和歌山市における毒物混入事件に関する臨床研究

文献情報

文献番号
199800094A
報告書区分
総括
研究課題名
和歌山市における毒物混入事件に関する臨床研究
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
谷村 弘(和歌山県立医科大学附属病院長)
研究分担者(所属機関)
  • 山内博(聖マリアンナ医科大学助教授)
  • 木下純子(和歌山市保健所長)
  • 杉本侃(日本中毒情報センター理事長)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生科学特別研究事業
研究開始年度
平成10(1998)年度
研究終了予定年度
-
研究費
13,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
平成10年7月25日、和歌山市園部地区において集団発生した毒物中毒事件による67名の患者(うち4名死亡)の救急治療に関して、治療を担当した医療機関の医師を中心に研究を実施し、その原因究明と初期治療等について調査することにより今後の我が国におけるこのような急性薬物中毒の集団発生時の対策に役立てることを目的とする。
研究方法
毒物混入事件における67名の患者(4名死亡)の救急治療に関して、研究方法は、医療を実施したすべての患者について診療録等から診療情報を得て、特に初期治療について調査し、救急治療を担当した医療機関の医師を中心に毒物中毒に係る症例経過について、中毒症状及び臨床検査値異常に関する臨床的観察の詳細な記録を集計し分析検討を行った。まず、砒素中毒の急性期の臨床症状として、消化器症状は嘔気と嘔吐、腹痛、下痢について、循環器症状としては低血圧とショック、眼症状としては、結膜炎をした。亜急性期の臨床症状としては知覚異常と皮膚症状、慢性期の臨床症状としては3ヶ月後の爪の変化(Mee線条、白斑、Beau線)と末梢神経障害を調査した。
さらに、砒素中毒の臨床検査所見として、心電図の変化(QTの延長、T波の陰性化、ST-Tの変化)、白血球数の減少、骨髄所見、胸部レントゲン写真、肝機能検査値異常、腎機能検査値異常、皮膚生検による病理組織学的所見を検討した。
一方、尿中砒素排泄量については、無機砒素(iAs)、メチル化砒素(MA)、ジメチル砒素(DMA)、トリメチル化砒素(アルセノペタイン、TMA)の分別測定を、超低温補修-還元気化-原子吸光光度計で行った。その結果については、亜砒酸とその代謝産物の総和(IMD;iAs+MA+DMA)で評価し、実測値は尿中クレアチニン濃度で補正したものを用いた。特に妊婦と胎児に及ぼす影響についても分娩を待って検討した。毛髪中砒素濃度についても測定した。
他方、治療法については、酸素吸入、カテコラミンの投与、チオ硫酸ナトリウムの投与、亜硝酸ナトリウムの投与、胃洗浄を行った症例について臨床症状との関連性を検討した。
なお、日本中毒情報センターに協力を求め、急性砒素中毒に関する国内外の文献検索を行い、治療法と今後の予後予測について検討した。
結果と考察
カレーを摂取した症例は1歳から68歳と広く分布し、男性29例、女性34例(妊婦4例を含む)であった。
1. 砒素中毒の臨床症状
1)急性期の臨床症状としては主なものは消化器症状であり、ほとんどの者が激しい嘔気(92.1%)と嘔吐(93.7%)であり、嘔吐の出現は5分以内が28例と多かったが、30分を経過してから嘔吐した者も6例あった。しかし、嘔吐しなかった症例もあり、必須の症状とは言えない。
腹痛(31.7%)を伴うものもかなりあった。下痢の症例は54.0%にあり、毒物混入カレー摂取直後からの下痢は注目すべき症状の一つであることが判明した。
循環器症状としては、成人の症例で低血圧が数日間持続した症例もあった。
眼症状として結膜炎を呈した者が11例にみられ、1例は2週間持続した。
2)亜急性期の臨床症状としては知覚異常が13%に認められた。毒物摂取当日から訴えていた者はわずか3例にすぎなかった。
皮膚症状としても紅疹が21%、丘疹が11%であった。約3週間で消退した。
3)なお、慢性期の症状として3ヶ月後に爪の変化を呈したのは76%(16/21)もあり、Mee線条10例、爪全体の白斑7例、Beau線11例、その他の爪の変化5例を認めた。
また、16~50歳の8例で「じんじん」または「ぴりぴり」とする左右対称性で遠位優位末梢神経障害が認められた。
2. 砒素中毒の臨床検査所見
1)心電図の変化
①QTの延長が砒素摂取後4~7日に51%(23/45)症例に認められ、2週間で正常化した。
② T波の陰性化が同様に4~6日に42%に認められ、20日間持続したのもある。
③ ST-Tの変化も22%認められ、18日間持続したのもある。
④ このように心電図は砒素中毒では必須の検査である。
⑤低血圧となった症例は成人症例41例中34%であり、ショックに至った症例ではカテコラミンの大量投与にも反応せず輸液量が7,000ml以上必要とした症例もあるなど、砒素中毒の急性期には水分のthird spaceへの移動が特徴的である。
2)白血球数の減少
砒素摂取後3~7日に白血球数が低下したのは47%あったが、最低値は低下開始後3日以内に認められた。
3)骨髄所見
発症4~6日に有核細胞の核の変化と好塩基顆粒が細胞質に認められるのが鉛中毒と同様に重金属の特徴であり、摂取した亜砒酸は骨髄に対し強い影響を現すことがわかった。
4)胸部レントゲン写真
CTRが50%以上が35.3%(12/34)認められ、肺門増強38.2%、胸水貯留が23.5%認められ、水分がthird spaceへ移動していることを示す所見であり、砒素中毒の新しい指標になると考えられる。
5)肝機能検査
GOTやGPTの上昇が49%に認められ、砒素摂取後4日目から始まり、最高値を示したのは6日目から7日目であり、GOTは11日目で正常となるがGPTは正常となるまでGOTより時間を要した。
6)腎機能検査
蛋白尿が50%に認められ、尿中砒素濃度とBUNおよび尿NAGとの間に強い相関を認めたことから、砒素の急性期腎障害は近位尿細管障害と考えられる。ただし、1ヶ月後には完全に正常化した。
7)皮膚生検
汗疹状赤褐色帽針頭大丘疹が集簇していた症例の皮膚生検で得られた病理組織学的所見は血管周囲に非常に稠密な細胞浸潤があり、その中央の血管は膨化しており、砒素中毒の新しい指標になると考えられる。
3. 尿中砒素排泄
砒素の分別測定は分担研究者の報告通りである。すなわち、無機砒素(iAs)、メチル化砒素(MA)、ジメチル砒素(DMA)、トリメチル化砒素(アルセノペタイン、TMA)の分別測定を、超低温補修-還元気化-原子吸光光度計で行った結果亜砒酸とその代謝産物の総和(IMD;iAs+MA+DMA)で評価し、実測値は尿中クレアチニン濃度で補正したものを用いたところ、63名の尿中砒素濃度の経時的推移は、亜砒酸摂取後1日目の尿中IMD濃度は10名の平均値で9029μgAs/g. creatine、10日目で1148μgAs/g. creatine、30日目で160μgAs/g. creatineであった。尿中IMD値が正常値範囲(50μgAs/g. creatine)に回復したのは摂取後2-3ヶ月目であった。摂取早期においては無機砒素の比率が高く時間の経過に従い亜砒酸の最終代謝物であるDMAの割合が高くなった。
4. 毛髪中砒素濃度
頭髪中砒素濃度の最高値は、一般健常者100名の平均頭髪中砒素濃度は0.08μgAs/g と比較し、38例のうち、94.7%が0.1μgAs/g以上の値を示し、平均は0.63μgAs/gであり、最高値は2.13μgAs/gであった。
5. 治療法:重症群で酸素吸入が83%施行されており循環不全呼吸不全に有効であった。カテコラミンは重症群で50%に投与されており、循環不全の改善有効であった。輸液は重症群の94%で施行され、平均3.4L/日なされた。チオ硫酸ナトリウムの投与より成人では合併症は認められなかったが、学童期以下の症例では36.4%(8/22)に投与されたが、ある兄弟症例で肝機能の上昇が認められた。3%亜硝酸ナトリウム10mlの投与は2症例で3回が投与された。メトヘモグロビンの増加とBase Excessの低下を認められ、1回は代謝性アシドーシスの補正がなされた。胃洗浄を行った症例が特に経過が良好という成績は得られなかった。
6. 考察
このような大規模な砒素の大量曝露による急性中毒の集団発生した67例中63例を救命できた事例は我が国のみならず世界的にもなく、薬物中毒に関する健康危機管理の観点からも極めて貴重な資料である。不幸にして例が特に経過が良好という成績は得られなかった。
結論
毒物中毒事件の経験を踏まえて、毒物等に対する治療等についてとりまとめを行い、今後の同種事件の際の対応に資することができる成績が得られた。このような大規模な砒素の大量曝露による急性中毒の集団発生および67例中63例を救命できた例は我が国のみならず世界的にもなく、薬物中毒に関する健康危機管理の観点からも極めて貴重な資料である。不幸にして同様の急性砒素中毒の患者が多発した場合には大いに参考になるものと考えられる。

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