脳・神経系の老化度指標に関する研究

文献情報

文献番号
199800201A
報告書区分
総括
研究課題名
脳・神経系の老化度指標に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
佐藤 昭夫(東京都老人総合研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 板東充秋(東京都老人医療センター)
  • 水谷俊雄(東京都立神経病院)
  • 小野武年(富山医科薬科大学)
  • 千田道雄(東京都老人総合研究所)
  • 堀田晴美(東京都老人総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成8(1996)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
3,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
感覚機能や運動機能の正常老化の指標がほぼ確立されているのに対し、記
憶、学習、思考などの脳の高次神経機能の正常老化の指標はまだ確立されておらず、
そのため病的老化との鑑別が困難な状況にある。高齢者のQuality of Life を高め、
よりよい長寿社会を築くには、高次神経機能維持が不可欠であり、そのためには、高
次神経機能の正常老化の指標を確立することが急務である。本研究は、人を対象とす
る高次機能検査や臨床所見・病理所見と動物を用いた基礎研究との総合的な解析によ
り、脳・神経系の正常老化の過程を客観的に表す指標を見出すことを目的とする。具
体的には、(1)神経心理学的手法を用いて健常高齢者における記憶の加齢変化の特徴
を調べる目的で、本年度は相貌認知と物品線画認知の検査を作成し、視覚認知機能を
調べた(板東)。(2)病理学的手法により記憶過程に重要な大脳辺縁系の形態的正常老
化の特徴を調べる目的で、海馬と海馬傍回の断面積比とアルツハイマー神経原線維変
化を健常高齢者とアルツハイマー型痴呆や原発性海馬変性などと対比しながら調べた
(水谷)。(3)実験動物を用いて脳のニューロン活動を直接記録し、認知や情動に関
連する大脳辺縁系機能を調べる目的で、本年度は情動発現における扁桃体の役割をニ
ューロンレベルで解析した(小野)。高次脳機能の維持に重要な脳局所血流調節につ
いて、(4) PETを用い、健常高齢者における脳血流や脳代謝反応の加齢変化の特徴を
調べる目的で、歩行による局所脳代謝の増加を測定して加齢変化を調べた(千田)。
(5)実験動物を用いて、脳局所血流の神経性調節機序とその加齢変化を調べるために
、本年度は脳内コリン作動性神経による海馬の局所血流調節機能の加齢変化およびニ
ューロン保護作用の検討を行った(堀田)。
研究方法
(1)モーフィングソフトを用い、課題と同じ顔を選ぶ検査と、他の2つと異
なる顔を選ぶ検査を作製した。Snodgrass and Vanderwart(1980)の標準化された画
像刺激を用いて、与えられた物品線画に関係する線画を選ぶカテゴリカルマッチング
検査を作製した。(2) 16~102歳の健常例94例、アルツハイマー型痴呆52例、原発性
海馬変性9例の剖検脳の髄鞘染色標本をもとに海馬と海馬傍回の断面積と断面積比を
計測し、その結果と病理組織学所見を検討した。(3)情動発現や認知・記憶における
扁桃体の役割を明らかにするため、サル扁桃体からニューロン活動を記録し、外界の
各種感覚刺激の意味認知およびそれに基づくレバー押し行動に対するニューロンの応
答様式を解析した。(4) 22歳から88歳の健常人14名を対象に、1週間の間隔をあけて
、安静時および歩行時の2つの条件でFDG-PETによる脳糖代謝の測定を行った。歩行
時の測定は、FDG投与直後より被検者に歩行をさせ、45分後からPETカメラで撮影する
ことにより、歩行中の脳糖代謝を歩行後に測定した。(5)麻酔した成熟および老齢ラ
ットを用いてレーザードップラー法で海馬局所血流を測定し、ニコチン性アセチルコ
リン受容体刺激による反応とその加齢変化を調べた。次に、ニコチン性アセチルコリ
ン受容体刺激が虚血の際の海馬局所血流反応と虚血による海馬遅発性ニューロン死に
及ぼす効果を調べた。
結果と考察
(1)相貌認知検査は、課題と同じ顔を選ぶ検査と、他の2つと異なる顔を
選ぶ検査のどちらでも、年齢による差は明らかでなかった。視覚失認例では低下が明
らかであった。物品線画の認知検査でも年齢による差は明らかでなかった。一方、視
覚失認例では低下が明らかであった。今回作成した相貌認知検査は、右半球機能を反
映した、視覚認知の入力側の機能をみる、画像的に複雑な検査である。物品認知検査
は、左半球機能を反映した、視覚認知の入力から意味記憶までをみる、画像的に単純
な検査である。いずれの検査も加齢での低下はなく、視覚認知機能は老化による影響
が少ないと考えられる。(2) 健常例では海馬および海馬傍回の断面積は加齢に伴い同
様の割合で減少し、海馬/海馬傍回は一定の値を示した。アルツハイマー型痴呆では
海馬傍回の断面積が海馬に比べてより高度に減少した。原発性海馬変性例では、海馬
、海馬傍回ともに対照年齢に比べてやや断面積が狭い傾向がみられたが、断面積比は
健常例と差は認められなかった。アルツハイマー神経原線維変化が海馬だけに限局し
て出現する原発性海馬変性で海馬と海馬傍回が同様の割合で萎縮していることから、
アルツハイマー神経原線維変化が断面積比に直接影響を与えるとは言えないことが示
された。(3)記録した総数710個のニューロンのうち79個は視覚刺激に生物学的な価値
があれば応答し、1) 食物や水の摂取によりサルが満腹状態になるに従って報酬物体
に対する応答が低下する、2) ヒトがサルに接近や後退するとニュ-ロン活動が変化
するが、見慣れた非食物の接近や後退では変化しないことなどが明らかになった。一
方、47個はいくつかの特定物体に応答した(選択応答ニュ-ロン)。これら選択応答ニ
ュ-ロン中には、顔の表情の変化や報酬を期待できる状況などに応答するニュ-ロン
が存在することが確認された。以上の結果より、扁桃体が感覚刺激の価値評価に重要
な役割を果たすことが示された。これらのニュ-ロンはヒトの接近や後退、あるいは
報酬を期待できる状況に応じて活動が変化したことから、扁桃体は海馬体や前頭葉と
の相互連絡により空間情報や文脈に関する情報を受けて総合的に感覚刺激の価値評価
や意味認知を行うと考えられる。(4)安静時と歩行時のPET画像を三次元回転平行移動
により位置あわせし、MRIに重ね合わせた結果、すべての被検者において、歩行によ
り小脳虫部の糖代謝が増加した。小脳虫部の賦活程度を安静時に対する割合で表すと
、20歳代の若年者で約40%の賦活が見られたが、80歳代の高齢者では約20%と低く、加
齢による賦活の低下が見られた。加齢に伴う賦活の程度の低下は老化に伴う脳の反応
性の低下を示唆している。(5) 3-10ヶ月齢成熟ラットではニコチン30_100 _g/kg静脈
内投与により血圧に依存せずに海馬局所血流が投与前の120-140%に増加し、30分程
度持続した。23-26ヶ月齢老齢群では成熟群と同程度の反応が観察されたが、32-42ヶ
月齢老齢群では反応が著しく減弱した。虚血により海馬局所血流は虚血前の5-15%ま
で低下するが、虚血5分前のニコチン投与により虚血による血流低下が減弱した。海
馬CA1正常ニューロン数は6分虚血により正常の半分まで減少したが、虚血前にニコチ
ンを投与すると正常の2/3程度となり、ニコチン非投与より有意に多かった。昨年度
までに脳内コリン作動性神経による大脳皮質血流調節機能が、ニコチン性アセチルコ
リン受容体の機能低下により、加齢と共に低下することを明らかにしたが、本年度は
海馬でもニコチン性アセチルコリン受容体機能が加齢により低下する事実を明らかに
した。さらにこの脳内コリン作動性神経が虚血の際に起こる血流の著しい低下を減弱
し、海馬のニューロンを保護する作用を持つことが示唆された。脳内コリン作動性神
経系の加齢に伴う機能低下は、脳局所血流調節機能の低下、さらには高次神経機能の
低下につながると考えられる
結論
本研究により、正常老化では視覚認知機能はあまり低下しない事実が明らかに
なった。記憶に重要な海馬および海馬傍回は正常老化では同程度に萎縮が起こること
や、扁桃体が感覚刺激の価値評価に重要な役割を果たすことを示された。さらに高次
神経機能維持に重要な脳局所血流や代謝に関して、歩行による脳代謝賦活反応および
脳内コリン作動性神経による海馬の血流調節機能が加齢により低下することや、脳内
コリン作動性神経がニューロン保護作用を持つことが示唆された。これらの機能は高
次神経機能の正常老化の指標として有用である。

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