健康増進活動の経済的評価に関する総合研究

文献情報

文献番号
199700382A
報告書区分
総括
研究課題名
健康増進活動の経済的評価に関する総合研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
尾崎 重毅(財団法人医療経済研究機構理事長)
研究分担者(所属機関)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 健康増進研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
6,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
 疾病の対策を費用対効果の観点から評価することの重要性が増大している。特に生活習慣病はわが国の社会にたいする負担が増大している。そこで、本研究では循環器疾患、特に虚血性心疾患との脳血管疾患のマクロモデルを作成し、その妥当性を検討するとともに、健康増進等の経済的効果を検討することを目的とした
研究方法
1)マルコフモデル
循環器疾患全体、虚血性心疾患、脳血管疾患について、次の4状態を考える。
1.循環器疾患に罹患していない(以下健康他)
2.循環器疾患により外来受療中(以下外来)
3.循環器疾患により入院中(以下入院)
4.死亡(以下死亡)
これらのひとつの状態から他の状態に移行する過程は、マルコフ連鎖{X(t)}に従うとする。ある閉じたコホートを考え、時点(年齢)t ( t = 0, 1, 2, ...)での各状態の人数を
l(t) = ( l1(t),l2(t),l3(t),l4(t)) 
と表す。循環器疾患に関する各状態の移行確率行列P(t)を
P(t) = {pij(t)}  ここでpij = 1- pii+1 , p44 = 1, その他の要素はすべて0
とする。すなわち、定常状態を仮定し、このモデルでは回復することはないと仮定する。また循環器疾患以外の原因によって死亡する確率が循環器疾患の状態に依らずq(t)であると仮定すれば、各状態からの死亡への移行確率行列Q(t)を
Q(t) = {qij}, qii = 1-qi4, q44 = 1
すると、PQ=QPであり
l(t+1) = l(t)Q(t)P(t)
と表される。
さらに、p12, p23, p34, qがそれぞれ時間(年齢)によって変化するものとし、その変化はロジスティック関数になっていると仮定する。すなわち、
pij = 1/(1+exp(-αij-βijt)) i = 1,2,3 j = i+1
q = 1/(1+exp(-αq-βqt))
とする。
次に、平成5年簡易生命表と患者調査の断面調査の結果をコホートデータとみなし、実測データとし、パラメータを推定した。
2)リスクファクターの検討
某企業の健診データを用いて循環器疾患の罹患に対するリスクファクターの影響をロジスティック回帰により推定する。
3)循環器疾患に関わる医療費の推計
循環器疾患に関わる医療費を入院・外来別、年齢階級別に推計する。
これらの数字と上記モデルに基づいて、20~85歳の間に必要となる医療費を推計した。更にロジスティック回帰の結果からリスクファクターを1%減少させたときの発症確率の減少を見積もり、マルコフモデルに代入することによりリスクの減少による医療費の変化を検討した。
4)間接便益の推定
医療費の節減を直接便益とし、労働力の損失の減少を間接便益とした。評価は、平成6年の全国全職種、男子の平均賃金の推計値から、20歳で就業した場合の各年齢の賃金を用い、コホートの人口に乗じて各年齢ごとの年間の便益の合計を求めて総便益と仮定し、リスクを減じた場合との差を求めて、間接便益の差とした。
結果と考察
患者調査における疾病大分類の「循環系の疾患」、中分類の「虚血性心疾患」および「脳血管疾患」を対象とした場合のパラメータ推定した。最小二乗法を用いているため推定精度の評価はできないが、かなりよくあてはまっていると考えられる。特に脳血管疾患・女性においては実際のデータとほぼ一致しており、このモデルによってデータをうまく説明できていることが判る。
次に、企業健診データを用いたロジスティック回帰分析の結果、収縮期血圧は循環系の疾患全体では有意になるものの、虚血性心疾患、脳血管疾患に限った場合に年齢と共に投入すると有意な要因とはならなかった。BMIは年齢と共に投入した場合でも全ての疾患において5%で有意になっている。
マルコフモデルに基づく医療費のでは、上で実データにあてはめたモデルに基づいて計算すると、人口10万人あたり20~80歳の間に循環器疾患全体で1,715億円、虚血性心疾患と脳血管疾患においてもそれぞれ221億円と388億円が見込まれる。
一方、60歳未満で収縮期血圧を1%減少させた場合には、循環器疾患全体で、ケースAで1,681億円(-2.0%)、ケースBで1,673億円(-3.6%)、BMIを1%減少させた場合、1,692(-1.4%)、1,672億円(-4.3%)となる。
虚血性心疾患では、収縮期血圧のリスクを1%減少させた場合には、ケースA、Bで、それぞれ217億円(-1.6%)、215億円(-2.8%)の減少となる。また、BMIを1%減少させた場合には、212億円(-4.2%)、205億円(-7.4%)となる。
脳血管疾患では、収縮期血圧のリスクを1%減少させた場合には、ケースA、Bで、それぞれ379億円(-2.3%)、376億円(-3.2%)の減少となる。また、BMIを1%減少させた場合には、373億円(-3.9%)、367億円(-5.5%)となる。
以上の結果を見ると、リスクファクタ1%の変化の影響は、高血圧は脳血管疾患により大きな影響を与え、BMIは虚血性心疾患により大きな影響を与える。しかも、その金額も10万人を対象に考えて、循環器疾患全体に対する収縮期血圧とBMIの場合それぞれで、61億円、41億円、したがって男子の国民全体ではその500倍程度、即ち3~2兆円の節減効果があることになる。
本研究では治癒の方向への移行はないものとしてモデル化が行われている。これはつよ仮定であるが、経済的評価のためには問題ないと考えた。治癒の仮定を組み込むことは、たとえば治癒過程のマトリックスCを導入することで可能である。
移行確率行列で、次の状態への移行だけをかていしているが、これも強い仮定である。しかしPをn乗して推計すれば、この問題はある程度解決される。
リスクファクターを直接、ロジスティック関数のβの値に組み込んだモデルは成功しなかった。検診データから推計した関数を用いた場合には、p12の実測値とモデルによる推計値がかなりずれることになった。そこで、今回のリスクファクターの影響の評価には、オッズ比1%変化を確率値の変化に評価して、直接確率に乗じてシミュレーションを行った。
今回用いた疾患別の外来患者数、入院患者数のデータは、平成5年の患者調査であり、断面調査のデータであり、コホートではではない。したがって、世代間の差が混入している可能性があり、そのため必ずしも厳密な推計とはなっていない可能性がある。しかし、循環器疾患の世代間差はさほど大きくないので、おおよその推計として結論には影響はないと考えられる。
労働損失の正確な推計には、データ上の制約が大きい。労働力の損失の基礎は給与を用いることがおおいが、給与は学歴、勤務年限、性別、職種、地域で異なる。したがって、今回の評価には、「平成六年度版、産業別・規模別・男女別 新賃金傾向値表」(財団法人労務行政研究所)を用いて、賃上げ率を2.9%、東京商工会議所の調査「平成五年度確定初任給」を用いて6年度の初任給の上昇率0.9%として補正し、男女別に平均したものを用いた。
循環器疾患の患者がどれだけ労働が可能かは、実際に調査が必要である。しかし、今回はそのようなデータが得られないので、入院中は労働できないので労働力の損失は100%と仮定した。外来の労働力損失も、受療中は労働に従事してはいないが、一日の損失として良いかどうかには疑問が残るので、外来受診者の労働力損失は無いと評価した。
また、何歳から何歳までを労働力と考えるか、その後の福祉サービスの消費をどう評価するか、さらにたとえば健康増進活動の老後への影響はきわめて難しいため、それらの負担の変化などは考慮に入れなかった。今回の研究では20歳から60歳までが労働に従事し、その前後の年代の間接便益への影響は考慮からはずした。
健康増進活動にも原価がかかる。しかし、健康増進活動は多様であり、そのマクロな原価を確定することは意味がなさそうである。そこで、今回は原価を求めることはせず、便益のみの評価を行った。
今回の研究で、循環器疾患などの慢性疾患の場合には、マルコフ連鎖モデルが良く当てはまることが明らかになった。今後は、当てはめに用いるデータの質と量の改善により、当てはまりの精度を改善できる。また、治癒の過程を組み込むことなど、いくつかの改善がありうる。また、推計学的な改良も考えられる。
このモデルの良さは、きわめて柔軟で、治療などの種々の対策の組み込みが可能であり、健康増進の影響評価をはじめ、降圧剤や抗脂血剤の経済評価などに対する応用が可能である。この場合は原価の増分の算定が比較的容易となるので応用の対象として期待される領域である。
結論
 循環器疾患のうち、特に虚血性心疾患と脳血管疾患に対する対策の経済効果を評価するマクロモデルを作成することができた。
このモデルを用いて健康増進活動の経済効果の評価を試みた結果、オッズ比で1%のリスクファクターの減少で、医療費が1.4~7.4%減少することがわかった。特に、虚血性心疾患に対するBMIの影響(7.4%)、脳血管疾患に対する収縮期血圧の影響(3.2%)が大きかった。
これは医療費で、10万人当たり虚血性心疾患で約16億円、脳血管疾患で約21億円に相当する。
また、間接便益も虚血性心疾患ではほぼ医療費と同額、脳血管疾患の場合はさらに大きく、35.5億円であった。したがって、総便益は概算で医療費軽減の約2~3倍である。

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