法、高浸透圧利尿剤投与、バルビツレート大量投与、血腫除去術、減圧開頭術、等)で頭蓋内圧を制御できる症例に対する、中等度脳低温療法の治療成績改善効果と、易感染性の機序ならびに循環動態の変化を検討した。さらに基礎的研究では、脳損傷病態の解明や脳保護法の開発に焦点をおき、将来的には中等度脳低温療法に代わるより安全でいずれの施設でも施行可能な治療法を開発することを本研究の目的とした。
研究方法
臨床研究では1)multicenter prospective randomized clinical trial:従来の治療でICPを25mmHg以下に制御できる重度頭部外傷を、中等度脳低温療法(34℃)群と常温(37℃)群に分け、治療成績を比較検討する。2)中等度脳低温療法の易感染性の機序について、多核白血球に発現する熱ショック蛋白質(HSP)の変化から検討する。3)中等度脳低温療法時の心機能の変化についての研究、を行った。
基礎研究では1)脳虚血再灌流障害モデルにおける遺伝子発現からみた中等度脳低温療法の意義について、2)脳損傷モデルにおける病態解明と脳保護法の研究。3)低体温時の全身ならびに脳における酸素需給バランスの基礎的研究を行った。
結果と考察
臨床研究、1)11施設によるprospective randomized clinical trialは順調に推移し、平成11年1月末現在で78症例がエントリーした。78例中28例は従来の治療法で頭蓋内圧を25mmHg以下に維持出来ず、うち23例は治療にほとんど反応せず脳死に陥った。残りの5例では、頭蓋内圧の亢進を認めたが脳死に至らず、Glasgow Outcome ScaleはGR1人、MD2人、V1人、D(合併症死)1人であった。他方、従来の治療法によって頭蓋内圧を25mmHg以下に維持することができたのは78例中50例で、これらを無作為に常温群(37℃)26例と、低温群(34℃)24例に分けた。両群の平均年齢、来院時GCS、従来の治療法施行後の頭蓋内圧、瞳孔異常の頻度に有意差は認めなかった。経過中の頭蓋内圧の推移では、常温群1例で経過中に頭蓋内圧が上昇し、25 mmHg以下に維持することが出来なかった。この症例は引き続き施行した中等度脳低温療法にも全く反応せず、頭蓋内圧亢進のため脳死に陥った。低温群では3例で頭蓋内圧を25 mmHg以下に維持することが出来なかった。やはり3例とも脳死に陥った。これらの4症例以外では、両群間で頭蓋内圧の推移に有意差を認めなかった。生命・機能予後については、常温群のGOS(中間集計時)はGR9人、MD7人、SD3人、V6人、D1人であった。低温群では、GR7人、MD4人、SD3人、V6人、D4人であった。両群間の生命・機能予後を比較すると、常温群では機能的予後良好(GRもしくはMD)が16例(62%)で、機能的予後不良(SD、V、あるいはD)が10例(38%)であった。これに対して低温群では、機能的予後良好が11例(46%)で機能的予後不良が13例(54%)であった。両群間の生命・機能予後には統計学的有意差は認められなかった。受傷後2週間以内に認められた主な合併症では、感染症の合併頻度が常温群が26例中8例(31%)であるのに対し、低温群では24例中16例(67%)と、低温群で明らかに高頻度にみられた。また高Na血症の合併頻度は常温群で7例(27%)に対して、低温群では14例(58%)と、低温群で明らかに高頻度であった。白血球数や血小板数の減少は、両群間に有意の差はなかった。以上より現時点での中間集計からは、「従来の治療法で頭蓋内圧を≦25 mmHgに制御できる重症頭部外傷患者に対しては、中等度脳低温療法は治療成績の明らかな改善をもたらさず、むしろ合併症の頻度を上昇させる危険性がある」ことが窺えるが、最終的結論には慎重を要する。現時点では症例数がまだ少なく、また6ヶ月後の予後判定にまで達しない症例が大半であり、結論を確定するためには、最少でも300症例のエントリーを得るまで本研究を継続し、かつ生存症例については高次機能を含めた中枢神経機能の推移ならびにdelayed neuronal lossの発生の有無を長期間にわたり追跡調査する必要がある。
2)重症頭部外傷で受傷早期から多核白血球のHSP60が増加する反応が中等度脳低温療法を行うことで抑制され、γδT細胞を介した感染防御機構が低下するのが一因であることが示唆された。
3)低体温時の心機能の検討では、体温低下にともない拡張時間・拡張速度の両者が進行性に抑制されることが明らかとなった。しかし、現在臨床応用している34℃までの中等度脳低温療法では、左室充満の直接指標である左室拡張末期径に影響がなく、潜在的左室拡張不全は存在するものの、現行の脳低温療法は心機能に関して臨床的に安全であると考えられる。
他方、基礎研究では、1)中等度脳低温の分子レベルでの作用機序として、虚血再灌流障害で低下するGRP78, calmodulin, cytochrome C oxidase subunit I遺伝子発現が、再灌流後に中等度脳低温を行うことによって海馬を中心とした損傷部に一致して回復することを明らかにした。
2)脳損傷急性期の病態にはマクロファージやマイクログリアなどの活発な活動やそれにともなう一酸化窒素(NO)の産生、オスモライトの変化、水チャンネル蛋白アクアポリンmRNA、グルタミン酸トランスポーターGLAST mRNA 発現など、分子レベルの細胞内応答が多数関与していることを明らかにした。また、脳保護遺伝子の導入法の開発およびミニペレットを用いてのNGF投与の有効性を示し、将来的な脳保護治療の第一歩を確立した。
3)低体温によって全身ならびに脳の酸素消費量は減少し臨界酸素運搬(DO2crit)は低下するが、同時に臨界酸素摂取率(O2ERcrit)が低下するため、これらの臨界点においては低体温療法は酸素需給バランスの面からは必ずしも有利ではないことが明らかになった。
結論
従来の治療法で頭蓋内圧を制御できる重症頭部外傷症例に対して、中等度脳低温療法がその生命・機能予後を改善するか否かを検討した。multicenter prospective randomized clinical trialは進行中であり、確定的な結論までは至っていない。中間集計からは、「従来の治療法(脱水療法、過換気療法、高浸透圧利尿剤、バルビツレート大量投与、血腫除去術、減圧開頭術、等)で頭蓋内圧を≦25 mmHgに制御できる重症頭部外傷患者に対しては、中等度脳低温療法は治療成績の明らかな改善をもたらさず、むしろ合併症の頻度を上昇させる危険性がある」ことが窺える。重症頭部外傷に対する中等度脳低温療法の本邦ならびに世界の臨床応用の風潮を考えるとき、この結論は極めて重大な影響を持つ。従って、最終結論を得るにはさらに症例数を積み重ねるとともに、高次機能を含めた中枢神経機能の推移を長期間にわたり追跡調査することが不可欠である。また中等度脳低温療法時の易感染性の原因に、受傷早期からのHSP60の増加抑制が、γδT細胞を介した感染防御機構を低下させていることが示唆された。さらに低体温時の心機能の検討では、体温低下にともない、拡張時間・拡張速度の両者が進行性に抑制されることが明らかとなった。現在臨床応用している34℃までの中等度脳低温療法では、左室充満の直接指標である左室拡張末期径に影響がなく、潜在的左室拡張不全は存在するものの、現行の脳低温療法は、心機能に関して臨床的に安全であると考えられる。
基礎研究からは、中等度脳低温療法の分子レベルでの作用機序として、常温では発現が低下するが、脳低温時に回復する遺伝子を発見し、その損傷部に一致した同遺伝子の発現の局在を明らかにした。また脳損傷急性期の病態にはマクロファージやマイクログリアなどの活発な活動やそれにともなう一酸化窒素(NO)の産生、オスモライトの変化、水チャンネル蛋白アクアポリンmRNA、グルタミン酸トランスポーターGLAST mRNA 発現など、多くの分子レベルの細胞内応答が関与していることを明らかにした。さらに脳保護遺伝子の導入法の開発およびミニペレットを用いてのNGF投与の有効性を示し、将来的な脳保護治療の第一歩を確立した。

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