神経遺伝病の新しい治療法の開発に関する研究

文献情報

文献番号
199800358A
報告書区分
総括
研究課題名
神経遺伝病の新しい治療法の開発に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
鈴木 義之(東京都臨床医学総合研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 大野耕策(鳥取大学医学部)
  • 衛藤義勝(東京慈恵会医科大学)
  • 樊建強(東京都臨床医学総合研究所)
  • 松田潤一郎(国立感染症研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
平成12(2000)年度
研究費
43,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
現在10,000種ほどの遺伝病が記載されており、その多くは小児期に発生する重篤な神経疾患である。しかし脳の病変を直接のターゲットとする本質的な治療法はまだない。本研究の目的は酵素欠損による代謝異常が明らかにされた神経遺伝病を対象として、中枢神経系における疾患特異的な蛋白質・遺伝子の効率的な発現または細胞内変異蛋白質の活性化による新しい治療法の開発、ならびに発達脳の機能障害の原因となるシナプス形成障害・神経細胞死につながる細胞内代謝動態を解析し、新しい治療法を開発することである。この目的のためにGM1-ガングリオシドーシス、ファブリー病、C型ニーマン・ピック病、スライ病、セロイドリポフスチノーシスなど、遺伝性ライソゾーム病の分子病態、細胞・組織病態、罹患個体の病態を数名の異なった立場の研究者の共同作業により解明し、新しい治療法の開発を目指す。近年増加しつつある小児期慢性疾患、特に遺伝性疾患の中核症状としての脳病変の予防治療への社会的要請が強い。本研究の成果は直ちに大きな医学的社会的なインパクトを与えるであろう。
研究方法
ヒト患者やモデル動物由来の培養細胞、骨髄細胞、脳組織、体液を採取・保存あるいは培養し、形態観察、化学分析、遺伝子分析などを行った。モデル動物は自然発生のスライ病マウス、C型ニーマン・ピック病マウスのほかに、β-ガラクトシダーゼ欠損ノックアウトマウス、β-ガラクトシダーゼ遺伝子導入トランスジェニックマウス、α-ガラクトシダーゼ遺伝子導入トランスジェニックマウスを人工的に作成した。これらの材料を用い、最終的な病態矯正を目指して、脳内セロトニンとシナプス、変異蛋白質発現と神経細胞死などの基礎的データを集積するとともに、遺伝子治療、酵素補充、酵素活性化などの分子治療実験を行った。すなわちラット胎児やβ-ガラクトシダーゼ欠損ノックアウトマウスの新生児へのアデノウイルスベクターによる遺伝子治療、マクロファージをキャリアーとした中枢神経系への遺伝子・酵素蛋白質導入を試みた。そしてファブリー病における変異蛋白質の細胞内機能の保護・安定化・活性化の目的に、欠損酵素の反応産物であるガラクトースの類似化合物である1-デオキシガラクトノジリマイシンを培養細胞やトランスジェニックマウスに投与し効果を判定した。
結果と考察
ラット脳でセロトニンが特異的受容体を介してシナプス数と興奮性を制御し、脳の可塑性に関与する可能性があることが分った。そして妊娠ラットを過密環境で飼育し、疼痛ストレスを与えたところ、仔ラット海馬のセロトニン濃度、シナプス密度が低下し、学習訓練後、新しい状況への対応能力の低下が認められた。セロトニンがシナプス密度を促進するとすれば、このアプローチが脳障害を発現する遺伝子病にも応用できる可能性がある。現在GM1 -ガングリオシドーシスモデル動物の脳について検討を開始したところである。このライソゾーム病において異常なシナプス形成が存在することが報告されているからである。セロイドリポフスチノーシスやC型ニーマン・ピック病では、変異遺伝子の発現、代謝阻害と細胞死との相関が確かめられた。遺伝子変異と神経細胞死の機構が明らかになれば、脳を守り治療予防法を開発できる可能性がある。このように、本研究は変異遺伝子の分子病態を解明し修復することを主要目的とするが、病態を矯正することにも臨床的には大きな意味がある。妊娠ラット子宮内への遺伝子導入は、投与時期により胎児組織の発現分布が異なり胎生12日で中枢神経系にウイルスベクターが感染した。β-
ガラクトシダーゼ欠損ノックアウトマウス新生児の経静脈的遺伝子治療により、短期間ではあったが脳内酵素活性が有意に上昇し、基質蓄積が減少した。β-ガラクトシダーゼを過剰発現するトランスジェニックマウス細胞が分泌する酵素をノックアウトマウスの培養液に添加したところ、細胞内活性の著しい上昇が見られた。個体発生の早期に遺伝子や蛋白質を全身臓器に投与して、脳を含む多くの細胞や組織に発現させようとする試みは、ヒト個体での実現はまだしばらく先の話であろうが、疾患モデル動物胎児・新生児への遺伝子投与の結果は、大きな機能分子が神経組織・ニューロンに到達する可能性を示唆しており、今後技術的側面の開発により、ヒト患者の治療に向けて詳細に検討する価値のあるアプローチ法であると考える。さらにβ-グルクロニダーゼ活性を発現するマクロファージをスライ病マウス罹患マウスに移植したところ、少なくとも5週間は活性が肝臓、脾臓で上昇した。成熟脳へのターゲティングの問題はさらに検討する必要がある。本年度の研究成果の中でもっとも注目すべきは新しい分子治療法の開発である。遺伝病の変異蛋白質の中には、単に細胞内安定性の変化により活性発現が阻害される場合がある。実際、α-ガラクトシダーゼのR301Q 変異遺伝子を持つファブリー病患者由来リンパ球培養液に1-デオキシガラクトノジリマイシンを添加した結果、細胞内酵素活性が8倍に上昇した(正常人の50%)。この化合物は変異遺伝子を過剰に発現する COS-1細胞、トランスジェニックマウスの線維芽細胞にも有効であった。この遺伝子組替えマウス個体にこの化合物を1週間経口投与後、心臓、腎臓、肝臓、脾臓及び血清中の酵素活性が著しく上昇した。経口投与を140日間継続後、マウスの体重、臓器重量などに変化は認められなかった。この低分子化合物はα-ガラクトシダーゼの特定の変異蛋白質に極めて有望な治療薬として用いることができる可能性がある。現在、ノックアウトマウス、トランスジェニックマウスの作製という発生工学的手法による実験材料の作成は、遺伝病の解析に不可欠である。単に正常遺伝子の導入のみならず、任意の変異を持った個体の作成は、自然発生の変異個体の表現型を著しく増強発現できるので、治療開発実験の重要な材料となる。
結論
現在、遺伝性ライソゾーム病に対しては、欠損酵素をヒト個体に投与する酵素補充療法という対症療法がすでに開始され、その有効性は広く確認されている。しかしながら、もっとも大きな問題である脳障害という臨床症状の改善、予防にはつながっていない。本研究ではこの側面の見直しを含め、病態を改善し、欠損酵素を細胞内で守るという新しい立場からの研究を開始した。ファブリー病に対する新しい分子治療法は、他の類似疾患にも適用が可能であり、疾患あるいは酵素特異的な化合物のスクリーニング、その有効性の確認を続けることにより、全く新しい概念の治療法が生まれるであろう。ただしこのアプローチはすべての変異遺伝子・蛋白質に適用できるものではないことは銘記すべきであり、ほかの方法による本質的な治療法も同時に検討しなければならない。その意味でシナプス形成や細胞死という基本的な病的現象をモデル疾患の解析を通じて明らかにすることは、さらに新しい発達脳障害の治療や予防につながると期待する。その意味で このグループ研究がこの数年以内に極めて大きな成果を上げる可能性がある。

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