沖縄に特徴的な食生活の栄養学的研究

文献情報

文献番号
199700569A
報告書区分
総括
研究課題名
沖縄に特徴的な食生活の栄養学的研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
田中 平三(東京医科歯科大学難治疾患研究所社会医学研究部門疫学)
研究分担者(所属機関)
  • 安藤富士子(国立長寿医療研究センタ-疫学調査部)
  • 城田知子(中村学園短期大学部)
  • 杉山みち子(国立健康・栄養研究所成人健康・栄養部)
  • 伊達ちぐさ(大阪市立大学医学部公衆衛生学教室)
  • 長谷川恭子(女子栄養大学栄養学部)
  • 比嘉政昭(沖縄県中央保健所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
-
研究費
22,790,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
人間栄養の評価は、食事摂取量、身体活動度、生化学的指標、身体計測値等、多方面からの接近によりなされる。本研究班でも沖縄の人々の栄養を多面的に評価することにした。沖縄の地域集団を対象にして栄養評価を行い、他の地域集団での成績と比較した。しかし、現時点での比較のみでは、解釈にバイアスを生じることもあるので、過去における栄養評価も試みた。本研究班では、食事摂取量と長寿に関する疫学仮説を設定することにした。
研究方法
沖縄からは2地域集団〔比嘉、長谷川〕を、対照としては全国13地域集団〔安藤、城田、杉山〕を選び疫学調査を実施した。食事調査は24時間思い出し法、身体活動は面接質問票法により実施した。身体計測値としては身長、体重、Body Mass Index(BMI)、血圧、脈拍数を、生化学的指標としては、血清総コレステロ-ル、HDL-コレステロ-ル、γ-GTP、血色素、ヘマトクリットを採用した。いずれも統一方法、標準化プロトコ-ルを作成し、調査方法の説明、訓練のため講習会を沖縄で開催した〔伊達、杉山〕。沖縄の2集団と全国13地域集団のデータを比較し、沖縄の食生活に関する特徴を明らかにした〔田中、伊達〕。国民栄養調査法による3日間連続秤量法により、沖縄の食事摂取量を評価し、全国成績と比較した〔伊達〕。また、栄養状態の評価として、体格や肥満の指標を用いて、沖縄と他地域(46都道府県)との比較を行った〔杉山〕。さらに、過去から現在に至るまでの年次推移を検討した。
結果と考察
(1920年代における沖縄の人々の主食はうむ(さつまいも)であった。みそ汁の具では緑色野菜が多く、豚脂も加えられていた。豆腐が日常的に摂取されていた。さらに、月1回ぐらいの頻度であるが、行事食として豚肉が摂取されていた。この年代における東北・甲信越・北関東の人々は、ごはん(ただし、米不足のため、白米飯ではなく、大根、麦を混ぜてふかしたものであった)、みそ汁(具は大根、じゃがいもが主であった)、漬け物を朝、昼、夕食の三度とも摂取していた。夕食に、野菜・根菜の煮物、塩干魚等が一品つくと上等とされた。一般の人々が、日常に、大豆製品(豆腐、納豆等)、獣鳥肉類、卵、鮮魚を摂取することはなかった。
戦前、日本人の生活水準が最高であったのは、1935年頃であった。沖縄の人々の主食がさつまいもであることには、1920年代と変わりはなかったが、夕食には白米飯が摂取されるようになってきた。昼、夕食には副食がついた。野菜、魚、豆腐である。調理法としては、油によるいためが特徴的である。一方、東北・甲信越・北関東では、納豆、豆腐がこの頃になって摂取されるようになってきた。しかし、獣鳥肉類、鮮魚の摂取は、ほとんどなかった。
秤量法(国民栄養調査方法)により、戦後における食事摂取量を比較してみると、1967年のエネルギ-摂取量は、1,744kcal/日(全国2,228kcal/日)、1977年1,995kcal/日(2,149kcal/日)、1988年1,897kcal/日(2,057kcal/日)、1993年1,927kcal/日(2,034kcal/日)であった。沖縄は全国に比べて低いが、減少傾向も小さかった。脂肪摂取量は1967年沖縄45.4g/日(全国42.4g/日)、1977年63.0g/日(53.8g/日)、1988年61.5g/日(58.3g/日)、1993年64.5g/日(58.1g/日)であった。食塩摂取量は1982年沖縄10.3g/日(全国12.4g/日)、1988年10.4g/日(12.2g/日)、1993年10.8g/日(12.8g/日)であった。沖縄の人々の身長は、全国民よりも低く、体重は重かった。したがって、BMIが大きかった。
現在(1997年度)の栄養評価:那覇市と大里村で実施したが、那覇市は60歳代のみで、他の年齢層は次年度に実施予定である。全国では、13地域集団、全年齢層について実施できた。本年度は大里村と全国との比較成績を示す。沖縄県大里村のエネルギ-摂取量は男性(40、50、60歳代)1,935kcal/日(全国13集団2,276kcal/日)、女性(40、50、60歳代)1,420kcal/日(全国13集団1,791kcal/日)であった。脂肪摂取量は男性56.0g/日(52.3g/日)、女性43.2g/日(49.0g/日)、食塩8.9g/日(13.3g/日)と7.3g/日(11.7g/日)、カルシウム487mg/日(548mg/日)と416mg/日(575mg/日)であった。
身長は男性160.9cm(163.8cm)、女性149.6cm(151.9cm)、体重は63.9kg(62.4kg)と54.6kg(53.6kg)、BMIは24.6(23.2)と24.4(23.2)である。収縮期血圧は131.7mmHg(129.7mmHg)と123.2mmHg(126.7mmHg)、拡張期血圧は79.8mmHg(79.9mmHg)と77.2mmHg(76.7mmHg)であった。血清総コレステロ-ルは219.8mg/dl(200.1mg/dl)と215.9mg/dl(212.3mg/dl)であった。
戦前における沖縄の人々の食生活は、全国の他県と同様に貧しいもので、栄養素で表現すると、低脂肪・動物性蛋白質、高糖質であった。しかし、沖縄には、比較的早い時期から豆腐、豚肉が少量ではあるが摂取されていた。調理法も油でいためることは、他県では認められなかった。結果的には、食塩摂取量が少な目で、脂肪摂取量は多めということになった。日本全国のエネルギ-、脂肪摂取量は、戦後増加傾向を示し、高度経済成長時代前半までが最も顕著であった。しかし、オイルショック前頃から、エネルギ-は減少傾向に転じた。エネルギ-摂取量の減少は、労作強度の軽減、労働時間の短縮、自動車の普及等によるエネルギ-消費量の減少による。沖縄の人々のエネルギ-摂取量は、他県の人々よりも低い。また、オイルショック、すなわち日本復帰頃以降のエネルギ-摂取量の減少度も小さい。このため、肥満者の頻度、BMI平均値は、他県よりも高いようである。脂肪摂取量は他県よりも多く、また、増加傾向も持続しており、脂肪のエネルギ-比もかなり高い。脂肪摂取量の増加抑制策を講じなければならないであろう。食塩摂取量は他県に比べて低いが、増加傾向が続いており、他県との較差が縮小してきている。このように、エネルギ-摂取量の減少度が低いこと、脂肪、食塩摂取量は増加傾向にあることが、戦後から日本復帰までの影響によるという考えもあるが、今後の検討課題である。
今回調査が完了した地域は大里村のみで、対象者の多くは農業従事者であった。したがって必ずしも沖縄の人々を代表する標本であるとはいえない。しかし、食事摂取量の現状は、過去の動向を裏付けるものであった。エネルギ-摂取量が他県に比べて低いこと、脂肪摂取量、脂肪エネルギ-比の高いこと、食塩、カルシウム摂取量の低いこと、身長は低く、体重が重く、したがってBMIの高いこと等である。しかし、大里村では、身体活動量は全国13集団よりも多いようであった。一方、那覇市の60歳代では、身体活動量が非常に低かったという。特に、労働による身体活動量が低かった。その一方、余暇の身体活動量は高く、運動を定期的に行っている人々の割合も多かった。
結論
戦前における沖縄の人々の食生活は、全国の他県と同様に貧しいもので、栄養素で表現すると、低脂肪・動物性蛋白質、高糖質であった。しかし、沖縄には、比較的早い時期から豆腐、豚肉が少量ではあるが摂取されていた。調理法も油でいためることは、他県では認められなかった。結果的には、食塩摂取量が少な目で、脂肪摂取量は多めということになった。過去のデ-タでは、沖縄の人々の血圧値は低く、高血圧の頻度も少なかった。しかし、今回の調査では、全国13地域との間に大きな差は認められなくなってきた。肥満、食塩摂取量の増加傾向によるかもしれない。血清総コレステロ-ル値は、沖縄の方が高いようであった。豚肉、油脂使用により脂肪摂取量が適切であったこと、食塩摂取量の低かったこと等が長寿と関連していたとする仮説を支持する結果ではあるが、次第に“行きすぎ"の傾向が出てきているように思われた。次年度以降にこの点を確認し、その対策を提示したい。

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