ヒト個体における老化機構の分子疫学的解明

文献情報

文献番号
199800208A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒト個体における老化機構の分子疫学的解明
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
山木戸 道郎(広島大学医学部)
研究分担者(所属機関)
  • 葛西宏(業医科大学産業生態科学研究所)
  • 中別府雄作(九州大学生体防御医学研究所)
  • 二階堂修(金沢大学薬学部)
  • 平井裕子(放射線影響研究所放射線生物部)
  • 若林敬二(国立がんセンター研究所がん予防研究部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
6,500,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本研究は、ヒト個体の老化及び寿命を遺伝子異常の蓄積による生理的老化という観点で捉え、これまでに提唱されてきたが直接的証拠の得られていない老化の仮説のうち、1、老化は体細胞遺伝子の突然変異の蓄積により生じる、2、遺伝子異常の蓄積の要因の一つは、遺伝子修復機能の低下であるとの2つの仮説の検証を行うことにより、遺伝子損傷に対する修復機能の低下及び遺伝子異常の蓄積とヒト個体の老化及び寿命との関係を解析することを目的とする。個体の老化に関しては、疾患及び寿命の追跡調査を行っている原爆被爆者集団の蓄積されたデータを有している。
研究方法
① 原爆被爆者及び疾患背景が参照可能であった症例について、末梢血単核球におけるテロメア長、テロメラーゼ活性と背景要因を解析した。アレルゲン曝露によるアレルゲン特異的メモリーTリンパ球におけるテロメラーゼ活性の変化を、ハウスダスト(HDM)感作アトピー型喘息患者について調べた。②原爆被爆者の末梢血単核球におけるヒポキサンチン・グアニン・ホスホリボシルトランスフェラーゼ(HPRT)及びT細胞抗原レセプター(TCR)遺伝子突然変異体頻度(Mf)と発癌率及び寿命について解析した。③活性酸素により生じる酸化的損傷ヌクレオチドのDNAへの取り込み及び変異の誘発を大腸菌をモデルとして調べた。④環境中に広く存在するノルハルマンとアニリンの結合した新規化合物の構造及びDNAへの付加体生成について検討した。⑤無限増殖能を得たウェルナー症候群患者(WS)の細胞について、原因遺伝子(WRN)の突然変異部位、mRNA及び蛋白質の発現量、p53蛋白質の発現量について調べた。⑥酸化ヌクレオチドを分解する酵素をコードするヒトMTH1遺伝子の遺伝的多型の連鎖関係及びMTH1を欠損したマウスの加齢に伴う病的変化の解析を行った。
結果と考察
山木戸は、原爆被爆者及び疾患背景が参照可能であった症例287例について、末梢血単核球のテロメア長、テロメラーゼ活性と背景要因を解析したが、統計学的に有意な関連性は認められなかった。しかし、炎症の場では、疾患活動性に関連して末梢血単核球のテロメラーゼ活性が検出されることを既に報告しているので、10名の喘息患者の末梢血単核球を、HDMで処理後、Tおよび非Tリンパ球画分に分画し、Tリンパ球画分はさらにメモリー及びナイーブTリンパ球に分画して、テロメラーゼ活性を比較したところ、メモリーTリンパ球画分にもっとも活性の増強が認められた。増強されたテロメラーゼ活性レベルにより10名の患者を2つのグループ(high responder5名,low responder5名)に分けると、high responder群は全例小児期にアトピー疾患の既往を有していたが、low responder群では、5例中1例のみが小児期アトピー疾患の既往があり、小児期のアトピー疾患の既往は、両群で有意差が認められた。この結果から、clonal expansionを繰り返した症例はテロメラーゼ活性増強能が強いことが予想され、末梢血単核球増殖時にテロメラーゼ活性の増強能が高い個体は、加齢に伴う免疫能の低下が少なく、テロメラーゼ活性の増強能の低い個体は、免疫能の老化が早い可能性も考えられた。平井は、原爆被爆者の末梢血単核球におけるHPRT MfとTCR Mfと癌発生率との関係を調べた。いずれのMf測定集団においても、Mfを平均の3倍以上高い群とその他の群に分けると、Mfの高い群が統計的に有意に発癌リスクが高かった。死亡時年齢とMfはいずれのMf測定群においても統計的有意差は認めなかった。癌の既往のある対象者について、死亡
群と生存群に分けて各群のMfを比較したが、有意な結果は得られなかった。血液細胞の突然変異の蓄積が老化に伴う疾患発生に強く関与していることが示唆された。これらの遺伝子は、発癌に直接関係した遺伝子ではないが、個体の癌関連遺伝子の突然変異を間接的に反映していることを示唆した。今後癌以外の老年疾患や寿命とMfの関係について、長期にフォローアップすることが必要であると考える。 葛西は、活性酸素によるDNA損傷の蓄積の機構を解明するために、活性酸素により生ずる酸化的損傷ヌクレオチドの細胞内DNAへの取り込みに着目し、2種の酸化的損傷ピリミジンヌクレオチド(dCTP,dTTPから生成される5-ヒドロキシデオキシシチジン5'-三リン酸(5-OH-dCTP)及び5-フォルミルデオキシウリジン5'-三リン酸(5-CHO-dUTP))について検討した。その結果、酸化損傷ピリミジンはDNAに取り込まれて蓄積し、濃度依存的に変異を誘発することが明らかとなった。誘発された突然変異は塩基置換変異で、自然突然変異にくらべ2-3倍高かった。 昨年、酸化損傷プリンヌクレオチドで同様の結果を得ているので、酸化損傷ヌクレオチドがDNAに取り込まれて蓄積され、変異を誘発するという経路が、活性酸素によるDNA損傷の蓄積の経路として一般的となった。環境中幅広く存在するノルハルマンは代謝活性化酵素の存在下でアニリンと共存させると変異原を示すことが知られている。若林は、この両化合物から生成される変異原物質の構造を解析し、アミノフェニルノルハルマンであることを明らかにした。この化合物はDNA付加体を生成し、付加体量は反応時間とともに上昇し、12時間反応で、108ヌクレオチドあたり20付加体量であった。 ノルハルマンはタバコの煙や加熱食品中に、アニリンもタバコの煙やある種の野菜中に存在しており、環境中には、単独では変異原性を示さない化合物が、結合により新規変異原物質を形成し、DNAと付加体を形成することが明らかとなった。二階堂は、遺伝的早老症を特徴とするWS細胞24株のうち4株が高い増殖能を示した(疑WS細胞と略す)ので、これらの細胞について、何故不死化したのか、その原因について検討した。ウェルナーの原因遺伝子WRNの変異について調べたところ、疑WS細胞には、日本人のWS細胞の60%以上に変異が報告されている3ヶ所の突然変異部位には変異を同定できなかった。しかも、WRN遺伝子mRNAの発現量の低下及びWRN蛋白量の低下や欠損も認めなかった。p53蛋白質の発現量には、低下が認められた。疑WS細胞を詳しく調べることにより、WRN遺伝子の突然変異と細胞の不死化の関連性、WRN蛋白質の機能および他の遺伝子との関係など、遺伝子レベルでの細胞の不死化機構の解明が期待できると考える。中別府は、酸化損傷ヌクレオチドプールの浄化に関わる酵素の一つであるMTH1が、転写、スプライシング、翻訳の各ステップで複雑な制御を受けていることを示した。また、MTH1には、スプライシングに変化をもたらす多型とアミノ酸の置換をもたらす多型がある。アミノ酸多型(Val83→Met83)に関しては、癌患者290例,パーキンソン病、結核、乾癬患者311例および健常人400例の合わせて1001例について調べ、11例がMet83ホモ接合体であった。特に、女性の肝細胞癌患者においてMet83ホモ接合体の頻度が10%と有意に高かった。アミノ酸多型とスプライシング多型とは、連鎖不平衡であることが示唆された。また、MTH1遺伝子欠損マウスに生じた病変、特に腫瘍に関しては、野生型では見られない胃の腫瘍の発生が有意であった(p=0.02)。肺及び肝臓の腫瘍は、野生型でも認められたが、欠損マウスでは有意差は得られないものの、発生頻度の上昇が観察された。MTH1遺伝子欠損マウスにおいて、老化に伴う自然発癌の発生頻度が有意に上昇したことから、MTH1の機能欠損が発癌リスクとなることを始めて示した。また、ヒト女性の肝癌患者において、Met83ホモ接合体の割合が平均の10倍以上であったので、Met83-MTH1は何らかの機能欠損を持っており、それが発癌の危険因子となっている可能性が示唆される。これらの結果は、遺伝子異常の蓄積が老化にともなう疾患の一つであ
る発癌に関与し、その蓄積が修復酵素の機能低下により生じるという仮説を間接的に支持する。今後、この系において、実際に酸化損傷ヌクレオチドの蓄積がどのくらいの頻度で生じているかを、検討する必要がある。
結論
①ヒト個体の老化が遺伝子異常の蓄積により生じるという仮説は、癌発生率と体細胞突然変異頻度が相関することにより強く支持された。しかし、癌を含め老化に伴う疾患を評価するには、個体の免疫能の低下を把握することが重要である。老化に伴う免疫能の個体差を評価する指標として、テロメラーゼ活性の有用性が示唆された。② 遺伝子異常の蓄積が遺伝子修復能の低下に基づくという仮説は、修復酵素欠損マウスにおいて加齢と共に癌の発生頻度が有意に高くなることから、間接的に支持された。③基礎的研究としては、遺伝子異常の蓄積の新しい機構が証明され、正常細胞の不死化機構を遺伝子レベルで解明できる細胞株を複数樹立した。

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