N-3系脂肪酸の摂取とjapanese paradox

文献情報

文献番号
199700137A
報告書区分
総括
研究課題名
N-3系脂肪酸の摂取とjapanese paradox
課題番号
-
研究年度
平成9(1997)年度
研究代表者(所属機関)
斎藤 衛郎(国立健康・栄養研究所)
研究分担者(所属機関)
研究区分
厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生科学特別研究事業
研究開始年度
平成8(1996)年度
研究終了予定年度
平成10(1998)年度
研究費
2,000,000円
研究者交替、所属機関変更
-

研究報告書(概要版)

研究目的
飽和脂肪の摂取が心臓病の発症を高めるのに対して、不飽和脂肪、とくに、高度不飽和脂肪酸に富む魚油の摂取は、動脈硬化を抑制し、心臓病の発症を抑える事は良く知られている。この作用は、魚油に豊富に含まれているn-3系脂肪酸の(エ)イコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)の作用によるものであり、主として血小板凝集の抑制や血清脂質の改善作用そして血圧調節作用を介していると考えられている。近年では、目の網膜や脳神経機能の正常な発達と維持にDHAが必須の成分であることも明らかとなっている。従って、EPAやDHAの濃縮物がサプリメントとして盛んに摂取され、時には、これら脂肪酸の生理効果を期待する余り、過剰摂取も起きている可能性がある。
一方で、n-3系の脂肪酸は不飽和度が高いために酸化安定性が非常に悪く、生体膜脂質に取り込まれた場合、脂質過酸化反応に対する組織の感受性を高め、抗酸化剤としてのVEの要求量を高める事になる。一般的に、脂肪酸の酸化され易さを表す相対的酸化反応速度は、二重結合に挟まれたメチレン基の数が1、2、3、4、5個の脂肪酸に対して1、2、3、4、5と報告されており、組織脂質の脂肪酸組成が分かれば以下の式によりその酸化され易さ(Peroxidizability Index : P-Index)が計算できる。
P-Index=(dienoic % x 1) + (trienoic % x 2) + (tetraenoic % x 3) + (pentaenoic % x 4) + (hexaenoic % x 5))
この係数によれば、EPAはリノール酸と比べて4倍、DHAは5倍酸化され易いことになる。過酸化脂質・フリーラジカルが一旦生成されると、それがスカベンジャー(抗酸化)系により処理されない限り、非特異的に生体に対して有害な影響を及ぼす。そこで、n-3系の脂肪酸の生理的な有効性が見られる場合であっても、フリーラジカルの生成が亢進することがあっては生体にとって好ましくない。このことは、多量摂取の場合にとくに問題となる。
ところが、脂肪酸はそれが存在する環境によりその酸化安定性が変化することが考えられる。例えば、脂肪酸を水溶液に分散させたときには、脂肪酸の酸化安定性は、二重結合数の多いほど安定性が高まるとする報告がある。また、油の自動酸化に対する安定性は、ビタミンEとホスファチジルエタノールアミン(PE)とが共存することにより、一層高まることも報告されている。一般的に、DHAは組織リン脂質のPEに取り込まれ易いことから、組織においては、DHAはそのin vitroにおける酸化安定性の低さから予測される程には、不安定ではないことも考えられる。しかし、in vivoにおけるこれらn-3系脂肪酸、とくにその酸化安定性が最も低いとされるDHAの酸化安定性についてはほとんど知られていない。
そこで、本研究では、n-3系脂肪酸の摂取が従来から考えられている程に生体各組織において脂質過酸化反応に対する感受性を高めるのか、また、これに対するビタミンE(VE)の抑制効果があるのか、についてラットをモデル動物として検討することを目的とした。
初年度の平成8年度には以下のような知見を得ている。
1.DHAの投与により肝臓および腎臓において、過酸化脂質はドーズレスポンスを示して増加したが、脳およびこう丸においては生成は増加せず、組織により過酸化脂質生成の感受性が著しく異なっていた。
2.しかし、過酸化脂質生成の増加した肝臓および腎臓においても、組織総脂質の脂肪酸組成から計算される過酸化脂質の生成度(P-Index)程には過酸化脂質の生成は高まらず、また組織実質細胞の傷害も認められなかった。
3.そこで、この抑制のメカニズムを探ってみると、1)アスコルビン酸(AsA)およびグルタチオン(GSH)の生合成が高まり、VE(トコフェロキシルラジカル)の還元再生反応が賦活化され、抗酸化機能が亢進していると考えられること、2)組織ごとにDHAの取り込みが著しく異なり、DHAの取り込みの少ない組織においては過酸化脂質の生成が高まりにくいこと、3)DHAから、酸化に対して比較的安定と思われるEPAへの逆転換活性の高い組織、例えば腎臓では、過酸化脂質生成が高まりにくいこと、4)組織中性脂質へのDHAの蓄積が高まり、酸化に対する安定性が増すこと、5)DHAのホスファチジルエタノールアミンへの取り込みが増加し、VEの抗酸化作用に対するホスファチジルエタノールアミンのシネルギスト作用により、ホスファチジルエタノールアミンに取り込まれたDHAの酸化安定性が高まる可能性があること、が明らかとなった。なお、VEを通常レベルの7.5倍まで増加させても、過酸化脂質の生成は対照のレベルにまでは戻らず、魚油の投与で観察されているように、VEの抗酸化能には限界があることが再確認された。
本年度(平成9年度)は、実験1ではDHAの摂取に伴う組織脂質過酸化反応感受性の変化を、主として過酸化脂質スカベンジャー成分の変動、さらに、総脂質、中性脂質および各種リン脂質の構成脂肪酸量を定量し、その量的変化の面から検討した。この際、DHA摂取期間を従来の15日から1ヶ月強に延長するとともに、低レベルVE摂取の影響についても検討した。実験2では、n-3系脂肪酸のα-リノレン酸(LN)、EPA、DHAの摂取に伴う変化を実験1と同様に検討した。
研究方法
実験1;実験には、4週齢のSD系の雄ラット(体重75-85g)を使用した。試験飼料の組成は AIN-76組成に準じて調製したが、脂質レベルは重量%で10%(エネルギー%では21.6%)とした。オリーブ油、サフラワー油、純度約83%のDHAエチルエステルを混合して、飼料中のDHAのレベルがエネルギー%で0(対照群)および高レベルの8.7%になるようにするとともに、対照群は、リノール酸(LA)のレベルがDHAのレベルとほぼ等しい9.0%とした。DHAを投与した群も、LAを必須脂肪酸としての最少必要レベルの約2エネルギー%を含むようにした。VEのレベルは飼料100g中で1、8、20および60IU(RRR-α-トコフェロールとして0.7、5.4、13.4、40.3mg)となるように調製した。その時の飼料脂質の脂肪酸組成は、対照群はリノール酸を41.4%含み、DHA群は、DHAを40.2%含んでいる。その他の脂肪酸としては、大半はオレイン酸である。脂肪酸組成から計算したP-Indexから、DHA群は、対照群と比べて約5倍程度酸化され易いことになる。
本飼料を自由摂取として32日間飼育した。飼育終了後、心臓採血により血液を採取するとともに、組織を取り出して分析に供した。分析項目は、血清の過酸化脂質量(TBA値と水溶性蛍光物レベル)および組織の過酸化脂質量(共役ジエン量、ケミルミネッセンス強度、TBA値と肝臓ミクロソームのリポフシン量)および過酸化脂質のスカベンジャー成分レベル、さらに、組織脂質の脂肪酸組成をガスクロマトグラフィー法で分析した。なお、組織総脂質のリン脂質と中性脂質への分離にはシリカカートリッジを使用し、リン脂質の各リン脂質種(フォスファチジルエタノールアミン、PE;フォスファチジルコリン、PC;フォスファチジルセリン、PS;フォスファチジルイノシトール、PI)への分離には薄層クロマトグラフィー(Kieselgel 60)によった。展開溶媒はクロロフォルム:メタノール:28%アンモニア水=60:35:4.5を使用した。なお、PSとPIは本分析条件では分離できなかったので混合物として分析した。
実験2;実験は、実験1と同様に行った。飼料脂質は、オリーブ油とサフラワー油を基本とし、それらにしそ(Perilla)油、EPA濃縮油(純度96%)あるいはDHA濃縮油(純度78%)をそれぞれ混合して調製した。その時の、飼料中のα-リノレン酸(LN)、EPA、DHAのレベルはエネルギー%で8.6、8.2、8.0%(対照はリノール酸8.9%)であった。VEのレベルは飼料100g中で8IU(RRR-α-トコフェロールとして5.4mg)、DHA群のみ1IU(RRR-α-トコフェロールとして0.7mg)の群も設定、となるように調製した。この時の飼料脂質の脂肪酸組成は、対照群はリノール酸を41.0%含み、LN群はLNを39.9%、EPA群はEPAを37.8%、DHA群は、DHAを37.2%含んでいる。その他の脂肪酸としては、大半はオレイン酸である。脂肪酸組成から計算したP-Indexから、LN、EPA、DHAの各群は、対照群と比べてそれぞれ約2、4、5倍程度酸化され易いことになる。本飼料を自由摂取として22日間飼育した。その他の方法は実験1と同様である。
結果と考察
実験1;得られた結果は、前記の平成8年度の知見1.~3.の所で述べてあることと基本的には同様であるが、とくに、DHAの摂取期間を従来の倍にすることおよび低レベルのVEの摂取で新たに次の知見が加わった。1.長期間の投与によりVEの抗酸化効果が肝臓以外の組織で発現し易くなっており、一種の適応現象が認められた。2.低レベルVEの投与では、組織総脂質の脂肪酸組成から計算されるP-Indexと過酸化脂質生成がほぼ一致しており、P-Indexを指標として用いることの妥当性が示された。また、この時には組織の傷害も観察された。3.組織中性脂質およびリン脂質種へのDHAの取り込みを定量し、H8年度の結果を定量的に再確認した。
実験2;得られた結果は、平成8年度および実験1と基本的に同様であるが、とくに、各種n-3系脂肪酸の摂取に伴う組織過酸化脂質の生成は、組織総脂質脂肪酸のP-Indexの増加と正の相関性を示すとともに、脂肪酸の中ではDHAの組織リン脂質への取り込みが過酸化脂質の生成を高める要因として大変重要であることを示唆していた。しかし、この場合にあっても、ノーマルレベルのVEの摂取下では総脂質脂肪酸のP-Index程には、いずれの組織にあっても過酸化脂質の生成は高まらず、組織の傷害も認められなかった。しかし、さらに長期に及ぶn-3系脂肪酸の摂取で、過酸化脂質・フリーラジカルの生成が高レベルに維持された時、生体に有害な影響を惹起する可能性については現段階では明らかでない。
従って、これらの結果から、ノーマルレベル以上のVEの摂取とヒトにあっては充分量のVCの摂取を前提とした上で、n-3系脂肪酸の摂取において、それらの組み合わせをどの様にするかが、過酸化脂質生成の抑制とその有効な生理効果を引き出す上で重要なことが示唆された。
結論
以上、n-3系脂肪酸の摂取と組織過酸化脂質生成との関係を、主として過酸化脂質スカベンジャー成分の変化、さらに、総脂質、中性脂質およびリン脂質種の脂肪酸組成の面から検討した結果を報告してきた。n-3系脂肪酸には、生体内においていまだ知られていない脂質過酸化反応に対して抵抗性を示す性質があるのかもしれない。本研究が、n-3系脂肪酸が持つ多くの生理機能を有効に引き出すための一助となることを期待して止まない。
最後に、本研究で得られた一連の現象をjapanese paradoxとして提案したい。すなわち、“魚油の構成脂肪酸として存在するDHAやEPAのような不飽和度の大変高い脂肪酸は、生体内においても非常に酸化され易く、有害な過酸化脂質を生成して組織に傷害を及ぼし、生活習慣病を始めとする各種疾病、さらには、老化促進、寿命の短縮の原因となるのではないか"、とフリーラジカル研究者の間では考えられて来ている。しかし、その確証はつかめていない。本研究で得られたように、生体内には、そうした有害な作用を生体防御の処理可能な範囲に止めて、体を守るための巧妙なメカニズムの働いていることが明らかとなった。この2年の間にそうしたメカニズムの一端を明らかにしてきたが、そうしたメカニズムが機能することで、n-3系脂肪酸の、そして、魚油の、例えば、循環器疾患の予防等の有効な生理作用が効果的に発現され、ひいては日本人の健康の維持・増進、長寿に結びつく要因となっているのではないかと推察される。魚食民族が長命であることの一つの傍証となるのではないだろうか。

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