糖尿病網膜症の網膜微小循環障害機序に関する研究

文献情報

文献番号
199700916A
報告書区分
総括
研究課題名
糖尿病網膜症の網膜微小循環障害機序に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
桐生 純一(京都大学大学院医学研究科)
研究分担者(所属機関)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 感覚器障害及び免疫・アレルギー等研究事業(感覚器障害研究分野)
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
-
研究費
3,900,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
糖尿病網膜症は成人における視力障害の主要原因であり、その病態解明、治療法の確立は重要な課題である。糖尿病網膜症は糖尿病における細小血管症の代表的なものであり、網膜毛細血管床における血流の障害がその成因に大きく影響することが、蛍光眼底造影所見などをふまえて注目されている。網膜血管のような微小循環動態に影響を与える因子としては、組織灌流圧、血管内皮細胞および血液レオロジーがあげられ、さまざまな知見が得られている。このうち血液レオロジーに関しては、従来、赤血球動態だけが注目を集めてきたが、近年の研究によって、さまざまな臓器の微小循環において白血球も重要な役割を果たしていることが明らかとなった。白血球の直径は毛細血管の内径より大きいにもかかわらず、赤血球と比較して変形能が非常に低く、生理的な条件下でも毛細血管を一時的に塞栓することが知られている。さらに白血球はその接着能によって不可逆性の毛細血管閉塞を起こして、血管内皮細胞を障害する可能性もある。当該研究では、循環障害の動物モデルにおいて網膜微小循環における白血球の動態および血管内皮との接着、血管外への遊走について観察した。さらに血流障害を改善する薬物の影響について検討した。
研究方法
acridine orange digital fluorographyは、麻酔した有色ラット(Long-Evans)の尾静脈を確保し、acridine orangeを静注して走査型レーザー検眼鏡(SLO)でビデオ眼底造影を行った。acridine orangeは細胞核内のDNAと反応して緑色の蛍光を発する。この複合体の蛍光特性はフルオレセインのものとほぼ一致しており、通常のビデオ蛍光眼底撮影のセットアップで観察が可能であった。血液中の細胞核を有する血球成分はほとんど白血球であり、網膜血管内を流れる白血球を画像化することができる。映像はビデオテープに録画したものをコンピュータに取り込んで画像解析を行った。倍率はラットの視神経乳頭部をSLOで撮影した後、眼球を摘出して顕微鏡下に乳頭径を計測し、モニター上で画像ソフトを用いて計測した乳頭径との比率を求め換算率を算出した。ビデオレート(毎秒30フレーム)で捉えた白血球のモニター上での移動距離と換算率から網膜毛細血管における白血球速度を求めた。また網膜血管で囲まれた一定の範囲をとり、その面積を画像ソフト上でピクセル数とさきの換算率から求め、さらに網膜内にトラップされた白血球数を計数して面積で除算して白血球密度を算出した。また一定時間内の血管内皮へのローリング現象の頻度も測定した。実験的糖尿病ラットは有色ラットにストレプトゾトシン(STZ:80 mg/kg)を投与して作成した。STZ投与後4週目にacridine orange digital fluorographyにより網膜の白血球動態を観察した後、網膜内に捕捉された白血球数を算出した。また網膜微小循環障害モデルとしてラットの眼動脈をナイロン糸で60分間結紮して虚血再潅流障害を作成した。虚血再潅流モデルを作成後1,2,4,6,12,24,48,96,168時間後にacridine orange digital fluorographyにより網膜の白血球動態を観察し、網膜内に捕捉された白血球数を算出した。により網膜の白血球動態を観察した後、網膜内に捕捉された白血球数を算出した。さらに虚血再潅流障害における接着分子の影響を評価するために、再潅流前にP-selectinモノクローナル抗体及びICAM-1抗体を投与して、抑制効果の有無を定量的に評価した。また微小流路を用いた毛細血管モデルにおいて、糖尿病患者と健常者における種々の血液試料のレオロジーを比較検討した。採血した血液試料から血漿のみ、赤血球浮遊液(ES)、赤血球白血球浮遊液(ELS)を作成し、微小流路に一定の圧力をかけて流し、通
過時間を測定するとともに流れを顕微鏡で観察した。
結果と考察
糖尿病ラットでの結果をみると、網膜毛細血管での白血球速度は糖尿病群で1.38±0.31 mm/sec、正常対照群で1.27±0.20 mm/secと有意差なく、循環動態は両群ともスムーズであった。これに対し、網膜毛細血管床に捕捉された白血球数は糖尿病群で有意な高値を示した。以上より糖尿病ラットにおいて白血球の粘着能亢進・変形能低下が示唆されたが、網膜を循環する白血球は循環障害を生じているルートを避けることで、毛細血管床での速度を保っている可能性がある。虚血再潅流モデルでは、再潅流後すみやかに血管収縮が認められ4時間でピーク(動脈で66.8%、静脈で90.1%)に達した。この後、血管拡張が認められ、動脈では再潅流後12-24時間で123-129%まで拡張して96時間には消失した。一方、静脈では再潅流後24時間でピークに達し48時間には消失した。初期の血管収縮は虚血によって障害された血管内皮から血管拡張因子であるNOが十分に放出されなかったことによるものと考えられた。また後期の血管拡張は網膜内に捕捉された白血球において誘導型NO合成酵素が発現して大量にNOを放出した結果であると考えられた。再潅流後4時間で静脈壁に沿って白血球がローリングする現象が認められ、ローリング数は12時間で最大(102±40 cells/min)となった。ローリング数は48時間には約1/6となり、96時間にはほぼ消失した。この時間経過は他の臓器と比較して著しく遅延しており、虚血再潅流障害に対する網膜の特異性によるものと考えられた。すなわち、虚血再潅流に際して発現することが知られているselectinなどの接着分子の発現の量的、時間的差異に原因するものと思われた。白血球のローリング速度は再潅流後12時間で有意に減少したが、血流速度の減少によるものではなく、接着分子の発現の量とタイミングの影響によるものと思われた。網膜内に捕捉された白血球数は再潅流後4時間から増加しはじめ、24時間後には931±187 cells/mmに達した。接着分子であるICAM-1は脳における虚血再潅流において発現増加が認められ、12時間後にピークに達することも知られており、その時間的特徴は我々の実験結果とよく符合する。虚血再潅流モデルにP-selectinモノクローナル抗体(ARP2-4)を事前に投与したところ、白血球ローリング数は著明に減少し、12時間で79.9%、24時間で61.1%まで減少した。また網膜内の捕捉白血球数も24時間で46.9%まで抑制された。この結果は、ARP2-4の投与により白血球のローリングを抑えて、白血球と血管内皮の相互作用による両者の活性化を抑制し、白血球が内皮下へ遊走して網膜内に捕捉されるプロセスを起こりにくくしたことによるものと考えられた。selectinを介した白血球のローリングを抑制するfucoidinをARP2-4と共に投与するとさらに減少が認められ、ローリング数は著明に減少した。この結果は虚血再潅流後の白血球の接着と侵入において他のタイプのselectinも関与しており、すべてのタイプを抑制することでローリングがほとんどみられなくなったものと考えられた。ただしfucoidinの作用は数時間しか続かないため、長時間の効果を期待するためには頻回の投与が必要と思われた。内網状層はARP2-4投与により、投与しない場合の204%の厚さとなり保護効果が認められた。また神経節細胞層における細胞密度はARP2-4投与により約2倍の保護効果があった。網膜内に捕捉された白血球は直接的に血流を妨げること、あるいはフリーラジカルを発生させることによって神経細胞死を引き起こしたものと考えられた。血液試料のレオロジーでは、血漿(糖尿病61.7±6.4 sec、正常59.9±5.5 sec)及びES通過時間(糖尿病41.4±2.4 sec、正常41.3±3.1 sec)において有意差は認められなかったが、ELS通過時間では糖尿病群において有意な通過時間の延長がみられた(糖尿病52.5±6.2 sec、正常47.7±3.3 sec)。糖尿病群の中にはELS通過時間測定時に白血球による流路閉塞がみられたものがあった。以上の結果から血漿や赤血球自体は糖尿病患者における循環障害には関与していないものと推測された。一方、ELS通過時間の延長の原因
として白血球の通過障害が考えられた。これは糖尿病で白血球が活性化されたおり、血管内皮への接着能が亢進しているとの報告とも一致する結果であった。以上、糖尿病において白血球が毛細血管レベルでの血流障害を惹起する可能性が示唆された。
結論
糖尿病ラットにおいて白血球の粘着能亢進・変形能低下が示唆されたが、網膜を循環する白血球は循環障害を生じているルートを避けることで、毛細血管床での速度を保っている可能性がある。また糖尿病において白血球が毛細血管レベルでの血流障害を惹起する可能性が示唆された。虚血再潅流モデルでは白血球の接着能亢進が認められ、これはselectinを介した系であることが示された。

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