アルツハイマー病発症の分子機構に関する研究

文献情報

文献番号
199800366A
報告書区分
総括
研究課題名
アルツハイマー病発症の分子機構に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
柳澤 勝彦(国立療養所中部病院・長寿医療研究センター痴呆疾患研究部)
研究分担者(所属機関)
  • 駒野宏人(国立療養所中部病院・長寿医療研究センター痴呆疾患研究部)
  • 道川誠(国立療養所中部病院・長寿医療研究センター痴呆疾患研究部)
  • 横山信治(名古屋市立大学医学部生化学第一講座)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
50,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
人口の高齢化が急速に進むなかで、痴呆性老人の増加は医学的関心を超えた大きな社会問題となっている。とりわけ我が国の主要な痴呆性疾患のなかでアルツハイマー病の原因、病態生理には依然不明の点が多く、真に有効な予防法、治療法はいまだ開発されていない。本研究は、アルツハイマー病発症における中核的病理所見はアミロイド?蛋白(A?)の脳内異常蓄積であるとの認識の上に、A?蓄積開始の分子機構を明らかにすることでアルツハイマー病発症の分子機構を理解することを第一の目的とする。また、本研究により得られた成果をアルツハイマー病に真に有効な予防法?治療法の開発に資することを第二の目的とする。
研究方法
(1)アミロイド?蛋白(A?)沈着開始機構の検討
ヒト・アミロイド前駆体蛋白(APP)遺伝子を導入したMDCK細胞を用いて、頂端部および側底部に極性分泌されるA?の分子特性を解析した。またAPP遺伝子としては全長の野生型APPおよび細胞質ドメインを欠落させたAPPを用いた。分泌されるA?分子の特性解析にあたっては、抗A?モノクローナル抗体を用いた免疫沈降/Western blot法を用いた。また、頂端部に極性分泌される特異なA?分子のseeding 活性の評価にあたっては、チオフラビン反応および電子顕微鏡を用いた形態学的観察を行った。
(2)家族性アルツハイマー病原因遺伝子プレセニリンのアルツハイマー病発症における役割の検討
野生型および変異型プレセニリン遺伝子を導入したマウス神経芽細胞腫Neuro2aを用いて、プレセニリン遺伝子異常のA?産生に及ぼす効果を解析した。A?の検出にあたっては(1)で用いたモノクローナル抗体により免疫沈降/Western blotを行い、分子種別の検出ならびにデンシトメトリーによる定量を行った。また、細胞内におけるA?の産生部位の特定にあたっては、細胞内蛋白輸送の阻害剤であるbrefeldin Aおよびmonensinを用い、その細胞内外におけるA?濃度に与える影響を検討した。
(3)神経細胞のコレステロール代謝の特異性および、それに及ぼすApoEアイソフォーム特異的な作用の検討
アルツハイマー病発症におけるApoEの役割をコレステロール代謝の視点から理解することを目的に、神経細胞のコレステロール代謝を繊維芽細胞やアストログリア細胞等の非神経細胞との比較において検討した。検討にあたってはコレステロール合成系に作用する阻害剤を用い、コレステロールおよび中間代謝産物の細胞生存に及ぼす影響を調べた。
(4)神経系におけるリポ蛋白の同定ならびに特性解析
神経系においてApoEを含有するリポ蛋白を明らかにすることを同定し、その特性を目的に、アストログリア細胞培養系よりリポ蛋白を分離精製した。
結果と考察
(1)アミロイド?蛋白(A?)沈着開始機構の検討(柳澤)
細胞内において頂端部方向に変異輸送されたAPP分子より特異な電気泳動特性を示すA?が、A?の中間部を認識する抗体によって検出された。本A?分子はA?のN末側を認識する抗体では検出されなかったが、ギ酸処理後においては、そのN末側認識抗体との反応性が回復した。また、細胞内のコレステロール合成阻害剤であるcompactinの投与によってもA? のN末側認識抗体との反応性は回復した。一方、 compactinの投与の前後において、質量分析の結果得られた本A?分子の質量数は不変であった。即ち、本A?分子は何等かの構造変化を獲得している可能性が推察された。また、興味深いことに、本A?分子の産生は細胞内コレステロールに絶対的に依存していることが確認された。さらに重要なことに、本A?分子は可溶性のA?の凝集ならびにアミロイド線維化を促進する作用を有することが確認され、そのアミロイド線維形成促進作用も細胞内コレステロールに絶対的に依存することが確認された。以上を総合すると、細胞内にあってコレステロールを多く含み、且つ上皮細胞においては頂端部方向へ極性輸送される特異な脂質膜上においてA?は何らかの構造変化を獲得しseeding abilityをもったA?が形成され、細胞外に排出される可能性が推察された。
(2)家族性アルツハイマー病原因遺伝子プレセニリンのアルツハイマー病発症における役割の検討(駒野)
家族性アルツハイマー病において見い出された2つのプレセニリン遺伝子変異の発現をマウス神経芽細胞腫Neuro2aに誘導することにより、2種あるA?分子種のうち自己凝集性に富むA???の細胞外への排出が増すとともに、細胞内においても同A?分子が蓄積することを見い出した。細胞内においてA?を検出し得た利点を活用し、細胞内におけるA?産生について、細胞内の蛋白輸送阻害剤であるbrefeldin Aおよびmonensinを用いて検討した。その結果、ゴルジ装置(early Golgi compartment)でA?のC末端切断が生じていることを示す実験事実を得た。変異型プレセニリンは同部位に存在するA??????secretaseの作用を亢進させるものと考えられ、今後、同secretaseの特定が重要な課題であると考えられる。
(3)神経細胞のコレステロール代謝の特異性の検討(道川)
神経細胞におけるコレステロール代謝の特異性を繊維芽細胞やアストログリア細胞などの非神経細胞との比較において検討した。その結果、従来の報告に一致して、非神経細胞の生存にはコレステロール合成系の中間代謝産物であるイソプレノイドが必須であるのに対して、神経細胞の生存は最終産物であるコレステロールに絶対的に依存することが明らかとなった。一般にイソプレノイドは細胞分裂時に必要であるとされており、その意味においては非分裂細胞である神経細胞の生存がイソプレノイドに依存しないことは容易に理解できる。しかしながら、神経細胞の生存が絶対的にコレステロールに依存することには、細胞体の大きさに比して、神経突起等の過大の細胞膜を抱えている神経細胞に特異な理由が存在している可能性がある。今後は神経細胞の生存、神経特異的機能発現におけるコレステロールの意義をさらに検討する必要があると考えられる。
(4)神経細胞のコレステロール代謝に及ぼすApoEアイソフォーム特異的な作用の検討(道川)
初年度の研究において明らかにした神経細胞における内因性コレステロール合成阻害下におけるApoE4誘導性の神経細胞死のメカニズムを議論することを目的に、神経細胞におけるコレステロール代謝に及ぼすApoEの役割を検討した。その結果、神経細胞ならびにアストログリア細胞の細胞表面からのApoE依存性のコレステロール引き抜き(cholesterol efflux)にはApoEアイソフォーム特異性があることを示唆する予備的実験結果が得られた。細部内のコレステロールのホメオスターシスは、細部外への引き抜き以外にも内因性のコレステロール合成量において厳密に制御されており、それらに対するApoEの役割についても今後詳細な検討を加える必要があると考えられる。
(5)神経系におけるリポ蛋白の同定ならびに特性解析(横山)
アストログリア細胞の培養系より、ApoE含有のリポ蛋白が分離・精製され、その脂質化学的特性解析を進めた結果、high density lipoprotein (HDL)類似の特性をもつことが確認された。従来のApoEの神経細胞に与えるコレステロール代謝上の効果、神経生物学的効果に関する研究の多くは、??VLDLに組込ませたApoEを用いており、脳における本来のApoEの生物作用とは異なった現象を捉えている可能性は否定できない。今後、培養系においてApoEをより生理的な条件で神経細胞に働かさせるためには、今回の成果は有用な知見であると考えられる。
結論
初年度に引き続き、アルツハイマー病発症の分子機構を、脳内におけるA?沈着・凝集開始機構の解析、プレセニリンおよびApoEの病因論的役割の検討から明らかにすることを目標に研究活動を展開した。今年度までの研究において、アルツハイマー病においてはA?の細胞内産生および細胞内輸送上の異常が潜在的に存在している可能性が示唆された。また、細胞外におけるA?の凝集は、単に細胞外におけるA?の濃度が増加しているのはなく、生理的に産生、排出された可溶性A?の凝集を促進する作用をもつ特異なA?(seeding A?)が細部内のコレステロールに大きく影響されて形成されるという作業仮説を立てるに至った。神経細胞におけるコレステロール代謝はこれまで殆ど研究されておらず不明のままであるが、アルツハイマー病発症の最強の危険因子であるApoEの生理的役割がコレステロール輸送であることを考慮すると、今後重要な研究課題であると考えられる。

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