正常老化における知的能力の低下に関する基礎的研究

文献情報

文献番号
199700652A
報告書区分
総括
研究課題名
正常老化における知的能力の低下に関する基礎的研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
下仲 順子(東京都老人総合研究所心理学部門研究部長)
研究分担者(所属機関)
  • 辰巳格(東京都老人総合研究所言語認知部門研究室長)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成7(1995)年度
研究終了予定年度
平成9(1997)年度
研究費
5,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
長寿社会においては、できるだけ多くの人々が自立した健康な老後を少しでも長く送ることができるようにすることは大切な課題である。それには知能の正常な老化および知能の維持法を解明することが必要となる。そこで、本研究の目的は知能の基礎的諸機能がどのような加齢を示すかを実験心理学的に探求することである。また、老人知能のあり方を日常生活の中で発揮される能力としての日常知能、老人特有のものと考えられている知恵を鍵として検討する。また人格との関連についても知能の加齢の促進・抑制要因の観点から検討する。これにより、長寿社会に即応した健やかな老後への指針を提供することを目指すものである。
研究方法
対象者には2つのサンプルを用いた.サンプル1は高齢者200名、平均年齢は70.3歳である。その内130名は初年度の実験にも参加しており、この分析も継続した。実験の対照群は学生である。今年度は日常知能と英知の対照群として25~64歳の506名に調査を行い、データは解析中である。背景要因も調査した。実験の使用変数は結果の項で述べる。サンプル2は老人大学参加者31名と大学生37名である。本サンプルでは?聴力損失がある場合の音声聴き取り、?脳内辞書の語彙数、?脳内辞書から単語を想起(音韻情報検索)する能力および?文字単語の認知と音読の加齢変化を実験によりを検討した。
結果と考察
1) 日常的知能 日常的知能の関連要因を実際的問題解決、社会的問題解決と日常的知能総合得点への年齢、性別、教育、知能、人格特性による重回帰分析により検討した。その結果、日常的知能が結晶性知能を基礎としていることが示唆された。結晶性知能は学校教育や職業生活を通して育まれた能力で、日常的知能の基盤であることはうなずける。また社会的問題解決の場合には、結晶性知能だけではなく教育との関係も示された。これは高学歴者ほど対人交渉能力を必要とする職業につき、社会的問題解決能力が育てられるためと考えられた。日常的知能と人格特性との関係が日常的知能の側面毎に異なる。日常的知能総合得点で誠実性との関係が、実際的問題解決では調和性、社会的問題解決では外向性との関係が認められた。
2)知能の基礎的過程 連続再認課題 短期記憶と長期記憶の加齢に関して検討を行った。老人群は若年群より劣っており短期記憶よりも長期記憶でその差は顕著である。短期記憶では前期老人群は若年群よりも劣るが熟知価による差はなかった。しかし後期老人群では中熟知価語の方が高熟知価語よりも成績が劣っていた。長期記憶では前期老人群も後期老人群も中熟知価語での方が高熟知価語でよりも劣っていた。
心的回転 心的回転の課題にはひらがなと数字の正立象と鏡像を使用し対象者にどちらかの判断を求めた。若年群と老人群の間で差が認められ心的回転の処理過程の低下が示された。しかし老人の2群間では差がなく老年期に入っての認知処理の低下はないことが示唆された。正立象と鏡像に分けると鏡像では老人2群間で差が認められた。これは符合化過程では加齢の影響が小さいが決定過程には影響することを示唆している。
普遍的遅延モデルの検討 加齢による認知処理速度の低下に共通の過程を仮定する認知処理速度の普遍的遅延モデルをブリンリー・プロットにより検討した。前期老人群よりも後期老人群の方が傾きが大きく、認知処理全体としては老年期にも加齢があることが示唆された。
3)英 知 人生計画と人生回顧に寄与する変数を知能、年齢、教育年数、人格特性を独立変数とする重回帰分析から検討した。人生計画は経験による結晶性知能とこれに大きな影響を与える教育とが関係している。教育が結晶性知能を通してだけでなく直接にも影響することが注目される。年齢が負の影響を与えている。人生回顧には結晶性知能と外向性が影響を与えている。人格特性では外向性が関係していた。人生回顧は自分の人生の再評価であり、人生はその人の対人関係の歴史ともいえる。外向性は肯定的感情をふくむので人生の評価と結びつきを持ちやすいのだろう。
4) 言語能力 音声単語の聴き取り 音声の聴取能力を調べた。単語の出現頻度、心像性、親密度等の属性の影響を調べた。老年群を老人性難聴の程度から正常群、軽度群に分けた。心像性と出現頻度を統制したリスト1と心像性と親密度を別個に統制したリスト2を用いた。雑音なしおよび白色雑音を加えて提示した。雑音なしで音声を聞き取る場合、若年者と聴力正常の老年群には差がなかった。しかし聴力が軽度でも低下すると成績は低下する。単語の聞き取りには単語属性の効果が見られた。親密度の高い単語は聴力損失の影響を受けにくい。雑音下では老年2群の成績に差がなく聴力損失の影響は消える。また雑音下では親密度の効果が顕著で若干の頻度効果も出現する。慣れ親しんだ語ほど聞き取り易い。
語彙数の加齢変化 脳内辞書の語彙数の推定を行った。老年群の語彙数は若年群よりも多い。老人は古い言葉も新しい言葉も知っており受けた教育では漢字語の比重が現在より大きかったと思われる。カタカナ語彙数は若年者とほとんど差がない。それは単語に古いものがあること、社会的に十分に浸透した単語しか収録されないためと推測される。
単語の想起能力 脳内辞書から単語を検索し想起する能力を調べた。全想起語数は老年群の方が少なかった。若年群では年齢が上がると想起語数が多くなり、語想起能力がまだ成長期にあることを示唆する。老年群では年齢が高くなるほど全IQが低下し想起語数が減少する傾向があり、また全IQは教育年数に影響を受けた。
単語の音読能力 単語の読み検索時間に影響する要因を、遅延・差分音読潜時への年齢・教育歴・言語性/動作性知能の重回帰分析から検討した。年齢と遅延音読潜時、言語性知能と差分音読潜時との相関があった。若年群と老年群を言語性知能の高低2群に分けると、遅延音読潜時には年齢差が、差分音読潜時では言語性知能による差が認められた。単語の読み検索時間は言語性知能の高い群で速かった。最後に年齢と言語性知能の単語の読み検索時間への影響を検討した。単語の読み検索時間には加齢変化が見られず、むしろ言語性知能の影響が見られた。すなわち言語性知能が高いものは単語の読みの検索時間が速い。また音韻処理への依存度が高く、意味処理への依存度が低い。これは若年群と老年群に共通し、青年期の傾向が老年期まで保たれることが示唆された。これに対し単語の音韻情報から発音運動を行う時間には明らかな加齢変化が認められた。
結論
日常的知能、英知等の知能が人格と結びついて、日常生活の中で発揮される場面により近い能力でも、正常老化の範囲では十分に維持される可能性が示唆されたことは意味深い。日常的知能も英知もそれぞれにいくつかの側面にわけて考えられる。そしてその側面毎に人格特性との関係が異なることも示された。実験的研究では加齢の影響が認知課題の種類や認知過程の部分によって異なることも示された。また認知過程全体についても包括的分析が可能となった。言語能力の研究から知的能力への加齢の影響を減らすには、言語性知能の維持が重要であることが示唆された。それにはテレビ、読書あるいは積極的に話す等、日頃から言語能力を維持する努力が必要であろう。今年度は若い年齢層の資料をも収集できたので、今後これを高齢者と比較することにより老年期においても知能を発揮できるようにするための要因解明の糸口を開くことができる。

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