依存性薬物による脳内薬物受容体の機能変化に関する分子生物学的研究

文献情報

文献番号
199700702A
報告書区分
総括
研究課題名
依存性薬物による脳内薬物受容体の機能変化に関する分子生物学的研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
佐藤 光源(東北大学医学部精神医学教室)
研究分担者(所属機関)
  • 梶井靖(国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第3部)
  • 菊池周一(国立精神・神経センター精神保健研究所薬物依存研究部研究員)
研究区分
厚生科学研究費補助金 先端的厚生科学研究分野 脳科学研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
60,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
薬物依存は世界的な社会問題となっており,精神依存(渇望)対策だけが研究課題とされてきたが,最近は,薬物の長期乱用で起きる二次性脳障害(精神病や後遺症の発生)がクローズアップされてきた.この二次性脳障害の存在は,長年にわたる日本での覚せい剤精神病の臨床研究が明らかにしたものであった.特に,精神病への発展経過を逆耐性現象(逆耐性)で説明できること,さらにそれを動物に再現できるという我々の研究報告は,その後の国際的な研究活動の起点となった.現在,(1) 覚せい剤で容易に精神依存が起きるのはなぜか,(2) 乱用が長期化すると精神分裂病(分裂病)類似の精神病が起きるのはなぜか,(3) 覚せい剤精神病が再発しやすさを残すのはなぜか,という3点の解明が急がれている.覚せい剤精神病で分裂病類似の症状が再発する脳の脆弱性が解明されれば,分裂病の最大の問題である再発しやすさと難治化のメカニズムの解明に応用できる.上記の (1) はかなり解明できたが,(2) と (3) の原因となる脳の神経可塑性変化が不明である.逆耐性は長期持続性の機能変化なので,覚せい剤の長期乱用中に起きる蛋白合成の変化が注目されている.逆耐性に特異的に関わる分子遺伝学的な仕組みを下記の (1) ~ (3) の研究によって解明するのが,本研究の目的である.(1) メタンフェタミンに応答する新規遺伝子の単離とその行動感作形成への関与についての検討(梶井 靖)(2) 逆耐性獲得機構における脳内薬物受容体伝達系の変化-メタンフェタミン急性・慢性効果におけるG蛋白質の分子生物学的変化を中心に-(菊池周一)(3) メタンフェタミン急性,慢性投与による脳内コルチコステロン受容体 mRNA の変化-逆耐性形成への感受性が異なる近交系ラットを用いた検討-(佐藤光源)
研究方法
(1) メタンフェタミンに応答する新規遺伝子の単離とその行動感作形成への関与についての検討(梶井 靖) ラットでは,生後21日の前後でメタンフェタミン (MAP) 逆耐性の形成が左右される.この前後で,MAP に反応して出現する遺伝子群を比較し,逆耐性が形成される生後21日以降だけに現れる遺伝子,つまり逆耐性に特異的な遺伝子を特定することを目的とした.このため,逆耐性が起きる生後発達の臨界期を境に,MAP 急性投与で脳内発現が変化する候補遺伝子を RNA フィンガープリント法で単離した.これらの遺伝子の mRNA が,上記の臨界期の前後で変化するか,定量的な RT-PCR 法で調べたところ,3つの候補遺伝子 (MRT1, 2 and 3) が見つかり,その全長を決定した.今年度は MRT1 に関して詳細な検討を行った. 
定量的 RT-PCR 法の結果,MAP 急性投与で大脳新皮質の mRNA 量は臨界期前では変化せず,臨界期後に初めて mRNA が増加した.従って,MRT1 は,逆耐性が形成される臨界期を境に,MAP により脳内に発現する未知の遺伝子であることが示された.MRT1 遺伝子上の2種類の断片をプローブとしてノーザンブロットを行ったところ,オルタナティブスプライシングによって長短4種の mRNA が転写されることが明らかとなった.この2種の mRNA からは,それぞれ 526 個,539 個のアミノ酸から成る相同性の高い蛋白質が翻訳された.一次構造は,双方とも N 末端にグリシンに富む部位をもち,一方でのみ C 末端にグルタミン酸に富む部位(=転写制御因子の可能性がある)を認めた.
MRT1 から生じる2種の蛋白の,逆耐性形成に及ぼす影響を調べるため,アンチセンスオリゴヌクレオチドを浸透圧ポンプで脳内に持続注入して蛋白の発現を阻害した条件下でMAP を反復投与し,行動変化を観察した.前者の蛋白に特異的なアンチセンス注入下では,MAP 反復投与による行動変化は生じなかった.これに対して,C 末端にグルタミン酸に富む部位をもつ蛋白に特異的なアンチセンスは,逆耐性の形成を阻止した.従って,MRT1 から生じる2種の蛋白の内,一方が逆耐性の形成に密接に関与していることが明らかにされた.
今後は,MRT1 の産物の機能的な意義(例えばレセプターならそのリガンド,転写制御因子ならその応答配列),MRT1 産物の脳内発現部位と既知の神経系に与える影響などをノックアウトマウスで検討,あるいはヒトで MRT1 遺伝子のホモログをクローニングし,患者に突然変異があるかどうかを検討する.MRT2,3 についても同様の検討を行う.
(2) 逆耐性獲得機構における脳内薬物受容体伝達系の変化-メタンフェタミン急性・慢性効果におけるG蛋白質の分子生物学的変化を中心に-(菊池周一) G 蛋白自体のシグナル伝達を百日咳毒素で阻止すると逆耐性が起きない,逆耐性の形成後に線条体 Gi 2α サブユニット mRNA の発現が変化する,等の報告があるが,Gβ,γサブユニットの変化は未知である.MAP の急性・慢性投与で,腹側被蓋野 (VTA) と側坐核におけるβ,γサブユニットの発現量を in situ hybridization 法で測定した. MAP の急性投与では両部位でβ1 サブクラスのmRNA 発現が増加し,VTA が報酬系となるドーパミン起始細胞部位なので,依存の発生に関連する変化と考えられた.亜慢性投与では,側坐核だけで増加して VTA では不変であったので,ドーパミン神経終末部位,とくに前シナプス性の G 蛋白β1 サブクラスを介した神経伝達の変化が長期持続性の脳の機能変化に関わるものと考えた.
(3) メタンフェタミン急性,慢性投与による脳内コルチコステロン受容体 mRNA の変化-逆耐性形成への感受性が異なる近交系ラットを用いた検討-(佐藤光源) 副腎摘出で逆耐性の形成が阻止される,グルココルチコイド合成阻害薬でコカイン逆耐性が阻止される,グルココルチコイドの慢性投与でアンフェタミンへの過敏反応性が形成される,などの報告がある.このため,MAP 逆耐性に対する遺伝的な個体差から,脳内コルチコステロン受容体に特異的な変化が生じるか,脳グルココルチコイド受容体 (GR) mRNA の発現量をノーザンブロット法で検討した.逆耐性が起こりにくく,視床下部-下垂体-副腎系 (HPA-axis) の反応性が大きい近交系ラット (Fischer 344) と,逆耐性が起こりやすく,HPA-axis の反応性が小さい近交系ラット (Lewis) で比較したところ,MAP 慢性投与に伴い,Fischer 344 では線条体で GR mRNA が増加していた.この系では MAP 慢性投与で HPA を介した負の feedback がかかり,コルチコステロンが減少し,それがGR mRNA を増加させ,逆耐性を遅延させると考えた.Lewis では Fischer 344 とは全く逆の成績が得られた.
MAP 慢性投与で脳内 heat shock protein (HSP) 90 mRNA は線条体,海馬,小脳で増加,Lewis は減少しており,MAP 反復投与中の直腸温の推移と平行していた.
GR は,核内移行→DNA 上の応答配列との結合を介して下流の遺伝子の転写を調節する.今回の結果は,MAP 投与で GR の量が変化し,これが逆耐性の個体差に関係する遺伝子の発現に影響を与える可能性を示唆しており,この遺伝子の特定が今後の課題と思われる.


結果と考察
結論
(1) MAP 等の依存性薬物への応答が逆耐性現象の形成が始まる発達時期以降に変化する遺伝子の検索のため、異なる条件下で発現に差異のある遺伝子をクローニングする mRNA arbitrary primed PCR法 を確立、MAP投与ラットの大脳新皮質で誘導される新規遺伝子 MRT1 をクローニングし、cDNA の全塩基配列を決定した。また、NMDA 受容体の R2Bサブユニット mRNAの発現を抑制すると、MAP を反復投与しても逆耐性現象が成立しないことを見いだした。
(2) MAP急性および慢性投与動物の線条体における G 蛋白質発現の変動パターンを検討した結果、線条体における DAD2 受容体などとリンクする G 蛋白質伝達系の変化が逆耐性獲得過程において重要であることが示唆された。また MAP急性投与時のG蛋白質βγサブユニットの発現変動を見出し、βγサブユニットを介する、上記とは異なるカスケード(低分子量G蛋白質等を介する系) にも情報伝達効率の変化が及んでいる可能性が示唆された。現在、組織学的検索及び発現パターンから慢性投与後の効果およびフェンシクリジン投与動物における発現変化パターンを解析中である。
(3) MAP 逆耐性形成マウスで、最終投与後にグルココルチコイド受容体の mRNA が海馬で減少し、MAP 逆耐性を生じないシナプス小胞モノアミントランスポーターノックアウトマウスでは上記の変化が認められないことを確認した。さらに、MAP 逆耐性形成を容易に形成する近交系 Lewis ラットと、MAP 逆耐性を生じにくい近交系 F344 ラットで、脳グルココルチコイド、ミネラルコルチコイド受容体 mRNA の発現に同様の差異を見出し、逆耐性の形成に両受容体が重要な役割を果たす可能性が示唆された。
以上のように、本研究では,グルココルチコイド受容体を介する転写制御の変化,G 蛋白質共役型受容体を介した細胞内情報伝達系の変化,覚せい剤で賦活される未知遺伝子の検索,等から,逆耐性の形成に特異的に関わる未知の遺伝子を明らかにし,乱用薬物の長期乱用による脳障害(覚せい剤精神病とその再発しやすさ)の臨床研究に道を開くことが期待できる。

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