ヒトがんの浸潤・転移性増殖の基盤となる分子・細胞機構の総合的把握に関する研究

文献情報

文献番号
199700513A
報告書区分
総括
研究課題名
ヒトがんの浸潤・転移性増殖の基盤となる分子・細胞機構の総合的把握に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
広橋 説雄(国立がんセンター研究所)
研究分担者(所属機関)
  • 今井浩三(札幌医科大学医学部)
  • 野澤志朗(慶應義塾大学医学部)
  • 木全弘治(愛知医科大学分子医科学研究所)
  • 北島政樹(慶應義塾大学医学部)
研究区分
厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 がん克服戦略研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
-
研究費
103,800,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
がんが発生局所にとどまる間に外科的治療が行えれば完全治癒となるが、いったん周辺そして遠隔臓器への浸潤・転移が起こると、治癒が極めて困難となる。従って、このがんの浸潤・転移の機構を分子・細胞レベルで明らかにすることは、がん研究の中でも最も重要な課題の1つである。本研究では、実際の臨床がんにおける浸潤・転移、そしてそれを良く模倣するin vivo、in vitroモデルを対象に最新の分子細胞生物学的手法を用いて解析し、転移・浸潤能の正確な診断を可能とし個々の症例に現時点における最適の治療法を選択可能とすると同時に、今後の新たな治療法開発のための治療標的を明らかにすることを目的とする。
研究方法
1.がん浸潤・転移に関わる細胞接着分子と増殖因子受容体
増殖因子から細胞接着への直接のシグナル伝達のがん浸潤・転移への関与を明らかにするために、胃がんならびに大腸がん培養細胞株にc-erbB-2がん遺伝子産物とカドヘリン細胞内結合分子であるβカテニンの結合部位を含んだcDNAを導入し、SCIDマウスを用いた同所性移植を行ない、がんの浸潤・転移能の変化を検索した。また、c-erbB-2およびEGF受容体など増殖因子受容体とβカテニンとの間の結合部位を明らかにする目的でβカテニンの多数のdeletion mutantsを作製し、c-erbB-2ならびにEGF受容体との結合部位を検索した。増殖因子受容体からβカテニンへのシグナル伝達機構として増殖因子受容体の活性化によるβカテニンのリン酸化をGST-fusion b-cateninタンパクを用いて試験管内で検討した。
2.細胞・基質接着分子インテグリンβ4とがん浸潤・転移機構
細胞基質間接着分子インテグリンの発現とヒト胃がん腹膜播種との関係を明らかにするため、ヒト胃がん細胞株10株を用い、各種インテグリンの発現と腹膜播種能の相関を動物モデルを用いて検索した。また、腹膜播種をする細胞にはインテグリンβ4のcDNA全長を導入するとともに、腹膜播種をしない細胞株にインテグリンβ4の細胞内ドメインに対応するcDNAを導入してインテグリンβ4の機能を阻害し、インテグリンβ4の腹膜播種に及ぼす影響を検討した。切除された胃がん組織を用いてインテグリンβ4の発現と腹膜播種の関係を調べた。浸潤性膀胱がんの前駆病変と考えられる上皮内の進展機構を、ヒト膀胱がん細胞6株を用いて動物モデルでの上皮内進展の有無を解析し、がん細胞のインテグリンの発現、細胞外基質への接着性、運動性と比較検討した。
3.がんの運動性・浸潤性に関与する新規アクチン結合タンパクの同定
肺大細胞がん株を免疫原とし、免疫組織化学的に浸潤性増殖を示すがんに対し特徴的に反応するmonoclonal抗体を作製した。その抗原分子のcDNAをhuman foreskin keratinocyteのlambda gt11 cDNA libraryからimmunoscreening法にて単離し、新しいアクチン結合分子の塩基配列を決定した。同分子の発現とがんの悪性度との関係を乳がん症例を用い検討した。
4.消化器がんの腹膜播種能に及ぼすアポトーシス感受性の影響
Bcl-2及びBcl-2結合蛋白BAG-1遺伝子を過剰発現させることによってアポトーシスに対する感受性を低下させることにより、ヒト消化器がんの腹膜播種能にいかなる効果をもたらすかを検討した。動物モデルで腹膜播種するヒト胃がん細胞株にBcl-2もしくはBAG-1遺伝子を導入し、過剰発現させた遺伝子導入株を作製しin vitroにおける細胞増殖能、ヌードマウス皮下における腫瘍形成能、さらに血清除去や足場喪失によるアポトーシスに対する抵抗性を検索した。
5.がん浸潤・転移における細胞外マトリックスの意義の解明
マウスヒアルロン酸合成酵素HAS1遺伝子のゲノム構造と転写調節領域を解析し、塩基配列を決定した。ヒトがんにおけるHASの発現量を腫瘍の悪性度との関連から明らかにする目的で、ヒトがん組織由来の悪性がん細胞、HT29とSW1116よりRNAサンプルを調製し、定量的RT-PCR法によりHAS遺伝子の発現量を定量した。
6.婦人科腫瘍の浸潤・転移の臨床病態と分子・細胞機構の解明
2型糖鎖の発現を規定する酵素であるβ1,4ガラクト-ス転移酵素(GT)をヒト子宮体がん細胞株に強制発現させ、それに伴う細胞特性の変化を検討した。
7.胃がん腹膜播種モデルにおけるマトリックス分解酵素阻害剤の効果
ヌードマウスにヒト胃がん株を腹腔内投与し、マトリックス分解酵素阻害剤(MMP阻害剤)と既存の抗がん剤(cisplatin(DDP)、mitomycin C(MMC))の単独あるいは併用治療が腹膜播種抑制におよぼす効果を検討した。
結果と考察
1.がん浸潤・転移に関わる細胞接着分子と増殖因子受容体
c-erbB-2増殖因子受容体にはβカテニンのc-端側に存在する12番目のアルマジロ配列を介して結合しており、増殖因子の刺激で同部位がリン酸化されることが明らかとなり、同部位が増殖因子受容体との結合とそのシグナル伝達に重要な部位であることを示した。
2.細胞・基質接着分子インテグリンβ4とがん浸潤・転移機構
インテグリンβ4の発現量と腹膜播種結節数が逆相関し、インテグリンβ4の発現が低い腹膜播種性胃がん細胞株にインテグリンβ4全長を導入することによりアポトーシス促進と腹膜播種抑制が認められ、また腹膜播種の乏しい細胞株へのインテグリンβ4細胞内cDNA導入することにより腹膜播種の促進が認められた。漿膜浸潤を伴う胃がん症例でも、インテグリンβ4高発現群で腹膜播種再発までの期間は低発現群よりも長く、予後が良好であった。膀胱がん細胞の上皮内進展にも、インテグリンβ4の発現低下が関与している事が示された。
3.がんの運動性・浸潤性に関与する新規アクチン結合タンパクの同定
アクチンと結合する新規アクチニン4を同定した。アクチニン4は細胞運動性の昂進した細胞の先進部や細胞が進展したところに濃縮し、また、乳がん症例の発現様式が予後とよく相関することを示した。。
4.消化器がんの腹膜播種能に及ぼすアポトーシス感受性の影響
Bcl-2及びBAG-1を過剰発現した胃がん細、血清除去によるアポトーシスに対して有意に抵抗性を示し、また腹膜内播種能が,有意に増強されていることが判明した。Bcl-2及びBAG-1を過剰発現させた遺伝子導入株は、いずれも浮遊培養においても有意に生存しており、腹膜播種亢進の機序としてアノイキス(足場の喪失によるアポトーシス)に対する抵抗性が関わるものと推測された。
5.がん浸潤・転移における細胞外マトリックスの意義の解明
HAS1遺伝子のゲノム構造と転写調節領域を解析し、HAS1ゲノム遺伝子の全長を明らかにした。近年、HAS1に加えてさらに2種の異なるヒアルロン酸合成酵素(HAS2、3)遺伝子が同定されており、それらのうち、がんの悪性度と関連が深い遺伝子の特定を目的としてヒト大腸がん細胞株での発現を検索したところ、HAS3の発現が有意に亢進していることが明らかとなった。
6.婦人科腫瘍の浸潤・転移の臨床病態と分子・細胞機構の解明
ヒトβ1,4GTcDNAを子宮体がん細胞株に導入することにより、 マトリゲルを用いたin vitro invasion assayにおける浸潤能の亢進と、細胞外基質に対する接着や浸潤能が高まることが明らかになった。さらに細胞膜表面糖鎖のなかで2型糖鎖のLewisX型糖鎖の発現が増加し、一方インテグリンβ1の発現には変化がないことが示された。
7.胃がん腹膜播種モデルにおけるマトリックス分解酵素阻害剤の効果
MMP阻害剤であるR-94138による腹膜播種阻害効果について検討し、本剤が単独投与において胃がんの腹膜播種転移を阻害することを明らかにした。また本剤による副作用の発現は認められず、MMCとの間に相乗的併用効果が示された。
結論
本研究は、実際の臨床がんにおける浸潤・転移、そしてそれを良く模倣するin vivo、in vitroモデルを対象に最新の分子細胞生物学的手法を用いて解析し、実際の臨床がんにおける転移・浸潤能の評価と、今後の新たな治療法開発のための分子標的を明らかにしようとするものである。本年度は、増殖因子受容体からカドヘリン細胞接着系へのシグナル伝達機構の解明、細胞-基質間接着分子インテグリンβ4の発現低下の腹膜播種ならびに膀胱がんの上皮内進展への関与、がんの浸潤・転移に関わる新規アクチン結合分子アクチニン4の同定、アポトーシス抑制分子であるBcl-2ならびにその結合分子であるBAG-1の発現によるがんの腹膜播種の促進、ヒアルロン酸合成酵素の遺伝子HAS1の同定とヒトがん細胞での発現確認、ヒト糖転移酵素の発現とがんの浸潤亢進との相関、ならびにマトリックス分解酵素阻害剤によりヒト胃がんの動物モデルを用いた腹膜播種の抑制などの研究成果を挙げることができた。また、これらの研究を通じて、適切なin vitro、in vivoモデルにより得られた知見の多くは、実際の臨床病理像によく対応していることが示され、本研究の戦略の妥当性が確認された。さらに並行して、実際の臨床材料を用いた微小なサンプルからのDNA、mRNAの採取ならびにその解析技術の確立ならびに症例の蓄積が進んでおり、今後さらに臨床的に意義のある浸潤・転移の分子細胞機構の研究が進められる基盤が確立した。

公開日・更新日

公開日
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