大災害時における内科疾患治療に対するマニュアルとその運用に関する研究

文献情報

文献番号
199700360A
報告書区分
総括
研究課題名
大災害時における内科疾患治療に対するマニュアルとその運用に関する研究
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
千葉 勉(京都大学)
研究分担者(所属機関)
  • 川嶋成乃亮(神戸大学)
  • 横野浩一(神戸大学)
  • 木下芳一(島根医科大学)
  • 内藤秀宗(六甲アイランド病院)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 災害時支援対策総合研究事業
研究開始年度
平成9(1997)年度
研究終了予定年度
-
研究費
3,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
前回の研究において、阪神大震災時に1)ストレス性疾患(心筋硬塞や出血性消化性潰瘍)が多発し、また2)薬剤の中断や診療機能の停止等によって、糖尿病や高血圧症などの慢性疾患が悪化し、3)劣悪な環境での共同生活のために感染症(肺炎)が増加し、さらに4)人工腎透析患者は、透析施設の機能停止や不備のため、施設の変更を余儀なくされ、その結果病態の悪化が見られた。
以上の事実から、今後こうした大災害が生じた際に増加が予想される内科疾患を、速やかに予防し、また適切に対処し、治療することは、災害に伴う人的被害を最小限に留めるために極めて重要である。そこで今回の研究では、前回の阪神大震災時の実態調査に基づいて、大災害時に発症しうる内科疾患を予防し、かつ治療するためのマニュアルを作成することを目的とした。
研究方法
1.阪神大震災後に多発した患者の実態調査に基づいて、1)消化性潰瘍、2)虚血性心疾患、3)糖尿病について、その発症、再発の予防、及び悪化の防止方法について検討した。
2.さらに、大災害時にこれらの内科疾患を治療するにあたって、医療機関相互の連絡網について検討した。特に慢性腎透析患者については、その治療継続のための方法を考案した。
結果と考察
結果=
1.消化性潰瘍
a. 阪神大震災では、特に高齢者のストレス胃潰瘍が急増したが、その83.1%はヘリコバクタ・ピロリ菌陽性者であった。したがって、特に消化性潰瘍の既往のある高齢者では、前もってヘリコバクタ・ピロリの除菌療法が推奨される。
b. 胃十二指腸潰瘍にて治療中、または治癒後維持療法中の患者について、災害時の投薬中断による症状の悪化を予防するため、PPI、H2ブロッカーなどの継続投与を推奨する。
c. 胃十二指腸潰瘍の既往のある高齢者については、抗潰瘍剤の予防的投与を行う。
d. 基礎疾患に対して消炎鎮痛薬、副腎皮質ホルモンなどが継続投与されている場合、あるいは災害時の外傷に対して抗炎症薬が投与される場合には、必ず抗潰瘍薬の同時投与を行う。
2.虚血性心疾患 
a.前回の調査で阪神大震災後、特にその直後2週間以内に急性心筋梗塞が増加することが明らかとなった。これは震災に伴うストレスが、既に障害が存在している冠動脈に負荷を与えた結果と考えられる。したがって大震災直後には、こうしたストレスを遮断する薬物としてβブロッカーの使用を考慮すべきである。
b. 震災直後には特に水不足から脱水傾向が強くなった。事実住民のヘマトクリット値は明らかに上昇しており、かつフィブリノーゲン、血小板の値も上昇していた。以上より、特に虚血性心疾患の既往のある人に対しては、災害時には十分な水分摂取を推奨する必要がある。さらに抗凝固療法を行うことも考慮する必要がある。
3.糖尿病
a.糖尿病患者は日常の血糖コントロールが重要であることは言うまでもない。この点については、災害時、いずれの医療機関でもそのコントロールは可能である(特に大きな医療機器は不要)。以上より、通常から糖尿病手帳を持ち、これを震災時に活用することが極めて有用であると思われる。特にインスリン治療中の患者ではその継続が必須であるが、実際今回の震災時においても糖尿病手帳は極めて効果的であった。
b.糖尿病患者においても水不足による脱水が病態を明らかに悪化させた。したがって十分な水分摂取を推奨する。
c.震災後、糖尿病性網膜症の悪化が著明に認められた。したがって災害直後から虚血性心疾患同様、抗凝固療法も含めた治療にて、本症の予防を行う必要がある。
4.慢性腎不全(腎透析患者)
a. 全国都道府県をブロック化し、各ブロックの透析基幹病院を設定した。そして各ブロックにおいて透析患者のリストの作成をおこなった。
b. 腎透析患者全員に常時携帯できる緊急時の医療機関連絡先のリスト(近隣の透析医療機関名および電話、基幹透析施設名および電話など)を配布する。
c. 患者全員の透析患者カードを作成した。このカードには血液透析患者である旨の記載、患者の血液型、透析条件、医療内容、それに加えて透析施設、注意事項を記載するようにした。
5.全体として
a. 患者の情報を得るため、医療情報手帳、お薬手帳の普及を徹底し、患者の側から医療の内容を医療機関へ伝えられるようなシステムを確立する。
b. 内科疾患患者については、個々人が自らの病気について認識しているため、それぞれの疾患ごとに、医療連絡網を整備することが望まれる。実際それぞれ専門領域を超えて、患者を把握し、連絡網を作成することは困難である。例えば腎透析患者では透析施設全体としての連絡網が必須である。また糖尿病患者についても、糖尿病の専門家集団でネットワークを形成する必要がある。
c. 災害時には国、県、市、大学が一体となってネットワークを形成することが必要であるが、実際には極めて困難である。例えば国や県は広域な連絡網を有するが、機動性が悪い。一方市は機動性はあるものの連絡網は限定されている。今回の場合、実際には大学病院と関連病院との連絡網がかなり有効に機能した。今後これら自治体や大学間の関係をどのように位置づけてブロック化していくかが最大の課題である。
考察=
今回の、災害時における内科疾患治療のマニュアル作成においては、まず1)疾患そのものに対してどう対応するのか、という純粋に医学的な面と、2)災害時の医療体制をどのようにするのか、という制度的な問題とに大きく分けて検討した。まず疾患そのものに対しては、脱水の問題が指摘された。特に虚血性心疾患、糖尿病については脱水は強い増悪因子となりうる。実際に阪神大震災の震源地であった北淡町の調査でも、震災後、町民のヘマトクリット、ヘモグロビン値は著明に上昇したことが明らかとなっており、このことが心筋梗塞の増加に関与した可能性が強く示唆されている。また糖尿病患者においても、ケトアシドーシスの発症が増加した事実が明らかとなっており、これも水不足による脱水が影響したものと考えられている。一方、同じ北淡町の調査で震災後、町民の血小板、フィブリノーゲン値が上昇した事実が報告された。この理由は十分明らかではないが、先の脱水に加えて、心身的なストレスが影響した可能性が強く考えられている。いずれにしても脱水に、こうした凝固系の亢進が加わると、心筋梗塞のリスクはさらに増加する。また糖尿病においては網膜症などの細小血管障害の増悪につながることは明白である。したがって、すでに抗凝固療法を行っている患者においては、薬剤が中断されることがないように最大の注意を払うべきであると考えられた。
以上に加えて、虚血性心疾患患者では、ストレスの影響を排除するために特にβブロッカーの使用が推奨された。また消化性潰瘍の既往のある高齢者は、潰瘍発症のハイリスク群と考えられるため、災害時にはH2ブロッカーやPPIなどの酸分泌抑制剤の予防的投与が推奨された。特に災害時は非ステロイド系抗炎症薬(NSAID)を投与する機会が多いが、その際、酸分泌抑制剤投与は必須であると考えられた。
一方、医療体制の問題については、内科系疾患は、患者個々人が自らの病気を認識している場合が多いため、それぞれの疾患ごとに医療連絡網を整備した方がより現実的であると考えられた。事実、それぞれの専門領域をこえて患者を把握し、連絡網を確立することは困難であり、また余り意味があることとは考えられない。
このような検討結果に基づいて、実際に腎透析患者では、患者がどこへ行っても透析が受けられるように、患者個人個人が、自らの医療情報(腎不全の状態、透析条件、透析期間など)を常に携帯しておくような(透析患者カード)システムを確立した。またそれと同時に、透析施設においては、各地域に基幹病院を設置するとともに、透析施設のリストや連絡先を各患者に公開するようにした。これによって、災害時に患者が透析施設の変更を余儀なくされても、比較的問題なく透析の継続が可能となると予想される。今後は、虚血性心疾患、高血圧症、糖尿病患者においても同様な方法を確立していく必要がある。その結果例えば糖尿病患者では、医療施設を変更してもインスリン治療の継続が可能となると考えられる。
結論
災害時における内科疾患治療に対するマニュアルの作成を試みた。その結果
1.疾患の予防や進行防止のために以下の点が重要であると考えられる。
・脱水の防止(心筋梗塞、糖尿病)
・抗凝固療法の継続(心筋梗塞、糖尿病)
・βブロッカーの予防投与(虚血性心疾患)
・酸分泌抑制剤投与(潰瘍既往患者、NSAID服用者)
2.災害時の内科疾患診療における医療体制については、それぞれの専門分野別に医療連絡網を確立することが必要である。その際、患者の情報を得るために、患者自身が医療情報手帳やお薬手帳を携帯して、自らの医療情報を医療機関へ伝えられるようなシステムを確立する。一方、医療側は専門家集団ごとに連絡網を整備し、その情報を患者に公開しておくことが必要である。

公開日・更新日

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