高齢者の精神機能老化の機序解明とその対策に関する研究

文献情報

文献番号
199800272A
報告書区分
総括
研究課題名
高齢者の精神機能老化の機序解明とその対策に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
武田 雅俊(大阪大学大学院医学系研究科)
研究分担者(所属機関)
  • 新井平伊(順天堂大学医学部)
  • 神庭重信(山梨医科大学)
  • 山脇成人(広島大学医学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
-
研究費
17,500,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
老年期精神障害はその有病率の高さと高齢者人口の急増とにより、精神
医学の中でも重要な疾患となっている。脳の老化過程により精神機能が低下すると考
えられてはいるものの今なおその知見は断片的である。高齢者の精神機能の老化は、
知的機能・認知能力の低下にはじまるが、感情、意欲、性格の変化も大きい。本研究
では、まず、精神機能の老化を客観的に把握するための生物学的指標を明らかにする
研究を行った。
研究方法
新井は、免疫学的指標として高齢者のNK活性の加齢変化について検討した
。神庭は、ホルモン調節系としての視床下部-下垂体-副腎皮質系(PHA系)に関して検
討し、またHPA系の調節機構として脳内蛋白キナーゼB(Akt)系について検討した。山
脇は、高齢者のうつ状態の発症機構についての解明を進めているが、高齢者の脳血流
低下とうつ状態との関係から、神経伝達物質の検討としてセロトニン系について新た
に実験動物を用いて検討した。武田は、細胞内情報伝達系として神経細胞のストレス
応答蛋白について研究してきたが、家族性アルツハイマー病の原因遺伝子として同定
されたプレセニリン-1遺伝子とストレス蛋白の生物学的機能について検討した。
結果と考察
老化に伴う末梢免疫機能について、健常者91名を対象にしてNK細胞のキ
ラー活性・NKサブセットを測定し年齢との相関性を調べた。全体のNK活性に年齢との
相関性は見られなかったが、NKサブセットは特に活性の強いサブセットを中心に年齢
に相関して増加していた。加齢により個々のNK細胞のキラー活性は低下するが、細胞
数を増加することにより全体のキラー活性を保っている可能性が示唆された。NK活性
に影響を与えるIFN-γ・IL-1β・IL-4の産生能を測定し年齢との相関性を調べたとこ
ろ、IFN-γ産生能は加齢により増加し、IL-1βは加齢により減少、IL-4は加齢により
増加した。
老化による視床下部-下垂体-副腎皮質系(HPA系)の変化とHPA系を調節するプロテイ
ンキナーゼB/Akt系について検討した。老齢ラットのHPA系の反応性については、老齢
ラット、若令ラットともにデキサメサゾン前投与によってACTHストレスに対する反応
性に差は認められなかったが、血中コルチコステロンのストレスによる反応は若令ラ
ット群では完全に抑制されていたのに対して老齢群ではストレスによる上昇が観察さ
れた。また、海馬におけるAktシグナルについては、免疫組織学的検討により活性型
Aktの免疫活性が海馬CA1やCA3領域、下垂体、大脳皮質など広い領域の神経細胞に
認められ、海馬CA1領域において老齢群で有意な活性型Akt陽性細胞の増加が認めら
れた。
潜在性脳梗塞(SCI)に伴ううつ病の発症機序を解明する目的で、モデル動物作成を
試みた。従来、serotonin-2A(5-HT2A)受容体機能亢進を示すdexamethadone慢性処置
ラットがうつ病モデルとして報告されているが、今回の結果では、高血圧自然発症ラ
ット(SHR)にdexamethadone慢性処置をしても5-HT2A受容体結合能及びその関連行動に
変化を認めなかった。しかしながら、diazoxide によって軽度脳虚血処置を行った
SHRではdexamethadone慢性処置により5-HT2A受容体関連行動の有意な亢進が認めらた
。5-HT2A受容体結合能には変化が認められなかったことから、この病態は受容体以降
の情報伝達系に存在する可能性が示唆された。
家族性アルツハイマー病(FAD)の原因遺伝子として同定されたプレセニリン1(PS1)機
能について検討した。PS1は主に小胞体(ER)に局在するとされており、ERに負荷され
るストレスに対するPS1の反応は、老化脳の精神機能に影響する可能性がある。そこ
で、変異PS1と野生型PS1とのERに対するストレス反応性について比較検討した。変異
型PS1または野生型PS1を遺伝子導入した293T細胞や、内因性PS1をI213Tに改変した
knock-in mouseの初代神経細胞に、ERへのストレスとしてカルシウムイオノファまた
はtunicamycinを添加した。細胞障害の指標として培養液中のLDH量を測定したところ
、遺伝子導入細胞、knock-in細胞共に、変異型のPS1が存在すると、ERストレスに対
する脆弱性が上昇することが示された。ERストレスに対する細胞反応としてGRP78誘
導が報告されているが、各細胞のERストレス後のGRP78mRNAの発現についてNorthen
ブロットにて検討した。その結果、変異PS1発現細胞ではERストレス後のGRP78mRNA発
現が野生型発現細胞より低下することが示された。GRP78の発現は、ERに何らかのス
トレスが加わり折り畳まれない蛋白がERに蓄積されたときのunfolded protein
responseで起こるものであり、変異型PS1が発現していると、この機構発現が障害さ
れ、それが神経細胞の脆弱性に関与することが示された。
本研究では、脳の老化過程における細胞内・細胞間の相互作用の変化を明らかにし
、その生物学的指標を明らかにするとともに、精神機能老化による認知障害・感情障
害の発症機序を明らかにするための研究を行った。加齢変化による免疫系のNK活性の
検討結果から、加齢により個々のNK活性は低下するが、活性の高いサブセットを中心
としたNK細胞数が加齢とともに増加することにより、全体としてのNK活性を維持して
いるという可能性が示唆された。加齢によっても本来維持されるべきNK活性は、認知
障害・感情障害を呈する高齢者においての変化を検討することが必要である。加齢に
よるHPA系の調節機能の検討から、老齢ラットにおいてストレスに対するACTH反応性
の上昇が持続したが、ACTHは、視床下部において放出された副腎皮質刺激ホルモン放
出ホルモン(CRH)やバソプレッシン(AVP)が下垂体門脈系を介して下垂体に達した
ときに放出することから、ACTH反応性の差は、CRH、AVPの分泌、またはこの2つのペ
プチドに対する下垂体前葉細胞の反応性が、デキサメサゾンにより押さえられたこと
によって生じたと考えられる。デキサメサゾンの結果は、中枢および末梢でグルココ
ルチコイドによるネガィブフィードバックに老化による差が生じていることを示唆す
る所見と考えられ、今後更なる検討が必要である。Akt系については、これまで培
養細胞を中心にその存在と機能に関して検討が行われてきたが、本研究により、この
活性型であるpAktが生体内に存在することを明らかにした。pAktの免疫活性
は、海馬で強く認められ、老齢群ではCA1領域において、pAkt陽性細胞数が増
加していたので、老化に伴う海馬領域神経細胞のアポトーシスの制御機構に関係して
いる可能性もある。潜在性脳梗塞とうつ症状の発症については、潜在性脳梗塞モデル
動物としてSHRラットを用いて、脳内神経伝達物質の変化について検討した。WKY 系
で dexamethasone 慢性投与で 5-HT-2A 受容体の感受性が亢進していたが、 SHR 系
では変化が認められなかった。高血圧自然発症ラットにdiazoxideによる軽度脳虚血
負荷を行うとdexamethasone処置により5-HT2A受容体機能が亢進することが確認され
たことは、これらの処置をしたラットがSCIを伴ううつ病の病態モデル動物になりう
ることが示唆された。このようなストレス反応性に関する細胞内調節機構を検討する
ために、小胞体(ER)蛋白であるプレセニリン-1蛋白(PS1)の機能について検討し、脳
の加齢に伴うストレス反応性の低下がPS1を介して調節されている可能性について検
討した。変異型PS1はERストレスに対するGRP78の誘導を阻害することが示されたこと
を考えると、変異型PS1がGRP78誘導を起こすunfold protein response (UPR)を抑制
し、それが神経細胞の脆弱性につながることを示唆している。このような観点から、
PS1の機能、さらにはERストレスと脳の老化過程との関係が明らかにされる可能性が
ある。この機序については、UPRの上流でERストレスを関知するER膜蛋白であるIre1p
とPS1との相互作用が考えられる。
結論
各種サイトカイン産生能は脳の老化により変化しており、精神機能の老化現象
と関係していること、老化によるHPA系制御異常にはグルココルチコイドによるフ
ィードバック機構が関与しており、老化による海馬領域のpAkt陽性細胞の増加は精神
機能老化と関係していること、潜在性脳梗塞モデルラットが老年期うつ病モデル動物
として有用であること、プレセニリン-1変異により小胞体ストレスに対する反応が低
下しており精神機能老化にプレセニリン-1が関与することを明らかにした。

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