脊髄損傷の神経修復に関する研究

文献情報

文献番号
199800380A
報告書区分
総括
研究課題名
脊髄損傷の神経修復に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
川口 三郎(京都大学大学院医学研究科)
研究分担者(所属機関)
  • 井出千束(京都大学大学院医学研究科)
  • 溝口明(京都大学大学院医学研究科)
  • 西尾健資(滋賀医科大学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
-
研究費
24,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本研究は脊髄損傷の神経修復による治療法 - 対麻痺や四肢麻痺になった
脊髄損傷者の脊髄伝導路を再構築して、再び歩けるようにし、手を動かすことができ
るようにする - の開発に向けて展望を切り開くことを目的とする。脊髄損傷の神経
修復によって十分な機能的回復を得ようとすれば、運動神経路と感覚神経路の両方に
おいて、正しい経路を通り、正しい標的に終止する投射、すなわち、正常と同様な投
射を再構築しなければならないであろう。本研究は運動神経路のみならず感覚神経路
においてもそのような再生を可能にする損傷部の局所的条件を究明し、再生過程の栄
養因子の動態、再生軸索伸長の分子機構を解明し、上記の目的を達成しようとするも
のである。
研究方法
後索路の再生:生後8日齢から13日齢のウィスター系ラットの後索路を
両側性に完全に切断し、一定期間飼育した後、神経節越え標識法と逆行性標識法によ
って再生様式を検索した。末梢神経移植と胎仔脊髄組織移植の比較:生後2日齢のラ
ットの胸髄の1.5~2髄節を切除し、その空所に末梢神経あるいは胎仔脊髄組織を移植
し、移植片を越えて形成される下行性伝導路の伸長様式を順行性標識法により調べ、
逆行性標識法により起始細胞の定量的評価を行った。成ラット前庭脊髄路の再生:2
~3カ月齢の成ラットの前庭脊髄路を切断し、実験例には胎仔(E14~16)の脳幹-橋
組織を移植し、対照例には移植を行わずに、2~3週間飼育した後、順行性標識法に
より再生の有無を検索した。脈絡叢上衣細胞の移植:成ラットまたは成マウスの脊髄
を損傷し、損傷部に脈絡叢上衣細胞を移植して軸索の伸長様式を電子顕微鏡学的に検
索した。再生軸索伸長機序の解析:マウス胎仔の神経組織の蛋白質の中からアクチン
線維と結合活性を持つ膜蛋白質を探索し、それらの局在性を蛍光抗体法と免疫電顕法
で検索した。神経細胞死の機構の解析:胎生期から成熟期にいたるいろいろな日齢の
ラットの脊髄神経細胞のDNA断片化を酵素免疫測定法で、caspase活性を生化学的測定
法で定量的に検索した。
結果と考察
鋭利に切断した後索路は再生し、切断部を越えて正しい経路を上行し、
正しい標的である延髄薄束核に終止した。新生ラット脊髄髄節を胎仔脊髄髄節で置換
すれば皮質脊髄路は移植髄節を越えて腰髄の尾側に伸びていたが、末梢神経で置換す
れば大部分の線維は移植片と宿主脊髄の接合部で留まり、移植片/宿主脊髄接合部を
越えたのは僅かであった。成ラット前庭脊髄路の再生実験では、前庭脊髄路は対照例
では再生しなかったが、実験例では再生し、再生線維は正常な投射と同じ経路を走行
し、正常な終止部位に終止した。脈絡叢上衣細胞の移植実験では多数の再生軸索が移
植した上衣細胞に沿って伸び、上衣細胞はアストロサイト様の細胞に分化した。再生
軸索伸長機序の解析ではアクチン線維と結合活性を持つ2種類の膜蛋白質、すなわち
Afadin, Neurabinを見出し、Neurabinが発生過程の錐体路の成長円錐に局在すること
、形成期のシナプスやグリア細胞にAfadinとNeurabinが発現することを明らかにした
。神経細胞死の機構の解析では脊髄神経細胞のDNA断片化は胎齢17日から生後2日
齢をピークに4週齢まで認められ、caspase1(ICE)は胎齢13~14日をピークに
以後1週齢まで減少し、2週齢で再び上昇したのち3~4週齢以降はほとんど認めら
れなくなった。caspase3(CPP32)は胎齢14日をピークに2週齢迄減少し、3週齢
以降は殆ど認められなくなった。
近年の研究成果によって「哺乳動物の中枢神経伝導路において機能的意義を有する
再生は可能である」ことが多くの人々に受け入れられるようになってきたが、それと
並行して「哺乳動物の中枢神経系の軸索環境は全体として再生軸索の伸長に対して拒
絶的であり、再生に導くためにはそれを許容的に変えなければならない」との仮説が
新たなドグマとして浸透しつつあるように見える。一方、我々は、「哺乳動物の中枢
神経系の軸索環境は全体として再生軸索の伸長に対して許容的であり、再生を妨げる
のは局所的条件である」との仮説を提唱している。ここでは簡単のために先の仮説を
全体説、後の仮説を局所説と呼ぶことにしよう。全体説に立脚した実験あるいは全体
説を支持すると思われる実験は相当数報告されている。すなわち、軸索伸長抑制因子
の抗体を作用させたり、伸長抑制因子が働かないように末梢神経やシュワン細胞を移
植したり、あるいは嗅神経鞘細胞を移植して再生をさせようとする実験である。これ
らの報告では、再生線維は量的に僅かで線維の伸びる距離も短く、機能回復が起こる
といってもその程度は微々たるものである。
中枢神経系の中には多くの投射路が存在し、それぞれ固有の経路を通って固有の標
的に終止する。その経路と標的に軸索を誘導するような手掛かりが個体発生過程では
投射路の形成に先行して予定部位に準備されており、それらは投射路が形成されたあ
とでも消滅することなく存在し続ける。我々は、局所説に基づいて、そのような手掛
かりをできるだけ損なわないように投射路を鋭利に切断すれば、あるいは胎仔中枢神
経組織の移植によって個体発生時の手掛かりを導入すれば、正常な投射と同様な投射
路の再生が可能であろうと想定して実験を重ねてきた。その結果、再生しないとされ
てきた後索路でも正常と同様な投射路の再生を導くことに成功した。脊髄髄節の置換
実験においては髄節切除による空所に、切除した髄節の相同部位を含む胎仔脊髄組織
の移植をすれば、すなわち個体発生時の軸索を誘導する手掛かりを導入すれば、宿主
の神経路は移植髄節を越えて伸び、機能的意義を十分に持った神経結合ができること
が判明した。一方、末梢神経を移植すれば、移植片と宿主脊髄組織の境界部で大部分
の線維が止まり、再侵入できるのはごく一部の線維に限られ、しかも再侵入した線維
も境界部の近傍に終止することが明らかになった。この結果は中枢神経線維は末梢神
経の軸索環境に曝されると手掛かりの認識能力を失うことを示唆している。また、成
熟動物においても切断部に胎仔組織を移植すれば、幼若動物におけると同様な再生が
誘導されることを見出した。これらの実験では幼若動物であれ成熟動物であれ、切断
部を越えて正しい経路に入った再生線維は、そのまま正しい標的に終止するまで、本
来の経路を踏み外すことなく伸長しており、その経路を走行する限り、軸索の伸長が
抑制されているような所見は認められなかった。これらの実験成績はいずれも我々の
提唱している局所説を支持する。
再生を促進するような条件や因子は数多くあるように思われる。本研究で明らかに
した脈絡叢上衣細胞の移植もその一つである。また、再生過程で発現・増加するよう
な分子は恐らく数多く存在するであろう。これらの中から本質的に重要なものとそう
でないものを見極めなければならないが、現時点ではまだそれができていない。再生
が失敗に終われば神経細胞は逆行性に変性・死滅するが、その機構の解明し、細胞死
を有効に阻止することは神経修復の臨床応用を考える上で避けて通れない問題であろ
う。この細胞死の場合にも分子レベルでは様々な変化の起こることが予測されるが、
付随的な変化でなく本質的な変化を掴まなければならない。caspase活性の増減が本
質的な変化であるか付随的なものであるかは現時点では判定できない。
結論
哺乳動物の中枢神経系はかつて考えられていたところとは異なり、潜在的には
極めて大きな軸索の再生能力と再生した軸索を正しい経路に導き、正しい終止部位に
終止させる自己組織化の能力を有しており、その潜在能力を顕在化させれば正常と同
様な神経投射を再構築できることが判明した。本研究結果は脊髄損傷を始め、外傷や
血管障害によって損なわれた中枢神経回路を修復できる可能性を示している。今後の
研究目標は成ラットの脊髄を損傷して対麻痺を引き起こした脊髄損傷モデル動物を作
成し、損傷された脊髄伝導路を再構築して、再び四肢協調歩行を可能にすることであ
る。それと共にそれを可能にする条件や因子の解明を進める。これが達成できれば、
臨床応用への展望が開けるものと思われる。

公開日・更新日

公開日
-
更新日
-

研究報告書(紙媒体)

公開日・更新日

公開日
-
更新日
-