老年者のターミナルケアに関する研究

文献情報

文献番号
199700567A
報告書区分
総括
研究課題名
老年者のターミナルケアに関する研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
井口 昭久(名古屋大学医学部)
研究分担者(所属機関)
  • 加藤美羽子(国立療養所中部病院)
  • 松下哲(東京都老人医療センター)
  • 島田康弘(名古屋大学医学部)
  • 大類孝(東北大学医学部)
  • 千原明(聖隷三方原病院)
  • 山田英雄(国立療養所東名古屋病院)
  • 植村和正(名古屋高等裁判所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
5,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
本研究は、長寿社会を迎えた我が国における老年者の理想的な終末期医療の実現のための方策を提言し、国民的な合意を形成することを目的とする。
アメリカ老年医学会(AGS)は、「立場表明(Position Statement)」を世に問い、死にゆく人々の権利擁護を主張している。本研究班による AGS 倫理委員会に対するインタビュ-では、「社会的弱者」である高齢者患者の権利擁護、及び「死にゆく患者」への医療のあり方について社会的議論を喚起する目的であることが明らかとなった(Geriat. Med. 35:1543、1997)。医療における「患者の自己決定権」が社会に浸透している欧米諸国とは、生命倫理、社会保障制度、医療経済等多くの環境の相違が我国には存在する。そのため日本の社会、文化風土に合う方法を模索する必要がある。終末期医療に関する国民的な議論を喚起するためには、我が国の老年者終末期の現状を調査し、それぞれの立場から要求される医療の在り方を社会制度の問題として検討しなければならない。これらの目的を明確にした上で、本研究は以下の方法に記す各課題の基に施行した。
研究方法
?.終末期の医療判断、措置の決定
(1)情報開示と同意のあり方に関する検討。 ?東京都老人医療センタ-の悪性新生物院内登録患者記録を対象とし、告知の有無と癌の部位、進達度、治療方針等の相関を解析(松下)。?一般病院で苦痛緩和療法を受けて死亡した末期肺癌患者の家族を対象とした告知に対する意識調査(井口)。?患者家族、介護者を対象とした「死」に対する不安、死生観の調査(加藤)。?一般国民を対象とした医療判断、措置の決定に際しての心理調査(井口)。
(2)延命医療中止に関する検討。尊厳死協会の物故会員家族へのアンケート調査による「尊厳死宣言書」の実施状況の検討(井口)。
(3)日本の法制度下での「自己決定権」のあり方に関する検討。終末期医療に対して日本の刑事司法が下した判例とその理論的背景の調査、分析(植村)。
?.緩和医療のあり方
(1)ホスピスの役割と一般病棟への適用に関する検討。聖隷三方原病院ホスピスで緩和医療を受け死亡した患者の身体各症状の頻度、オピオイド使用の頻度と量、死亡当日の輸液の頻度と量、症状緩和のための鎮静に関して高齢者と若年者で比較検討(千原)。
(2)疼痛緩和のガイドラインの修正に関する検討。全国のホスピス、緩和ケア病棟に対する疼痛緩和療法の実態に関するアンケート調査(島田)。
?.医療制度としての老年者終末期医療(1)老年者終末期医療の医療経済学的検討。厚生省国民医療費の統計を基に、各年齢階級別の医療費、診療実日数、診療実日数当たりの医療費の検討(大類)。
(2)地域特性に関する検討。国立療養所東名古屋病院での死亡症例の先死期の医療内容及び医療費に関する検討(山田)。
結果と考察
研究結果を以下に記す。
?.終末期の療判断、措置の決定
(1)・悪性腫瘍の告知率は 33.9 %であった。告知率は、若年、健康診断による発見、腫瘍の限局、手術及び放射線療法、重複癌で高かった。臓器別では肺、子宮、乳腺で有意に高く、又、手術療法群内では治癒的切除群、その他の治療群内では完全寛解群が高率に告知を受けていた。・患者と同居、又は近くいた家族、病状や治療に対する理解度が高い家族ほど患者への告知に否定的であった。・患者家族、介護者は一般高齢者と比較して「死」に対する不安が強かった。・高齢者ほど医療措置の決定を医師の決定に委ねる傾向にあったが、自らの病名、病状の説明を求める姿勢については年齢は影響がなかった。
(2)「尊厳死宣言書」の提示率は 64 %であった。提示に影響を与える要因としては疾患(悪性新生物で提示、心疾患で不提示)、死亡場所(病院で提示、家庭で不提示)が有意であった。提示した群のうち 96 %が主治医が合意したと答えた。
(3)日本の刑事司法は「安楽死」に対して極めて限定的に容認し、否定的立場と言える。一方で「医師の治療義務の限界」と「患者の自己決定権」を根拠に「消極的安楽死(尊厳死)」を認めている。
?.緩和医療のあり方
(1)高齢者では有意にオピオイド投与率が少なかった。各年齢群において、輸液施行率、平均輸液量に有意差はなかった。鎮静施行率は高齢者において有意に低かった。
(2)緩和医療を施行するに当たって以下の点で施設間に意見の相違がみられた。1)原因となる器質的病変が治療可能な場合の治療法、2)薬物療法以外の鎮痛法、3)社会的存在と生物学的存在としての年齢区分、4)準拠するべき病期分類。
?.医療制度としての老年者終末期医療
(1)医療費は 65ー70 才をピークに分布し、診療実日数も同様の年齢分布を示した。1回診療当たりの医療費は 65 才から加齢と共に減少した。
(2)短期入院死亡例の増加傾向を認め、死亡例の1日平均入院点数は比較的低かった。
考察=終末期の医療判断、措置の決定における患者の権利に関しては、その前提となる情報開示において高齢、難治、予後不良が告知を困難にする要因である点は従来の報告と一致しているが、さらに、各診療科、病院の方針、医師の姿勢で告知率に差が出ている。日本の文化風土に即した情報開示と同意のあり方に共通の「指針」が要求される所以である。
医療者の役割のみならず家族、介護者の役割の大きさが本研究からも明らかとなった。患者との一体感の強い家族ほど告知に否定的であり、実際に介護を経験した者ほど「死」を身近に捉えているとの結果は、日本における情報開示と同意の獲得のためには家族の役割を重視する必要が示唆された。
一般国民を対象とした調査では、措置の決定に自己の関与を求める意見が大勢であった。しかし情報開示の要求と、医療措置選択における自己関与への要求は必ずしも一致せず、特に老年者ではこの点の配慮が必要である。
「日本尊厳死協会」物故会員調査では、この様な限られた集団においても、自らの意思を実践する比率が必ずしも高くないことが示された。その原因として、医療体制側の受け入れの問題、制度としての「リビングウィル」が未成熟である点の他に、日本人特有の心情を背景とした躊躇、不安等が考えられ、更に掘り下げるべき課題である。日本の法制度下では「安楽死」を許容する余地は無いに等しいが、「消極的安楽死(尊厳死)」は法的に(判例法上)保障されていることを考慮すると、日本の文化風土に即した「自己決定」実現のあり方が問われていると言える。
ホスピスにおける緩和医療のあり方に関しては、疼痛緩和療法を除いて多くの点で「老年者」の特殊性は見いだされなかった。問題は一般病棟で臨終を迎える患者のケアと思われる。ハ-ドとしての緩和病棟の拡充の必要もさることながら、全人的医療を実践しているホスピスの経験(ソフト)を一般病棟へ適用することは焦眉の急であろう。特にオピオイド使用、鎮静療法に関しては「間接的安楽死」との関係が問題となっている。ホスピスでの蓄積された経験はこの問題の解決に役立つに違いない。
社会保障、医療費の増大が国家財政を圧迫している昨今、一回の診療に係る医療費は 65 歳以上で逆に減少しており、先死期の医療費も(特定の病院では)必ずしも高くはないことが明らかとなった。老年者の医療費は不当に消費されているとの指摘は正しくなく、むしろ疾病予防ひいては診療実日数削減の方策を探るべきであろう。
現在の我が国における老年者の終末期医療をめぐる議論は、今回取り上げた相互に連関する課題に対して錯綜し混迷しているように見える。今後更に掘り下げた調査研究と「方策」の提言が今後の老年者の終末期医療に必要とされる。
結論
長寿社会を迎えた我が国における老年者の理想的な終末期医療実現のための方策を検討した。終末期の医療判断についての調査では、告知への意見は一様ではなく、医療措置の自己決定と、病名や病状の説明を求める姿勢は同一ではなかった。緩和医療の調査では、老年者の特殊性は僅かであった。老年者の終末期の医療費は必ずしも高くはないことが明らかとなった。

公開日・更新日

公開日
-
更新日
-

研究報告書(紙媒体)