細胞老化の分子機構の解明

文献情報

文献番号
199700538A
報告書区分
総括
研究課題名
細胞老化の分子機構の解明
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
石川 冬木(東京工業大学生命理工学部)
研究分担者(所属機関)
  • 吉栖正生(東京大学医学部)
  • 中西真(国立療養所中部病院長寿医療研究センター)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 長寿科学総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
-
研究費
15,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
正常個体の体細胞は、その細胞分裂能が有限であるため、加齢にともない個体の体細胞は反応性細胞増殖能が低下し、免疫力低下、貧血、骨粗鬆症などの多くの老年病を引き起こすと考えられている。近年の分子生物学的研究より、この有限増殖性は細胞内に遺伝情報としてプログラムされた積極的な機構であると考えられているが、その詳細については不明である。ごく最近、染色体末端部テロメアが、何回の細胞分裂を行ってきたかを記録する「細胞分裂時計」である可能性が強く示唆された。また老化細胞の増殖を積極的に抑制していると考えられる遺伝子群もクローニングされ、細胞老化について断片的ではあるが分子レベルで解明され始めた。本研究では、我々が世界で初めてクローニングに成功した「テロメレース」と呼ばれる分裂回数センサーであるテロメア長を制御する酵素を中心に、引き続き起こる細胞周期停止、さらには遺伝子発現変化に対する「信号伝達経路」を分子レベルで解析することにより、細胞の老化機構を総合的に明らかにしようとするものである。本研究の特色は、研究代表者および分担者がそれぞれ「テロメレース」「細胞周期制御機構」「遺伝子発現調節」の異なった分野で得た独自の成果の上に成り立った実現性の高い総合的な研究であり、その結果は、細胞老化の予防、老年病の治療法の開発につながるものと期待される。
研究方法
既に報告されている原生動物ユープロテスおよび出芽酵母のテロメレース触媒サブユニット遺伝子p123とEST2と相同性のあるヒトEST (expression sequence tag) クローンをデータベース上でBLASTプログラムにより同定した。これを用いてヒトcDNAライブラリーより全長をもつヒトhTRT cDNAを得た。このcDNAを発現ベクターに入れ、種々の細胞にトランスフェクションしたのち、72時間後にテロメレース活性と発現蛋白質量をストレッチPCR法とウェスタン・ブロットで解析した。
老化細胞における細胞周期制御を解析するために、分裂回数の少ない若い細胞(分裂回数28回)、老化直前の細胞(分裂回数58回)老化細胞(分裂回数60回)の3種類の細胞を用いて以下の様な実験を行った。
1. それぞれの細胞における、血清刺激後のG1期の進行に伴うサイクリンD1およびサイクリンE依存性キナーゼ, CAK (Cdk-Activating-Kinase)の活性を測定した。
2. サイクリン D1/Cdk4 およびサイクリンE/Cdk2複合体を免疫沈降して、複合体の組成をWestern blotting 法にて明らかにすることにより、老化細胞におけるサイクリンD1/Cdk4およびサイクリンE/Cdk2活性の低下の原因を明らかにする。
3. バキュロウイルス発現系を用いて、若い細胞および老化細胞におけるG1期進行に伴う、Cdk4およびCdk2活性化機構の相違点を試験管内において再構成する。
サイクリン遺伝子の発現調節機構を明らかにするために、ヒトサイクリンA遺伝子の5'上流配列をLuciferase遺伝子に結合し、Minkの肺上皮細胞(Mv1Lu)にtransfectionした。5'上流配列のうちで ATFコンセンサス配列 (TGACGTCA) をprobeとして核抽出物を用いて gel shiftを行った。転写因子ATF-1とCREB (cAMP-responsive element- bindingprotein) の Serine 部位の燐酸化を識別する抗体でウェスタン・ブロットを行った。
結果と考察
[結果]
ヒトテロメレース触媒サブユニット蛋白質hTRT遺伝子はテロメア老化時計の進行を制御する。
「末端複製問題」のために細胞増殖にともなうDNA複製のたびにテロメアは次第に末端から短小化する。この短小化がある閾値に達したところで、老化シグナルが誘起され細胞周期に負の制御がかかり老化細胞が生じると考えられる。一方、生殖細胞や癌細胞などのように正常体細胞と比較すると多数回に及ぶ細胞分裂をおこなう細胞群では、テロメレースと呼ばれるテロメアDNAを合成付加する酵素が活性化されているために、テロメアは末端複製問題を免れている。一方、正常体細胞ではテロメレース活性が失われ、テロメアは老化時計として機能する。このことから、テロメレース活性のオンオフは、テロメア老化時計のリセットもしくは進行状態を決定する鍵をにぎる機構であるといえる。これまで、ヒトテロメレースの触媒サブユニット蛋白質は未同定であったが、今回、本研究によりhTRT (human telomerase reverse transcriptase) 遺伝子をクローニングし、その発現の有無がテロメレース活性の有無を決定していること、すなわちテロメア老化時計の進行を決定していることを見いだした。
hTRT遺伝子は、約1100アミノ酸からなる蛋白質をコードし、そのカルボキシル端半分には、他の逆転写酵素で保存されているモチーフが存在する。hTRT遺伝子の発現は、テロメレース活性のない正常ヒト線維芽細胞TIG-3では見られず、テロメレース活性の強い癌細胞株では検出された。そこで、hTRT遺伝子を発現ベクターにクローニングし、TIG-3細胞に一過性のトランスフェクションを行いテロメレース活性を調べたところ、有意なテロメレース活性が得られた。以上の事実は、テロメレース活性がなくテロメア老化時計が進行している正常体細胞で唯一欠けているテロメレース構成要素はhTRT蛋白質であることを示している。
老化細胞に特徴的なサイクリン/Cdk複合体の同定
テロメア時計などにより老化シグナルが活性化された細胞では、最終的には細胞周期を負に制御して増殖刺激に対する不応性がおこる。この老化シグナルの効果器に相当する分子機構を明らかにするために、細胞周期を制御する第一義的な分子であるサイクリン/Cdk複合体に注目し、分裂回数の少ない若い細胞(分裂回数28)、老化直前の細胞(分裂回数58)、老化細胞(分裂回数60回)の3種類の細胞について比較検討し以下のような知見を得た。
A. 3種類の細胞でのサイクリンD1およびサイクリンE依存性キナーゼ, CAK活性は、若い細胞と老化直前の細胞ではすべて活性化されていたが、老化細胞ではCAK活性は保たれていたが、サイクリンD1およびサイクリンE依存性のキナーゼ活性は全く認められなかった。
B. 若い細胞では、Cdk4はG1中期からS期移行期までサイクリンD1と結合していた。また、CAKによるCdk4の活性化が起こる時期に一致してCdk4に結合していたp27 Cdk Inhibitor (CKI)がp21 CKIに置き換わるのが認められた。また、Cdk4複合体中にp16はほとんど認められなかった。一方、老化細胞においては、若い細胞同様にCdk4の発現が認められ、またG1期を通してサイクリンD1と結合していた。重要なことに老化細胞のCdk4複合体にはp16が強く認められ、これがCdk4活性の低下の原因と考えられた。一方、老化細胞でのCdk2の複合体ではCdk2蛋白質自身の発現低下と、不活性型サイクリンD1/Cdk2/p21の3量体形成により、活性型複合体であるサイクリンE/Cdk2の形成が阻害されていた。
C. バキュロウイルスで作成したp16蛋白質はサイクリンD1/Cdk4と強く結合し、その活性を強く阻害した。また、p21とサイクリンD1/Cdk4との結合をも阻害した。サイクリンD1はCdk2と不活性型複合体を形成し、CAKによるリン酸化がを阻害した。また、サイクリンD1とCdk2との結合はサイクリンEとCdk2との結合を競合的に阻害し、Cdk2の活性化を阻害した。
細胞周期制御因子サイクリンの発現調節機構の解析
以上の解析から、老化細胞の増殖停止にはサイクリン/Cdk複合体の構造・活性変化が寄与していることが示唆されたので、さらに、サイクリンAをコードする遺伝子の発現調節機構について以下のような解析を行った。
これまでの研究においてサイクリンAの転写調節においてそのプロモーターのATFコンセンサス配列に結合する転写因子が重要であることを示している。本研究では、その転写因子の活性が燐酸化によって調節されている可能性を検討した。実験系としては、細胞老化と同様に細胞増殖を抑制するTGF-βと、それに感受性の強い表皮細胞を用いて検討を行った。
TGF-βは、24時間以内にサイクリンAのmRNAを完全に抑制し、プロモーター活性も24時間以内に抑制された。その調節には 5'上流配列のうちATFサイトが重要であることを確認し、gel shift を行ったところ、同サイトへの結合は TGF-β処理24時間後では不変であり、36時間後になってようやく減少した。同サイトに結合する転写因子ATF-1およびCREBを検討したところ、TGF-β処理24時間後に両転写因子の著明な脱燐酸化が確認された。脱燐酸化阻害剤である Okadaic acid は、TGF-βによるプロモーター活性抑制作用を阻害した。
[考察] 本年度の本研究によりテロメア時計をinputとし、サイクリン/Cdkによる細胞周期の負の制御をoutputとする老化シグナルについて多くのことを明らかにすることができた。第一に石川により示されたテロメレースの触媒サブユニットhTRTの発現の有無がテロメア時計の進行を制御しているという事実は、本遺伝子が老化現象における中核的役割を果たしていることを示しており、また、今後、本遺伝子を作用点とした抗老化治療法の開発につながるかもしれない。一方、中西により明らかにされた老化細胞に特異的なサイクリン/Cdk動態の同定は、どのように老化シグナルが結果をもたらすかを理解する上で基礎となる重要な知見である。吉栖はさらに進んで、転写因子のリン酸化によるサイクリン遺伝子の発現制御がこの老化細胞特異的な細胞周期制御の原因である可能性を示した。
結論
以上のように、本研究は多くの成果を得ることができたが、今後解決すべき問題点は、以上の現象をさらに分子レベルで詳細に理解するとともに、老化シグナルのinputとoutputをつなげるシグナル伝達経路自身が依然として black box であるので、その分子機構を明らかにすることである。

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