脳・神経系の老化度指標に関する研究

文献情報

文献番号
199700556A
報告書区分
総括
研究課題名
脳・神経系の老化度指標に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
佐藤 昭夫(東京都老人総合研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 板東充秋(東京都老人医療センター)
  • 水谷俊雄(東京都老人総合研究所)
  • 小野武年(富山医科薬科大学)
  • 千田道雄(東京都老人総合研究所)
  • 堀田晴美(東京都老人総合研究所)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成8(1996)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
13,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
感覚機能や運動機能の正常老化の指標がほぼ確立されているのに対し、記憶、学習、思考などの脳の高次神経機能の正常老化の指標はまだ確立されておらず、そのため、病的老化との鑑別が困難な状況にある。高齢者のQuality of Life を高め、よりよい長寿社会を築くには、高次神経機能維持が不可欠であり、そのためには、高次神経機能の正常老化の指標を確立することが急務である。本研究は、人を対象とする高次機能検査や臨床所見・病理所見と動物を用いた基礎研究との総合的な解析により、脳・神経系の正常老化の過程を客観的に表す指標を見出すことを目的とする。具体的には、 (1)神経心理学的手法を用いて、正常高齢者における 記憶の加齢変化の特徴(板東)と、(2)病理学的手法により記憶過程に重要な海馬をはじめとする大脳辺縁系の形態的正常老化の特徴(水谷)を、健忘症患者や痴呆患者と対比しながら調べ、(3)実験動物を用いて脳のニューロン活動を直接記録し、認知や情動に関連する大脳辺縁系機能の解析を行った(小野)。さらに、高次脳機能の維持に重要な脳局所血流調節について、(4)PETを用い、正常高齢者における脳血流反応の加齢変化の特徴を調べ(千田)、(5)実験動物を用いて、脳局所血流および伝達物質量を測定し、脳局所血流の神経性調節機序とその加齢変化の解析を行った(堀田)。
研究方法
(1) 記憶過程のうち、遠隔記憶を調べる検査を新らたに作成し、健常高齢者および健忘症患者(Korsakoff症候群)について調べた。遠隔記憶検査は、1960年代から1990年代までの社会的出来事を国内の10大ニュースから各年一題選んで作製した。さらに、この検査で調べた遠隔記憶とBuscke's selective reminding test (BSRT) のリスト学習で調べた近時記憶との成績を比較した。(2) 健常例および脳疾患例(Alzheimer型痴呆(ATD) 、原発性海馬変性、plaque-predominant type dementia、Pick病、海馬CA1の梗塞)について、外側膝状体を通る割面における海馬と海馬傍回の断面積を計測し、加齢による萎縮と病的な萎縮の違いを検討した。 (3) 認知・記憶や情動発現における前部帯状回の役割を明らかにするため、サル前部帯状回からニューロン活動を記録し、外界の各種感覚刺激の意味認知およびそれに基づくレバー押し行動に対するニューロンの応答様式を解析した。
(4) 脳PET画像の解剖学的標準化と汎用線型モデルを用いて、従来の方法ではできなかった賦活率の加齢変化を画像に描出する方法を開発した。この方法を用いて、28歳から85歳までの正常人14人を対象とするガム咀嚼及びアメによる口腔運動感覚刺激に関する脳賦活検査のデータを解析した。(5)大脳皮質血流を調節する脳内コリン作動性神経機能の加齢変化の原因を調べるために、成熟および老齢ラットを用いて、1)脳内コリン作動性神経の電気刺激による大脳皮質血流とアセチルコリン(ACh)放出量、2)AChのニコチン受容体刺激による大脳皮質血流の反応を調べた。
結果と考察
(1) 遠隔記憶検査の総合得点は、個人差が大きいものの年齢が高くなるほど低下し、 BSRTのリスト学習で調べた近時記憶の得点と相関する傾向がみられた。問題として取り上げた事件が起こった各10年代ごとに成績をみると、いずれについても、年齢が高くなるほど得点が低下する傾向がみられたが、特に最近年代の成績についての年齢差が最も著しかった。これに対して、近時記憶が著しく障害されている健忘症の患者では、古い年代に関する遠隔記憶は良く保たれており、新しい年代に関する遠隔記憶のみが選択的に障害されていた。以上の結果より、加齢に伴い、遠隔記憶全体が低下すること、中でも比較的最近の遠隔記憶が低下しやすいこと、遠隔記憶と近時記憶が並行して低下することが明らかになり、健忘症とは特徴が異なることが示された。(2) 健常例においては、海馬および海馬傍回の断面積は加齢に伴い同様の割合で減少し、その比(=海馬/海馬傍回)は年齢とは無関係に一定の値を示した。それに対して、ATD、 Pick病例では海馬傍回の断面積が海馬に比べてより高度に減少し、海馬CA1梗塞例では逆に海馬の断面積が海馬傍回より著しく減少していた。したがって、生理的加齢変化では海馬と海馬傍回がほぼ同様の割合で萎縮するのに対して、脳疾患の場合は疾患の原因により海馬と海馬傍回の萎縮の程度が異なることがわかった。(3) サル前部帯状回 (24野)には、1) 視覚識別応答ニュ-ロン(それぞれ報酬物体、嫌悪物体、および報酬ならびに嫌悪物体のいづれにも応答するニューロン)、2)報酬獲得、あるいは嫌悪刺激回避のいずれか一方のレバー押し期だけに選択的に応答するニューロン、および3) 報酬獲得および嫌悪刺激回避のいづれのレバー押し期にも応答するニューロンなどが、吻側から尾側にかけて局在して存在した。脳内には、感覚刺激の認知および情動発現から行動実行に至る一連の過程に関与するシステムが存在し、前部帯状回は、認知的ならびに情動的要因を行動実行に転換する過程で重要な役割を果たしていることが示唆される。 (4) ガム咀嚼及びアメによる口腔運動感覚刺激によって、両側の一次運動感覚領下部から弁蓋部、島部にかけての領域が賦活され、しかもその賦活率は加齢により減少した。最も加齢効果の大きい部位では、プラス10歳の年齢増加につき%全脳血流で約4ポイントの賦活率の減少を認めた。一次運動感覚領下部は顔面、口腔、舌、咽頭の運動と感覚を支配している領域であり、弁蓋部と島部はヒトにおける咀嚼中枢とも言われている。賦活率が加齢に伴って低下したことは、脳の運動感覚領や咀嚼中枢の機能が加齢によって低下したことを意味すると考えられる。(5)ラットのマイネルト核(脳内コリン作動性神経)の電気刺激による大脳皮質前頭葉および頭頂葉の血流増加反応およびニコチン投与による大脳皮質血流増加反応は、3-10ヶ月齢の成熟ラットと23-26ヶ月齢の老齢ラットでは有意な差が見られなかったが、32-36ヶ月齢の老齢ラットでは、成熟ラットの約1/3-1/5に減弱していた。マイネルト核の電気刺激により、大脳皮質にAChが放出されるが、このACh放出反応は老齢ラットにおいても比較的維持されていた。したがって、脳内コリン作動性神経による大脳皮質血流調節機能が加齢により低下すること、その原因はAChが作用する脳内ニコチン受容体の機能の低下であることが明らかになった。脳血流は代謝性にも神経性にも調節されているが、今回明らかにされた脳内コリン作動性神経系の加齢に伴う機能低
下は、脳局所血流調節機能の低下、さらには高次神経機能の低下につながるものと考えられる。
結論
本研究により、正常老化では、近時記憶と遠隔記憶が平行して低下すること、記憶に重要な海馬および海馬傍回に同程度に萎縮が起こること、また前部帯状回が認知や情動に重要であることが明らかになった。さらに高次神経機能維持に重要な脳局所血流については、刺激に対する反応性および脳内コリン作動性神経による血流調節機能が低下することが示された。したがって、これらの機能は高次神経機能の正常老化の指標となることが示唆された。

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