高齢者の認知と行動に関する神経心理学的研究

文献情報

文献番号
199700581A
報告書区分
総括
研究課題名
高齢者の認知と行動に関する神経心理学的研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
山鳥 重(東北大学)
研究分担者(所属機関)
  • 濱中淑彦(名古屋市立大学)
  • 武田明夫(国立療養所中部病院)
  • 森悦朗(兵庫県立高齢者脳機能研究センター)
  • 西川隆(大阪大学)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成11(1999)年度
研究費
10,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
高齢化社会の現在、高齢者の認知・心理・行動の特徴を明らかにすることは重要である。ところが、老化により認知過程が質的、量的にどのように変化していくかについてはほとんど知られていない。本研究では大脳過程と関連させた神経心理学的方法論を用いて、高齢者の認知・行動の特徴を明らかにすることを目的とする。その中でも、高齢者の社会的機能低下に最も大きく関与していると思われる大脳機能(記憶、前頭葉機能、行為、左右大脳半球の均衡)に焦点を絞って検討する。
研究方法
結果と考察
濱中は「高齢者における意味的プライミング」を検討した。意味的プライミング効果(SPE)は、被検者の潜在的な意味記憶構造を反映して発現する。これまでのSPE研究の対象は主に若年者であり、加齢や痴呆性変化がSPEに与える影響は明らかになっていない。そこで健常高年群11名(平均62.2歳)、健常若年群11名(23.8歳)、Alzheimer病(AD)患者6名(67.5歳)に対し意味的プライミング課題を施行した。漢字2文字から成る単語および非単語をコンピュータ画面に呈示し、被検者にはそれが単語か否かの判断をできるだけ早く正確に行い、ボタン押しによって反応するよう求めた。そして後続刺激語への反応時間およびSPE(先行刺激に後続刺激語と意味的に関連する語が呈示された条件では無関連の語が呈示された条件の時よりも反応時間が短縮される現象)について検討した。結果は、1)反応時間は若年群、高年群、AD群の順に長く、各群間で有意差がみられた。2)SPEは全群で有意に認められたが、SPEの強さは若年群と高年群間では差がなく、これらとAD群間でのみ有意差またはその傾向が認められた。以上から、加齢は反応時間には影響を与えるが、SPEには影響を与えないことが明らかとなった。またSPEの面からも正常老化と痴呆性変化とは質的に異なったものであることが示唆された。
山鳥は「言語性作業記憶に対する老化の影響」を検討した。作業記憶は複数の情報を一時的に保持し、それに処理を加えるためのシステムで、中央実行系、音韻性ループ、視空間的メモの3つから成る。言語性作業記憶の検査の一つであるリーディングスパンテスト(RST)を用い、加齢による影響と、即時記憶・他の作業記憶課題との関連を検討した。右利き健常成人62名(若年群20-39歳;21名、中年群40-59歳;20名、高年群60-82歳;21名)に対し、1)日本語版高齢者用RST、2)即時記憶課題(順唱、視覚性順唱)、3)作業記憶課題(逆唱、(n-1)スパン)を施行した。RSTとは1枚のカードに1センテンスずつ書いてある文を2-5枚音読した後、標的単語を答える検査である。標的単語は各センテンス毎に傍線で示される。正しく標的単語を言えた際のセンテンスの数が得点となる。結果は、分散分析では有意な年代群の効果を認め、下位分析で各二群間全てに差があることがわかった。また共分散分析でも年代群の効果が認められた。下位分析では、順唱、視覚性順唱を共変量とした場合に若年群と中・高年群間に有意差が認められ、逆唱、(n-1)スパンを共変量とした場合には若年群と高年群間にのみ有意差がみられた。以上より、RSTの成績は加齢により低下し、若年群から中年群にかけて中央実行系の機能低下が、中年群から高年群にかけて音韻性ループの保持能力の低下が生じることが示唆された。
西川は「左・右大脳半球機能の統合と老化」を検討した。左右大脳半球の機能的統合に関する加齢の影響を検討する端緒とするために、本年度はADにおいて即時記憶課題(順唱、視空間スパン)と作業記憶課題(逆唱、視空間逆スパン)を施行し、他の知能検査・記憶検査との相関を検討した。NINCDS-ADRDAの診断基準でprobable ADと診断された患者のうち、健忘以外の認知障害が目立たず、症状の変動が少ない20名を対象とし、上記の即時・作業記憶課題を含むWechsler記憶検査 (WMS-R)、Mini-Mental State Examination(MMSE)、Raven's Colored Progressive Matrices (RCPM)を施行した。MMSEとRCPMの得点およびWMS-Rの下位検査項目の得点を、Spearman の順位相関により検定した結果、1) MMSEとRCPMの得点は相関していた。2) WMS-Rの逆唱、視空間逆スパン、メンタルコントロールは, MMSE、RCPM両者と相関を認めた。3)順唱と逆唱、 視空間スパンと逆スパン、逆唱と視空間逆スパンの間に相関を認めた。作業記憶課題である逆唱と視空間逆スパンは、音韻性ループと視空間的メモの両者を必要とし、左右大脳半球の機能統合を必要とすると考えられる。逆唱と視空間逆スパンの成績が、MMSEやRCPMの成績と相関していたことは、左右大脳半球機能の緊密な統合が認知過程に不可欠であることを示唆している。
武田は「前頭葉機能と老化」についてとりあげ、健常高齢者に年齢依存的に出現する認知機能障害の有無について検討した。健常女性42名(60-68歳23名;MMSE 26.1、72-84歳19名;MMSE24.8)を対象とし、以下の項目について検査した。前頭葉関連:1)WAIS-Rの類似課題、2)単語・文章構成、3)絵画説明、4)語列挙。頭頂葉関連:5)数字逆唱、6)図形模写。各課題の平均点(60歳代、70歳以上)は、類似課題(2.17,1.31),構成(3.26,3.00),絵画説明(4.21,3.39),語列挙(13.69,11.73),逆唱(3.52, 2.68), 図形模写(2.21,2.21)であった。類似課題と語列挙で年齢による差が認められ、図形模写、逆唱、文章構成では差がなかった。以上から正常の加齢による認知機能低下は、図形の模写と数字の逆唱が早期から障害されるADや類似課題と文章構成が障害される前頭葉損傷とは異なるパターンをとることが示唆された。
森は「模倣行動:加齢による影響」について検討した。検者の行為を何の指示もされないのに真似する行動を模倣行動 (imitation behavior: IB)と言い、一般に前頭葉機能障害を示すものと考えられている。痴呆性疾患で多く認められるが、健常高齢者でも見られることがあり、社会的行動様式の影響も指摘されている。そこでIBの誘発法や判断基準を明確にした上で、加齢による影響ならびに健常高齢者と痴呆性疾患とのIBの質的差異について検討した。内科病棟入院中の認知障害のない対照群50名(若・中年群25-65歳;24名、高年群65才以上;26名)、変性性痴呆群40名(Lund/Manchester groupの診断基準によるprobable frontotemporal dementia (FTD) 20名とNINCDS-ADRDAの診断基準によるprobable AD20名)を対象とした。 簡単な神経学的診察などの導入の後、指示を与えずに検者は患者の面前で10の動作を行う。患者が模倣した場合は、模倣を禁ずる指示を与えた上で再度刺激を繰り返す。10動作のうち6動作以上を模倣した場合を陽性とし、禁止後に模倣を止めた場合を非強迫的IB、禁止後にも模倣を続けた場合を強迫的IBとした。その結果、非強迫的IBの出現率は若・中年群2/24、高年群8/26、AD群10/20、FTD群7/20で、若・中年群に比べ高年群で有意に高く、また対照群に比べ痴呆群で有意に高かった。一方、強迫的IBはFTD群(10/20)にのみ認められた。以上より、非強迫的IBには加齢に伴う認知障害の影響、社会的行動様式が関与し、FTDに特異的に出現した強迫的IBは前頭葉機能障害と関連する可能性が示唆された。
結論
以上の研究から、高齢者の認知過程の特徴の一端が明らかになった。すなわち1)潜在的記憶である意味的プライミングは加齢による影響を受けにくい。2)言語的作業記憶は加齢とともに低下する。また病的老化における作業記憶は全般性知能と相関する。3)前頭葉機能のうち、類似点の言語的説明および語列挙課題が加齢の影響を受けやすく、このパターンは病的状態とは異なる。4)非強迫的模倣行動は加齢により増加するが、強迫的模倣行動は病的状態でしか出現しない。
このように、認知過程に与える加齢の影響は一様ではない。また、加齢による認知機能低下と痴呆などの病的状態は、神経心理学的方法により詳細に検討すると、質的に異なったものであることがわかる。今後は本研究をさらに発展させ、高齢者の認知・行動的特徴を明らかにし、正常老化の様態を解明することが期待される。

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