N-3系脂肪酸の摂取とJapanese paradox

文献情報

文献番号
199800081A
報告書区分
総括
研究課題名
N-3系脂肪酸の摂取とJapanese paradox
課題番号
-
研究年度
平成10(1998)年度
研究代表者(所属機関)
斎藤 衛郎(国立健康・栄養研究所)
研究分担者(所属機関)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生科学特別研究事業
研究開始年度
平成8(1996)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
2,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
魚油に特異的に多く含まれるEPA、DHA等のn-3系の脂肪酸は非常に酸化され易く、生体内において過酸化脂質・フリーラジカルを生成し、抗酸化剤としてのVEの要求量を高める事は良く知られている。従って、過酸化脂質・フリーラジカルの生成亢進に伴う種々の有害な、例えば、動脈硬化を伴う循環器疾患等の発症率の増加が予想される。しかし、イヌイットや日本人のように魚食民族に循環器疾患の発症が少ないことを考える時、これらのn-3系脂肪酸は、生体内ではその酸化のされ易さから予測される程には過酸化脂質・フリーラジカルの生成を高めてはおらず、有害な影響も及ぼしていないのではないかと想像される。そこで、一つの仮説としてJapanese paradoxを提唱した。すなわち、「日本人は魚をよく食べる。魚油の構成脂肪酸として存在するDHAやEPAのような不飽和度の大変高い脂肪酸は、非常に酸化され易く、生体内においても、有害な過酸化脂質・フリーラジカルを生成して組織に傷害を及ぼし、生活習慣病、老化促進、寿命の短縮等の原因となるはずである」との考えに対して「魚油の摂取は、その中に特異的に多量に含まれるn-3系脂肪酸のEPAやDHAの生理効果により生活習慣病の発症を予防し、日本人の長寿をもたらしている」とする2つの相対峙する考えである。平成8、9年度と過去2年間に渡って過酸化脂質・フリーラジカル生成抑制の面から後者の推察を裏付ける結果を示して来た。3年目の本年度は、DHAを摂取した場合でも、その酸化のされ易さ、すなわち、過酸化脂質・フリーラジカルの生成度(Peroxidizability Index ; P-Index=(dienoic % x 1) + (trienoic % x 2) + (tetraenoic % x 3) + (pentaenoic % x 4) + (hexaenoic % x 5))から予測される程には過酸化脂質の生成を高めないその抑制機構が、従来用いてきた幼若ラットの代わりに成熟ラットを用いた場合でも同様に発現するのかについて比較検討した(実験1)。また、n-3系脂肪酸の摂取で、たとえ低レベルでも過酸化脂質・フリーラジカルの生成が長期に維持され続けると、生体に有害な影響を惹起する可能性は否定できない。そこで、n-3系脂肪酸を摂取した場合でも、組織の過酸化脂質を著しく高めず、なおかつ、その生理的有効性、とくに血清脂質の改善効果を充分に引き出すためのn-3系脂肪酸のα-リノレン酸(α-LN)、EPA、DHAの適正な組み合わせ(混合比率)についても検討した(実験2)。
研究方法
実験1;実験には、1年齢のSD系の雄ラット(体重500-750g)を使用した。試験飼料の組成はAIN-76組成に準じて調製したが、脂質レベルは重量%で10%(エネルギー%では21.6%)とした。オリーブ油、サフラワー油、純度約78%のDHAエチルエステルを混合して、飼料中のDHAのレベルがエネルギー%で0(対照群)、0.5、1.0、3.1、8.4%になるようにするとともに、DHAの最大レベルの群にはポリフェノール系の抗酸化剤であるルチンを重量%で1.0%添加した群も設けた。対照群は、リノール酸(LA)のレベルがDHAの最大レベルとほぼ等しい8.9エネルギー%とした。VEのレベルは飼料100g中で20IU(RRR-α-トコフェロールとして13.4mg)に統一した。その時の飼料脂質の脂肪酸組成は、対照群はLAを41.0%含み、DHA群は、DHAをそれぞれ2.2、4.4、14.5、38.6%含んでいる。その他の脂肪酸としては、大半はオレイン酸である。脂肪酸組成から計算したP-Indexから、DHA群は、対照群と比べてそれぞれ約0.6、0.9、2.3、5.5倍酸化され易いことになる。本飼料を自由摂取として1ヶ月間与えた。なお、飼育中は、飼料中のDHAの酸化を出来るだけ抑えるために、-80℃で保存しておいたDHA濃縮油を飼料投与直前に混合するとともに、夕方飼料を与え翌朝取り除く方法を取った。飼育終了後、心臓採血により血液を採取
するとともに、組織を取り出して分析に供した。
分析項目は、血清の過酸化脂質量(TBA値と水溶性蛍光物レベル)および組織の過酸化脂質量(共役ジエン量、ケミルミネッセンス強度、TBA値と肝臓ミクロソームのリポフシン量)および過酸化脂質のスカベンジャー成分レベル、さらに、組織脂質の脂肪酸組成をガスクロマトグラフィー法で分析した。
実験2;実験1と同様に行ったが、ここでは幼若ラット(体重70-90g)を用いて行った。飼料脂質は、ラードとサフラワー油を基本とし、それらにα-LNリッチのしそ(Perilla)油、EPA濃縮油(純度97%)およびDHA濃縮油(純度92%)を混合して調製した。対照群は総多価不飽和脂肪酸のレベルが各n-3系脂肪酸を混合した群の総多価不飽和脂肪酸のレベルとほぼ等しい群(高LA群)とした。VEのレベルは飼料100g中で10IU(RRR-α-トコフェロールとして6.7mg)となるように調製した。この時の飼料脂質の脂肪酸組成は、対照群はLAを約62%含み、LA群はLAを約23%、α-LN群はα-LNを約25%、EPA群はEPAを約24%、等量混合群はα-LN、EPA、DHAをそれぞれ約13%前後、DHA群はDHAを26%、高レベルDHA群はDHAを約45%含んでいる。各n-3系脂肪酸群はLAもLA群とほぼ等しい20%程度含んでいる。脂肪酸組成から計算したP-Indexから、α-LN群は対照群の約1.9倍、EPA群は約2.8倍、DHA群は3.3倍、高レベルDHA群は約4倍酸化され易いことになる。本飼料を自由摂取として1ヶ月間与えた。その他の方法は実験1と基本的に同じである。
結果と考察
実験1では、次の結果を得た。(1)肝臓、腎臓、心臓の総脂質脂肪酸組成では、DHAの投与によってDHAのレベルが上昇したが、心臓と肝臓での上昇が著しく、腎臓での上昇は少なかった。睾丸では、DHAレベルの上昇は非常に低く、脳ではほとんど変動しなかった。(2)血清と肝臓において、摂取するDHAのエネルギー%の上昇とともに過酸化脂質が増加し、スカベンジャー成分ではVEが減少した。このことから、飼料中DHAレベルの上昇は生体内過酸化脂質を増加させるとともにVEの要求量を高めることが成熟ラットでも確認された。(3)肝臓では、共役ジエン量とケミルミネッセンス強度は、組織総脂質の脂肪酸組成から計算したP-Indexの変動とほぼ一致していた。しかし、TBA値はP-Indexから予測されるほどには高まらなかった。これは、生体内の過酸化脂質生成過程において、脂質過酸化反応を初期の段階からさらに進行するのを抑制するメカニズムが働いたためと考えられ、幼若ラットでは見られない変化であった。(4)腎臓、睾丸、脳、心臓においては、過酸化脂質の生成は高まらず、VEの減少も比較的少なかった。組織によってアスコルビン酸やグルタチオンの生成が高まったことも過酸化脂質の生成抑制に関与していると思われる。(5)幼若ラットと比べると、成熟ラットの体内では過酸化脂質の生成を抑制するメカニズムが効果的に働いていると推測される。また、組織脂質脂肪酸組成中のDHAが増加しにくいことも過酸化脂質を増加させにくい要因の一つと考えられる。(6)日本型の食生活から多く摂取されるフラボノイド系抗酸化剤の一つであるルチンによる影響は、血清の過酸化脂質生成に対して抑制傾向が認められたが、組織の過酸化脂質生成に対しては有意な影響は見られなかった。
実験2では、次の結果を得た。(1)血清での過酸化脂質生成は高レベルDHA群で高まっていたが、血清GOT、GPTの活性にはほとんど変化が見られず、n-3系脂肪酸を投与した全ての群で組織実質細胞の傷害は起きていなかった。(2)肝臓の過酸化脂質レベルは、DHAを主成分とする群(DHA群)と高レベルDHA群で、特に後者で著しく高まり、逆にVEは最も低値を示した。また肝臓では、アスコルビン酸やグルタチオンが高レベルに維持されていることから、このことがVEの抗酸化能を高める要因になっていると考えられた。(3)腎臓では、EPAを主成分とする群(EPA群)、n-3系脂肪酸の等量混合群及びDHA群のTBA値のみが有意に高まっていたが、対照群との差はわずかであった。過酸化脂質スカベンジャー成分のレベルにも大きな変化がなかったことから、腎臓では肝臓ほどには、過酸化脂質が生成されないことが成熟ラットでも認められた。(4)睾丸では、共役ジエン量とTBA値がDHA群でのみわずかではあるが有意に増加した。しかし、過酸化脂質スカベンジャー成分のレベルは大きくは変動せず、睾丸は過酸化脂質が増加しにくい組織であることを再確認した。(5)心臓での過酸化脂質の生成は、共役ジエン量が良いレスポンスを示したが、TBA値は高レベルDHA群でのみ増加していた。また、VEレベルが測定した組織の中で最も高く、アスコルビン酸やグルタチオンの大きな変化も見られなかったことから、心臓は脂質過酸化反応が進行しにくい組織であることが考えられる。(6)血清脂質濃度は、n-3系脂肪酸を投与した全ての群で有意に減少し、血清脂質の改善作用が見られたが、その作用はDHA群ないし高レベルDHA群で強い傾向にあった。(7)n-3系高度不飽和脂肪酸を摂取した場合でも組織の過酸化脂質を著しく高めず、なおかつ、血清脂質の改善効果を充分に引き出すための組み合わせは、α-LNを豊富にしたとき(α-LN:EPA:DHA=5.5:1.0:1.0)、およびα-LN、EPA、DHAの各脂肪酸を等量ずつ混合したときが最適と推察された。
結論
以上、3年間に渡り、DHAを中心としたn-3系脂肪酸の摂取と各組織における過酸化脂質・フリーラジカルの生成について、主に過酸化脂質スカベンジャー成分の変化と総脂質、中性脂質及び各種リン脂質への脂肪酸の取り込みと脂肪酸組成変化の面から検討した結果を報告した。また、抗酸化剤としてのVEやルチンの影響、動物の年齢の影響、そして更には、組織の過酸化脂質の生成を著しく高めず、なおかつ、生理活性を充分に引き出せるような食餌脂質中の各n-3系脂肪酸の組み合わせについても検討した。こうした研究が、n-3系脂肪酸が持つ多くの生理機能を有効に引き出すための一助となることを期待して止まない。
最後に、本研究で得られた一連の現象を Japanese paradox として提案したい。すなわち、“魚油の構成脂肪酸として存在するDHAやEPAのような不飽和度の大変高い脂肪酸は、非常に酸化され易く、生体内においても、有害な過酸化脂質・フリーラジカルを生成して組織に傷害を及ぼし、生活習慣病、老化促進、寿命の短縮等の原因となるのではないか"と考えられるが、その確証はなかなかつかめなかった。それどころか、日本人は循環器疾患をはじめとした生活習慣病の発症が総じて少なく長命である。その有効成分としては魚油に特異的に多量に含まれるn-3系脂肪酸のEPAやDHAの生理効果によるところが大きいと思われるが、そうした効果に加えて、本研究で明らかにされたように、生体内には、過酸化脂質・フリーラジカルによるような有害な作用を生体防御の処理可能な範囲に止めて、体を守るための巧妙なメカニズムの働いていることが判明した。この3年間の間にそうしたメカニズムを明らかにしてきたが、n-3系脂肪酸にはこの他にも、いまだ知られていない、有害なフリーラジカル反応に対して抵抗性を示す性質があるのかもしれない。例えば、リン脂質のsn-2位に取り込まれたDHAが酸化に対して抵抗性を示すようなエネルギー的に安定なコンフォメーションを取ることはその例としてあげられるかもしれない。そうした作用が効果的に発現され、それによりn-3系脂肪酸の有効性が増強され、ひいては日本人の長寿に結びつく要因となっているのではないかと推察される。魚食民族が長命であることの一つの傍証となるのではないだろうか。
以上の結果を踏まえて、標題にあるn-3系脂肪酸の摂取とJapanese paradoxの成立要因を過酸化脂質・フリーラジカル生成抑制の面からヒトにあてはめて考えるなら以下のようになる。
成立のための前提条件
1.油の酸化されていない新鮮な魚を食べる
2.抗酸化剤としてのVE、VCの充分な摂取
3.グルタチオンの供給源となる含硫アミノ酸に富む良質なタンパク質の充分な摂取 
4.n-3系脂肪酸のα-リノレン酸、EPA、DHAの適正な組み合わせと、n-6系脂肪酸との適正な比率の維持
成立するための要因
1.VE、VC、グルタチオンを中心とした抗酸化機能の亢進
2.組織ごとのn-3系脂肪酸、とくにDHAの取り込みの変化
3.組織中性脂質へのDHAの蓄積増加
4.リン脂質、とくに、フォスファチジルエタンールアミン(PE)へのDHAの取り込み増加
5.リン脂質中で立体的に安定なコンフォメーションを取ることによる酸化に対する抵抗性の増強
6.ペルオキシゾームβ-酸化系でのDHAの分解の促進

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